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古の女王03


「ラルレの空中庭園にそんな登場人物出てきたっけ?」

 とイウは聞いた。
 ラルレの空中庭園は世界的に有名な児童書である。アンジェルという不老の青年が生まれ育った理想郷、ラルレの空中庭園を捨てて世界中を旅する、といった話であり、子供向けであるのと同時にあらゆる国の歴史についての記述が詳しいことから、よく教科書代わりに使われていた。中産階級以上で、ある程度の教育を受けている者であれば、誰しも一度は読んだ事があるのではなかろうか。彼も昔に読んだ事があったのだが、残念ながら細かい内容はほとんど覚えていなかった。

「お前が読んだのはエクアフ語翻訳版だろう?あれは子供向けにかなり編集されてるんだよ。原作のダルテス語版はもっと長く、もっと生臭い人間関係が描かれているし、宗教の問題で書き換えられているところもある。俺が読んだのは原作がそのまま翻訳されたシクアス語版だが、その中に新造生物ゴルトバが出てくる」
「その新造生物ゴルトバはどんなことをするの?」
「ちょっと待ってろ」

 そう言うとセウ=ハルフは先ほどまでの面倒くさそうな顔から一転して、喜々とした様子で立ち上がり、小走りでどこかへ行ってしまった。

「セウ=ハルフはラルレの空中庭園マニアなんだよ。ああいう冒険物に憧れていて、いつまでも子供のままなんだ。いつも僕の考古学への熱狂ぶりをばかにするくせに、まったくひとのこと言えないと思わないか?」

 デミングはセル=ハルフが聞いているわけでもないのに、また声をひそめてイウの耳元で囁いた。なんだかんだと言い合いをしながらも、結局のところ彼らは仲が良いのだろう。そんな雰囲気がデミングの口調から伝わってきて、彼は少し羨ましく思った。

「そうだね」

 イウは苦笑して言った。

 しばらくして、セウ=ハルフはシクアス語でおそらく『ラルレの空中庭園』と書かれた本を持ってきた。高級そうな皮の重々しい装丁にシクアス的な独特の模様が刻印されている。農民の親戚であるらしい彼らが持っているには不自然なほどに立派な本だ。この本の一体なにが、セウ=ハルフをここまで惹き付けているのかは定かではないが、相当読み込んでいるらしく、いたるところにしおりが挟まれていた。

「お前、貴族だしシクアス語は多少できるよな?」
「うん。多少ね……。本当に多少だけど」
「ここを見てみろ。『新造生物ゴルトバ』って書いてあるだろう」

 セウ=ハルフが指差した箇所には――『新造生物』は読めなかったが――確かに『ゴルトバ』とシクアス語で書いてある。イウが納得したようにうなずくと、セウ=ハルフは満足げな顔で口を開いた。

「主人公のアンジェルは、戦争で負傷して片足を失うが新造生物ゴルトバに治してもらう描写がある。それだけで、たいした登場人物でもないが、ゴルトバがどうかしたのか?」
「やっぱりそうだ。ゴルトバは身体を修復できるんだ!」

 思わずイウは叫んだ。

「そうらしいが、これは架空の話だぞ」
「そうか。ゴルトバは身体を治せるんだ……」

 イウの横でひらめいたようにデミングが呟いた。

「この子の言いたい事がわかった。エメザレの事だよ。クウェージア移民の話によればエメザレは生死に関わるような拷問を受けている。しかし革命を起こしたエメザレに負傷したような痕跡はなかったらしい。エメザレがゴルトバに身体を治してもらったとすれば辻褄は合う、ということだね?」

 デミングにそう訊ねられて、イウはやっと自分の犯した失態に気が付いた。己の発言でエメザレの件に一層の興味を抱かせてしまったのだ。もしこれ以上エメザレの件を詳しく調べられたりすれば、かなり早い段階でエメザレの消息が絶たれている事実にたどり着くだろう。いや、すでにクウェージアでは事態に気付いて混乱が起きているはずだ。もうエメザレの死体が見つかっている可能性もある。カルテニまでその情報が到達するには今しばらくの時間が掛かるにしても、できるだけ早くオルギアに発たなければ、彼が捕まる確率はどんどん高くなっていく。
 彼はにわかに混乱して、デミングの問いにうなずきもせず目を反らせた。

「だから、これは作り話だっての」

 だがデミングがそれを不審に思う前に、勢いの良いセウ=ハルフが反論した。

「いや、セル=ハルフ。これはものすごい発見だ! 確かに『ラルレの空中庭園』は今のところ架空小説だということになっている。しかしこの本が何百年の時を経ても読み継がれてきたのは、架空ではないと提言した有能な学者が各時代に存在したからだ。架空ではないという証拠はないが、架空である証拠もない。それがこの本における最大の魅力のはずだ。きみだって充分わかってるだろう? 少なくともモートたちは絶対に興味を抱くはずだよ。むしろ彼らのことだから既に発見しているかもしれないが」
「確かにモートの奴らが喜びそうな発見ではあると思うが、俺にはよくわからん」
「モートの見解を聞いてみたい。『ラルレの空中庭園』に関してモートに聞いたことなかったけど、実はすごいことを知ってるのかも。ちょうど、五日後に来ることだし」
「モート種族が五日後に来るの?」

 まだ混乱したままの頭で、イウは興奮気味に聞いた。彼はアシディアについて、なにか知っていそうなモート種族に会ってみたかったのだ。五日ここに留まるというのは、かなり危険なことであると承知で――本当ならば明日にでも発ちたかったのだが、それはこのさい諦めることにした。

「ああ。モート学術研究団がオルギア遺跡を調査しに啓示の国から来るらしい。で、俺達が奴らを監視観察しながらオルギアまで案内するわけ。農民の親戚は仮の姿でそっちが本業なのよ」

 と、セウ=ハルフはどこか誇らしげに言った。

「ぼくも一緒に連れて行って! どうしてもオルギアに行きたいんだ」

 どの道、闇雲に一人でオルギアへ行ったとしても、たどり着ける保障はどこにもない。なにしろ真北に向かっているつもりでいて、西に進んでいたほどの方向感覚しか彼は持ち合わせていないのだ。せっかく案内役が目の前にいるのだから、多少の危険を冒しても頼った方が賢明であるだろう。

「まぁ俺は構わないが、モートの奴らがどう言うかな。どうもモートはオルギア研究を極秘裏におこなっているらしいんだ」
「僕がなんとか説得するよ。モートは知識を求める者には敬意を払うものだし、熱意を伝えれば了承してくれるはずだ。それにいくらカルテニがオルギアに一番近い村だと言っても、遠いことには変わりない。霧は濃いし、道だってあってないようなものだし、もしかしたらあのダルテスが出るかもしれないし、一人で行かせるなんて危険すぎる。せっかくこの子はここまで来たんだ。僕はこの子をオルギアに連れてってやりたい」

 デミングは右手で拳を握り、左手でイウの肩をがしっと掴んで引き寄せ、セル=ハルフに言った。

「オルギアってそんなにいいとこかねぇ」とぼやいてから「仕方ない。一応、俺も頼んでやるよ。一応だけど」と多少、歯切れが悪そうな表情で笑った。

「二人ともありがとう。とても助かったよ。本当にありがとう」

 彼は恥かしそうに笑うと、肩に置かれたデミングの手を二度叩き、そして左に座るセウ=ハルフに頭を下げた。

「ところでさっきは、どうしてアシディアの話から急にゴルトバの話になったんだ? アシディアとゴルトバは何か関連があるのか? 第一にお前はどうして『新造生物ゴルトバ』の名前を知っていた? お前はなにかを知っているのか?」

 重い雰囲気は感じさせない軽い口調で、セウ=ハルフは聞いてきた。故意か不故意かわからないが、どうもこのセウ=ハルフという男は鋭いところをよく突いてくる。この調子ではイウの話のほころびが見つかるまでに、そう時間はかからないだろう。
五日間、もつだろうか。

「……ぼくは特別なことを知ってるわけじゃないよ。さっきはただ、ぼくが興味のある単語を並べて言ってみただけ」

 イウは表しようのない不安を胸に抱えながら、二人に微笑んで言ったが、セウ=ハルフはなんとも言わずにイウに微笑みを返しただけだった。

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