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英雄と王子06「まぁどうぞ」
連れて行かれたところは、地下牢でも拷問室でもなくジヴェーダの部屋だった。それなりに豪華な部屋だったが物があふれ、掃除もしていないのだろう。なんとなくほこり臭い。
特に暴力を振るようなそぶりもなく、ジヴェーダはイウをいすに座らせ、何を考えているのか茶に菓子まで添えて、それをイウの前に差し出した。
興味本位で見渡すと、あちらこちらに本が散らばっていた。拷問に関する本が多く時々シクアス語の本もあった。
案外努力家なのかもしれない。
奥にはアンティーク調のガラスケースに拷問器具が並べられており、なぜかそこだけはほかと違ってきれいにされていた。
ジヴェーダは向かいのいすに座り、自分にも茶を入れると音を立ててすすりながら口をひらいた。
「陛下はどうやら、今回ばかりは本気のようですよ。意地を張っている余裕などないのではありませんか。その若さで死にたくないでしょう?」
イウは答えなかった。
まさか自分を処刑すると言い出すなんて。
イウの表情は硬かったが、内心、彼は焦っていた。死を恐れているのではない。というのは正確でないかもしれないが、それよりもエメザレとの約束を果たす術を見つけ出したかった。
「べつだん、私にはあなたが処刑されようがされまいが、どうでもいいことなんですがね。でもエメザレのために死ぬのなら、彼がどのような人物であったか、ちゃんとあなたに教えて差し上げたほうがいいと思いまして。
彼はあなたが思い描いている人物像と、だいぶ違うようなので、もし真実をお伝えすることであなたの気が変わるなら、それも良いかと」
興味なさ気にそう言いながら、ジヴェーダは菓子を頬張った。
「どういう意味?」
にわかにエメザレの話題を出されて、イウは怪訝な顔をした。
「ああ、そうだ。その前にせっかくなので自己紹介をさせていただけますか」
流れを断ち切って、ジヴェーダは唐突にそんなことを言った。
「紹介などされなくても、お前が性悪なのはわかっているよ」
言ったが、イウの言葉は聞き流された。
「私は灰色の髪の拷問師です。神は信仰せず、必要とあらば男とも遣る。さて私を軽蔑しますか?」
ジヴェーダの声は、ばかに明るく冗談のようにも聞こえたが、目は真剣だった。突然に性癖まで語られて十四の少年は少なからずたじろいだが、意地になって答えた。
「髪の色や職業を軽蔑する気はない。信仰も個人の自由だと考えている。だが、同性との行為は軽蔑する」
「真面目に答えて頂けて嬉しいです。それでは本題に入りましょうか」
ジヴェーダは明るく言い放ち、作った笑顔をしてみせた。
イウは不思議に思ったが間髪いれずにジヴェーダは話しだした。
「エメザレが国立軍事教育所で育ったのはご存知ですね」
「知ってる」
「あの施設は孤児が入れられるところです。全ての権利は国にゆだねられ、世間とは完全に隔離されている。そして二十五歳になるまでは基本的にあの施設からは出られない。あの時エメザレは二十三歳。外の世界を知らなかった」
クウェージアにおいて孤児は国の所有物であり、女は外国に売りに出され、男は国立軍事教育で訓練を受け兵士となる。終身兵役の孤児は一生、国の監視下に置かれるが二十五を過ぎれば家庭を持ってもよいことになっており、教育所を離れて指定された地域に住むことが許されていた。
「だからなに?」
イウは苛立ってきいた。
「つまり、彼の思想は極端に偏っていた。彼が正常だったとは言い切れないし、物事を常識的に判断できたとも思えない。その証拠のひとつとして、彼は同性と肉体関係を結ぶことに不自然さを感じてはいなかったようですし。まぁ、二十三年間男だけの世界で生活してきて、そういうことが一度も起こらないほうがおかしいですがね。どちらにせよ、そんな男のいう正義など信じるに値しない」
「でも、そうだとは言い切れない。エメザレは違うかもしれない! エメザレの正しさは、変わりはないんだ。わかりもしないのに決め付けるな!」
「わかりもしない、ね……。どうでしょう」
ジヴェーダは言葉をにごらせながら冷笑した。
「どうって? どういうこと? 言いたいことがあるならはっきり言え」
「世間知らずの王子様。あなたはいつだって現実から顔を背けている。自分の信じたいものしか信じず、ききたいことだけしかきかない。私は証拠を提示して教えて差し上げたではないですか。だからそのままの意味です。いうなれば一種の、体験に対しての私の意見と感想のようなものですが」
やっと言っていることがわかった。
ジヴェーダは、エメザレを屈辱したと、遠まわしに言っているのだ。
「なぜ、そんなことを……」
汚らわしいというよりも、まずその事実が受け止められない。
「なぜって、明確な理由なんてありませんよ。王子。気が向いたからです」
顔色一つ変えず、ジヴェーダはそれを思い出して楽しんでいるかのようだった。
気が向いたからという理由で犠牲になったエメザレは、その時どんな気持ちだっただろう。どんなにつらかっただろうか。自分には想像もつかないが、それが精神的にも肉体的にも大きな苦痛であったことくらいは理解できる。
「貴様! そんなくだらない劣情のためにエメザレを玩弄したというのか! 汚らわしい!」
イウは身を乗り出して、向かいに座るジヴェーダの首を掴み言った。
テーブルに置かれたティーカップは小さな音を立てて揺れ、わずかに中身をこぼして白いクロスに染みを作った。
「おやまぁ、ずいぶんと難しい言葉をご存知ですね。あれは、あなたにも見せて差し上げたかったですよ。おしかったですね。エメザレの部屋を訪れたとき、あなたは変な勇気など出さずに黙って聞き耳でもたてていればよかったんですよ。行為に対するエメザレの反応を観覧していれば、彼を正義だとか憧れだとか、ばかなことを言い出さずに、平穏な生涯を送れたでしょうに」
イウの怒りにも全く動じる気配はなく、彼が感情的になるとジヴェーダはさらに強く冷笑を浮かべて、わざとらしく彼の気に障るような単語を並べた。
「黙れ! ジヴェーダ」
イウはジヴェーダの首を力一杯に絞めたが、反対にその腕を掴まれた。
「彼は同性愛者だ。あなたは最初におっしゃいました。同性との行為を軽蔑すると。私を軽蔑するのならエメザレのことも軽蔑すべきだ。そうでしょう?」
「だってそれは……お前が無理にしたことだろう」
「それに関してはそうですが、エメザレは私を一番喜ばせてくれたといっても過言ではない。経験の違いでしょうかね。彼のほうが私なんかより、よほど経験が豊富なようでしたから」
ジヴェーダは腕を掴んだまま、イウの悲痛な表情を見つめてにこやかに言った。
「聞きたくない! 黙れ! 黙ってくれ。知りたくない」
耳を塞ごうとしたが、ジヴェーダの手はそれを許さない。
そしてそのままジヴェーダは、その話しをし始めた。
何時間もずっと事細かに、何度も繰り返してその話をした。
ジヴェーダが、その時エメザレはどんな顔をして、どんな声を上げて、どんなふうに動いたのか何度も何度も説明したから、目をつぶるとジヴェーダの話すその時のエメザレの顔が浮かんでくる。
見たくも想像したくもない、その時のエメザレの顔が。エメザレの締め付ける間隔と、中の熱さと、絶頂のときの悦楽の悲鳴が、イウの頭と身体を這い回る。
これ見よがしな、そんなエメザレの姿が浮かんでは、次の一瞬に彼の微笑があり、消えるとまたその姿が浮かんでくる。
吐き気がする。エメザレをそんなふうに見てはいけない。
壊さないでくれ。
ぼくのエメザレを。
綺麗なエメザレを。
正しさの基準を。
でも、それでも微笑んでいた。エメザレが頭の中で。彼は真っ直ぐ前を見つめていた。
「それで?いかがですか、あなたの考えは」
ひと段落着いたのか、ジヴェーダは話をやめてイウから手を離した。
やっと自由を手に入れたイウは、力なく椅子に座り込むと頭を抱えてうずくまった。
ジヴェーダの声など聞こえなかった。彼は襲い来るエメザレの淫靡な様の幻影と独り戦っていた。鼓動は高鳴り身体は憎いほどに熱くなっている。
気持ちが悪かった。
「もうエメザレが正義だとか言いませんよねぇ」
ジヴェーダは可笑しそうにしながら言った。
「……エメザレは正義だ」
やっと振り絞った声で、自分に言い聞かせるように呟いた。
「おやまぁ、強情なんですね」
「お前はなんて邪悪なんだ!」
ジヴェーダの呆れ返った声に腹を立てて、イウはあらゆる憎しみを込めて叫んだ。
「邪悪?私が邪悪ですって?私は拷問師です。これが仕事なだけですよ。
灰色の髪というのは実に不便で待遇が悪くて、白い髪にも黒い髪にも蔑まれて、つける職業なんて本当に少数で、ちょっといい物を食べようと思ったら拷問師になるくらいしかないんです。
私が好き好んで灰色髪に生まれてきたのだと思います? 憧れて拷問師になったとでも思っているのですか?
私はあなたの父が築き上げた、この国の不条理に苦しむ被害者の一人に過ぎない。
それでもあなたは私を邪悪だと言うのですか?
王子は最初におっしゃいました、髪の色も職業も軽蔑しないと、同性との行為だけ軽蔑すると。それなら私もエメザレも変わらないはずだ!」
ジヴェーダは声を張り上げた。それは今までの、他人をなんとも思わない飄々しさからは、想像できないほどに真剣な怒りが含まれているようだった。
「まぁいいですよ。気が変わらないなら」
イウが少し驚いたようにジヴェーダの顔を見ると、彼は先ほどの感情的な言葉を恥じるように妙な笑みを浮かべ、また小ばかにしたような物言いで続けた。
「しかし、エメザレへの気持ちが変わらないのだとしたら、困りましたね。どうやって約束を守るつもりなんです?」
「今、考えてる」
「考えるも何も、方法は一つしかありませんよ」
「わかってるよ!」
ジヴェーダの言うとおり、約束を果たす方法は一つしかない。
グセルガの意思を継ぐこと。
グセルガの死後、自分の思ったとおりの国を作ればいいじゃないですか。と、イウを覗き込むジヴェーダの瞳は語っている。
「それではエメザレを裏切ることになってしまうのではないかと、心配しているのでしょう? 物事というのは結果が全てですよ。過程がどうであれ、最終的に約束を果たせればいいんです。
もし途中で黒い髪と対立する時があったとしても、陛下の死後和解できるでしょう」
打って変わってジヴェーダの口調は穏やかでなだめるようになった。
「つらいのはわかります。あなたはこの四年間、ずっと独りで戦ってきた。誰も味方をしてくれず、みんな異様なものでも見るかのようにあなたを見ていた。陛下からも嫌われ、罵られ、愛情が断ち切られても、それでもあなたは独りで耐えた。
まるでエメザレのようにね。ならば、彼もあなたの辛さをわかってくれるはずですよね。ここで、あなたが意見を変えないとエメザレは永遠に救われないのですから。この世界でたった一人、あなたしかエメザレを、黒い髪を救ってやることはできないのですから。だから仕方のないことです。あなたは間違ってなどいません。最後にエメザレはあなたに感謝するでしょう」
囁かれた言葉は優しかった。生ぬるい希望で、イウの心は満たされかけていた。ジヴェーダの言うことが、そう間違っているようには聞こえなかったし、むしろもっともな言い草に思えてならなかった。
それでいいのだろうか。
甘い言葉に包み込まれながら心のほんの片隅でイウは思った。
「終わりましたよ」
ジヴェーダは唐突に大声を出した。
部屋の外で誰かがこの会話を聞いていたらしい。少々の間を置いて部屋の扉が開いた。
「部屋にお戻りを」
ジヴェーダは自信に満ちた声でそう言った。
***
それしかないんだ。
それしかない。
自室にこもった少年は自分を説得させるのに必死だった。薄暗い部屋の中で自分の存在を隠すように縮こまり震えていた。後ろめたい気持ちがないわけではない。それは卑怯なのではないかとも思った。でもそれ以外にどうにかできそうにない。
「はぁ」
彼は吐息を吐いた。
それ以上に恐ろしかったのは、先ほどの淫靡な顔のエメザレが頭の中で巣くってどうにもおぞましい妄想が止められないことだった。
平穏を保とうとすればするほどエメザレのことを思い出し、そしてジヴェーダの言った言葉が頭を侵しては身体を熱くさせた。何より軽蔑すべきはエメザレのそのことよりも自分の身体の方であるようだった。 イウは心底、自分を罵って嘆いた。その嘆きは三日経っても止まることはなかった。
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