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英雄と王子05


 彼が一番優れているのだ。
 彼が一番正しいのだ。

 その思いが色あせることはなく、むしろもっと強烈な色で塗りつぶされていった。
しかし、あの次の日に宮廷からごみのように放り出されたエメザレの行方はわからない。この国はあの時と何も変わっていない。いや、さらに悪くなっている。
 エメザレを無能者にしたことで、グセルガの黒い髪は白い髪よりも劣っているという説は、無理やり証明された。王に逆らった貴族は次々と処刑され、弾圧され消えていった。何かができたかもしれないのに、何もしなかった。無力だった。何も変えられていない。

 小さな少年にはエメザレへの罪滅ぼしとして、グセルガに無意味な反抗するぐらいしかできることがなかった。そして、滑稽なほどに無力な自分に歯がゆさを感じ、かんしゃくを起こしては、強烈に刻み込まれたエメザレへの憧れを口走った。

 イウはいつまでも信じていた。
 いつか自分がこの国を変え、そしてエメザレと共に暮らすことができると。
 エメザレはどこかで生きていて、それをずっと待ち望んでいるのだと。

 明確な答えを見つけられずに迷走を続ける中で、エメザレという存在だけが、絶対的に正しいものとして、なかば妄想のように神格化されていった。
 グセルガは何とかしてそれをとめようと、今まで以上に厳しく接したが、すればするほどイウの妄想は強くなるばかりだった。

 イウの異常なまでの思いは、グセルガだけでなく宮廷で暮らす全ての召使と国中の白い髪から疎まれ、それは皮肉にもあのジヴェーダと肩を並べるほどにひどいものとして扱われた。
 元々希薄だった父との関係は完全に崩壊し、理解しあえる仲間もおらず、ほとんど自分の部屋から出ることもなくなり、まるでクウェージアの王子は死んだかのように無視され、話題すら出ることはなくなった。

 エメザレの解雇から四年という時が過ぎた。
 自己の正義に心酔し、儚い希望にすがり付いたままの少年は十四になった。


 ある時、父がイウを食事に呼んだ。呼んだというよりも強制に近かったが。

 グセルガと食事を共にするのは半年ぶりだった。部屋から出るのさえ久しぶりだ。イウは大勢の召使に連行されるようにして歩いた。すれ違う白い髪の目は犯罪者に差し向けられるもののように侮蔑的だった。
 連れて行かれた部屋には何十人もの家来が壁に張りついて、人形のようにずらりと並んでいる。

「座るがいい」

 無駄に長いテーブルの遠くに父は座っていた。召使がひいた白いきれいな椅子に、イウは大人しく座った。

「イウよ。わたしの愛しい一人息子よ。お前はまだ、わたしの言うことが正しくないと、言うつもりかね」

「訊かずともおわかりのはずです」

 すかさず召使はイウの目の前に豪華な料理を出したが、彼は目もくれずに椅子に座るなり父の厳めしい顔を睨み付けた。

「あなたの頭は古すぎるのです。父上。もう意地を張るのは止めにしませんか。ぼくに王位を譲ってください。ぼくはこの国を平和と平等に導く自信があります。あなたは老後を穏やかに過ごしていればいい」

「イウよ。わたしがお前のことをいつでも一番に考え、この世界で最も愛しているという事をまず認めてほしい」

 突然イウは顔面をテーブルに伏せ、肩を震わせながら大声で笑いだした。もはやグセルガがなんと言おうとも、イウの耳には間違いにしか聞こえない。
 グセルガはそれを異様な目で見ながらも黙っていた。

「嘘ならもう少し、うまくついたらどうですか。愛しているのなら、ぼくに王位を譲ってくださいよ」

 やっと笑い終わってから、顔をテーブルに伏せたまま言った。

「それはできぬ。お前の考えはこれまでの国家体制を維持していくうえで非常に危険だ」
「ぼくは今の国家体制を維持する気は毛頭ありません。ぼくは、ただこの国の繁栄を願っているだけです。あなたはこの国を救う術を知っているのに、救おうとしない。ただ苦しめて自分で納得しているだけ。あなたがいるからぼくは何もできないが、あなたが許してさえくれれば、ぼくは何でもできるのです」
「哀れなイウよ。おまえは狂っている」

 グセルガはそう吐き捨てた。その瞳には歪められた期待と希望ではなく、イウへの嫌悪と否定が映っていた。

「ぼくは狂ってなどいません」
「目を覚ませ。我等、白い髪は常に全てにおいて優越していた。常に特別な存在だった。この世界で最も有能であり、最も美しく、神エルドに必要とされている。黒い髪とは価値が違うのだよ。白い髪に誇りを持て。彼らを支配することは、世界ができたときから既に決まっていたことだ。低俗な彼らに同情する必要はない」

 太古の昔から続く、白い髪の強い選民思想。
 エルドという神に仕え、旧世界の大戦でエルド派として戦った、種祖エクアフの子孫とされている白い髪。
 黒い髪は種祖エクアフの右腕であったシャイヤの子孫とされているため、根拠のない優劣が、一万年の時を経てもごく自然なことのように残っている。

 そして、遠い昔に存在した白い髪の超大国デネレアは、世界の三分の一を支配していた時代もあった。
 その栄光と繁栄の余韻は、エクアフという種族全体が廃れ、衰退の一途を辿っているこの時世においてもなお続いているのだ。
 世界の端にある小国が、この不安定な世界情勢を前に、内部で髪の色がどうのと言っている余裕は本来ならばないのである。

「それは、あなたの抱いている妄想に過ぎない。髪の色なんて関係ない。むしろ心の美しさにおいては、あなたのほうが劣っている」
「わたしを侮辱する気か!」

 グセルガは立ち上がり、近付いてきたかと思うと、いきなりイウの目の前にあった皿を思い切り投げつけた。
 金属でできた固い皿は、鈍い音を立ててイウの額に当たった。
 しばらくしてその場所から血が流れ出てきたが、イウは血を拭いもせずにグセルガを睨み付けた。

「そうやって、自分の意思を押しつけては、拒否する者を殺すのですね」

 グセルガは押し黙って、顔をそむけた。傷心ではなく怒りのために。

「なぜエメザレにあんなにひどい仕打ちをしたのですか」
「その名を口にするなと言ったはずだ」

 イウの顎を片手で引っつかんで言った。

「それを承諾したつもりはありません」
「なぜお前はあの男に固執をする。一体エメザレはお前に何をしてくれたと言うのだ?」
「ぼくに正しさを教えてくれました。この城の中で彼だけがぼくの理解者だった。エメザレはあなたに従順だったはず。あなたに感謝し、尊敬と忠誠を持って接していたはず。あなたの知る中で、最も有能で信頼の置ける人物だったはず。それなのに、なのにあなたは彼に屈辱を与えた。片目を奪った。無能者と呼ばせた。あなたの身勝手な下らない考えのために!」

 抑えきれないエメザレへの憧れがほとばしった。そして、過ぎ去った出来事を思い出しては、エメザレ以外の全てのものへ怒りを覚える。
 正しいのはエメザレだけだ。彼はそれ以外に正しいものを知らない。もしそれを正しくないというのならば、それが間違いなのであって、それは彼の確信を揺るがす理由にはならない。

「もういい」
「あなたはエメザレが怖かった。認めたらどうですか?」

 イウは激しく責めるようにきいた。

「愛しい息子よ。一つ教えておいてやろう。お前に王位をわたす気はない。お前に、わたしの国はやらぬ」
「いちいち愛しいと付けるのはやめていただけませんか。ぼくを憎んでいるくせに」
「お前がどう思おうと関係ない。息子よ、わたしは再三にわたり、わたしの考えを受け入れてほしいと願ってきた。しかし、お前はどんなにわたしが説得しようとも、きく耳を貸さなかった。これは大変に残念なことだが、しかたあるまい」
「なんだと言うのですか」
「三日後までに、お前が考えを変えなければ、お前を処刑台に送る」

 イウは一瞬言葉を失った。

「……処刑?ぼくを?」
「わたしの息子はお前だけだ。しかし、わたしに従順でないお前に、わたしの国を譲るわけにはいかん。例え、わたしの血を引いていなくとも、わたしの死後もわたしの望んだ方向に、この国を導いてくれる誰かに王位を譲りたいと思っている」

 世界が収縮していくのを感じた。約束を果たせなくなることを恐れた。急に押し黙り、イウは父の顔を見つめた。

「心配しなくとも、お前はいつまでもわたしの愛しい息子。三日後までに、どんな手を使ってもお前の危険な思想を正し、その悪意に満ちた妄想から救い出してやろう」

 無表情の下にある怯えを見透かして、グセルガは満足そうに笑みを浮かべた。

「ジヴェーダを呼べ」
「ジヴェーダ……」

 弱々しくイウは呟いた。グセルガは更に口の端を吊り上げて明らかな喜びを表した。
 あの日以来、ジヴェーダはイウの前に現れたことはなかった。無論忘れはしなかったが。

「ごきげんよう。お久しぶりですね。王子」

 そして開かれた扉の向こうから、相変わらず横暴さと奸悪さを垂れ流しているジヴェーダが姿を現した。あの忌まわしいジヴェーダが。エメザレを傷つけ蔑ろにした、憎むべきジヴェーダが。
 イウは、悪びれもせずに軽い口ぶりでそう言いながら、軽い足取りで近づいてくるジヴェーダを睨んだ。

「よく、ぼくの前に現れたものだね」

 イウの言葉には答えず、ジヴェーダはグセルガにひざまずいて見せた。

「ジヴェーダ。我が息子を頼んだ。どうあっても三日後までに考えを変えさせろ。何をしてもかまわん。それができなければ、お前の手で息子を殺せ」

「はい。陛下。仰せのままに」

 あの時のように、ジヴェーダは意味ありげにうなずいた。

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