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英雄と王子07


「答えは出たか」

 玉座に座り、見下す位置にイウを置いてグセルガが言った。二人だけの空間に静かな声が響く。グセルガとの距離は昔よりずっと遠かった。

「……はい。父上」
「ではきくが、黒い髪についてどう思うのだね?」

 その問いにイウは小さく答え始めた。

「黒い髪は、我々白い髪よりも……」
「何を言っているのか聞こえない。大きな声で言え」

 その荒々しい声。昔から大嫌いだった。否定ばかりしてなにも認めようとしない考え。穏やかさから無縁の顔。濁った瞳。何もかも大嫌いだ。

「……黒い髪は、我々白い髪よりも明らかに劣った存在であり、その暴悪で陋劣な性質は、我々の秩序と安穏を乱し、我々にとって大変に有害な種族であることは確かです。
よって我々は我々の廉潔な血筋と高次な文化を固守するために神エルドより与えられた種族的特権を行使し、劣族への支配と更生を慈善的に行うのです」
「やっと、理解したのだな」
「はい。父上」

 グセルガの目など見れなかった。
 仕方のないことだ。それしか手段がなかったのだから。これはエメザレのためだ。けして自分のためではない。きっとわかってくれるだろう。どれだけ悩んで出した答えか。

「エメザレはどうだ」

 エメザレの名が胸に響いて、心を痛くした。

「答えられんのか」
「彼は――ぼくが考えていたような、高潔な人物ではありませんでした……。全て、父上のおっしゃる通りでしだ」

 エメザレは軽蔑するだろうか。でも、これ以外に幸せになる方法なんてあるだろうか。素直に処刑されれば、エメザレは悲しんでくれるだろうか。
 しかし、それで何が変わるというのだろう。

「よかろう」

 満足そうにうなずいてから、グセルガは話を続けた。

「では、もしお前が王となったなら、この国をどう統治するべきだと思うかね」
「黒い髪を弾圧しつつ、この国の平和を守ります」
「しかし、お前はエメザレと契りを交わしたのだろう? 白い髪と黒い髪が平等に暮らせる国にすると」

 そうだ、あの時約束した。忘れてはいない。忘れたわけではないんだ。
 許してくれ。エメザレ。

「そんな約束など忘れました」

 言った言葉はあまりにも、あまりにも虚しかった。



 これは幻だろうか。
 罪悪感のあまり幻覚を見ているのだろうか。

 でもぼくには、まるでお前がすぐそばにいるように見える。今、父上の横に立って、微笑みながら剣を振りかざしているような気がする。そして今度はぼくのほうを見て、悲しそうな表情を浮かべている。

 お前はぼくの見ている夢なのか? これがぼくの望んでいることなのか?

 イウの視線の先には、まぎれもないエメザレの姿があった。それが現実なのか、妄想なのか彼の答えが出る前に、エメザレはグセルガに剣を振り下ろした。

 瞬間、世界の時の流れは限りなく緩やかになった。ゆっくりと、グセルガの首が傾き、そして綺麗に落ちていくと、かつて頭のあった部分から赤い羽根が広げられたかのように美しい角度で鮮血がほとばしった。
 それは光り輝く赤い光のように。それは狂喜すべきこと以外のなにものでもない。その時、錆びた蝶番がやっと外れて、束縛から解放されたのだから。
 血煙のなかから姿を現したエメザレは、初めて宮廷に訪れたあの時のエメザレそのものだった。
 恐れのない真っ直ぐな姿勢。勇気と希望に満ち溢れた瞳。何も失われてはいなかった。全てそろっていた。あの穏やかさも、あの優しさも、あの微笑みも、瞳も。
それは待ち焦がれ、憧れ、手に入れたかった、あのエメザレだった。そのエメザレが、今こちらに向かってゆっくりと近づいてくる。微笑を浮かべて。
 イウはエメザレに両手を差し伸べた。とても嬉しかったから。

 父上を殺してくれた! これでぼくは王になれる! 全てが救われる!
 誰も死ななくていいんだ。戦争は起こらない。
 ぼくは自由になったんだ。約束を果たす時が来たのだ。
 長かった。辛かった。でもこれからは、ずっと一緒だ!

「エメザレ!」
 たくさんの意味と気持ちを込めて彼の名を呼んだ。
 少し前に言った父への言葉など忘れて。虚偽の裏切りのことなど、その罪悪感など、彼の出現できれいにかき消されてしまっていた。
 エメザレのもとに早く行きたくて、イウは駆け寄った。希望で輝く幸せな未来のほうへ。

 そして彼を抱きしめた。強く強く。とても嬉しかったから。
 エメザレの胸の鼓動は早かった。身体が震えていた。上から冷たいものが落ちてきた。何度も。

「泣かないで」

 エメザレの顔に手を当てて優しく涙を拭った。

 なぜだろう。胸が痛い。お前と会えて嬉しすぎるからだろうか。でもいいんだ。ぼくのことは。それよりそんな悲しそうにするのはやめてくれ。何も悲しむことなんてないんだ。ぼくがずっとそばにいるよ。

 エメザレの顔を引き寄せた。もっとよく見たかったから。

「お前は……誰だ」
 
 イウは絶望してきいた。
 確かにそれはエメザレの顔だった。だが、何かが違って見えた。何が、と言われれば答えようもないが、とにかくそれはエメザレではなかった。
 限りなくエメザレに似た何か。

「私はエメザレ」

 声は同じ。でもエメザレではない。

「違……う…」

 胸が痛すぎて声が出ない。苦しい。息ができない。なぜだろう。

 酷い不快感に気づいて自分の胸を見たイウは、ようやくその痛みの理由がわかった。当然の痛みだ。イウの胸には深く剣が刺さっていたのだから。
その光景を目にして頭の中は完全に混乱し、それが夢であることを願った。ますます痛みは酷くなって辺りが霞んでゆく。世界が歪んで感覚が薄れていく。怖くなって、わけのわからないままに、イウはエメザレにしがみついた。
 その力は自分でも驚くほどに凄まじいものだった。もはや立っていられなくなって、床に倒れこむその時も、エメザレから手を離さなかった。二人で一緒に床に崩れ、起き上がろうともがくエメザレをイウは離すまいと髪を掴んだ。

 そしてもう片方の手は偶然にそこにあった右目に爪を立てていた。
 なにか不思議な感覚だった。なにかに操られているように、無意識のうちにイウは、目の中に指を突っ込んで眼球を抉り出そうとしていた。
 エメザレはイウの手を引き離そうとしたが、死に際の深い呪いのような力に勝つことができない。
 ついに眼球は傷付いて出血し、その血は流れ落ちて、イウの頬をぬらした。

「ああぁっ! 血が! ゴルトバの血が!」

 エメザレは右目からの出血に気付くと、悲痛な声でそう叫んでイウから飛びのいた。

「う、あぁ……ぎぃゃぁぁぁぁああ!」

 それとほぼ同時に、イウの絶叫が部屋に響き渡った。
 熱い。
 血が炎よりも熱い。血がおかしい。
 まるで生きてでもいるかのように、それは毛穴をこじ開けて、無理やり皮膚の中に侵入しようとする。
 痛い。
 焼かれながら皮膚が剥がされるような感覚だ。
 どうにかそれを追い出そうと体中をかきむしるが、それは体内で猛烈に走り巡っている。
 恐ろしい。
 何かが変形してしまいそうだ。
 でも、そんなことはもうどうでもいい。

 どうしてぼくを殺すんだ。エメザレ。

 強く思ったが、それは声にならなかった。ただ手を伸ばした。エメザレの方に。
 それが精一杯だった。
 エメザレはイウから間を置き、しばらく様子を見ていたが、その姿に同情でもしたのか差し出されたイウの手を握った。
 そして彼は何かを言ったが、強烈な熱さと痛みがその声を消した。

 違うんだ。エメザレ。

 話したいことや、聞きたいことがたくさんあった。そのエメザレがここにいるのに、何も言えないことが苦しくて、何も知らずに死ぬのが悔しくて、涙がこぼれた。

 あの言葉は嘘なんだ。ぼくが王になったら、ちゃんと約束を果たすつもりだったんだ。

 どうしても伝えたくて、気力だけでエメザレの服を引っ張った。口を耳に近付けて、動かしてみたが、音にならなかった。
 しかし、その愛しいエメザレは、自分に向かって剣を振り上げていた。

 ぼくはちゃんと約束を覚えていたのに。
 約束を果たそうと思っていたのに。

 終わりを告げる、一振りに刹那の輝くものを見た。

 大好きだったのに。
 おまえのようになりたかったのに。
 ぼくは大きくなったのに。
 おまえの力になれると思ったのに。

 エメザレ。ぼくは――――

 長い歳月のなかで育った、エメザレへの全ての感情が、なにかに押し潰され破壊されて、新しいひとつのものに変わろうとしたその時、彼の胸に二度目の刃が突き刺さった。

 ぼくは――――

 急激に冷たくなり、ぼんやりと霞んでゆく世界のなかで、エメザレの漆黒の髪色と血に濡れた悲しそうな微笑が目に焼きついていた。深い闇の底へと意識が堕ちて、無機質な感覚が辺りを征服しようとも、その映像は鮮明だった。永遠のように。

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