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王、沈黙の時05


 彼は朝までテラスから都市の様子を伺っていたが、思っていたよりも諸侯の召集はうまくいったようで、まだ暗いうちからちらほらと馬車が城に入ってくるのが見えた。
 
 日の出を知らせる鐘と同時に、リンドーラ王国最後の議会は開かれた。集まった諸侯は想像していたよりもかなり多い三十五人。そのうちリンドーラ十二州の領主は四人だったが、領主代理を含めれば六人になった。
 
 議場には、リンドーラに住むエクアフ種族、シクアス種族、ダルテス種族が分け隔てなく列している。三つの種族が一つの国に住み、そして住んでいる全ての種族が議会に参加できるのはこの世界でリンドーラだけだった。彼には慣れきったなんということもない光景だったが、改めてこれこそが新しい時代の姿だと思った。この姿勢ははるか未来まで受け継がられねばならないのだ。

 議場はメルヴィトゼンの入場に気付かないほど騒がしかったが、そんなことを考えていたために彼は存在を知らせることも忘れてしばらく黙っていた。

「諸君!」

 と怒鳴ったのは、しかしメルヴィトゼンではなく、彼の宰相を務めるラズーニンだった。

「ご苦労。ラズーニン」

 一応の礼を述べてから、彼は中央に向き直り、にわかの静寂の中で彼は堂々とした気風で言った。

「私は世界機構より召集を受けた。私は今日これより世界機構へ赴かねばならず、いつ戻れるかわからない」

 とこの一言だけで当然ながらまた議会はざわめきに包まれた。メルヴィトゼンはできるだけゆっくり丁寧に説明する気でいたので、ざわめきが収まるのを多少気長に待っていたが、その中で一人のシクアス種族の男が黙って手を挙げた。彼は「意見を述べよ」という意味でシクアスの男に手をさし向けて促した。

「ラルグイム州領主、ミラズ・フェキテン候」

 気を利かせたラズーニンが、男の名をメルヴィトゼンに教える意図を含んでシクアスの男を呼んだ。
 ミラズはおどおどと立ち上がり、気弱そうな顔に精一杯の勇気を湛えて、軽く一礼し口を開いた。

「恐れながら、世界機構というのは、大陸のどの辺りにあるのですか? そして世界機構というのは……一体なんなのですか」

「世界機構とは、この世界に基本的には干渉せず、物質的にはどこにも存在しないが、しかし絶対的に世界を支配している、完全な個体の集合体で神ではない存在だ」

 可哀想に思うが、彼にもこの答えようしかない。

「あ、はい。かしこまりました。そうでございますか……ですが僕には……いやいや、それで、あの、アンヴァルク=リアス様はこの会議に出席なさらないのですか?」

 メルヴィトゼンの返答に、明らかに困惑した様子のミラズは話題を変えてきた。

「リアスは私の友人だが、リンドーラとは直接関係ない」

 そうは言ったが、これは建前である。本来ならば同席して状況の説明を簡潔にして欲しかったのだが、アンヴァルクは嘘をつけない。もし、「本当にメルヴィトゼンはリンドーラに帰還するのか」と問われた場合、リアスは「答えられない」と言うか沈黙するしかないのだ。
 したがってリアスをここに連れて来る事はできず、自室に置いてきたのだが。

「陛下」

 今度手を挙げたのは、エクアフ種族のひどくやつれた黒い髪の若者だった。

「アイグラード州領主、サイファナルド・リデ=ボルティーリュ候」

「リデ=ボルティーリュでございます。このような場にお招きいただき光栄に思います」

 ラズーニンに呼ばれた男は優雅に立ち上がり、メルヴィトゼンに向かって場違いな丁寧さでお辞儀をしてみせた。

「続けよ」

「それでは失礼を致しまして、なぜ突然に召集されたのでしょうか? 私は機構をよく知りかねますが――実を言えば先ほどまで世界を裏で支配する秘密結社だと信じておりましたが、そのような神であって神でない、どこにも存在しないはずの秘められた世界機構が唐突に存在を現して、そして我らが偉大王を招集し返さないかもしれないというのは、あまりにも勝手すぎるというものです。召集に逆らうことはできないのですか? そしてなぜ従わねばならぬのですか」

「旧世界での戒律上、それが有効な旧ヴェーネンはこの召集に逆らうわけにはいかない。従わなければ死あるのみだ。それが世界機構であり、そして世界機構の考えは世界中の誰にも理解できない」

 これは嘘というわけではない。旧世界で旧世界機構が定めたの掟には旧ヴェーネンは旧機構の命令に従うこととある。実際のところ、新世界でも世界機構に旧ヴェーネンもヴェーネンも支配されているので状況は変わっていないのだが、旧世界では旧機構を知らない者などいなかったのに対し、新世界では機構の存在が認識されていないせいで、そんな掟がこの世にあることをヴェーネンは知らないのである。

「そもそも本当に、陛下は機構へ行かれるのでしょうか」

「リデ=ボルティーリュ! 無礼にもほどがある。陛下に陳謝されよ」

 リデ=ボルティーリュの物言いに、その老体が思わず心配になるような剣幕でラズーニンが怒鳴った。

「いや、リデ=ボルティーリュよ、お前がそう言うのは当然のことだ。率直な意見ありがたく思う。そう、誰も理解できない、どこにあるのかわからない世界機構とやらへ、ある日突然に行くと言えば誰だってまずそう思うだろう。しかし、私がリンドーラを、お前達を、国民を捨て去る理由はなにか、と問いたい。私は四千年の間リンドーラを護り続けてきた。愛してきた。その私が、この国を捨てる理由が果たしてあるだろうか」

「愚問でございました。お許しを」

 リデ=ボルティーリュは慌てて、自らの失言を恥じるようにうつむいた。

「それでも、もし私のいう事が信じられないのならば、私はそれまでの王であったということだ。お前達のせいではない」

「申し訳ございませんでした。お許しを、我が陛下。どうかお許しください」

 特にリデ=ボルティーリュに向けて言った言葉ではなかったのだが、リデ=ボルティーリュは何度も詫びの言葉を口にした。

「あ、あの……陛下、いつ戻れるかわからないとのことですが、それは一ヶ月二ヶ月の長さですか。それとも数年、あるいは数百年数千年、という意味ですか」

 これでも一応機会を伺っていたのか、会話の切れ目を狙ってミラズが口を開いた。

「それが……わからない」

「しかし、必ず帰還されるのですよね」

 と聞いたのはリデ=ボルティーリュだった。

「――そう。私は再びリンドーラに戻ってくる。絶対に」

 噛みしめるようにそう言ってから、メルヴィトゼン唐突には立ち上がった。背の高さも手伝ってメルヴィトゼンの聳え立つ威厳は、瞬く間に広い室内を支配した。

「そこで諸君に頼みがある。私がリンドーラに帰還する時までリンドーラを護って欲しい。私が帰還するまでリンドーラの十二州は独立した国家となり、十二領主は各国を死守せよ。そして私がリンドーラに帰還した後は改めてリンドーラを統合し統治することを約束しよう」

 だがその言葉で、またしても議場は不安のざわめきに包まれた。
 メルヴィトゼンの横に立つラズーニンの顔が、にわかにこちらを向いたのがわかった。昨日のラズーニンとの会話では、リンドーラを十二に分割するという議題は一切出ていない。全くの独断であったが、しかしもちろん彼には彼の考えがあった。

「陛下」

 次に言葉を発したのは落ち着いた感じのダルテス種族の大男だった。

「ガロ州領主、アンダール・ナルデセーレ侯」

「陛下のご命令どおりに致しますと、リンドーラは十二に分裂して……つまりそれは――少なくとも歴史上ではリンドーラの滅亡を意味します」

「そうだ。しかし国の名前などどうでもいい。私が一番に守りたいのはリンドーラの在り方だ」

「ですが、リンドーラの全てを護れる手段が必ずあるはずです。例えば共和制、共和制ならば、陛下の才にとてもおよばない凡愚な我々でも十二の知恵を合わせれば、きっと、きっとリンドーラを統治することが叶うはずです」

 ナルデセーレは冷静な面持ちで、少しメルヴィトゼンをなだめるように言ったが、焦りや不安が言葉の端々に現れていた。

「十二州の領主はすでに州での権力をすでに確立しているし、経験上共和制では国の意思決定が遅れてしまう。長期的に考えれば理想の体制かもしれないが、私が不在であることが知れれば、必ずどこかしらの国が攻めてくる。
戦時下で共和制は――しかも共和の経験のないリンドーラが何の知識もなしに成り行きで成立させた共和制では絶望的に不利だ。

そして滅びてしまえばリンドーラは完全に終焉するが、分裂した十二の国の一つでも生き残ればリンドーラが本当の意味で終焉することはない」

 考えというのは、つまりそういうことであった。リンドーラの存在を僅かな断片でも未来に繋げること。
 確かに、何百年でも何千年でも王を待つことは、「伝説を語り継ぐ」という意味ではできるかもしれない。しかしそれはリンドーラが存在してこその美談である。このリンドーラという国の破片をできるだけ長く世界に残しておきたいのであれば、その手段は多数あった方が良い。十二の頭が導いた不完全に素晴らしい一つの答えより、十二の頭が導いた十二の答えの中に必ず未来に続くものがあると、彼は信じたのだった。

 そしてさらに、彼は続けた。

「旧ヴェーネンは皆、機構より召集を受けたのだ。つまり、世界七王国の統治者は全て留守となる。となれば戦乱の時代は避けられないだろう。この先、リンドーラが、世界がどうなるのか、よもや誰にもわからない。リンドーラの十二の領主達よ。そなたらはけして互いに争うことなく、お互いを助け合い各国を護り統治せよ。これは命令だ。私はリンドーラ王の名において王権を行使する」

 しかし、議場はいつまでも静かなままで、賛同の意を唱える者は現れない。メルヴィトゼンは居た堪れない気分になった。彼はいままで絶対王政を貫きながらも、王権を振りかざすことはけしてしてこなかったつもりであるし、姉のようにひとの話を聞かず自分の物差しでしか物事を計れない、視野の狭い人間にはなりたくなかったので、人一倍そういったことに気をつけていた。だが最後の最後で彼は権力によって物事を解決させ、リンドーラを完結させてしまったのだ。
 その無念さといったら途方もない。彼はこの結論が間違っているとは思わなかったが、全員の賛同を得る前に強制的に解決してしまったことが実はひどく悔しかった。

 これは罰だ。と彼は思った。愛することを諦め、個人を廃絶した付き合い方をしてきた罰なのだ。そう考えると自分がとんでもない暴君だったようにすら感じた。もしかしたら、あのアシディアと大差なく、偏見を持ってリンドーラに君臨していたのかもしれない。

「私をどうか許してほしい。私はヴェーネンとの交流を長らく意図的に避けてきた。なぜなら、お前たちは死んでしまうからだ。私にとって百年はほんの一瞬の出来事に過ぎない。例え理解し合えたとしても、愛を分かち合えたとしても、一瞬一瞬を常に悲しみで過ごしたくなかった。それが怖くて……私はずっと逃げてきた。孤独である方がまだましなような気がして……すっと。私はお前たちのことを何も知らない。名前すら覚えていない。もし私が逃げずに立ち向かっていれば、新しい指導者をすぐに決められたことだろう。こんな風にお前達を悩ますことはなかった。すまない。私はリンドーラを国民を……護ることができなかった」

 これは、彼が偉大王と呼ばれるようになってから、初めて家臣に吐露した本音であった。

「謝罪などならさらないでください! 貴方様は雲の上の、天上のお方、偉大王メルヴィトゼン陛下にあらせられます。誤謬(ごびゅう)を犯すことなどありえません」

 そう叫んだのはラズーニンだった。

「わたくしは命の限り陛下にお仕えいたします」

 メルヴィトゼンの前まで進み出でラズーニンはひざまずきそう言った。

「感謝する。ラズーニン」

 たった一人の賛同者が、彼にとってはこの上ない救いであった。

「このミラズ・フェキテンも最後まで陛下にお仕えいたします!」
 
 とラズーニンの横にひざまずくと

「アンダール・ナルデセーレもお仕えいたします」

「無論、サイファナルド・リデ=ボルティーリュもでございます」

「陛下のリンドーラご帰還まで、我々が必ずや領土をお守りいたします」

 次々と諸侯達は立ち上がり、そして一人残らずメルヴィトゼンの前にひざまずいた。

「感謝するよ。ありがとう」

 不意に彼は涙ぐんで、微笑みながら言った。


***

 メルヴィトゼンが自室の扉を開けると、リアスはメルヴィトゼンが部屋を出たときと一歩も変わらず同じ場所、同じ姿勢で待っていた。
 像のように佇み微笑を湛えるアンヴァルクは、本当にその隣にあるメルアシンダの像と変わりのないように思えた。

「終わったぞ」

 そんなリアスに彼は声を掛けた。

「解決したか」

「さぁ。未来のことはわからん」

 と答えて彼は着替えだした。あまり服装にこだわる性質ではなかったが、それでもいつも王にふさわしい服を着ていたので、それでは人目を避けるのに不都合だろうと、昨晩探しておいた相当昔に「旅人一式」と称して自身が着ていたものを身に着け、靴もサンダルに履き替えた。「旅人一式」は大切に保管していたが少しかび臭くなっていた。それでも懐かしい着心地は彼を楽しい気分にさせた。

「そうだ、メルヴィトゼン。人目に付かない場所というのは具体的に決まっているのか」

「いや、決めてない」

「なら、その場所を私が決めてもいいか。見せたいところがある」

「構わないが、一体どこに行くつもりだ」

 どの道、彼はリアスにちょうどいい場所に案内してもらうつもりでいた。世界中の地図が完璧に頭に入っているアンヴァルクは、ヴェーネンが知らないような絶景の穴場も無駄によく知っている。リンドーラの国王になる前までは、旅行とまではいわないが、リアスとよく旅をしたものだ。確かその時もこの服を着ていたな、と思い出した。

「それは着くまで秘密にしておこう。お前に死が訪れる前に着ける距離にあるから心配するな」

「ところでおれは、どんなふうに死ぬんだ」

 いまさらな質問だが、ふと気になった。

「苦しむことはない。その時が来れば死ぬ」

 リアスはそんな曖昧な答えをよこしたので、「その時とはいつだ」と聞きかけてメルヴィトゼンは口を閉じた。もし正確な時間が決まっているのなら、アンヴァルクは必ず言うだろうし、言わないということはどんなに聞いても無意味なことであると思い出したのだ。もしや、旧ヴェーネン一人一人で死ぬ時が違うのだろか。あの演出めいた機構のことだ、時機を見計らって終焉の美を飾るような死のシナリオを用意しているのかもしれない。

「そうか」

「用意は終わったか」

 着替え終えたメルヴィトゼンを見てリアスは言った。彼は死の旅出を共にする何かはなかったか、と物の溢れる部屋を見渡した。もちろん全てを持っていくのは無理であるが、なにが一番大切かと問われても甲乙付けがたい物ばかりで、一つを持っていこうとすれば全てを持っていきたくなるだろうと、彼は何も持たずに行くことにした。

「ああ、もう終わったよ」

「では行こうか」

 淡白なアンヴァルクは早々と歩き出したが、メルヴィトゼンは部屋の中央で止まった。
 物言わぬ絵画達がいっせいに視線を差し向ける。この奇妙な心地よさともお別れだ。 彼は僅かに古い香りがする部屋の空気を吸った。

 さようなら。大切な大切な思い出達。かつての仲間達。愛しい者達。メルアシンダ。
 さらば、皆のもの。

 誰というわけでもなく、それら全てに彼は静かに頭を下げた。


***

 彼らが馬の支度を終え外に出ると、城の庭には城門に架けて、ずらりと国王軍のリンドーラ騎兵が整列し剣を掲げて、王の出立を送っていた。
 幾枚ものリンドーラの紋章旗が風になびき、強い日差しはメルヴィトゼンを祝福するように旗を照らしている。まるで戦へ赴くかのごとくに荘厳で勇ましい直線の陣形が美しかった。そのようなことを命じた覚えはなかったので、ふいに現れた圧倒的な国王軍の軍勢にメルヴィトゼンは驚いた。
 そして隊列の一番手前にはラズーニンの姿があった。

「ラズーニン、お前か」

「わたくしには、このようなことしかできませんが……。陛下、あなた同じ時を生きられたこと、誇りに思います」

「ラズーニンよ、お前の名はなんと言う」

 メルヴィトゼンはひざまずく老人に聞いた。おそらくラズーニンが何十年も待ち焦がれ、もはや諦めていたであろうことを。

「わたくしの名は――」

 老人の目は見開かれ、いっせいに湧き上がった涙が、その人生を集約するようにしわだらけの頬を伝った。

「わたくしの名は、アズール・マダキュナーデでございます!」
 
 長身の老人は丸まった背を精一杯に張り、無敗の戦士のように堂々とした気風でその名を口にした。

「ご苦労だった。アズール・マダキュナーデ」

 そう言って、メルヴィトゼンは己が乗る馬の横腹を蹴った。
 城から遠ざかるメルヴィトゼンの背後では、リンドーラ城の低い鐘の音がいつまでも響いていた。


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