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王、沈黙の時02


「第5期1982年6月13日のことだった。その時、私は自身の個人世界『紺碧の谷』で休止状態にあったが、機構の召集命令で目を覚ました。機構は珍しく直接的ではなく、代理端末体を使った間接的な接触をはかってきた。代理端末体は不完全で、それは機構が端末体を完全に生成するわずかな時間すらなかったことを意味していた。とにかく八体のアンヴァルクは機構外に元々設置してあった緊急用の即席世界に集合して、その端末体の話を聞いた。端末体によれば世界機構は何者かによって完全占拠され、現在世界は終了の危機に瀕しているとのことだった」

「機構を占拠だと。そんなことの出来る奴がいるのか? では今現在世界は――」

 そんなことが起こり得るのか。
 メルヴィトゼンは身体を起こしかけた。
 機構は無始無終に絶対的な存在である。
 機構がどこにあるのか構成しているのは何者なのか、人格的存在なのか非人格の物体なのか法則の概念をそう呼んでいるだけなのか、具体的なことはなにもわからないが、ともかくこの世界を支配している。アンヴァルクが言うには機構は神ではないらしいのだが、全法則を管理しているのは機構である。一個人が機構を占拠し自由に操れるのだとしたら、その個人は神以外の何者でもない。

 旧世界には夜の神エルドと昼の神レストという二人の神が存在していたが、その神々はむしろ旧世界機構に支配されて成り立っていた。つまり、機構の上に立つ存在は今までこの世界にはなかったのだ。神すらも機構レベルの演出に過ぎなかった。その機構が支配されるなど、誰も予想できなかっただろう。

「結論から言えば機構の占拠は解除された。危機は去っている。いいから最後まで私の話を聞け」

 メルヴィトゼンを少し強引に押さえ込んでリアスは続けた。

「それで端末体はアンヴァルクに機構の救済を命令した。端末体は情報に乏しく、どのようにして機構が占拠されたのか、機構で何が起こっているのか、占拠したのは誰なのか、全くわかっていなかった。ただ最後に異常を感知した時、その地点が永久凍土であったことと、我々に対しての命令内容だけは明確だったので我々は端末体の命令どおりに行動したのだが……ところでお前はアンヴァルク=ゼーレを知っているだろう?」

「ああ」

 アンヴァルク=ゼーレとはレストという神に仕えていた全知のアンヴァルクだった。リアスはエルドという神に仕えていたので、ゼーレとは旧世界で敵対関係にあったが、旧世界から新世界に移行する世界再構築時に二神は機構によって消去されたので、アンヴァルクは神ではなく機構に仕えることとなった。同時にそれまで使われていたエルド派、レスト派という表現は使われなくなりアンヴァルクの敵対は解除されていた。

 メルヴィトゼンの父、種祖エクアフはエルドを信仰していたため、彼自身も昔はエルドに仕えていた。よって敵対していたゼーレと交流はなかったが、エルドとレストが対立して旧世界の大戦が起きる前、まだ二神に確執がなかった頃に何度か見た事があった。
 しかしゼーレは世界再構築時に、アンヴァルクの登録から外され全知であった脳を含んだ頭部を残して消去されたのだ。ゼーレの他にもエルド派のイース、アルト、レスト派のゴーラ、ゼバスが破壊、もしくは機構から削除されており、その五体が残した遺物をアンヴァルクの遺産と機構は呼んでいる。アンヴァルクの遺産には機構が設定した法則を曲折する、変則能力と呼ばれる力が付属しているために、機構はアンヴァルクの遺産に脅威を感じているらしいのだがアンヴァルクの遺産は不滅であり、どのような手段を使ってもこの世界に存在し続ける実に厄介な代物であった。

「その頭部がどうなったか覚えているか?」

 アンヴァルクはアンヴァルクの遺産の所持を認められていない。世界再構築時に発生した五つのアンヴァルクの遺産のほとんどは、もちろん使用しないことを前提に旧ヴェーネンに託された。
 それから幾万年が経っている。今ではそのアンヴァルクの遺産がどこにあるのか、おそらくアンヴァルクにもわからない。

「確かパラデューレの王エイレアンに管理を依頼したが拒否されたので、アンヴァルクがどこかへ隠したと聞いたが」

「そうだ。ゼーレの頭部の処理を任されたアンヴァルク=ディースはヴェーネンが立ち入らないであろう永久凍土の地下深くに埋めたのだ」

「つまり永久凍土の地下にあったゼーレの頭部に何者かが接触したということか」

 そんなところに埋めたのか。
 知ったところでどうもならないが、長い間、気になっていた謎が一つ解けた。
 確かに、全知であるゼーレの頭部から情報を引き出すことに成功すれば、機構を占拠する方法も知る事ができただろう。

「盲点だったが、永久凍土に隣接するヘレイネ山脈の一帯は鉱物資源を大量に含んでいた。ヘレイネ山脈の南側に位置する国、アーダヴェージェは永久凍土に向けて地下を掘っていたのだ。そして偶然にそこで働いていたシクアス種族の少年、スギスタがゼーレの頭部を掘り当てた」

「……なんてことだ」

「だが幸運にもスギスタはゼーレの頭部本体を持ち去らなかったので、我々はゼーレの頭部を回収したが、アンヴァルクはアンヴァルクの遺産の所持をできない。端末体はゼーレの頭部を、ある旧ヴェーネンに預けよと命令した。その旧ヴェーネンの名は――」

 そこでなぜかリアスは言葉を詰まらせた。アンヴァルクが言葉を詰まらせることはありえない。メルヴィトゼンを気遣っての演出である。本能的にその先の言葉を聞きたくないと思った。

「その旧ヴェーネンの名はアシディア。お前の姉だ」

「ばかな」
 
 叫ぶ気も起きないほどの憎悪。いや、これは憎悪でないのかもしれない。むしろ恐怖か。とにかくアシディアの名を耳にする度、えづくほどに寒気を感じる。しかし悲しくもそれは自分の姉である。
 かつて世界を悪政で支配した超巨大帝国デネレアの女王アシディア。それに終止符を打たせたのは他でもないメルヴィトゼンだったが、彼は肉親としてずっとそれを負い目に感じていた。彼がアシディアとは全く逆の理想を掲げて平等国家リンドーラを築き上げたのは、ヴェーネンに対してのささやかながらの償いでもあった。

「ばかな、そんなことが……機構はなぜそんな危険を冒した! アシディアに……あの女にアンヴァルクの遺産を託したら……間違いなくその力を使って世界征服を試みる。あの女が置かれていた状況を機構は知っていたはずだ! それなのになぜ、わざわざ多数いる旧ヴェーネンの中からあの女を選んだ?」

「アンヴァルクは機構の意を理解できないし、機構はいちいち説明もしない。我々は絶対的な機構の使者だ。機構からの命令に疑問を持たないよう設定されている。しかし、機構の命令に疑問を持つ理由にはならないが、確かにアシディアが取る行動は我々には予想できた。そして予想通りアシディアはゼーレの頭部を使用し、ゼーレの脳と融合した」

「なんてことだ」

 深い深い後悔の念がメルヴィトゼンを苦しめた。

 なぜあの時、自分は姉を討たなかったのか。殺さなければならないと何度も自分に言い聞かせ、ひざまずかせて剣まで振り上げたのに。
 なぜ殺せなかったのか。
 殺していれば、こんな恐ろしいことにはならなかった。
 あの女は世界を恐怖に陥れ、リンドーラに敗北し、そしてもう一度、反省することもなく世界を征服しようとしている。
 
 あの女は信じているのだ。世界で最も自分が正しく偉大で、無限の力を持ち全てを支配し、そしてそれが世界にとって最高に幸せな形態であると。
 アシディアがしてきた差別や弾圧は恐ろしいことであるが、なによりも恐ろしいのはか弱いアシディア自身ではなく、それが素晴らしいとなんの悪気もなく信じている彼女の脳である。
 少なくともアシディアはヴェーネンに畏怖や脅威、惨澹を与えたかったわけではない。全く逆のむしろ彼女の言うとおり、それがデネレアのひいては世界のためになると真面目に信じていたのだから。

 例えるならば、信仰する神を愛するがあまり、そしてその思想によりあらゆる人々を救いたいがあまり、異教徒を踏み倒して改宗せよと脅しているようなものである。全く悪意などなく、迷惑なほどに愛が籠もった親切心なのだが、その気持ちが異教徒に伝わることはない。ある意味でとても純粋に可哀想な存在なのかもしれない。

 何も言えずにリアスの深い色の瞳をすがるように見つめて、彼はその続きを聞いた。

「だが、もはや機構にもその手しか残っていなかったのだろう。ゼーレはアシディアと結託して機構へ進入し、そこでスギスタを倒すことに成功した。アシディアがゼーレと融合しなければ世界危機は今もまだ続いていただろう。ゼーレだけでもアシディアだけでもスギスタを倒すことは不可能だった。
それにアンヴァルクの遺産と融合するなどいう恐ろしい真似を平然とやってのけそうな人物は、私の知る旧ヴェーネンの中でアシディアただ一人だ。たとえ、機構への最悪の脅威が誕生することになっても、機構は危機を解除したかった。
なぜならば機構、そして我々アンヴァルクは世界を僅かでも長く存続させることが使命であるからだ。
さらに機構は知識が脅威に繋がることを学習した。旧ヴェーネンの永遠に蓄積される知識がいずれ機構を脅かす存在になることを予測し、機構は旧ヴェーネンの廃止を決定した。現在アンヴァルクは、世界に存在する十二人全ての旧ヴェーネンにその通達を行っているところだ」

「十二人? アシディアは死なないのか」

 彼が知る限りでは旧ヴェーネンは十三人存在しているはずだった。

「アシディアは死なない。ゼーレと融合したことで異形の者となり旧ヴェーネンではなくなったからだ。アンヴァルクの遺産と同じ、世界終了まで削除できない存在となった」

 メルヴィトゼンは押し黙った。
 存在する全ての旧ヴェーネンが死ぬ。アシディアを入れれば十三人だが、そのたった十三人が世界を動かしていたと言っても過言ではない。旧ヴェーネンが統治する七つの国は世界七王国と呼ばれており、じつに超大陸の八割を支配していた。もちろん世界七王国の中にはリンドーラも含まれている。この七王国が明日一変に滅びることになれば、長らく続いた安定の時代は終りを告げ、混沌の時代へ突入することになるのだ。これまで旧ヴェーネンの生きる速度に合わせて緩やかに流れてきた世界の変動は、確実に激流のごとくになるだろう。
 
 でもそれが、本来の新世界の姿なのかもしれない。生き過ぎた旧ヴェーネンは今こそ退くべき時なのだ。しかし、新世界に残ることになる唯一の旧ヴェーネンがアシディアなのである。最悪の事態だと言ってもいい。そしてそうなったのには少なからず自分の責任も含まれているうえに、己がどうにかできる時間もない。旧ヴェーネンが終幕するのは潔く受け止めるとしても、そのことだけはどうにかしなければならない。

「アシディアは、あの女は今どこにいる」

 しばらくの沈黙の後でメルヴィトゼンはやっと口を開いた。

「アシディアは機構の支配下にある第一世界に幽閉された。アシディアが基本世界に帰還することは世界が続く限り永遠にないだろう」

 第一世界とは、機構とは独立した次元にある住基盤(魂)の管理空間である。機構同様にそこがどんな場所か、またどこにあるのかは知らないが。

「アシディアが機構を支配する可能性はないのか。ゼーレの脳と融合したのならば、あの女も機構を支配する方法を知ったことになる」

「機構に関しての情報が漏洩していないことは確認している。ゼーレはアシディアの身体を母体にしたことで、ある程度の機能を復活させた。融合したと言っても意識は分離しているので、脳の情報を共有しているわけではない。脳の情報が漏洩する確率は融合前よりずっと低くなった。ほぼないと言っていい」

「だが、可能性はあるんだな」

「ある」

「物事というものは失敗する余地があれば失敗するものだ。リアス、アシディアを侮るな。どんな低確率でもあの女は諦めないぞ」

 そう言って、メルヴィトゼンはゆっくりと立ち上がった。
 窓から差し込む光がその偉大王を照らしている。
 彼は世界が正しくあれと願い、誰かが幸せであるように祈り、希望の尽きない人生を全てのヴェーネンが送れるように努力した。そこに自分が永遠を生きる意味を見出していたかった。ヴェーネンと同じ思想の次元を逸脱できないのならば、よもや彼が長々と生きる意味も生きた意味もないのだ。ヴェーネンを超越してこその偉大王メルヴィトゼン。

 彼は受難を受け入れ、尚かつ威厳を完全に挽回させた。死への畏怖は克服され、今は何より襲い来る最悪の事態を回避すべく、彼は最後の歩を進める準備に取り掛かっていた。
 偉大王、お前は死ぬ前にすべきことがあるだろう。
 いまそこ、あの時の断罪を行使できなかった己の弱さと決着をつける時だ。
 そこにはもう、不安定なものは何もなかった。

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