top text

悪の終03


 クウェージアの首都から一歩出れば、そこにはムーリングの大森林が広がっている。
太古の昔から森に鎮座する木々は猛々しく、白い都市の儚さとは打って変わって洗練された厳しい印象を与えた。
 都市の境界門からは石で舗装された道がまっすぐに遥か遠くまで伸びている。深くくっきりと刻み付けられたわだちは、いかにこの道が長く使われてきたのかを物語っていた。

 フォスガンティが奇妙な短い笛を何度か吹くと、太い幹と幹の間になんとか押し込めて隠しておいたらしい、商業仕様の大型馬車が大森林の隙間からゆっくりと姿を現した。
 御者はシクアスである。浅黒い肌にふっくらした小柄な体格と短い足で地面に降り立つと二人に一礼した。御者は少年にしか見えないが、おそらくもう中年であるだろう。シクアスの年齢を言い当てるのにエクアフの感覚は役に立たない。

「無駄に大型の商用馬車だな」

 呆れ果てたようにジヴェーダはまじまじと馬車を眺めて言った。

「お荷物が相当多いのではないかと思いまして……。本来ならばもっとジヴェーダ様にふさわしい馬車でお迎えすべきなのですが、クウェージアはラルグイム経由の立ち入りを商用馬車以外は許可していませんので……貨物用で申し訳ありません。これでも苦労して来たのです。ですが中はきれいですよ」

 御者がかしこまりながら馬車の戸を開けると、確かに中は汚い貨物置場ではなく、豪華な絨毯が広くひかれそれなりに快適な生活が送れるようになっていた。

 広いとはいえ、商用馬車に偽装するための木箱が所狭と並べられているために、二人が横になれば多少密着しなければならなかった。シクアス式の馬車は座るのではなく寝るように作られている。
 ジヴェーダが何枚にも重ねられた上等な羊毛の毛布に横たわると、かすかな動物の臭いとそれを隠すひどい香料の香りがした。
 そのすぐ脇でフォスガンティが羽織っていた制服を脱ぎ捨て窓から放り投げた。そしてフォスガンティは後ろの木箱から酒らしきものを取り出し、同じく木箱から取り出したグラスに注いで差出してきた。

「ひとつ聞いても構いませんか? ぼくの個人的な興味なんですが……」
「言ってみろ」

 ジヴェーダはその酒を受け取り流すように言った。

「噂に、エメザレという人物は死んで蘇り空間移動をして王を暗殺したと聞いたんですが、実際のところはどうなんです? まさか鵜呑みに信じているわけではありませんが、そんな噂が流れるのはなぜなのか気になったのもので」

 もうその話が国外に洩れているのか。
 彼は驚いたが、ただ二人の犠牲で一国の歴史を変え、しかも多くの謎に包まれたその革命が、多くの尾びれを付け足されながらも永く伝説のようにして語り継がれるのを想像するのはあまりに簡単である。小国の大事件が世界を賑わすのも時間の問題だろう。

「ほとんどその噂の通りだ。あれが本当にエメザレであるなら」

 ジヴェーダは受け取った酒を口に入れた。香料が強い。慣れない味につい言葉を詰まらせたがすぐに続けた。

「エメザレの足を粉々に砕いたのは確かだ。エメザレを拷問したのはこの俺なんだからな。宮廷を去るとき奴はほとんど瀕死だった。俺は奴が助かると思ってなかったし、もし助かったとしても一生ベッドの上から起き上がれない身体になっていると確信していた。
だが、そんなエメザレが再び自らの足で歩き、しかもまるで空間移動でもしたかのように突然、王の真後ろに現れた。王は振り向いた形跡もなく玉座に鎮座したままきれいに真後ろから首を斬り落とされていた。王子は正面から胸を刺され、おそらくその後で首を刺された。
状況から推測するにエメザレはそこから王の首を持ってまた空間移動し、暗殺に気付いて宮廷が混乱に陥っている中でガルデン軍と凄まじい数の民兵軍を率いて首都を取り囲み、王の首を高々と掲げて『降伏せよ』と提唱した。
白い髪のお飾りな護衛軍は戦うことなく降伏し宮廷からも降伏を示す旗が揚がった。というわけだ。ばからしいがそれ以外に説明はつかない」

 話し終わったところで彼は気が付いた。
 そのばかげたことが事実でエメザレが空間移動でき、そのエメザレがジヴェーダを殺そうと思ったならば、エメザレはご丁寧に宮廷に赴いて彼への謁見を申し込む必要もなく、王にしたのと同じく影のように後ろから歩み寄って突き刺し、もしくは寝ているジヴェーダの喉を掻き切り、本人も気付かぬ間に殺すことなど簡単だったろう。

 ジヴェーダを殺さなかったのは空間移動できないためか、殺す気がなかったためか。あるいは本当のエメザレではないためにジヴェーダを殺す理由がなかったのか。どれにせよ、自分を殺しに来るのにわざわざ正面玄関からは訪れてこまい。
 彼は先ほどの己の鈍い思考と焦りを笑った。

「しかしなぜ『空間移動』なんです? こっそり窓から侵入したのかもしれないし、どこかに隠し通路があったのかもしれませんよ。なぜよりにもよって『空間移動』と噂に?」

 フォスガンティは木箱から違う酒を出してよこした。
 いつもは軽薄そうな瞳が今は純粋な少年のようだった。

「見たのさ」

 それを受け取りジヴェーダは言った。

「見た?」
「そう、王子の悲鳴を聞いた側近が慌てて玉座の間に飛び込んだ。しかも七人。すでに王の首は床に、王子も息絶えていた。そこにエメザレが立っていたわけだ。奴は驚く側近を尻目に王の首を拾うと幻のように消えていなくなったんだそうだ。七人が見ている」

 ジヴェーダは次の酒に口をつけた。今度は辛い。彼の好みだ。

「その七人がエメザレと共犯で王と王子を殺し、隙を見てエメザレを城から逃がしたという可能性はないのですか?」
「ある。が七人は否定している。取り調べる暇もないまま白い髪は国外退去になった。この謎が解けることはもうないだろう」

 グラスの中のゆらめく酒を見ながら呟いた。彼とて真実を少なからず知りたかった。 心の底で彼はエメザレが現れるのを待っていたのかもしれない。
 ばからしいことだ。
 彼はグラスの酒を一気に飲んだ。

「そういえば、ジヴェーダ様はシクアス語を話されます?」

 空いたグラスに辛い酒を並々注いでから、豊かな胸を突き出すようにフォスガンティは彼の隣に寝転んだ。

「文字は読める」
「なら問題ありません。シクアス語は発音も簡単ですから、そのまま読めばたいてい通じますよ。エクアフ語は発音が難しくて。ぼくのエクアフ語は舌足らずでお粗末でしょう?」

 フォスガンティは言ったが、フォスガンティのエクアフ語は多少のシクアスなまりがあるだけで実際のところかなり流暢だった。
 そんなことはない。と言うべきところだがジヴェーダの口は動かなかった。

「ここは寒いんですね」

 と言ってフォスガンティはあからさまに身を寄せてきた。本当に寒いのかフォスガンティの身体は冷たかった。この暖かくもないの気温の中、裸でいればそうもなる。服を着ているジヴェーダでさえ少し肌寒いのだ。

「ラルダ・シジがおられるベイネの都市もぼくが生まれたところよりずっと寒いんです。もっともぼくがいつも裸でいるのが悪いんですが……ですがぼくはどうしてもトップレスでいたいんです。せっかく自慢の胸なのですから!」

 フォスガンティは誘いに応じない彼に痺れでもきらしたのか、巨大な胸の膨らみをべたりと押し付けた。生暖かくやわらかなそれは女のものと何も変わらないように思える。

「そんなにこれが大切なのか」

 ジヴェーダは断りもなく膨らみに手を触れたが、フォスガンティは恥ずかしがるどころかより一層堂々と胸を張った。
 触り心地は少々硬い。膨らみの中に球体のような異物感がある。持ち上げると丁度陰になる場所に小さな傷があった。

「もちろんですよ!この胸を手に入れるために、ぼくがどれだけ努力した事か……」

 胸を触るジヴェーダの手ごと大切そうに包み込みこんで、フォスガンティはうっとりと言った。

「お前はどうして男娼になったんだ」

 その質問にたいした意味はなかったが、ここまで純粋に誇られればその経緯が気になるものだ。

「誰かに必要とされたかったからです。そして自分に価値を見出したかったから、目立ちたかったから、憧れの目で見られたかったから、ですかね」
「毎晩、決まった金で自分を売るなど、とんだ安売りだと思わないのか? どのあたりに価値を見出したと言うんだ」

 侮蔑的に、しかし彼らしく飄々とした口ぶりでそう聞くと、フォスガンティは突然身を起こし嬌笑を含む顔でジヴェーダを見下して口を開いた。

「エクアフは決まってそう言いますね。男娼を汚いとも言います。ですがぼくはそう思いません。
ぼくには一晩十万キーツの価値があるんです。努力すれば努力するほどその値が上がります。持ち上げた賞賛なんかより、それはぼくの価値を正確に示してくれるのです。ぼくを必要とする人が多くなれば多くなるほど、毎晩のように列を作り、ぼくのために待ち、ぼくのために時間を割いて、ただのぼくに会いに来る。

ぼくが彼らを癒せないならば、なんの役にも立てていないのならば、彼らはぼくに二度と会いに来ることはなく、ぼくの価値はなくなってしまう。つまりぼくには抽象的な信用のない言葉より、正確な数値で自分を見つめている方が安心できるというだけです。

自分の価値を数値で――まして金で表してほしくないなら、ぼくとて無論その人に男娼の職を勧めたりはしませんよ。
それに、ぼくはそこらの神の教えを説いている有難い方々よりも、よほど万人を平等に愛して絶望から救済している自信があります」

 フォスガンティはシクアスの眼力で、というよりも単ににらめ付けるようにして、それでも口元には微妙の笑みを湛え強く言った。
 おそらく、彼がフォスガンティの立場であっても同じようなことを言っただろう。ただしそれは自分を庇い負け惜しみのようにしてだ。フォスガンティのように本当にそうは思わない。
 それがシクアスとエクアフの根本の違いなのだろうか。だとすれば二つの種族がわかりあえる日は永遠に来ないように思える。

「そういうジヴェーダ様はなぜ拷問師になられたのですか?」

 フォスガンティは瞬間に表情を変え、また男娼らしく媚びた声を出した。

「それは……」

 なぜ拷問師になったのか。
 それは思い出したくもない理由からである。彼は長いことこの事実から目をそらし、できれば忘れ去って一生そのことについて考えることがないようにと願っていた。

「金が欲しかったからさ」

 そうとだけ答えると、話を続けさせないとばかりにフォスガンティをきつく抱きしめた。よほど寒かったのかフォスガンティの身体は冷え切って氷のようだった。
 フォスガンティは人形のように静かになりジヴェーダの腕の中に納まった。
 彼は現実から逃げるように目を閉じた。

 嫌な出来事を思い出させる機会を作った、憎むべきフォスガンティを痛めつけもせずに思い出に浸ろうとしたのは、その時ひどく孤独を感じ彼らしくもなく感傷的だったからに違いない。


前へ 次へ


text top

- ナノ -