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悪の終02


「初めまして! ジヴェーダさん」

 やってきたのは見覚えのない黒い髪の青年だった。初めまして、と言うからには相手もジヴェーダと初めて会うのだろう。妙に高い声をして、それも最上級の笑顔と共に入ってきたものだから拍子抜けを通り越して怒りを覚え、それすらもばかばかしくなって無に落ち着いた。

「まさか制服を着るだけで、こんなに簡単に宮廷に潜り込めるとは思いもしませんでしたよ!」

 確かに細身で美しい顔の黒い髪だが、細い切れ長の瞳は利発そうというよりも軽薄そうに見える。肌の色や骨格を見る限りでは完全に黒い髪のエクアフであるのに、言葉の端々に微妙なシクアスのなまりがある。背は黒い髪にしては少し低く175センチもないくらいだ。腰まである長い髪を後ろで結わき、よく見るとエクアフの肌に合う淡い化粧をしていた。薄く色づく桃色の頬は少女のように可憐な印象さえ与え、青年から漂ってくる本質的な冷徹さを上手い具合に隠している。制服は青年の身体にあっておらず、かなりだぼついていたが見える首や手の細さから、いかに華奢であるかは見て取れる。

 ともかく得体の知れない青年だが、本人の言う通り亡国の宮廷にしても不審者の対応にはもう少し気をつけてほしいものである。
 青年はドアを勢いよく乱暴にしめるとかしこまった風に一礼した。

「お前、誰だ」

 ジヴェーダがいかにも機嫌が悪そうな声で聞くと青年は元気よく顔を上げた。

「失礼しました。ぼくはカウチ・ハウバーです。もっともそれは偽名で本名をフォスガンティと言います。いや、間違いました。それは源氏名でした。本名は……役所に行けばわかるのですが忘れてしまいました。ですがぼくはフォスガンティとしか呼ばれませんので、どうぞフォスガンティとお呼びください」

 フォスガンティは散らかった部屋の有様には目もくれず、ただ面倒なほどに強い眼力でジヴェーダの目を直視しつつ最上級の――むしろ引きつらせたような笑顔を有したまま怒涛の勢いで話した。
 この独特の自己主張の強さと相手の目をひどい眼力で直視する癖は、シクアス種族のエクアフには理解しがたい文化であり、フォスガンティがシクアス語圏で生まれ育ったエクアフ種族であることを彼は確信した。

 それにしてもフォスガンティ(艶華)は女の名前である。シクアス語の拷問指南書を辞書なしで翻訳できるくらいにシクアス語を解する彼にはそれがすぐわかった。フォスガンティが源氏名であるならば、おそらく出は男娼だろう。

「実はあなたをスカウトに来たのです」

 間髪いれずにフォスガンティは言った。

「スカウトだと?」

 二人は立ったままに話を続けた。もっともジヴェーダはフォスガンティに椅子を引き茶を勧める気はなかったが。

「そうです! ぼくの主人はラルダ・シジと申しまして、東南の国ラルグイムで三大闘技場の一つであるノムン闘技場と、いくつもの劇場の支配人をしております。闘技場では奴隷拷問ショーや罪人解体ショーなどを毎日開催しているのですが、是非あなたにノムン闘技場の専属の拷問師になって頂きたくお願いに参った次第でございます。
ラルダ・シジはラルグイムで五本の指に入る大富豪ですので、言っては申し訳ないですが小国の宮廷なんかより余程給料は良いですよ。それに――いや、あなたがどんな扱いを受けているのかぼくは知りかねますが、ノムンの拷問師になればヒーローに!ラルグイムで人気者の有名人になれます! どうでしょう? 悪い話ではないと思うのですが」

 フォスガンティの口からはまるで黙ることを知らないかのように、次から次へと止め処なく言葉が噴出してくる。
 うんざりしながらも聞き続ければ確かに悪い話でないことだけは確かだ。
 彼はまだシクアスの国に行ったことはないが、噂に物騒な催し物が日夜執り行われ乱痴気騒ぎに明け暮れていると聞いていた。それは今まで、白い髪が――例えば黒い髪が劣っていて自分たちが最も崇高だと言うような、他種族を見下すが故の誇張して表現したシクアスの悪習だと思っていた。
 少なくともこのクウェージアでは拷問を公開して民衆に楽しんで頂こうなどという発想は誰の頭からも飛び出てはこないだろう。

 大きな文化の隔たりに内心たじろぎはしたが、彼の努力して手に入れた力を行使して何かを破壊し君臨する誇りと喜びに、その隔たりは関係のないことのように思えた。

「これはほんの気持ちですのでお納め頂けると幸いでございます」

 フォスガンティはポケットから手のひらに乗る大きさの木箱を出し、シクアス織りの濃い虹色の紐を解いて丁寧に開けると中身をこれ見よがしにした。そこにはクウェージアの大貴族も驚いてひっくり返るくらいに大きなオールドテラという宝石が入っていた。
 オールドテラは大変珍しい透き通った黒緑色の宝石で、中に無数に煌く砂粒のようなテラという宝石を含んでいる。まるで夜空を閉じ込めたかのような美しさで世界中の大金持ちを虜にしていた。
 何度か本物を目にしたことがあり、小さなオールドテラを持っているがこの輝きは何度見ても目を見張る。ここまで大きなオールドテラがあるとは信じがたいのだが、もし偽物であったとしてもこれを作るにはそれ相当の高度な技術と莫大な金が必要だろう。

 ここまでされて断る理由があるだろうか。なにしろ彼は行くあても今後の人生の事はなにも決まっていないのだ。隣国スミジリアンで白い髪と仲良く暮らそうと努力して生きるよりはだいぶマシなように感じる。

「ところでラルダ・シジとやらは、どうして俺の名前をご存知なんだ」

 ふと疑問に思ってジヴェーダはオールドテラを見つめながら言った。

「おや! ジヴェーダさんのことはラルダ・シジでなくても、ラルグイムの大半の人が知っていますよ。ぼくも知っていました。ラルグイムで拷問師は花形の職種ですからね。クウェージアの豪腕拷問師ジヴェーダは、ラルグイムの拷問師も憧れる大ヒーローです」
「それはそれは」

 クウェージアの外にも自分の名が通っているとは驚きだが、それよりこの呪われた職業がシクアスの悪習ひしめく文化の中では恐れ多くも花形とは、彼にしてみればなんとも滑稽な話である。

「いいだろう。そこで働こう」

 ジヴェーダがぶっきらぼうに答えつつ、フォスガンティの手のひらからオールドテラを奪うとフォスガンティは嬉しそうに目を輝かせた。

「ではジヴェーダ様、今からぼくはあなた様の僕でございます!」と、いきなり自らの制服のボタンに手を掛け、「いかなる時でもどうぞご自由に!」と上着を脱ぎ捨て裸の上半身を見せ付けた。

 まず、制服の上着の下になにも着ていなかったことに驚いたが、それはこの際差し置いてともかく、フォスガンティの胸には巨大な――エクアフにそんな立派な膨らみを持つ女はめったにいない――とにかく胸には男にはない女の膨らみがあった。

「女だったのか」

 侮蔑は含まない純粋な驚きで呟いた。

「いえいえ、ぼくは男ですよ。モート種族の高度な手術を何度か受けているのです。とても高い手術で選ばれた男娼しか受けることができないんですよ! あのラルダ・シジに気に入られて、しかも贈り物にされるくらいですから、ぼくがいかに秀でた技を持っているか想像に容易いでしょう?」

 フォスガンティは自らの胸を大切そうに撫で回しながら言った。その口ぶりからして自信は相当のものらしく、そこにはジヴェーダのようなある種の歪んだ「卑しさ」への誇りではなく、ただ単に美しい自分への誇りだけを感じて取れた。

 シクアスには拷問師だから、男娼だから「卑しい」という概念がないと聞いた事がある。それはただの職業で人柄が良い悪いとは全く別の話なのだと。そう聞けば穏やかな種族であるように思えるが、要は人を傷つけあるいは身体を売ることを卑しいとも感じない愚かな種族なのだ。
 彼はエクアフらしく他種族を見下して小ばかにしたように、「ふん」と言った。

「それに、長距離を移動するには女は足手まといになります。いざというとき主人を守れませんしね。夜しか役に立ちません。その点ぼくは、昼は男として夜は女として使えます! どう考えてもぼくの方が便利です。ぼくはこう見えて剣の腕が立つんですよ! この制服だってこの剣で奪い取ったのですから!」

 フォスガンティは腰に差していた剣を引き抜き振り回してから、上半身裸のままで高々と掲げた。そのエクアフ式とは反対に反り返ったシクアスの剣には、突然に斬り付けられたのであろう哀れなエクアフのものと思われる血がべったりと付いていた。なんの後悔も罪悪感もなしにそれを自慢のように語るシクアスを理解し難いと思ったが、考えてもみれば自分も人を支配して悦に浸るのだから文句を言えたことではない。

「ラルダ・シジのお気遣いはわかったから服を着ろ」

 彼が命じるとフォスガンティは少々不服そうに――少々無様に床に落ちた制服を拾い上げ何度か叩いてから羽織った。ボタンを閉める気はないらしい。開けっ放しの上着の間からは白い豊かな胸の谷間が見えた。

「それでこれから俺にどうしろと」

 彼はラルグイムを地図の上でしか知らない。嫌でもこの男娼に頼らなければならないことが、なんとなくしゃくに障る。

「この都市の外に大型の馬車を用意してあります。それに乗っていただいて、まずラルダ・シジのもとへ参ります。そこで契約を交わしてください。あ、旅の支度は慌てなくて結構です。見たところ引越しの準備はまだ終わっていないようですし。とはいえ早く発つに越したことはございませんが」
「支度ならもうできてる」

 と彼は一つの鞄を指差した。
 結局、これだけの物を買い優越に浸ったところで心を慰めてくれるものにはついぞ出会えなかった。彼にとって本当に必要なものはこの小さな鞄に全て入ってしまうほどにわずかな拷問用具だけで、それ以外の物はどれも愛しくも大切でもなく、見栄か気晴らしに買っただけの高級なゴミでしかない。
 ただ、誰かがそれを羨ましく思って彼を妬む時だけそれは高級品へと価値を戻すのだ。

「ではすぐにでも発ちましょう! ……この部屋の他の物は置いていかれるのですか?」

 フォスガンティは驚いた顔でぐるりと部屋を見渡した。この部屋に置かれている物の価値に気付いてはいるようだったが、さすがに豊かな暮らしぶりをしているらしく、もの欲しそうな顔はしなかった。

「お前、好きなものがあったら勝手に持っていけ。どうせ置いていくんだ」
「ならジヴェーダ様、ぼくに似合うものをこの部屋の中から贈ってください」

 いかにも男娼らしい媚びた発想だ。
 フォスガンティはその美しい軽薄そうな目を細めて艶やかに微笑んだ。

「そうだな」ジヴェーダは部屋を見渡し「これをやろう」と偶然目に留まった、なんとも罰当たりなエルドの張り型を投げて渡した。
 それとてどこだかの職人が丹精込めて作ったものだ。張り型と言わずに飾っておけば、ただのエルド像であると勘違いして熱心な教徒がひざまずきそうなくらいに素晴らしい完成度の一品だった。

「ははははは! 素晴らしいユーモアのセンスをお持ちですね! エクアフには珍しい。これは傑作だ!」

 基本的に無神教であるシクアス種族には、異教の神が誰かのケツに突き刺さるのが楽しくて仕方ないに違いない。
 彼とてその様に期待して買ったわけだが、なんと不謹慎な! と叫び吐いて目を白黒させつつもなす術なく、自身の崇める神が自身を犯かしていく絶望を哀れなエルド教徒に与えるためのものであり、けしてどこぞの淫蕩者を喜ばせるためのものではない。

 ジヴェーダはいやらしい手つきでエルドの張り型を撫で回しているフォスガンティを適当に押しのけ、なんの未練もなしにもう二度と戻ることはないであろう自分の部屋を後にした。

「みんなぼくを見ていますね。いい気分です」

 ジヴェーダの後に続くフォスガンティは、そう言って誇らしげにしていたが、ここはクウェージアの宮廷である。裸に臨時政府の制服を羽織り、その隙間から谷間を覗かせていれば、よほど目の悪い老人でもない限り凝視するに決まっている。

「気分がいいのはなによりだ」

 ジヴェーダは適当に返した。
 宮廷の皆々はフォスガンティを凝視し、そしてついでに隣の拷問師を見送った。皆々の眼差しから逃げるわけでもなくジヴェーダは悠々と――むしろ闊歩するようにして自由の広がる宮廷の出口に向かって歩を進めた。
 この宮廷に彼の心を引き止めるものは何一つなかった。



 フォスガンティの能弁を聞き流しつつ騒がしい街中を通り過ぎ、都市の果てにたどり着くと、彼は理由もなく振り返り冷徹な白い都市を立ち止まって見た。
鉛の雲を頂いて儚く幻想的に見えるその都市は相変わらずジヴェーダを見下すように無慈悲に聳え立っている。

「どうされたのです?」

 フォスガンティはジヴェーダが見ている先を一緒に眺めながら聞いた。

「行くぞ」

 もう来ることはない。来ることも望まない。
 忙しない街中に背を向けて彼は歩き出した。


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