6.消せない記憶



「フン……それであの力かよ」


英瑠の奇妙な出生とその力。

母親が人ではない者らしいこと。
まるで獣のような圧倒的な身体能力。
その力を生かし、武将になったこと。

それを黙って聞いていたバクラは、「また随分とおめでてー話だな」、と軽く嘲笑った。

彼の反応に少しだけ寂しそうな顔をして微笑んだ英瑠は、だが直後にテーブルをガタリと鳴らして腰を浮かせると、焦ったように早口で語り出した。

「あっでも誤解しないでくださいね……!
私が戦場に出たいと思ったのは、この獣の力を持つが故にそうするしか道が無かったからでも、力に振り回されたからでもありません……!

あくまでも私の心が、武の高みを目指すことに憧れたからです……!
だから自分で主を見つけ、自分の意思で着いて行った。
もちろんこの力が無かったらろくに活躍出来なかったであろう事は否定出来ませんが……

だから、同情とかはしないでくださいね」


バクラは思わず、ハッ!! と大袈裟に鼻で嗤ってやった。

(――これだから。これだからうぜえんだ!)

「誰が同情なんかするかよクソッタレ!
てめえがどんな生まれだろうが、どんな絶望を味わおうが、んなもんオレには関係ねぇんだよ……!

てめえは何にもわかっちゃいねぇ……!
このオレ様がチンケなてめえの境遇に同情するなんざ、本気で思ってんのか……!」

「…………」

英瑠は浮かせかせた腰をストンと椅子に下ろし、少しだけ哀しそうな表情を見せて黙った。

その、怒るわけでも本気で悲しみに暮れるわけでもない、曖昧で無言の相槌にバクラは、やはり彼女には油断がならない、と内心思った。

バクラに頭ごなしに否定されても半ば侮辱されても受け流すのは、彼女の中にある種の諦観と、何があっても揺らがないという強者の余裕があるからだ。

何を言われても、しおらしい振りをして薄っぺらい紙の盾一枚で横に流す。
他人の言葉で傷つくことなんて、彼女にはありはしない。

舐めた態度だ、とバクラは思った。


英瑠は、戦に負けて主を失い、それが絶望だと思っているのだろう。
周りの人間に迫害された出自を、悲劇だとても思っているのだろう。

『その程度』で、絶望を語るな。

その程度で、自分の人生は終わったなどという顔で呆け、諦め、捨て鉢になるな。

ちょっと新たな居場所を与えてやっただけで涙ぐみ、決意を新たにするような容易い女が、不幸面してやがんじゃねえ!!

オレなんて――――、


――バクラはそう喉元まで出掛かって、今自分が考えていたことに気付いてヒヤリとした。


唇の端を噛んで息を吸い、頭を冷やす。
ひそやかに冷静に、言葉を選んで紡いだ。

「うざってえ馴れ合いには興味ねぇんだよ。
協力してもらうとは言ったがな英瑠。
たとえ力があったとしても、オレの足を引っ張ったら容赦なく消すぜ。
覚えておきな」

「…………、」

バクラの言葉に英瑠はコクリと頷いた。

だが次に彼女が発した言葉に、バクラは心臓を鷲掴みにされたような感覚を味わうことになる。


「バクラさんは、絶望を知ってるんですね」

「ッ……!!」

「私……、……ごめんなさい。
何も知らなくて。一人で不幸に浸って……」

「、てめえ…………!」


酒場の喧騒の中、それきり黙りこくった二人に目を止める者は、誰もいなかったことだろう――








幼い頃の記憶。

とある子供の全てをぶち壊し、叩きのめし、消せない呪いを全力で傷口に塗り込めた、忌まわしき出来事。


たしかに、出自からして褒められたものではないのだろう。

他者の墓を暴き、宝を盗み、それを生業としている盗賊の村など、王や貴族から見れば憎むべき存在だったに違いない。

けれども。

だからといって、ある日突然、圧倒的な暴力で住民を丸ごと滅殺し、魔術的儀式の贄にくべるなど。

あまつさえ、それを指示したのが王で、そうして出来た千年アイテムによって平和が守られているなどと。
人々は誰も血塗られた犠牲の事は知らされずに、当の王でさえも、のうのうと生きているなどと。

全てを失った少年には許せるわけが無かった。


ならば。

ならば今度は、こちらの番だ。

村人たちの命によって作られた七つの千年アイテムを奪い、冥界の石版に収め、冥界から大邪神とやらを呼び出してやる。

そうして得た闇の力で、クル・エルナの同胞の怨念と共に世界を盗んでやる――!!



今でも時折、あの惨劇の夢を見る。

言葉さえ覚束無い、幼い頃の出来事だったはずなのに。
あの夜の光景が目の前で繰り返され、心臓が凍るような思いで目が覚めるのだ。

だがそれでいいのだと思う。

あの惨劇を忘れないからこそ、こうして今でも自分は生きている。

身を焼くような復讐心を滾らせ、それが正義だと信じたからこそ、精霊獣の手を入れた。

その力があるからこそ、復讐を成し遂げることが出来る。

だから、これでいい。
バクラは自分自身にそう、言い聞かせる。




夜の帳が下りた街。

裏路地の安宿の寝台で、バクラは悪夢から目を覚ました。

高鳴る心臓。額に滲んでいる汗。
いつものことだ。
深呼吸を一つしてから、ゆっくりと寝返りをうった。

視界の端で横たわる、見慣れぬシルエット。
部屋の隅でバクラに背を向け、床に体を投げ出して眠りについている女だ。

英瑠。

彼女は酒場から出た後、沈黙を続けるバクラの背後で一言だけ、
「バクラさん、とても哀しそうな声だったから」
と言った。

貴方は絶望を知っているのね、と彼女自身が吐いた言葉に対する理由だった。

違うとも違わないとも言わなかった。

ただ、ひどく頭に来る一方で、何故か安心した自分もいた。

バクラはそれが自分でも不可解で、意味がわからないと思った。
とりあえず、それ以上考えることはやめておくことにした。


それから彼女に、呼び捨てでいい、と言っておいた。
官位のある武将サマとやらに敬われるのは癪だった。

よく考えてみれば、英瑠も元居た世界ではどちらかというと王侯貴族に近い側なのだろう。

バクラのような、盗賊村に生まれつき、惨禍に見舞われ、泥を啜って命のやり取りをしてきた人間とは違う。

クル・エルナの悲劇の夜から精霊獣の力に目覚めるまでの暗澹たる日々など、思い出したくもなかった。

いや、彼女の半分は人間ですら無かったか。
どうでもいい、とバクラは思った。



自分に自信がないわけでは無かったが、バクラは彼女に寝込みを襲われないよう、彼女のお守りである戟を奪って寝台の側へ寄せておいた。

いつか彼女から奪った短剣もまだ彼が持ったままだ。
当分返すつもりも無かった。

仮にも年上である女に、床で寝てなと吐き捨てれば、英瑠は素直にそれに従った。


妙な力を持つ、ふざけた女。

自覚はないのだろうが慇懃無礼で舐めた態度をとるし、かと思えば素直で、何となくいじめ甲斐すらある。

全く災難だぜ、とバクラは独りごちた。


「何が半人半妖だよ。
無防備で寝やがって」

例の夢のせいか、何となく眠れなかったバクラは、忍び足で英瑠に近寄ると、床で眠る彼女のすぐ側へしゃがみこんだ。

獣だというならやはり、人の気配だけで目を覚ますのだろうか。

そんなことを考えたバクラは実際に試してみようとしただけなのだが、それがどうだ、彼女はバクラが至近距離まで近付いても一向に目を覚ます気配がないではないか。

ふと、既視感を覚える。

そういえば英瑠と初めて会った時も、こんな風に彼女は背を向けて眠っていたような気がする。

死体だ、と初めは思った。
所持品があればめっけもの、くらいの気持ちで近寄った。

それがどうだ。
人外の力だの武将だの、あげく行く宛がないと来た。

バクラの『武器』になると言った女をまじまじと見下ろしながら、彼は「くだらねぇ、」とこぼす。

それから、「昼間のは偶然だってか?」と口の中で呟き、何となくまた彼女をいじめてやろうという気になって、手を伸ばしてみた。

英瑠はすやすやと寝息を立てて眠っている。
窓の隙間から差し込む月明かりに照らされて、異人種である白い肌が輝いていた。

バクラの褐色の指が、英瑠の頬を軽くつつく。
英瑠は目を覚ます素振りすら見せない。

「夜襲だぜー……おら」

小声で漏らしたバクラのおどけた声にはしかし、反応がない。

彼は手を英瑠の頭の方へ移動させると、そっと額に手を乗せた。

手の平から伝わる彼女の体温。
普通の人間と変わらないように思えた。

「貴様はこの瞬間、死ぬんだぜ」

バクラは彼女の額を押さえたまま不吉な軽口を叩きながら、もう片方の手で手刀を作って静かに首へ下ろし、断頭のポーズを取ってみる。

だが彼女はぐっすり寝入ったままだ。

英瑠の首に当てられた盗賊の手刀が、呆れたように宙を彷徨った。

「てめえよぉ……」

あまりの無防備さに馬鹿らしくなりつつも、一方でもう少し彼女で暇を潰したいという思いも湧いてきて、バクラは両手を一旦離したのだが――

その瞬間、英瑠がごろり、と寝返りをうった。

咄嗟に一歩後ずさるバクラだったが、しかし仰向けになった彼女の双眼は、固く閉じられたままで。

「…………」

もしや、全て、幻だったのではないか?

砂漠に埋もれかけ、目を覚ました瞬間に殺気を迸らせたのも。
咄嗟に突き出した刃を、素早い反射神経と腕力によって止められたのも。

やたらと重い戟も、大仰な出自や半生も、全て嘘っぱち、作り話なのでは――

バクラはそんなことを考え、いや、とすぐに否定した。

この女の中にある『力』は本物だ。
バクラの中にある精霊獣――ディアバウンドがそれをはっきりと感じ取っている。

取るに足らないチンケな魔物カーならば、ディアバウンドが反応することなどない。

だがこの女、英瑠は違う。
紛れもなくその力は本物だ。

人間離れした身体能力?
――それだけのはずがない。

知ってて隠しているのか、それとも本当に何も知らないのか。

近いうちに確かめておかなければならないだろう。

だがとりあえず、今は。


バクラはまた英瑠ににじり寄ると、次はどうしてやろうかと持て余した手をブラブラさせながら彼女の寝顔を見つめていた。

柔らかそうな白い肌にふっくらとした唇。
こうして見てみると、案外悪くないかもしれない。

「……襲っちまうぞ、コラ」

小声で吐き出した下品な一言にもやはり、反応はない。

拳を緩く握って、指の背で彼女の唇をそっとつついてみる。

少なくとも今までに見た野生動物よりは、人間の女だった。
彼女は目覚めない。


バクラが視線をずらせば、目に止まったのは、呼吸に合わせて緩やかに上下する胸。

彼女が晒した、昼間の醜態を思い出す。

「……くだらねえ」

口にしながら、伸ばした手は。

いつか見た胸元の膨らみの上に、そっと重ねられた。


指に力を込め、馬上でからかった時よりも弱く、揉んでみる。

「ん……」

ついに英瑠から声が漏れ、バクラは息を呑んだ。

咄嗟にまた「くだらねえ、」と呟くバクラ。
彼はそのまま無言で立ち上がると、踵を返し寝台へ戻って行ったのだった。



夜明けまではまだ随分ある。

得体の知れない武将女。
その感触を味わった手を、バクラは何度か開閉させてみる。

鼻で嗤って、それから再び目を閉じる。


――その日はもう、悪夢を見ることは無かった。



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