「………………」
とてつもなく恥ずかしく、そして切ない夢を見た。
気付いたらそこはいつもの城内で、空は晴れていて。
あれ?
『あれは』夢だったのかな?
ほっとした。
あの、どこかの砂漠の国。
金銭の流通さえ覚束無い、だいぶ未開な見知らぬ街。
そして――
まあいいや。夢だったのならば。
周りには同郷の配下たちがいる。
「龍将軍、参りましょう」
覇気に満ち溢れた彼らの声。
ひどく懐かしい。
主君の元へ駆け出す。
まだ戦は始まらない。
殿の力に恐れをなした群雄たちは動けずにいるのだろう。
よく知っている、殿の後ろ姿。
立派な巨躯は配下たちに囲まれていてもよく目立つ。
「――英瑠」
懐かしい声がその名を呼ぶ。
どうやら今日の殿はだいぶ機嫌がいいらしい。
名を呼ばれたことなんて、実は数えるくらいしかなかったりする。
「英瑠殿! 遅い、遅いですぞ!」
「英瑠殿、急がれよ。皆貴公を待っているぞ」
「遅いな、英瑠。もう昼だぞ」
――ああ、ごめんなさい。
殿、遅れて申し訳ありません。
大柄な殿が、ずんずんとこちらへ歩いて来る。
――殿。何だか長い夢を見てしまいまして。
申し訳ありません。私……、
「貴様は馬鹿か。英瑠。
服の破れにも気付けんとはな」
――え、
殿の大きな手がずい、と伸びてきて、え――!?
むんず、と胸を掴まれて、ひと揉みされたところで――
呼吸を失った瞬間――――
目が覚めた。
そこは、昨晩入った安宿の床だった。
英瑠は、ああそうだった、と全てを思い出す。
それから己の首筋を撫でて、まだ自分の首が繋がっていることに安堵した。
たとえ寝入っていても殺気を感じれば瞬時に目が覚めるとはいえ、彼ほどの使い手に至近距離から本気で襲われたら防げるかどうかは怪しかった。
とりあえず、彼――バクラの気はまだ変わってないのだと知り、英瑠はほっと息を吐いたのだった。
「……おい、呆けてんじゃねえぞ。
さっき言った段取りは忘れてねぇな?」
「は、はい」
そこは王家の谷と呼ばれる場所だと、彼――バクラは教えてくれた。
歴代の王様が眠る場所。王墓。
バクラは、そのうちの一つ、とある王墓に忍び入り盗掘をするのだと語った。
王墓を暴く……決して褒められたことではない。
でも、異国でもどこであっても、人間のやることなんて大して変わりがないのだと実感する。
そういえば殿の昔の主君も、王侯貴族の墓所を暴いて金品を収奪したと聞いたことがあったっけ。
その、父とも言うべき主を、結局殿はどうしたか。
殺したのだ。あっさりと。
しかも、どうやら女性絡みのいざこざがきっかけで。
そうして、主から解き放たれた殿は乱世に自らの旗を上げた。
殿は決して善人ではなかった。
むしろ悪寄りだった。
そんな殿の力に魅入られた自分もまた、悪人に近いのだろう。
いや、ここでこうして自主的に盗掘に参加する時点で、完全に悪人になってしまったのだと思う。
――そんなことを考えると、英瑠の口元には自然と笑みが浮かぶのだった。
「ケッ……ニヤニヤしやがって。
墓荒らしがそんなに楽しみか?」
「あ、違うんです……!
ちょっと殿のことを思い出しちゃって。
昨日夢に出てきたんですけど、なんかいきなり胸揉まれて――」
そこまで言いかけた英瑠が
(つい何言ってんの私――!!)
と口を押さえたのと、何故だか関係ないはずのバクラが目を見開いて、一瞬の後思いっきり目を逸らしたのが、同時。
「わーっ! 変な夢の話は忘れてください!!
私、殿のことそういう目で見たこと一度もありませんからね!
第一、殿には奥さんも子供もいてずっと年上だしそういう感情では――」
「あーあー、わーったよ、もう黙ってろ!」
バクラはガラにもなく焦った様子で、ガシガシと頭を掻いて怒鳴るのだった。
それから彼は改めて英瑠の全身をくまなく見渡すと、もごもごと小声で何事かを呟く。
「つーか……、やっぱそのナリは……」
「? なんですか?」
「、何でもねえよ! チッ……」
目を左右に泳がせる彼の様子に、やはり今日の彼は少しおかしいと英瑠は思いつつ軽く首を傾げつつも、まあいいかと手にした戟を握りしめ岩陰から下を見下ろした。
王墓の入口が遠くに見える。
それを守るように、兵士が立ちあるいは巡回し、侵入者を阻んでいた。
「……やはり見張りが多いですね」
「そりゃ王墓だからな。
……行けるか?」
「はい。本当は弓でもあればこの距離からでも狙えるんですけどね……
とりあえず、行きます!」
「お前の力、見せてもらおうじゃねえか……!」
昨日よりも心なしか身軽になった英瑠は、彼から離れ、ざざざと勢いよく岩肌を滑り降りた。
それから、歩く。
てくてくと。
兵士の視界に入るまで。
「…………」
背後でバクラがまた微妙な顔をしていたことなどは、英瑠は全く知らないのだった。
「おい、あれ」
「誰か来るぞ!! ……、女!?」
巡回する警備兵たちの視界に入った英瑠は、構わず王墓の入口へ向かって歩を進めて行った。
まるで、現地民に道でも聞こうと近付いて行く旅行客のような足取りでもって。
だが彼女が注目を集めるのは、王墓という神聖な場所に女が単身現れたからという理由だけではなかった。
体躯とは不釣り合いな、ごつくて長い武器。
それを握りしめるのはここいらでは見慣れぬ白い肌で、否、手どころか、腕も、脚も、首元も、腹までも――
がっつり露出していた。
「ずーっと言いたかったんですけど、暑いんですよね。本当」
兵士たちの視線が下卑たものに変わっていく。
「おい、こいつ……」
「異人か……! へへ、いい体してんなあ」
「やべえよ、こんなことしてたら怒られちまう!
……でも、ちょっとくらいいいよなぁ」
彼らはたった一人のあけすけな女へにじり寄っていき、その無防備さに口元を緩めた。
無防備なのはどちらか、彼らは知らない。
彼らは既に戟の間合いに入っている。
兵士らは彼女の露出の高さに目を奪われたようで、味方の数の多さに慢心し、女がその手に何を握りしめているのかは気にも止めない様子だった。
「おい女! ここで何をしている!
こっちへ来い! ひひひ……」
兵士たちの槍が、英瑠の前へと伸ばされ――
ぶん、と空を切る音がした。
次いで、肉が爆ぜる音と、液体が飛び散る音が辺りに広がる。
「、」
たまたま間合いの外に居た兵士は、何が起こったのか分からない、という顔で固まっている。
例えるなら、獣だ。
まるで呑気に草を食んでいた草食獣が、茂みから飛びかかってきた虎に一撃で仕留められたような。
虎が初めから姿を見せていたら、草食獣はそこで食事をしたりはしない。
今彼らは、虎がそこにいたにも関わらず、それを虎だと気付かずに愚かにも自分たちから近付いてしまったのだ。
円を描く戟の尖端が、ざざざと地を抉る。
不均等に突き出たいくつかの刃は、やたらと肉厚な金属だった。
「ひっ、」
勘のいい兵士は咄嗟に己の槍を構え、防御体制を取った。
普通ならば一瞬ののち、戟と槍が交差して鍔迫り合いになるところだった。
だが。
英瑠は気にも止めず戟を振り、命を刈り取る凶悪な刃を彼へと走らせる。
彼女の戟と、名も無き兵士の槍が交差して――
そのまま、兵士の体を槍ごと『もぎ取った』。
**********
「ふぅ……」
ざん、と地面に戟を立てて息を吐いた英瑠の背後から、一つだけ足音が響く。
「……ハ、与太話はどうやら本当だったようだな」
「そっちはどうでした?」
「楽勝よ。連絡を断ち切ってやったから、しばらくは誰も来ねぇだろうな」
「さすがですね」
英瑠は自分の仕事を終えて戻ってきたバクラに向き直り、いつもと変わらない様子で口にした。
「……もしかして私の力、ちょっと疑ってました?」
「多少はな。
だが今ので信じてやるよ。
つーか……、どうやったら生身でこんな殺し方が出来んだよ……!
まさに化け物だな」
「…………そうですね。否定はしません」
「ヒャハハっ、そう拗ねんなよ、褒めてんだぜ? これでもよ、」
上機嫌で軽口を叩いたバクラが、唐突に英瑠の肩にがしっと腕を回す。
臨戦体制を解いていた英瑠は、思わずビクリと身体を震わせた。
別に不快だったわけではない。
ただちょっと驚いたのだ。
驚いて……、そのあとは…………
ざわ、と自分の心がざわめいた事に、彼女は戸惑いを覚える。
「、バクラさんあの、私本当は……その、気を張っている時以外は馬鹿なんで、基本その」
「ああ知ってる」
「えっ……、あぁとだからその、いきなり来られるとビックリしちゃうんで……」
「あぁ、獣だもんなオマエ」
「…………」
「あと次にその呼び方したら殺す」
バクラが英瑠の肩に腕を回していたのは、他愛ない会話をいくつか交わした間だけだった。
その後は、彼の腕はまるで興味を無くしたかのようにスッと彼女の身体を離れ、それからバクラは「行くぜ、」と一言告げて王墓の入口へと向かって行ったのだった。
「はーい」
答えながら英瑠は、さっき感じた己の心の不自然なざわめきは何だったのだろう、とその正体を探ろうとした。
しかし先を行くバクラが彼女を振り返り、真面目な声で警告を発したため、それ以上考えるのをやめたのだった。
「おい、気を抜くんじゃねぇぞ……!
こっから先は、木偶の棒の見張り共をぶっ殺すのとはワケが違うぜ。
油断してくたばっても骨は拾ってやらねえからな」
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bkm