英瑠はバクラに連れられ、とある酒場で彼と向かい合って座っていた。
自然と店内が見渡せるその席で、さりげなく入口と窓の位置を確認していたら、バクラの視線がじっと英瑠を伺い、それに気付いた彼女も、彼の眼をじっと見返した。
「……やっぱただ者じゃねェな、オマエは」
バクラの低い声が、僅かな殺気を滲ませて言葉を紡ぐ。
英瑠もそれに答えようと、気迫を漲らせたところで――
ぐぅぅぅ〜〜
また声にならない悲鳴を上げ、素早くお腹を押さえてテーブルに顔を伏せてしてしまった英瑠の頭上から、バクラの呆れたため息が聞こえたのだった。
「そういやオマエ、金目のもん何も持ってねえんだったな……
ま、泥水でも飲んでな」
バクラは薄く嗤うと、冷酷な提案を彼女に突きつける。
「それは戦場で飲んだのでもう嫌ですていうか私じゃなかったら多分お腹壊します、お願いします何でもしますから何か食べさせてください本当に、この武器だけを売り払う以外なら何でも致しますので……!」
英瑠は何度も頭を下げ、額をテーブルに擦りつけた。
「何でも、だと……?
人ブッ殺す以外に何が出来んだよ、お前に」
「ええと…………
……………………、その……
一応兵とか動かしたり。あんまり上手くないですけど……
あとは、狩猟とか……ちゃんと弓も使えますよ。騎射だって出来ます、浅い川なら素手で魚捕まえられます!
それと……あと……」
「……その身体で男引っ掛けて稼いだ方が手っ取り早いだろ。
ま……その白い肌じゃ無理だろうがな。物好きの金持ちでも探すんだな」
「っ……、そうですね……
そうするしかないのかもしれませんね……
どうせ失うものなんてもう無いし……たとえ死んだって……」
英瑠は彼に、己の半生について詳細に話すことはしなかった。
ただ彼女がバクラに語ったのは、主君の元で戦って来たが、主が負け、自軍が滅んだということだけだった。
そしてその簡潔な事実こそが、英瑠の心を何よりも凍らせ、虚無の世界に突き落とすのだった。
全て失った。
もはや生に未練などない。
この、傷一つない身体はもはや、抜け殻も同然だった。
あの日見知った戦場に居たはずが、どうしてか今はこんな場所に居る。
理由は全くわからない。
もし自分があの時気を失い敵に捕まったのだとしても、その敵がわざわざ敵将を生きたまま遠くの土地まで連れて行って、放り出したりするだろうか。考えられなかった。
それよりももっと簡単な可能性がある。
即ち、自分はあの時死んで、異国であるはずなのにどういうわけか言葉が通じるここは、あの世かどこか別の世界だということ――
それならそれでいい、と英瑠は思った。
どのみち、現世での己の役割は終わったのだ。
人ならざる力を持ち人として生きた乱世の武将は、戦場でその役目を終えた。
そういう物語ならばそれでいいのだ。
読み終えた書物を閉じて眠りにつくように、ゆっくりと闇に落ちて行けばいい。
だが――
ここがあの世だというなら、神だか仏だか知らないが、天は随分と意地の悪いことをしてくれるではないか。
今目の前に居るのは盗賊を名乗る男――実は自分より年下の少年で、壮絶な人生を歩んで来たであろう彼――は、何と。
自分と似たような『力』を持っているらしいではないか!!
あの時、目が覚めた瞬間に襲われたあの時――
彼の凶刃をその腕を掴むことで止め、ほっとしたのも束の間、彼から漂って来たのは、かつて生きていた巷ではついぞ感じたことのない感覚だった。
彼、バクラの中には何かが――『居る』。
これはとても皮肉な話だと思った。
散々人ではないと蔑まれ、ならばとその、人ではない力を使って足掻いて来たのに、あっさり滅んだ。
その最後の最期になっても、結局、あの世界では、自分以外の人ならざるものの片鱗は見つけられなかったのだ。
――それなのに。
それなのに、死後の世界か何か知らないが、かつて持っていたものを全て失った瞬間、こうして自分に近い、人ならざる何かを感じさせる他者と出会わせるとは。
とてつもなく、運命は意地が悪い。
同時に、とてつもなく幸運であるのも事実だった。
だから憎い。
英瑠はむしゃむしゃと料理を貪るバクラの前で、そんなことを滔々と考えていた。
「……チッ、仕方ねえ」
僅かな舌打ちがバクラから聞こえ、次いで、ずい、と皿が英瑠の方に寄越された。
「食えよ」
「えっ、いいんですか……!?」
皿の上には見慣れない骨付き肉が乗っていた。
空腹に耐えかね、ありがとうございますと告げると同時に手をつける。
美味しい。
いくら体力が獣並とはいえ、やはりちゃんとした食料を頂かないと精神的に駄目なのだ。
「タダじゃねえぜ。今すぐにとは言わねーが、お前にはきっちりと働いてもらう」
骨付き肉にかぶりついたまま、英瑠はこくこくと頷くのだった。
が直後に、己がさっきまで考えていたことがまた頭を擡げてくる。
そうだ。
今更何を、生にしがみつく必要があると言うのか。
こんな食べ物で一喜一憂して何になる。
生き残ったって己には何もないではないか。
どうなってもいい、というあの虚無感は、決して一時の感情では――
英瑠が口から、骨付き肉をぽろりと取り落とした時だった。
「弱ぇ奴は負ける。強い奴だけが生き残る。
所詮、それだけのことよ」
「………………、」
バクラの論理は明確だった。
そして、その何もかもを切って捨てるような物言いが、あの雪の降る城で生を終えた、彼女の主を彷彿とさせ、英瑠は思わず息を呑んだ。
ぶわりと滲みあがってきた涙を堪える。
ああ、これだから。
獣の膂力を持つ女武将が本当は、戦場を離れているときはちょっとしたことで泣いてしまう普通の女であることも、そういえば死んだ父以外は知らなかったっけ。
「生きる希望とやらを失ったらしいオマエが、どこでどうくたばろうがオレ様の知ったこっちゃねえ。
……だがな、こちとらやるべき事があんだよ。
オマエにとってのご主人様と同じくらい大事な目的がな……!
協力してもらうぜ英瑠。
オレ様の復讐劇という名の戦場を、オマエにくれてやるよ」
――バクラの声には、恐ろしいほどの怨念が篭っていた。
英瑠は。
頭を殴られたような衝撃を受け、言葉を失っていた。
それから彼女は溢れ出す涙をごしごしと拭い、生まれ変わった気持ちで、ゆっくりと顔を上げた。
――たしかに現世での役割は終わったのかもしれない。
だが思い出してみよ。
初めて英雄たちに憧れたとき、戦働きで身を立てたいと思ったとき、彼女は何を思ったか。
主に殉じる、それも良いだろう。
主が死んだから自分も死ぬ、上等だ。
けれども。
英瑠の本来の目的は何だったか。
それは、戦場を走駆し、武を振るい、広大な大地に、自分という人間の存在を刻みつけ、さらなる武の高みを目指すことではなかったか。
ならば。
この、彼岸かどこかわからない世界に飛ばされ、ここでもまた戦場に立てるというのなら。
それは、もう、戦うしか無いではないか。
今度こそ『死ぬまで』。
文字通り、魂の一片が滅びるまで。
英瑠は悟った。
それから、ありがとう、と小声で呟いた。
次いで「やります、私」と呟いた声は、彼女の決意表明だった――
「……、うう……バクラ殿っ……!!
貴方はとてもいい人ッ……」
「ちょっと待ちな!!
気色悪ィんだよ! てめえの方が年上だろうが!
今度そのフザけた敬称を口にしてみろ、ブチ殺してやる……!!」
「え……、でもこれは年齢関係なく上下関係によって敬意を表すものであって、この場合どちらかというとバクラ殿の方が目上なのでは――」
「おい。三度目はねェぜ。
てめえのそのフザけた態度がどこから来てるのか当ててやるよ。
強者の余裕とでも言ってやろうか?
どんな余裕ぶっこいてても、自分だけは殺されねぇ、いざとなりゃ妙なチカラを使って逃げられるとタカをくくってやがる。
……だがな、オレ様には通用しねぇぞてめえの力なんざ」
「……、」
やはり、そうなのか。
互いにそうなのだ、と英瑠はここに来て確信した。
英瑠はバクラに潜む『モノ』に気付いている。
であれば、当然彼の方もそうなのだろう。
彼の言う事は恐らく正しい。
バクラはその『力』の正体を理解し使いこなせるのかもしれないが、英瑠の方はそうではなかった。
己にあるのは、圧倒的な身体能力と肉体的な耐久力のみ。
それは生まれつき持っていた力で、たとえば繊細な陶器を扱う時と戦場で戟を振るう時とで、腕力の調節自体は可能である。
しかし、ただそれだけだ。
飛んでくる数多の矢を超人的な反射神経で払い落としあるいは掴み取る事は出来ても、逆は無理なのだ。
遠くの敵に数多の矢を浴びせかける事は出来ない。
弓の心得はあるが、単純に的に当てるだけならば、自分より優れた腕を持つ者が軍中にいないわけではなかった。
主だってその一人だ。
自らの出自――母親が、結局『何』であったのかを英瑠は知らない。
つまり、その力の本質を理解し完全に引き出す事は不可能に近い。
加えて、バクラの力の正体が何なのかもまだわからない以上、彼女はだいぶ分が悪いと言えた。
そんなわけで、英瑠は、己の素性をこれ以上隠す必要はどこにも無いと感じ、心を決めた。
そして。
「……ちょっとだけ私の出生の秘密を聞いてもらえますか?」
英瑠は、自分が人間の父と人外の混血であることを素直に話し、己の身体能力についても語ったのだった。
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bkm