4.回想



乱世において、腕一本でのし上がっていくということ。


数多の敵を斬り、武芸の鍛錬を積み、用兵を覚え、時には机にかじりつき、必死で上を目指した。


子供の頃から尋常ならざる身体能力を持っていた。

悪ふざけで、剣の素振りに精を出す父親に対し棒切れ一本で向かって行って、困ったように笑った父がゆるやかにそれを受け止めようとしたものだから、棒切れでその手をはたいてやれば、剣を取り落とした父の手にはあざが残った。

あの、まるで化物でも見るような父の顔を、今でも覚えている。


体の大きさや見た目は普通の女児なのに、成人男性より強い腕力を発揮し皆に恐れられた。

恐らく原因は母親の血だ。父はただの地方役人にしか過ぎない。

自分を産んだ母親は、すぐ死んだのだと当初は聞かされていた。

だがそれは、娘をせめて人間として育てようと父がついた嘘だった。

母は人間ではなかった。
神仙、妖魔、人外――その正体は今でもわからない。

ただ一つ確かなことは、母は自らが在るべき世界に帰った――帰らざるをえなかった、ということだった。

そして母は、この子を人間として育てて欲しいと、まだ幼かった自分を、人間である父に託した。

全ては、病床の父が亡くなる前に話してくれたことだった。


だがやはり、持って生まれた力は抑えられなかった。

英雄に憧れ、武を磨き、戦場で名を上げる事に憧れた。

父は亡くなる直前、お前がそうしたいならそうすればいいと許してくれた。

女ではあるが、乱世において戦働きで身を立てるというなら、それもまた人の道。

力があるのなら、必要な場所で存分に奮えばいい。
ただし人の心は忘れるな。

人間である心を失った時、お前はお前で無くなるだろう――

そんなやりとりがあって、父の死後、単身家を出た。



どこぞの軍に潜り込んで体験した初陣で、『彼』を知った。

彼は万夫不当の英傑で、最強の武を持ち、鬼神と恐れられていた。

憧れた。その強さに惹かれた。

彼の元へ押しかけ、少女の悪ふざけだと侮る彼の雑兵たちをあらかた打ち倒して、強さを認めさせた。

彼は豪快に笑っていた。

その日から、彼が私の殿になった。



殿の元には様々な豪傑たちがいた。

自分と同じく、殿の武に惹かれた者たち。
武一辺倒で策を巡らすことが苦手な殿に、策を授ける軍師。
殿の強さを受け継いだ、鬼神の娘。

殿の武勇は広く知れ渡り、敵兵たちは誰もが、殿の存在を恐れた。

そんな殿の元で、自分も将の末席として着実に力をつけていった。

――はず、だった。


だが。

しかし、時代は殿の存在を許さなかった。

敵の策に嵌り、殿は次第に追い詰められていった。

殿は意固地になり、ますます己の武だけを頼みにするようになり、軍師の忠告さえ退けた。

泣きそうな顔で、ほとんど絶叫に近い声で必死に策を訴える軍師の背中が、ただ痛々しかった。


そうして、運命の日が訪れた。


雪の降りしきる城内。

敵に包囲され、篭城を続けていた自軍の城に、突如水が流れ込んできた。
水攻めだった。
どうやら付近の川をせき止め、水を溜めてから一気に放水したらしかった。

混乱する城内。
ただでさえ低かった兵たちの士気が、さらに急降下していく。

そして、殿の配下たちの裏切り。

勿論全員ではない。
何があっても殿の元で、城を枕に最期まで戦う気概のあった仲間達は居た。

だが哀しいかな、いつしかそれは少数派となっていた。


必死で戦った。

敵の強さは認める。その有能さも。

しかしどこまで行っても、我が主は殿たった一人だった。

あの武を全身で体現出来る者は、恐らく同時代には存在しえないだろう。

だからこそ、足掻いた。


伝令が急報を告げる。

我が主がついに捕らえられた、とそれは語っていた。

戟を握りしめ、立ちはだかる敵を薙ぎ払い、急行する。

捕らえられた殿は恐らく処断されるだろう。
彼は敵を作り過ぎた。

もし彼が本当にここで終わりなら。
彼を守れないのならば。
もはや生きる意味などない。


だが。


「――を守れ、英瑠!!」

捕らえられた殿が欲したのは、己の救出でも、この状況を打開する力でもなかった。

「生きろ、――!」

「父上ーっ!!!」


鬼神は最期に、娘の身を案じたのだ。

非道い、彼に殉じることさえ許されないというのか――!

無念と怒りと哀しみをこらえ、娘を戦場から連れ出す。

あるいは立ち塞がる敵を薙ぎ払って道を作り、あるいは追っ手を斬り伏せて娘を守った。


そうして、ようやく本当に、何とか娘を逃がし切った先で。

お前も来い、とこちらを振り返った彼女の姿を、眼に焼き付けながら。
静かに首を振った女武将の覚悟を悟ったのか、涙を浮かべつつもそのまま去っていった彼女の、小さな背中を見送りながら。

全てと決別しその場に残った敗将、己という存在がどうなるかは、火を見るより明らかだった。

この、人間の武人であると自覚する者、この人ならざる者がどうするかは、もはや自明の理だった。


全てを喪った者の心の奥底に、わずかに残ったもの。

――嗤う。

吼えて、馬を駆る。

何もかもを喪った人ならざる者の最期の閃光が、狼煙を上げて暴虐の嵐を撒き散らす。


戦の勝敗はとっくに決している。
敵は、敗軍の残党を捕らえようと、未だ抗う女武将に向かってくるのだ。

それらを、力の赴くまま、斬る。

まるで水面を手のひらで叩きつけた時のように、敵兵の身体が宙を舞う。

馬を射られ、ならばと自らの足で地を踏みしめ、泥を啜り、木の根を噛んで追ってくる敵を粉砕する。

どうせ簡単には死ねやしない。

この人ではない身は、多少の傷など一晩経てばたちどころに治ってしまうのだ。

そうやって足掻いて、斬って、足掻いて。


とうとう逃げ場を失い囲まれた時に、とある敵将が言った言葉。

「もういい龍琉。お前の強さは充分わかった。降伏しろ。

――お前の主はもう、この世には居ないぞ」


それが、最後の記憶だった。




**********




「英瑠……フン、妙な名前してやがる」


英瑠は、男に名前を聞かれたのでそう名乗った。

男はバクラというらしい。
そちらこそ妙な名前だろうと思った。
やはりここは異国で、彼は異人なのだ。


彼にここの地理を教えてもらったのだが、英瑠には何が何だかさっぱりだった。

ただ途方もなく、自分があの日戦っていた戦場からは遠く離れた場所に来てしまったらしい、ということだけは理解できた。

そういえば自軍にいた頃、西域の向こうからやってきた商人から、遥か西方の砂漠の国には、四角錐の形をしたとてつもなく大きな王墓がいくつもあると聞いたことがある。

今、沈みゆく夕日を浴びて、砂漠の地平線で遠く揺らめいている三角状のシルエットは、もしやそれなのだろうか。

英瑠はそんなことをぼんやりと考えた。


馬に揺られて着いた先はどこぞの街のようだった。

その肌の色と格好は目立ち過ぎる、と彼に差し出された大きな布を頭から被り、身体を覆ってさりげなく行き交う人々に紛れることに成功した。

一番目立つ長物――彼女の得物である戟は、馬で引きずっていた時と同じように、かつて外套だったもので包んだまま英瑠が抱きかかえるようにして持っている。

バクラも街に入ってからはフードを被っていた。
盗賊だからなのだろうか。

彼は英瑠が思うよりずっと、顔が知られているのかもしれなかった。

「そいつも本来なら売り物だったんだぜ」

先を歩くバクラが少しだけ振り返って、首で英瑠の体に纏った大きな布を指し示した。

「本当にありがとうございます」

自分が居なければきっとバクラは、戟を見つけない代わりに、得体の知れない女を馬に乗せることもなかったし、どこぞから盗ってきた売り物の布をその女にくれてやることも無かったのだろう。

それがわかっていたから、英瑠は素直にお礼を言った。
ごめんなさい、ではなくありがとうと。

あの砂漠の中で、救われたのは自分の方なのだ。

当のバクラは、そんな英瑠の真っ直ぐなお礼に面食らったのか、少しだけ変な顔をすると彼女に背を向け、嘲笑うような形で軽口を叩いた。

「その武器を売っぱらって、貴様を奴隷商人のところに連れて行けば一番儲かるんだがな」

「武器ごと奴隷商人のところに連れて行ってくれてもいいですよ。
……それで、奴隷商人のスキをついて殺して売上を奪って他の奴隷を手に入れて――
ってそれ、さすがに捕まっちゃいませんか?」

「…………死に急ぎてぇなら一人でやんな」

恐らく、英瑠の物騒な発想に眉を顰めたらしいバクラは、彼女を振り返り、ため息を一つこぼしたのだった。




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