3.白い肌



「……待ってください」


馬へ向かって歩を進めたバクラの背後から、声が掛けられた。


「そりゃ答え次第だな」

バクラは女の制止をそう切り捨て、「じゃあ……」と女が言いかけたところでようやく歩を止めた。

後ろで女が立ち上がる気配がする。

振り向かないという選択肢もあったが、得物を手にした女に背を向け続ける気はないので少しだけ振り返る。

女が力強い足取りで近付いて来る。
思わず、ナイフを握ったままだった手に力を込めた。


「この武器が欲しいならあげます。
……ただし、私ごと、です」


女が何を言ってるのか一瞬わからなかったバクラは、「は?」という声を漏らした。

そのひと声が自分でも思いの外まぬけに思えた為、バクラはふいと女から視線を逸らして舌打ちをした。


「武器だけを売るのは無しでお願いします。
でも貴方が使うなら、私に使わせてください。
ずっとこの得物と運命を共にして戦って来たんです。
だから……必要であれば、私が貴方の武器になります」

女はバクラの正面に立ち塞がってはっきりと言い切った。

その瞳は真剣だった。


「……何だってんだ」

「……貴方はさっき、自分は盗賊だと言ってましたよね……?
私は武人です。武将です。
私も多分善人ではありません。戦場で敵の死体から、身ぐるみ剥いだことだってあります。
でも武人は、死ぬまで得物を手放す事は出来ません」

「…………」

「私の武が必要なら使ってください。
貴方の敵を鏖殺する事を約束します。

だから……私に、この状況を教えてください」


もはやバクラに返す言葉は無かった。

そして、女と正面から立って相対した時に、とある知りたくも無かった事実にふと気付いてしまった彼は、さらに愕然とすることとなる。


(武人……武将、だと……?
何をほざいてやがる……?
それだけじゃねえ、つーかこいつ――!!)

そして女はさらに続けた。

ここは何処なのか。
貴方は異人のようだがやはり異国か。
何故自分がこんなところにいるのか。
今は一体何時なのか。

何も思い出せない。理解出来ない。
頭が痛い。何か知ってたら教えて欲しい――と。


バクラは思わず、頭が痛いのはこっちだぜと反射的に返したい気持ちになった。

だがこらえ、とりあえず真っ先に、視界に割り込むとんでもないものについては今すぐ指摘してやるから覚悟しな、と内心いきり立った。

まるで身体を蝕む毒のように、じわじわと脳の片隅を侵食するそれが、ここいらの人間とは違う、見慣れぬ白い肌の女のモノだというのがまたタチが悪いのだ。


バクラは、平然とした様子で滔々と何事かを語る女の前でため息を一つつき、未だ手にしたままだったナイフを手元でブラブラさせると、女を警戒させないように刃先を彼女に向けた。

瞬時に口をつぐんだ女が、しかしナイフに殺気が篭っていないことを注意深く見抜き、何事かとバクラの顔を見上げる。

こっちじゃねえよ、と目で訴え返しながら、舌打ちを一つこぼし、ナイフの先をある一点に向け続ける。

「…………?」

ようやく彼の無言の訴えに気付いたらしい女が、キョトンとした顔でバクラの手にするナイフが指し示す方向を目で追った。

追った、先で――――


彼のナイフが示す先に何があるというのか。


何ということは無い。

先程の話ではないが、女の纏っている外套はところどころ破けて汚れていた。

だがそれは外套に限った話ではなかったのだ。

女の纏う、服――

戦装束のような奇妙な服の、その胸元の、片方が。

いつかどこかで切り裂かれて。

得体の知れない女の白い胸、その膨らみの頂点が。

衆目に晒されているではないか――!


そんなあられもない事実に、やっと、ようやく気付いた女が。

情けない悲鳴を上げて、胸元を隠してその場にうずくまった時。

バクラは、この行き倒れを初めから殺しておかなかったことに、心底後悔を覚えたのだった――――










「ごめんなさぁい……忘れてほしいです……ごめんなさぁい……」


奇妙なことになったものだ、とバクラはまた舌打ちをこぼした。


乾いた砂漠の大地。その中を、彼らは黙々と進んでいた。

女も馬に乗せたはいいが、手綱を取るバクラの前で、女は先程見せた殺気を発した人物とは思えないくらい弱々しく小さくなって、肩を震わせながらひたすら小声で謝罪の言葉を繰り返していた。


一瞬のことではあったが、殺気を飛ばし合った仲だ。

そんな相手から、よりにもよって一番指摘されたくないであろう恥ずかしい事実を、面と向かって指摘されたら。

しかも、おっぱい見えてるぜバカ女! などという茶化した言い方ではなく、何となく遠回しに指摘してしまったものだから。

彼女がまるで水に濡れた猫のように縮こまり、羞恥で顔を上げられなくなってしまうのはやはり仕方のないことなのかもしれない。

これならまだ初めから、女だぜヒャッハー! 襲ってやるぜ! というような手合いが彼女と出会った方がマシだったのかもしれない。

恐らくそれならば、彼女は何のためらいもなく外道共を切り伏せるだろう。
あの『武器』でもって。

戟の一種だという、今は馬の後ろで引きずって運んでいるあの得物でもって。

(面倒くせえ……)


彼女の得物を馬に乗せようとしたとき、バクラは乾いた笑いがこぼれるのを抑えられなかった。

それは、手で振り回す武器にしてはやたらと重かったのだ。

どこの世界に、こんな重量の長物を軽々と振り回せる女がいると言うのだろう。

人間二人に加えこんなもんを馬に乗せた日には、馬がすぐへばってしまう。

そう考えたバクラは、彼女が纏っていた外套で戟を覆い、持っていた縄をそこに括りつけて馬の背後の地面に放り出し、縄のもう片方を女に持たせ、まるで罪人を引き回すように得物を引きずらせたのだった。

――なぁに、下は砂漠よ。
別に壊れやしねェだろ。

そう彼が嗤った時、女は恨むわけでもなく、少しだけ哀しそうな眼をバクラに向けただけだった。

――ハッ、くだらねえ!




馬に揺られながら街を目指していると、しばしののち、ようやく我に返ったらしい女がおずおずと口を開いた。

「それでこの世界は……、」といやに冷静になって、彼を少しだけ振り返りながらやっと本題に入った女。

彼女が自分のペースで話し始めた事に、何となく面白くなさを感じつつもバクラは、当初の交換条件に応じて答えてやることにする。


この国の地理。気候。日にち。

馬の歩を進めながらあらかた話してやったのだが、肝心の彼女はポカンと口を開けたまま、まるでやるべき事を忘れたボケ老人のように呆けているだけで。

その様子に更に苛立ちが募ったバクラは、思わず彼女の後頭部を軽く小突くと、「全部忘れちまったってか? どうやら本格的にオツムがイカレちまったようだな、」と吐き捨ててみたのだった。


女は彼の煽りにも動じず、本気でわからないのだといった様子で、まるで財産の全てを盗賊に盗られた商人のような顔で呆然とバクラを見上げ、それから前に向き直ると、がっくりと肩を落としていた。

その細いうなじを見つめていたバクラは、直後にふと、もしやあの、目が覚めるなり恐ろしい殺気を放った女はもう居ないのではないか、という疑念を抱いた。


馬に乗せる前に一応彼女の身体検査をしたし、懐に隠し持っていた短剣もそこで回収済だったバクラは、今ならばこの女に多少手荒なことをしても反撃をされる可能性は低いだろうと咄嗟に判断した。


なので。

彼は、先程こちらの渾身の一撃を事もなげに受け止めた女に対し、軽く仕返しのような、些細な嫌がらせでもしてやろうと思い立った。

思ったところで、現実を突きつけられて固まってしまった自称記憶喪失らしい女の、白くて細いうなじ目掛けて、ふっと息を拭きかけてみたのだった。


「ひゃっ!!」

まるで尾を踏まれた猫のようにビクリと飛び上がって、瞬時にこちらを振り返った女を、バクラはヒャハハハと本気で嘲笑った。

予想通りだ。
彼女は怒りを顕にするでもなく、肘鉄でもって抗議をするわけでなく、顔を真っ赤にして涙目でこちらを振り返っただけだった。

「何するんですか……!」

その目にはやはり、先程のような殺気は潜んでおらず。


バクラはこりゃ面白れェ、と内心ほくそ笑むと、
「誰の馬だかわかってんのか?
何ならお前をあの長物みたく引きずってやったっていいんだぜ?
オレ様はちゃあんと聞かれた事に答えてやるよ。お前が質問出来れば、の話しだけどな!」
と更に煽ってやったのだった。

「くぅッ……」

バクラを振り返り、眉根を寄せて弱々しく抗議をしてくる女は、それ以上でも以下でもない。


「どうした? 反論があるなら受け付けるぜ!
おらおら」

バクラは手綱から片手を離し、女の頬を拳でぐりぐりと撫でた。

さすがに反撃されるかと身構えたが、しかし女から鉄拳が飛んでくる気配はない。


すっかり面白くなったバクラは調子に乗って。

今度は最終手段。
先程無惨にも空気に晒されていた彼女の胸の、引っ張ってきた布で急場しのぎに隠されただけの、柔らかい膨らみを――

褐色の手でむんずと鷲づかんで、そのまま乱暴に揉みしだいてやったのだった。

「もうおっぱいは見せてくれねえってか?
バカ女」

という、最大級の煽りを付け加えながら――


声にならない悲鳴が上がる。


直後にバクラの高笑いと、馬の後ろでガラガラざばざばと戟が引きずられる音が、重なって響いたのだった――




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