命を、賭して戦った。
天から授かった力を奮い、意気軒高と。
それは決して、女の道では無かったのだろう。
普通の女は戦場になど出ない。
自分のような、士族の女なら尚更だ。
士族の女は皆たいてい、年頃になったら親が決めた人と婚姻する。
実家を出て、夫を支えながら、子を産み、正妻ならば使用人たちを統括し、家を切り盛りしていく。
自分にだって、本来ならばそんな当たり前の選択肢があったはずだった。
だが、自分はそれを選ばなかった。選べなかった。
生まれ持った力のせいで、まともな家からは縁談を断られた。
そもそも、自分はその『力』を愛していた。
人ならざる力。
その力を存分に奮える場所を探した。そこは戦場だった。
歴史上の英雄達に憧れた。
乱世の戦場で武功を立て、武の高みを極めたかった。
だからあの人についていった。
誰よりも、強大な武を持つあの人――
『我が殿』に――
でも、けれども。
あの人は負けて、そして、死ん――――
「…………っ」
ぎゅっと握りしめた拳に温もりを感じた。
朦朧とした意識の中で、全ては終わったことなのだ、と思った。
もはや何もない。
生きようが死のうが、もはや無いのだ。文字通り。
――誰かに手を掴まれている。
この『終わった人間』に、まだ何かあるとでも言うのだろうか。
腕が引っ張りあげられる。
ああ、そうか。
身ぐるみを剥ぎたいのか。
持って行けばいい、何なりと。
ただ一つのもの以外は。
ざくざくと音がする。
ああ、よりにもよってそれを持っていくのか。
命だったらあげるのに。よりにもよって、『それ』を。
ごめんなさい。
『それ』は渡せない。
たとえ全てを失っても、やっぱり『それ』だけは駄目。
武人は最期の最期まで、得物を手放すことはないのだから――――
**********
「ッ!」
その時、バクラは目を疑った。
同時に、『それ』から手を離し、後ろに跳びすさった。
反射的に、腰に差したナイフを抜いて構える。
「……ッ、」
女が眼を開いたのだ。突然。
それも、手を掘り起こされて引っ張られた刺激でふっと、まどろみながらではない。
バクラは瞬時に悟った。
『これ』はヤバイ。
開かれた女の双眸には明確な殺意があった。
たった今まで意識を失って倒れていたとは思えないほど、強く、鋭利で、明瞭な殺意が――
「…………、」
女がガバリと身を起こす。
その手に握った『武器』を、砂から完全に引き上げる前に――バクラは地を蹴った。
一瞬で距離を詰め、ナイフを女の首元へ――
がっ、という衝撃がバクラの腕を襲った。
「ッ!!!」
バクラの振りかぶったナイフが、女の目の前で静止する。
誰よりも過酷な日々を生き抜いてきた少年の腕は、たった今目覚めたばかりの女に掴まれ、微動だにしなかった――――
「……なんだか、よく……わからない、」
女はバクラの腕をギリギリと掴んだまま、そう吐き出した。
何の変哲もない女の声だった。
「……会話、出来ますか」
女は次にそう告げた。
バクラの頬を嫌な汗が伝う。
今彼は、決して力を抜いているわけではない。
バクラは確かに、ナイフを女の首に滑らせるはずだった。
だが止められた。
自分よりも一回り小柄で細身である女が、腕力でこちらの腕を掴み、それ以上刃を接近させないように抑えつけている。
この事実はバクラを驚愕させるのに十分だった。
けれども、実のところ彼にはまだ『奥の手』がある。
王宮の神官だろうと、王だろうと目じゃない圧倒的な『力』が。
「…………離せ」
バクラはしかし、その奥の手の存在は匂わせずに、ぶっきらぼうに一言だけ発した。
殺意が穏やかになったらしい彼女の手が緩み、バクラは舌打ちしながら腕を振りほどいた。
そして、ナイフを手にしたまま、構えずに距離を取る。
警戒は解いていないが今すぐに命のやり取りをするつもりはない、という彼なりの意思表示だった。
「……いくつか、聞いてもいいですか」
「……、」
「これ……この武器、以外ならなんでも渡しますので」
女の口調は、先ほどの気迫からは想像出来ないくらい丁寧な話し方だった。
その声には怯えも、焦りも、怒りも悲しみもない。
ただ淡々と、穏やかに、まるで道を聞かれた親切な町娘が見知らぬ人に道を教えるような丁寧さでもって、彼女は言葉を発したのだった。
「『それ』以外に、てめえは何を持ってるってんだよ」
一応言っておくと、バクラは一般的な価値観で言うところの悪人である。
盗賊を生業とする村に生まれ、今でも本業は盗賊だ。
だが彼の人生は、幼い頃のとある出来事によってまるで狂ってしまった。
その出来事は、しがない盗賊稼業よりも圧倒的に強烈で、凶暴で、最上位に位置する目的を彼に植え付けるきっかけとなった。
バクラを名乗る彼の心に巣食う、復讐という名の怪物。
それが、一般的な価値観でいうところの善行だの正義だのと呼ばれる行為から、彼を遠ざけているのだ。
――何の罪も無い人を殺めてはいけない。
――困っている人には手を差しのべるべきだ。
フザけんな!
ならば、何故あいつらは殺された!?
何故誰も助けてくれなかった……!?
民を守るはずである王が、何故虐殺に手を染め、しゃあしゃあと善人面して笑ってやがる――!?
そんな暗い事情が彼の心をさらに荒ませている為に、つまり彼は決して無償で人を助けたりはしない。
当然この状況にあっても、彼が純粋な善意や同情から女を助けることなど無いのである。
「金品は今持ってません。あげられるものと言えば、服とか……
どれがいいですか? この外套とかは……
でもだいぶ汚れて破れちゃってるし駄目ですよね」
「……ケッ
渡せるモンがねえんなら情報も無しだ。
その武器を寄越すなら話しくらいはしてやってもいいがな」
「これだけは駄目です……!
これは、武人の魂だから」
「ハッ! 武人ねぇ……随分大層なご身分じゃねえか!
さっきまで行き倒れてたくせによく言うぜ」
「…………」
女が困惑したように口をつぐむ。
バクラは心底女を嘲笑いたくなり、女が何事かを言う前に畳み掛けた。
「別にてめえの身の上なんざどうでもいい。
だがな……オレ様が通りかからなきゃてめえは死んでたぜ。
顔スレスレまで砂に埋もれてたんだ……
あと一発、砂嵐に巻き込まれりゃ即お陀仏よ……!
その腕をオレ様が引っ張り上げてやったから、ようやく目を覚ましたんだろ……?
何なら、オレ様は気を失ってるだけのお前を、先にグサリと殺っちまうことだって出来たんだぜ……?
だがそうはしなかった。
その事実をよく噛み締めてみな!」
「…………、」
女がぎゅっと唇を噛み締めて俯く。
その顔は、悔しいというよりもただ哀しそうに見えた。
「オレ様は盗賊よ……!
無償の善意を期待するなら他を当たりな」
駄目押しで最後にそう告げて、黙りこんだままの女の横を素通りし背を向ける。
本来ならば、金目のもの――やたらと値の張りそうなあの武器を力ずくでぶん取って、あとは女を放置するなり、もししつこく縋って来るならついでにとっ捕まえて奴隷商人にでも売っぱらうなり、いくらでもやりようはあるはずだった。
だが、それはやめておけと本能が訴えかけていた。
先程の、得体の知れない『力』――
研ぎ澄まされた殺気。漲る気迫。
あれはきっと、バクラの『奥の手』に近いものだ。
(誰と殺り合ったって、負けるオレ様じゃねえが――)
負けはしないが、無傷では済まないだろう。
それを確信させる何かがこの女にはあった。
そして、普段の彼ならそれを――自分と拮抗する力を持つ何者かの存在を――バクラは決して許しはしないだろう。
けれども、今は。
今はこのままでいい。
理由はわからないが、それが最善だ。
彼の脳裏には、そんな確信が生まれていたのだった。
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bkm