14.奈落の底で



英瑠は手にした戟を握りしめ、二人の闘いを見守っていた。


精霊同士の、烈しい戦闘。
己が魂を削って繰り出す、技の数々。

それを傍らで見ていることしか出来ない英瑠は、ただの背景でしかなかった。

それはまるで、武将同士の一騎打ちを固唾を飲んで見つめる、名も無き兵卒のような。


拮抗する、バクラと神官マハードの力――

バクラが不利だとは決して思わないが、本当の意味で2対1なら、勝負は一瞬でつくはずなのに。


英瑠は奥歯を噛み締めた。

思い出せ。あの時を――

あの時、泉の中で、目を閉じて己の内側と向き合った感覚を――

本当は、『あれ』にはきっと目を向けてはいけないのだと思う。
今際の際に父が言ったように、人間であることを忘れてはいけないのだと思う。

でも、それでも。

この得体の知れない世界で、バクラの『武器』になることを決め――

立ちはだかる兵士をことごとく薙ぎ払っても、まだ足りない、力。

この世界に存在する法則――精霊、魔物。

それらの力が無ければ、同じ土俵にも立てないと言うのなら。

それは屈辱でしかない。
歴戦の勇士、武将としての。

それは無念でしかない。
おこがましいかもしれないが、バクラの相棒としての。

英瑠はそんなことを考えていた。

彼女は、目の前で繰り広げられる戦闘に注目しながらも、己の内に呼びかけた。

来い、来い、出て来い、己が『本質』よ――

そして。



一度暴いた墓の罠を知り尽くすバクラが、振り刃の罠を作動させる。

空を切り、左右に振れ始めた大きな刃が神官の身動きを封じた。

身軽なバクラは動き続ける刃の上に飛び乗り、神官の頭上から精霊獣を襲わせる――

「螺旋波動!!」

「ぐあああ……!」

「クククク……神官を一人ずつぶち殺して千年アイテムを手に入れる……!
すべては計画通りだぜ!!」

苦しむ神官に勝利を確信したのか、バクラが不敵に吠えた。

だが――


「そうはさせない……バクラよ……!」

自分の魔力を精霊に注入することで攻撃力を倍にする、精霊魔導士という存在。

その最終奥義は――
自らの命を生贄とし、精霊と魂を融合させる事だと彼は言う……!!


(そうか、だから退路を……!)

英瑠は理解した。

マハードという神官は、はじめからバクラと刺し違える覚悟だったのだ。

王宮で一度バクラと交戦した彼は、精霊魔導士である自分の全力を持ってしてもバクラを止められないかもしれない、と考えたのだろう。

だからバクラを王墓におびき寄せ、自らの退路も絶った上で、暴虐の侵略者を道連れにしようとしたに違いなかった。

悲壮な覚悟だ、と英瑠は思った。

同時に、敵であるその神官の生き様に敬意を覚えた。

まるで、主君を護って仁王立ちになったまま死したという、武将の逸話を聞いた時のように。


マハードが自ら、振り刃の前へと身を踊らせる。

「っ……!」


英瑠は彼の壮絶な散り様を、目を逸らさずに焼き付けた。

敵も必死なのだ。

バクラにはバクラの正義があるように、敵にも敵の正義がある。

王への忠誠に殉じる神官――

他人事とは思えなかった。

しかし、同情はしない。これは戦だからだ。

互いの生存権を賭けての。

部外者ではあるが、バクラの刃になると決めた、英瑠という武将の戦でもあるのだから――


「ケッ……自ら罠の犠牲になるとはな」

バクラがそう吐き捨てた直後だった。

「な……!」


そこには、主を失った精霊が未だ存在していた。

「っ、ディアバウンド!
幻想の魔術師にとどめを刺せ!!」

殺気が膨れ上がる。


「駄目っ、バクラ!!!」


本能に突き刺さるような危機感。

『これ』は駄目だ。

ただの死に損ないの精霊ではない、これは――!!


「っ、」

ぶわりと膨れ上がった不穏な気配から彼を守るために、英瑠は走り出す。

「!!!」

己の精霊と合体した、マハードという神官の精霊。

それが放つ必殺技が、バクラに襲いかかる――

(間に合わない!!!)


黒魔導ブラック・マジック!!!』


「ぐああああ!!!!」


迸る力の奔流。

それはバクラの全身を揺らがせ、闇を湛える奈落の底へと、彼を精霊獣ごと突き落とす――


「――――!!!」


もはや声にもならなかった。

通路から転がり落ちたバクラを追って、英瑠も闇の中へと飛び込んだ。

ほとんど無意識の動作だった。


落ちたら到底生身では助からないだろう。

だが『我々』は違う。

不意を突かれたとはいえ、精霊獣を宿すバクラと、獣の生命力を持つ自分ならば――

英瑠は歯を剥き出しにして嗤った。


今だ。

今なのだ。

自分の中に眠る、『もう半分』――

英瑠という存在を支える、人ではないものの、もう片割れ。


ここで現れないのなら、もはや意味などない。

バクラの力になれないならば。
彼を救えないのならば。


出でよ。

出でよ――!!

我が本質、その正体――!!!!!



**********



その時バクラは、光を見た。

落ちていく中で、残り少ないバーを使って、精霊獣ディアバウンドを操る――

精霊獣の力が無ければ、いくら盗賊王といえども地の底に叩きつけられて即死する。

だが、たった今幻想の魔術師から受けたダメージで、思うように精霊獣が操れない――

その時だ。


バクラを追うように闇に飛び込んで来た影が、光を放った。

光は一瞬で炎のように噴き上がり、何かを形作った。


(け、もの……?)

人ではないモノの咆哮が、空気を震わせる。

口を開いた獣が、バクラに噛み付くように、その体を優しく咥え、そして――


やや遅れてやって来た『生身の腕』が、彼の体をがっちりと捕らえた。

『彼女』はバクラを抱え、猫のように身体を丸くする――


地面が近い。

バクラはバーを振り絞って、ディアバウンドを地の底へと走らせた。
激突の衝撃を和らげるために。

そして――――


ガガガガガと石を穿つ轟音と、ざりざりざりという地を削る音。


闇の底で、立ち上る砂煙。


「っ………………、」


静寂。

背中に感じる、大地の感覚。


「う、」


――――生きて、いる。


「っ、ん…………」

触れた部分から伝わる体温。
間近で身じろぐ気配。


「バクラ、っ……」

揺らぐ光。
炎のように揺らめく『力』が、地の底を照らし出している。

バクラと彼女は、その『力』の中に居た。

生身である彼女を中心として噴き上がっている、その何倍も大きな揺らぎ。

闇の中でぼんやりと光を放つ、四足動物のような、精霊――

いや、魔物なのか……?
バクラには判断がつかなかった。


「…………、はは」

仰向けで倒れていたバクラの口から漏れたのは、本人も予期せぬ笑い声だった。

「ヒャハ、ハハハ……!!」

笑う。

それは嘲笑とはまた違うものだった。


「バクラ、」


身体をそっと起こし、上から彼を伺うように発せられた声。

聞き慣れた彼女の声。
まだ出会ってそう長くはないはずなのに、ひどく懐かしい気がする。

バクラを護るように抱き締めていた彼女が、彼の無事を知ってか、ゆっくり体ごと離れて行こうとした。

その瞬間に、自らも上半身を起こしたバクラは、彼女の腕を掴んで遮った。

「っ、」

身体が軋む。

バクラは全身に走った痛みをこらえ、小さく舌打ちをこぼした。

彼女が息を呑んだ気配がする。


「はは、…………」


バクラはそのまま、彼女を抱き締めた。

まるで、今のお返しだとでも言うように。

地の底へ落ちていく中で自分より一回り小柄な女に抱き締められていた男は、今度は自らの腕で女を抱き締めた。


「英瑠……!!」

女の名前を呼ぶ。

体中に走る痛みは気のせいではない。
きっと神官の最期の一撃を食らったせいだ。

だがバクラは痛みをこらえ、英瑠を抱き締め続けた。


闇の中へと叩き落とされた時に、迷う暇なく後を追ってきた彼女。

精霊の力にも目覚めてなかったくせに、心底バカだと彼は思う。

この程度、自分一人でもきっとどうにかなったのだ――
精霊獣ディアバウンドの力があれば。


だが、出会ったばかりの盗賊一匹を追って躊躇なく奈落の底へ飛び込んだ女の姿が、バクラの脳裏に焼き付いて離れなかった。

まるで、闇の底へと沈んでいく宝を、夢中で掴もうとするような。


「……バカだな、オマエは」

英瑠を抱き締めたまま、バクラはそう吐き出した。

呼吸するたび体中が悲鳴を上げる。

全く動けないというわけではないが、この深い奈落の底から這い上がるのはだいぶ骨が折れる気がした。
バーもほとんど残っていない。
回復するにはそれなりの時間がかかるだろう。


バクラは深い息を吐き、それからようやく英瑠の身体を解放した。

「だいじょうぶ、……?」

その場で正座をした英瑠が、不安そうにバクラに問い掛ける。

「少なくとも死んじゃいねえな」

軽口を叩く。
英瑠はそれには答えずに、キョロキョロと辺りを見回すと、おもむろに立ち上がった。

彼女が背を向け、何かを拾いに行くような足取りでその場から離れる。

どうやら、彼女はほぼ無傷らしい。

心底化け物だ、とバクラは思った。


彼女の姿を改めて見てみれば、その精霊……もしくは魔物か? ……が、はっきりと見て取れた。

ディアバウンドや他の精霊のように所持者の肉体から離れて浮遊するタイプではなく、直接彼女の身体を覆うようにそれは揺らめいている。

鋭い爪を生やしている四肢。
縞のような模様を浮かべながら、白くぼんやりと光る体躯。
彼女の何倍も大きな身体。

まるで、獅子のような、猫のような――
少なくとも、バクラが今まで見たどんな動物とも違っていた。

そしてバクラは、『それ』の存在についてふと違和感を覚える。
それは魔物というほど禍々しくはないが、精霊と言い切るのも少し違う気がしたのだ。

得体の知れない、モノ。

だが彼はとりあえずそれを精霊だと仮定することにした。
どの道今はそんな事を考えている場合ではないのだ。


一方の英瑠は、遠くで二つ何かを拾い上げるような仕草を見せ、それからバクラの元へと戻ってきた。

その手にあったモノは――


「っ、千年リング……!」

「見つかって良かった。
落ちたのは見てたんだけど、掴む余裕無かったから」

彼女のもう片手には、その魂とも言うべき得物、戟がしっかりと握られていた。

「これは最後の最後まで握ってたんだけど……
もうぶつかるってなった時、バクラが精霊獣で助けてくれたから手放しちゃった」

少しだけはにかむような表情を見せた英瑠は、まるで気心の知れた家族に話しかけるような自然さでもってバクラに語った。

そういえば、よそよそしい敬語をやめろと彼女に言ったことをバクラは思い出す。


「……それがオマエの精霊かよ」

未だ存在し続ける彼女の精霊を見て、バクラは言った。

「どうやらそうみたい」

「つーか……、明かりがわりに出しっぱなしにしとくのはいいが、バー削られんぜ。
ぶっ倒れないよう気をつけな」

「それが……、
どうやったらしまえるかわからないの」

「はァ!?」

バクラは思わず頭痛を覚え、ため息を一つつくと、そのまま寝転がった。

正直座り込んでいることさえしんどかった。


「バクラ……大丈夫?」

「さぁな」

慌てた彼女が戟を地面に置き、バクラの前に腰を下ろす。

「……情けねえと思ってやがんだろ」

舌打ち。

無様な姿を彼女に見られるのはしゃくだったが、今は少しでも体を休めてバーを回復させるのが先決だった。

「バクラは、すごい人です」

ぽつり、と彼女から漏れた言葉。

「そりゃあどうも」

軽口で返す。

それから、この地の底からどうやって脱出してやろうかをバクラが考え始めた時だった。


「っ、おい! なにす、」

英瑠の手が不意にバクラの頭を持ち上げ、それから下ろした。

わけがわからずに身じろいだバクラの頭の下に、優しく敷かれたもの。

「っ、……!!」

先程までの、固い地面とは全く違った感触だった。

ある程度の高さがあって、暖かくて、ほどよく柔らかくて――


「……今はこんなことしかしてあげられないけど……、
それでも、地面よりはマシかなと思って」

「な、」


折り曲げられた英瑠の膝。

それを枕にするように、寝転ぶバクラ。

「ふざけんじゃねえ、おま……、」

吐き出しかけた声は、額に当てられた手によって雲散霧消した。


柔らかい女の手。

暖かい、生きている人間の温もり。


「……、ケッ」

バクラはそれきり何も言えなくなって、黙り込んだ。


女に入れ込むなど――

先刻固めたばかりの決意が、胸を僅かに刺して自己主張する。

わかっている。それはわかっている。

あの血濡れのナイフのような決意は嘘ではない。
甘さを捨て、復讐だけを見据え、抑えきれない衝動は全て肉体的欲求のせいにして、全てを嘲笑い、たとえ彼女を踏みつけにしたって――

それはきっと間違いじゃない。

あの忘れられない惨劇を思い返す度に噴き上がるドス黒いものだけが、何より大切で、揺らがぬ真実だ。


だが、それでも。


今はいい。今だけは。


飢えた獣が狩りの合間に眠りにつくように、今だけは。

英瑠という女の膝の上で、眠りにつくのも悪くないだろう――


それきり、バクラの意識は闇へ落ちていった。


悪夢は見なかった――――



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