ファラオに仕える六神官。
その中で、千年錫杖と千年錠を所持する二人の男。
神官セトと神官シャダ。
彼らは今、兵を引き連れて町へ来ていた。
未だ行方がわからない、盗賊バクラを捕えるため――
また、その脅威から民を守るため――
というのが表向き。
実は神官セトには、ファラオにも隠している目的があった。
それはつまり、千年アイテムの力を使い、人々の心の内を覗き――
『素養』がある者を捕らえ、それらの魔物を強力な兵器として開発すること。
盗賊バクラの精霊は、憎しみの心によって強大な力を得たという。
ならば、権力を使い、捕らえた者たちに究極の苦痛を与えれば良い――
そう考えたセトは、共に町へ出向いた神官シャダを上手く言いくるめ、魔物狩りを推し進めたのだった。
そして。
「し、神官さまぁ〜!! そいつを捕まえてくだせぇ!!」
唐突に響く男の声。
罪人や刃向かう者たちを捕える神官セトとシャダは、何事かと視線を向けた。
「何だ! 騒々しい!!」
きつい口調で吐き捨てたセトは、すぐさま彼らの方へ向かって走ってくる謎の人影に気付く。
「そ、そいつは泥棒でさぁ〜!」
その背後から、再び声を張り上げる男の姿。
瞬時に何が起きたか悟ったセト――
だけではない、衛兵たちは、瞬時に人影の行く手を阻み、驚いたように足を止めたその人間に武器を向け、逃げ道を塞いだ。
「……!」
「そ、そいつがワシの店のモノを盗みやがったんでさ……! ぜぇ、はぁ……!」
遅れて追いついてきた店主が息を切らせながら状況を説明する。
「本当か!」
「お前っ、顔を見せろ!!」
兵士たちがいきり立つ。
盗人は顔を隠すように、フードを目深に被っている。
身長は兵士たちよりも小さい――
まだ子供か、それとも。
ゆっくりとした手つきでフードに手をやる盗人。
兵士達がその動きを警戒し、武器を持つ手に力を込めた時だった。
「ッ、女」
はらり、と脱ぎ捨てられたフードの下には、女が居た。
それも、異国から来たと思われる、白い肌の女。
女は無言でため息をつくと、観念したように装飾品をひとつ、ポイと放り出した。
「こいつ……! 油断もスキもありゃしねえ!」
肩で息をする店主が声を荒らげる。
(盗人、か――)
セトはまるでゴミでも見るような目で、盗人の女を見下した。
この神官の目の前で盗みとは。どうしてくれようか。
そうセトが考えた時だった。
念のためにとでも思ったのか、半ば条件反射で千年錠を盗人の女に向けたシャダが、震えて硬直していた。
「どうした、シャダ」
「っ、この者……っ!
見える……! この者の中に宿る、激しい力……
魔物……、いや、精霊か……!?
なんだ、これは……!! け、もの……!」
シャダは目を見開き、まるで化け物でも見るような目つきで女を見つめていた。
黙ったまま、抵抗することもなくその場に立ち尽くす女。
「どういうことだ……、」
千年錠を所持するシャダでさえ、魔物か精霊か判別出来ないなどと。
だが、強い力があるというのであれば迷う必要はない。
手に入れるだけだ。
何という僥倖か。
この女からカーを抽出すれば、王国の戦力を増強することが可能になる――!!
セトは、暗い欲望を押し殺し表情を変えぬまま、シャダを落ち着かせると、兵士に告げた。
「連行しろ!!」
**********
話は少し遡る。
神官マハードとの一戦のあと、何とか王墓を抜け出したバクラと英瑠は、警備兵の監視に気をつけながら身を潜ませていた。
そんな中、英瑠が発した言葉。
「バクラ……
私、ちょっと修行に行ってきます」
は? という顔で彼女を見るバクラをよそに、英瑠は愛用の得物をずい、と彼に突き出すと、預かっててくださいとお願いした。
ますますわけがわからない。
訝しむバクラに、英瑠は言った。
ようやく精霊のようなものが出せたはいいが、なかなか消せなくなった。
それで今度は
そう――自分はまだ、己の意志で精霊を出したりしまったり出来ないのだと。
だから修行してくるのだ、というのが英瑠の論理だった。
何でも、神官の一人が死に、盗賊バクラの行方がわからないとあって、王はとうとう町に軍隊を配備することにしたらしい。
そして、神官。
王に仕える神官の何人かが町に出てくるという噂を、彼女は聞きつけたのだ。
神官の持つ千年宝物――それは、物によっては、人間の魂に潜んでいる精霊や魔物を半ば強制的に引き出すことが出来る。
もし、それが本当なら有難い、と。
なにしろ英瑠はあれ以来、一度も精霊を呼び出せていなかったのだから。
ゆえに彼女は、あえて神官に近付いて、力を再び覚醒させるきっかけにするのだと語った。
可能であれば、そのまま捕まって、王宮を中から襲うことも――
ずさんな計画だった。ざっくりとしすぎだった。
当然バクラは反対した。
そもそも、精霊や魔物を引き出されてしまえば、神官の持つ千年アイテムの力によって石版に封じられてしまい、自分の力ではもう精霊や魔物を呼び出すことが出来なくなってしまうのだ。
だが英瑠は大丈夫と言って、まるで人質のごとくバクラに得物を押し付けると、単身城下町へ向かってしまったのだった――
**********
「…………」
セトの目の前には、女が倒れていた。
(また肌の白い女か)
先程捕らえた、異人の盗人女よりもさらに白い肌。
そして、青い眼。
ふてぶてしくも憮然と立ち尽くしていた先の女とは違い、こちらの女はひどく衰弱していた。
女はずぶ濡れで弱々しく息を吐き、その周りには石がいくつも落ちている。
何が起きたかは一目瞭然だった。
苛立ちがセトの全身を支配する。
「肌の色ごときで弱者に石を投げつけるなら……
本当の身分の差というものを貴様らの肉体に刻みつけてやろうか!!」
一喝。
身分が上の者には媚びへつらい、下の者にはいくらでも居丈高になる。
民衆とはそういうものだ。
だからこそ、強固な権力を以て統制しなければならない。
そこに綻びがあっては、ならないのだ。
セトは思わず熱くなる頭を、奥歯を噛んで落ち着かせた。
「こ、これは……!」
千年錠を構えたシャダが驚愕の表情を浮かべている。
既視感。
「この者の
まさか。冗談にしてはたちの悪い。
だが、それは決して冗談ではなかった。
「見えます……!
この者の心に宿る、凄まじい力を秘めた
白き龍の姿が……!!」
セトは内心ほくそ笑んだ。
まさか一日で、強大な力を宿す者が二人も見つかるとは――
万能感が彼を支配する。
これならば。これならば――
セトはそれから、衰弱した女を静養させるため囚人棟ではなく離宮の部屋を与えるよう、部下に命じた。
この女は回復に時間がかかるだろう。
何をするにしても、今日は無理だ。
まずは……そう。
先程捕らえた盗人の女の方だ。
セトはそう考えて。
それから――
**********
英瑠の身柄は囚人棟へと連行され、拘禁されていた。
まさかの個室。
数少ない女囚たちからも引き離された彼女は、薄暗い地下牢の一室に押し込められていた。
英瑠はふふ、と笑みをこぼす。
神官や千年宝物に近付くためにわざと捕まってみようと考えたが、まさか普通にうまくいくとは。
あの神官――英瑠に錠を向け、驚愕していた神官。
彼は夢にも思うまい。
数日前、バクラと共に王宮を襲撃し――
僅かな間ではあるが、一旦は千年錠を奪った人間の正体が、まさか目の前に居るチンケな盗人だとは。
あの時バクラは何故か、顔を晒すなと英瑠に念押しした。
もしかしたら彼は、こういう状況を薄々想定していたのかもしれない。
バクラ。
盗賊王を称する彼。
孤高で、圧倒的で、自信満々で、凄烈で――
そして、その背中には悲壮なものが宿っている。そんな、少年。
彼の諌めも聞かず、半ば人質代わりに得物を押し付けて飛び出してきてしまって、悪いことをしたなと英瑠は思う。
だが、英瑠は強くならなければならないのだ。
今より、もっと。
バクラを追って奈落の底へ飛び込んだとき、運良く精霊だか魔物だか――
とりあえず、自分の中に居るものは『出てきた』。
しかし、それだけだった。
再び出現させる方法が分からない。
出現させる事が出来なければ、動かし方もわからない。
バクラは、冗談か本気か、憎しみの心が強くなるたびにディアバウンドは強くなったと言っていた。
どちらにしても本来は、魂の鍛練を重ねなければ強い精霊を宿す事は出来ないのだ。
だが悠長にコツコツと気長に訓練している場合ではない。
時間がないのだ。
戦の趨勢が決してから、ようやく武具が揃いましたと意気揚々と戦場に馳せ参じたところで、手柄など立てられるわけはない。
せめて、無理矢理でもいいから、再度『あれ』を引っ張り出してもらえれば――
あの千年宝物とやらの力で。
加えて、英瑠がわざと己が身を危険に晒すようなことをしたのは、千年宝物に近付くためだけではなかった。
彼女には確信があった。
バクラを助けようと穴に飛び込んだ時の焦燥感のように。
命の危険を感じた時に発揮する火事場の馬鹿力のごとく、死の淵ぎりぎりまで、己が身を追い込めば、あるいは――
そのためには、バクラの側でぬるま湯に浸かっていてはいけないのだ。
自らを丸ごと一個、敵の只中に放り出さなければ。
英瑠はそんなことをじりじりと考えながら、半ば焦りつつもこれからの算段を頭の中で練り始めた。
それはまるで、手柄を得ようと焦る駆け出しの若武者のように。
もしくは、権力者に睨まれて、武功を立てなければ文字通り首が危ないという哀れな武将のように。
人の気配。
コツコツと牢へ近付いてくる数人の足音。
「盗人風情が独居房だなんて、神官サマは何を考えておられるのやら」
「まずいって、こんなことが神官様にバレたら……」
「構いやしねえ、まだしばらくここには来ねぇだろうよ!」
「若い女の罪人なんて久々だぜ、こんな機会は滅多に無ェ……!」
英瑠は奥歯を噛んで、込みあがってくる笑いを押し殺した。
随分と自分も悪人になったものだと思う。
これもバクラの影響かもしれない。
そう考えたら、さらに笑いそうになって、彼女は慌てて咳払いをして頭を振った。
そして――
**********
バクラは苛立っていた。
「あんの女……!」
英瑠。
彼女はまるで、近所の商店街へ買出しにでも行くような軽い足取りでもって、バクラの元から去っていった。
ちょっと修行してくる――などというふざけた台詞を吐いて。
その瞳がやけに真剣だったものだから、救えない。
彼女が手にしていた戟という長柄武器――やたらと重かった。
その辺に打ち捨ててやろうかとバクラは何度も思った。
だが、本来それは戦利品であり、人質である。
手に入れた宝をみすみす放り出すなど、ファラオの前で嫌がらせのように皮肉めいて巻き散らす時でもなければ、盗賊としての矜持が許さなかった。
バクラは苦労の末、彼女の長物を何とか岩陰に隠す――
その前に。
彼の胸元で揺れる千年輪。
神官マハードから奪った戦利品。
その宝物には、形あるものに所持者の念を封じる能力があった。
バクラは憮然とした面持ちで、英瑠の戟に己の念を封じていく。
こうしておけば、万が一場所が分からなくなっても千年輪の探知機能を使って戟を発見できるはずだ。
そして、もうひとつ――
英瑠という女が、この得物を再び手にしたら。
もう二度と、勝手にどこへも行かせないように。
どこへ行っても、その居場所が分かるように。
下らない執着だ、と彼は思う。
だが、己の手駒だと……所有物だと思っていたものが、己の思惑を外れ、予期しない動きをするのはもう懲り懲りなのだ。
帰ったらとっちめてやる。
獣の女が宿す精霊と、千年宝物の一つであるリングはどちらが強いか?
試してみるのも悪くないだろう。
リングの力を使って、身動きを封じて、それから――
ざわり。
彼女の白い肌がバクラの脳裏に浮かぶ。
あの身体を再び組み敷いて、胸元を引き裂き、欲望のままに無理矢理――
「……ハ、」
くだらねえ、……口の中で呟いた。
どうも彼女のことを考えると頭がおかしくなりそうになる。
千年アイテム所持者でなければ抗えないリングの力を、昏い欲望を吐き出すために彼女に使うと考えただけで、全身に震えが走る。
それは期待という名の甘い毒だ。
己の力を疑わない英瑠という女をさらに強い力で蹂躙したら、彼女はどんな顔をするだろうか。
抗えぬ力で押さえつけ、嫌がる彼女の身体を無理矢理暴いて犯し、泣き叫びながら揺れるその胸に精霊獣の爪を突き立てたら、さすがの彼女も死ぬのだろうか――
ざわり。
何だ、今の想像は。
バクラは強制的に思考を打ち切った。
それから彼は、己の下半身に血液が集まっていることに気付き、戦慄を覚えた。
復讐対象やそれを邪魔する者たちだけではなく、今一番近くに居る味方でさえ、殺したいと思っているのか――!?
何かが、おかしい。
これが、千年輪に宿る邪念を吸収し更なる力を手に入れた代償なのかもしれない、とバクラは考えた。
リングに潜むドス黒い闇が、バクラを煽るように急かしている。
殺戮を求める衝動。邪悪な力。
そうか。
それならば、仕方ない。
これが力の代償だというのなら――
いや。
いいや。
否!
勝手に決めつけてんじゃねえ!
彼女に対して抱く少しだけ甘い仄かな執着心を、勝手に背後から覗き込んでいる、邪悪な闇。
確かに、たった一人の女にうつつを抜かしていることは認めたくないと思う。
しかしだからといって、それを否定する為に千年輪の邪悪な力を使うのは、やはり『違う』!
それがバクラの正直な気持ちだった。
ドス黒く暴虐的なものを彼女に向けたいという衝動。
しかし一方で、それをしたくないと思う心。
バクラは最後の情けを動員して、ひとまず英瑠のことは考えないことにした。
きっとその方がいい。
これ以上彼女について考えたらろくなことにならない気がした。
こんなことをしている場合ではない――
城下町が視界に広がる。
まずは腹ごしらえだ。
気力は十分だが、再び王宮に戦を仕掛けようという時に空腹では話にならない。
ならず者が集まる酒場。
英瑠が置いて行った、王墓の盗掘品の一つを手に取る。
「これでありったけの喰いモン持って来い……!!」
王宮惨劇の第二幕は、ここから始まる。