「墓荒らしから墓所を守るために警備班を増員し監視体制を強化せよ!」
先代ファラオ、アクナムカノンが葬られていた王墓。
盗賊王を称するバクラによって暴かれた、その墓。
一旦は奪われた王の遺体は、納棺の儀のあと再び王墓に埋葬された。
盗賊バクラと、その仲間と思われる人間のたった二人による王宮襲撃――
それは王や神官、兵士たちに強い衝撃を与えるものだった。
彼らは何としてもバクラを捕えようといきり立ち、警備の兵を増やして警戒に当たっていた。
そして、バクラが再び王墓を襲いに来るのではないかと危惧もしていた。
そんな中。
「マハード様……!」
神官マハード。
千年輪を所持する者。
王墓警護隊長でもある彼は、自ら王墓へ出向いて警護班の陣頭指揮を務めることにしたらしかった。
ざわめく兵士たち。
「よいか!
夜明けまでは神官マハード様が自らアクナムカノン王墓の警護をなさる!!
野犬一匹この聖なる場所に近付けるでないぞ!」
――それを密かに岩陰から覗き見る、二つの影。
「へぇ……神官がねぇ」
数日前、大胆にも王宮を襲撃した男女二人。
盗賊のバクラと、その『武器』である英瑠だ。
「神官がまだ兵士たちと何か話しているようですが……声を潜めているためか、さすがにここからではわかりません。
ごめんなさい」
「神官一匹でやって来ただけでも御の字だ。
問題ねえよ……ククク」
崖下の様子を伺いながら声を潜める英瑠の横で、バクラは不敵な笑みを浮かべていた。
バクラは、未だ敵の一挙手一投足に注目している英瑠を、横目でチラリと見遣った。
――何かに集中している時の英瑠は、まさに獣のようだとバクラは思った。
人並み外れた視力や聴力もそうだが――
今のようにこうして息を潜めている時など、一切の気配を感じさせないのだ。
まるで、肉食動物が獲物を狙っている時のような。
視線を下へ滑らせる。
彼女が手にした、戟とかいう長い得物。
体格に不釣り合いなその武器は、まさに彼女の爪、あるいは牙のように身のこなしに馴染んでいるし、『それ』を含めて英瑠という一個の獣なのだと、周りに錯覚させるような説得力さえ持っている。
心底奇妙なものだ、とバクラは内心嗤った。
だがその奇妙さが不快ではない。
獣じみている部分も多いのに、ひどく人間らしい部分もある。
それも、女。人間の若い女だ。
白くて柔らかい肌の。
直接触れてやるまで、傍らに居る若い男を全く警戒しない、無防備な女。
その身体に触れて初めて、ああそういえばこのひとは年頃の異性だった、と思い出したような表情でバクラを見る英瑠。
なんだそりゃ、遅ェよ、気付けよ、と度々バクラは叫び出したい気持ちになる。
まるで、人間からどういう目で見られているかなど知りもしない猫が、無警戒で飼い主の側で腹を出して寝転び、それを微笑ましいと思った飼い主が撫でようとしたところで、何をするんだと慌てて飛び起きるような――
馬鹿馬鹿しい、とバクラは小さく舌打ちをこぼした。
女に――
それも、半人半妖だの別の世界から来ただの武将だのという妙な異人の女に、うつつを抜かすなど。
彼女の肌はひどく手触りが良かった。
その温もりは人間だか獣だか知らないが、確かに吸引力のようなものがある。
心の中に巣くう怒りや憎しみを原動力に、まるで繊細な造りの華奢な宝物を握り潰すような嗜虐心でもって、彼女の胸に手を伸ばした時――
自身の生理的な本能が疼いたのは、錯覚かもしれないと彼は初め思った。
だがそれは錯覚ではなかった。
荒っぽい軍の中に居たのに男を知らないと仄めかし、あげくバクラに惹かれ始めていると告白した女――
悪い気はしなかった。
心の中にある歯車が、カチリと音を立てて動き出したような気がした。
それから、バクラの腕の中で、まるで抱き上げられた子犬のように縮こまる英瑠を見て――
気付いた時には唇を塞いでいた。
それは男としての肉体的な欲求と、それだけではない精神的な何かがごちゃまぜになった奇妙な感覚だった。
その『何か』を、バクラは知りたくないと思った。
その『何か』の正体に、気付きたくないと思った。
しかしもはや遅いのかもしれない、と彼は思う。
英瑠と名乗る女を、冗談めかして茶化した時――
半ば嘲笑じみた気持ちでふざけて彼女に絡んだだけなのに、それがひどく心地良いと思ってしまった。
くるくる変わる彼女の表情や反応を見ていると、不思議ともっと構いたい気持ちにまでなってくる始末だ。
とあるオアシスで、英瑠が全裸で泉に潜っていたのを見た時などは、心がざわめくのを自覚した。
彼女がそのまま水中で身じろぎ一つせず、待てど暮らせど上がって来ないものだから、背筋が冷たくなった。
――気付いた時には、水の中から彼女を夢中で引き上げていた。
生きていた、という安堵。
同時に、ふざけんな、とカッとなる頭。
そんなバクラの心持ちさえ知らずに、キョトンとした顔でズレたことをほざく女。
ただでさえ白い肌がもっと青白み、唇はわななき呼吸も荒くなってるくせに、そんな自分の異変にすら、遅れて気付いたような間抜けな人外女。
それも、全裸で。
心配させやがって、という気持ちを瞬時に気の迷いだと打ち消した。
背筋を走った喪失の恐怖のような感覚は、手にした宝を失う怒りのような感情だろうと思い込んだ。
あとに残ったのは、生理的な欲情と、それと――
気付いた時には彼女の唇を塞いでいた。
僅かに残った理性で敵襲の可能性を考慮して、人目から隠れようとして、それで――
英瑠を押し倒した時、全ては雲散霧消した。
何も考えられなかった。
彼女を貪ること以外。
敵の来襲で英瑠が飛び起きなければ、あのまま彼女を犯していた。
たとえそれが、半ば獣じみた女だったとしても。
その女はきっと、バクラの下で、身をよじり、淫らな声を上げ、白い肌を晒しながら――
とんだ罠だ、とバクラは思った。
まるで、踏んだ瞬間、足を挟んで獲物を捕える仕掛け罠のような。
バクラは小さく舌打ちをして、下らない回想と妄想を頭から追い出した。
想像に刺激され、疼き始めた下半身。
これは本能的なものだから仕方ない。
その肌に触れたいと思うのも、甘い声で啼かせたいと思うのも、男としての本能から来るものだから仕方ないと、全ての感情と理由をそこに無理矢理押し込めて彼は自分を納得させた。
そこまで女に飢えているつもりはなかったのだが、と自嘲する気持ちを封じ、それから。
あとは全て彼女が悪い。
若い女のくせに無防備で、力があるくせにバクラを本気で拒まない英瑠が。
それでいい。
そう思わなければ生きていけない。
身勝手な論理。それは薄々分かっている。
だが、それでも。
制御出来ない想いが噴き出してしまったら、きっと後悔する。
彼女を失うことを怖いと思ってしまう。
いつかの夜のように――
彼女を、あの冒涜的な夜のように、残虐に奪われることがあったとしたら――
怖いものなどもはやこの世には無い。
無いはず、だ。
無ければ、ならない。
あるとしたら、目的を遂げられずに滅ぶことくらいだ。
目的――復讐。
全てを失った持たざる者の、全人生を賭けた復讐劇。
それだけでいい。
この盗賊王、バクラという人間に有るのはそれだけでいい。
他のものは何一つ要らない。
惹かれているのは、肉体的な欲求がそうさせるから。
まるで、飢えた体が御馳走を求めるように。
それで、いい――
バクラはそう考えて、眼下の神官が、王墓の中へと消えていくのを待ったのだった――
**********
「貴様を待っていた……バクラ!!」
一度は暴かれた王墓で、彼は盗賊王たちを待ち受けていた。
細長い通路。
その両側は床が無く、闇を湛える深い穴となっている。
そこに立ちはだかる、たった一人の神官。
マハードと呼ばれる男――千年輪の所持者。
英瑠はバクラの背後で、対峙する彼らのやり取りをじっと観察していた。
「っ、女……だと……!」
マハードの視線が、バクラの後ろに居た英瑠を捉える。
彼女は今回、顔を隠してはいない。
神官マハードをここで確実に葬るゆえ不要というバクラの判断だった。
不意に、彼らの背後で地鳴りと共に岩を転がしたような音が響き渡る。
閉じ込められた、と気付くと同時に英瑠は入口の方を振り向き、それから判断を仰ぐようにバクラの方を伺った。
だがバクラは、そんなこったろうとは思ったぜ、と吐き捨てて不敵な調子を崩さず、マハードを茶化すように食ってかかっていた。
「果たして私に勝てるかな……」
「何!!」
たった一人でバクラたち二人に立ち向かうマハード。
もっとも、この王墓の構造上、王宮での時のように側面から回り込み不意をつくことは出来ないのだから、英瑠がどの程度役に立つかは怪しいものだが――
マハードは語る。
千年リングには邪悪な力が宿っていること。
よほどの魔力の持ち主でない限り、千年リングを身につけた者は一瞬にして魂を焼かれること。
そして、バクラには千年リングを操ることは出来ないと――
「そいつはどうかな!!
ディアバウンド!!」
バクラが吠え、彼の精霊獣が姿を現す。
王宮襲撃の時とは違う姿。
常に進化し続ける、バクラの『武器』。
「邪魔だ! 下がってろ!!」
振り向かずに吐き捨てられるバクラの言葉。
無力さを噛み締め、英瑠は彼ら精霊使い達から距離を取った。
「ならば私も魔力を解放させてもらう……
いでよ我が精霊!! 幻想の魔術師!!」
こうして、2体の精霊が、激突した。
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bkm