王宮。
その、権力の象徴とも言える中心地で。
ファラオの配下である神官の一人……
紅一点であるアイシスは、不穏な未来を感じていた。
「邪悪な影がこの宮殿に近づいて来る……
凄まじい
彼女、神官アイシスの首に光る千年タウク。
未来を見通す力を備えた、千年アイテムのうちの一つ。
彼女の発言に、周りにいた王や神官たちがにわかに色めき立つ。
「これは……まさか二つ……!?」
アイシスの額に嫌な汗が浮かぶ。
「っ、私の千年輪が強大な闇の力を感知しています」
神官マハードの胸で輝く千年輪。
迫り来る力に反応した5本の針が、指針のように方向を指し示す。
そして。
「大変です、バクラと名乗る墓荒らしが王の間に近づいて来ます!」
「バカな……! 衛兵は何をしておる!!」
王と神官たちに対峙するは、邪悪な侵入者――
力と力が今、激突する。
**********
英瑠は王墓から手に入れた服を着込み、先日バクラから貰った大布で顔を覆っていた。
眼しか見えないその姿は完全に暗殺者といった出で立ちで、彼女の顔や性別は一見わからない状態になっている。
王墓を荒らしたあと、先代の王の亡き骸と沢山の宝物を携えて、彼らは堂々とやってきたのだ。
王宮。
バクラが憎んでいる、現王が鎮座するこの場所へ。
「王宮に踏み入るとは貴様ら何者だ!!」
衛兵の目が怪しい二人の姿を捉えたらしい。
それもそのはず。
かたや派手な赤い外套を纏う男と、かたや顔を隠した性別不詳の人間。
どこからどう見ても怪しいのだろう。
男の方は、褐色肌を惜しげもなく晒しながら、全身にこれでもかというほど豪華な宝物を纏っている。
手には縄を持ち、その先には墓から奪って来たと思われる、包帯巻きの遺体が痛々しく繋がれていた。
武器は無い。
両手が縄と宝物で埋まっているからだ。
もう一人は、頭から脚まで全身を隠し、極力露出を抑えている、やや小柄な人間。
やけに着膨れたシルエットからは性別さえ判別出来ず、唯一垣間見える手はやけに白く――
その手には、冗談かと思うような物々しい長柄武器が握られていた。
鈍く光る肉厚の刃。
こんなものを振り回したところで反動に耐えられず体を持っていかれるのがオチだ、と周りに思わせるような代物だった。
男――バクラが口を開く。
「なぁ……、王サマってのは黄金を身に纏ってんだろ……
ならオレ様も王っつうわけだ!
王は王でも盗賊王だけどなぁ!!
クックック……」
英瑠は予めバクラから、肌と顔を晒すな、口も聞くなと念押しされていた。
当のバクラがこの堂々たる有様なのだから、今更何を隠す必要があるのかと訝しんだ彼女だったが――
とりあえず、バクラの言う通りにすることにしたのだった。
たった二人で王宮に襲撃をかけるなど、まさに狂気の沙汰――
周りの誰もがそう考えていたのだろう。
だから兵士たちは二人へ、躊躇いなく刃を向けた。
その力を知らないから。
恐怖で足が竦むことも無く。
兵たちの得物が、彼らを捉えようとした瞬間――
暴虐の嵐が一閃となって炸裂した。
英瑠と呼ばれる半人半妖が振りかざした戟が、間合いに入った衛兵たちを薙ぎ払う。
辺りに飛び散る、ありとあらゆるもの。
兵たちが怯んで硬直する。
彼女が動く。獣のような俊敏な動きだった。
二の閃。
弧を描いた刃の切っ先が一瞬で命をもぎ取っていく。
バクラはというと、それに視線を遣ることもなく、王宮の中へと歩を進めていった。
慌てるわけでもなく、まるで行きつけの店に出向く時のような平然さでもって、ゆったりと。
前方に立ち塞がる、別の兵たちを難なく打ち倒して。
あらかた兵士を排除した英瑠が周囲を確認し、小走りでバクラに合流していく。
「ば、化け物」
戦意を喪失し、その場にへたり込んだ若い兵士の一人が呟いた。
先を行くならず者二人の視界には、もはや彼の姿など入っていなかった。
「ぐわあぁっ」
「ぐふっ」
前王の亡骸を引きずるバクラと英瑠は、行く手を阻む衛兵たちを薙ぎ払いながら王宮の奥へと進んで行った。
ふとバクラが立ち止まり、背後の英瑠を少しだけ振り返る。
「オマエはここで後ろを見張ってな。
増援が来たらブチのめせ。
囲まれないよう気をつけろよ」
英瑠はコクリと頷いた。
バクラが先へ進んで行く。
彼を背中で見送って来た道を振り返った英瑠は、兵たちの増援が来てもバクラの元には行かせないというように、王の間へと続く通路に立ちはだかって静止した。
響く足音と、人間たちの気配。
宮殿への侵入者を排除すべく、集まってくる敵兵。
「敵は一人か!?」
「いや、もう一人居るはずだ!」
「こいつを倒して追うんだ! 王の身が危ない!」
英瑠は思い出す。
いつかの雪の降る城での激戦を。
あれに比べたら、こんなもの戦のうちにも入らない。
宮殿内を守る兵士たちは飛び道具も持っておらず、気候のためか鎧すら着込んでいないのだ。
気になることと言えば、自らの体に纏っている布がやたらと暑く、その下に仕舞われているモノたちがやたらと邪魔ということだけ――
そんなことを考えながら、英瑠は息を吐いて戟を構えた。
続々と集まって来る衛兵たちの無数の槍と、獣の女のたった一本の戟が交差する――!
**********
「やっと王の間にたどり着いたぜ……」
王の間。
そこに居るのは、玉座に着くファラオと、それを守るように立ちはだかる六人の神官たち。
たった一人の侵入者を鋭い目つきで睨めつける彼らの前で、バクラは身にまとった数多くの宝物を派手にぶちまけた。
「ホラよ……今さっきオレ様が荒らしたアクナムカノンの墓の宝モンだ!!」
まるで、戦利品を見せびらかすように。
神官たちは声を上げるでもなく、その光景をじっと見つめていた。
「ついでに棺の中身も連れて来たぜ!
もっと気のきいた罠を張っておきなぁ!」
――嘲笑う。
「アクナムカノン王の墓を荒らした者か!!」
側近から声が上がる。
前王の亡骸を現ファラオの眼前に放り出せば、神官たちと王が息を呑む気配がした。
「千年アイテムを頂きに来たぜぇ……」
「何!」
千年
「てめえらオレ様を裁けるかぁぁ!
えぇぇ!? 盗賊王バクラ様をよぉぉ!!
ヒャハハハハ!!!」
強大な力を宿す千年アイテム。
その力があるおかげで、争いの絶えなかったこの国は平和と繁栄を手に入れた。
千年アイテムと、それを身に付ける六人の神官たちの前では生身の人間の武力など無意味。
まさに一騎当千の力。
だがその『力』を手に入れるために、何を犠牲にしたかは誰も知らない。
今、呑気に玉座に座っている若き王さえも。
ふざけた話だ、とバクラは思う。
王の権力で踏みにじった数々の命を、歴史と共に葬って無かったことにしようとしている。
それだけではなく、その呪われた儀式によって生まれた七つの宝物に秘められた邪悪な事実さえ知らされずに、神官たちは正義面して力を行使している。
ならば自分が、全て暴いてやる。
バクラはそんなことを考えていた――
**********
英瑠は王の間目指して集まってくる兵士たちをことごとく打ち倒し、深く息を吐いた。
人間の姿をした化け物の強さを目の当たりにし、はじめは士気の高かった兵たちも、次第にまるで巨熊に遭遇した登山者のように怯えはじめ、後ずさり、ついには逃亡していった。
たとえ訓練された兵であっても、やはり人ならざる者の存在に本能的に危機感を覚えたのかもしれない。
英瑠は振り返り、王の間へと走り出した。
宮殿の奥から感じる異能の気配。
バクラのディアバウンドだけではない。
それ以外にも、いくつか。
空気を震わせる人を超えた『何か』。
カーと呼ばれる、精霊や魔物の存在。
それらの存在を、ご丁寧にもバクラは英瑠に教えてくれた。
バクラのディアバウンドを見ただけでもわかったが、とんでもない力だと思った。
あんなものがいくつも居たら、戦のあり方がまるで変わってしまうだろう。
音もなく走る英瑠の足が王の間にさしかかる。
バクラの背後に控える彼の精霊獣、ディアバウンド。
対峙するは六人の神官たち。
奥の玉座には王と側近。
そして、それらを遠巻きに包囲する衛兵たち。
英瑠は敵に見つからないよう咄嗟に柱の影に身を滑らせた。
息を潜めてバクラの背中と、その向こうに居る人間たちの動向を伺う。
辺りに砕けた石版が散乱しているのを見ると、既に一戦交えた後なのだろう。
「ククク……アクナムカノン……
なにしろよぉ……こいつが千年アイテムをこの世に生み出した張本人だからなぁ……」
バクラの声が聞こえてくる。
英瑠はあらためて、バクラの身の上話を思い出してみた。
盗賊を生業とする村に生まれたこと。
まだ言葉さえ覚束無い幼少時に、彼以外の村人は虐殺され、魔術的儀式の生贄にされてしまったこと。
それを主導したのは当時の王、今は物言わぬ屍となってバクラに王墓から引きずり出された先代ファラオ――
そして、その血塗られた儀式から生まれた千年アイテム。
七つの宝物には人知を超えた力が宿っており、持ち主に力を与え、そして――――
「アクナムカノン王は争いの絶えぬこの国に千年の静寂を願い――
千年アイテムをこの世に残したのだ!」
「そうだ!
あらゆる悪! 罪人を沈黙させるべく、正義の力を宿した七つの神器を我らに与えたのだ!」
神官たちがバクラの発言に反論している。
それを嘲笑う、バクラの声。
「てめえら知らねえのか……
千年アイテムは邪悪なる闇のパワーが眠りし禁断の秘宝だっつうことをよ――
そいつを七つ集めた奴ぁー、冥界の怨霊と契約を交わすことができるんだぜ!!」
「バカな!!」
「冥界の怨霊だと……」
「クル・エルナ村……その名を聞いたことはねぇかぁ……」
バクラの背中が怒りに震えている。
英瑠は己の胸がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
彼は気付いているだろうか。
過去の惨劇について話す時、怒りと憎しみを込めながら、不敵で大胆に吐き捨てる傍らで――
その言葉に、聞く者の心を抉るような、悲痛なものが滲んでいることに――
英瑠は柱の影で、胸を押さえながら唇を噛んだ。
「今は廃墟と化したその村には隠し神殿があり……
そこには冥界の石盤が安置されている……
その石盤に七つの千年アイテムを収めた者は――
冥界より
今明かされる衝撃の真実。
神官たちはいきり立ち、石版を構えると、己の精霊と石版に宿りし魔物を召喚していく――
激突。
その光景を、英瑠は息を呑んで見つめていた。
バクラに宿る精霊獣ディアバウンド。
それに立ち向かう、様々な精霊や魔物。
人の力を超えた、圧倒的な存在。
『あれ』に生身で立ち向かって行ける人間などこの世にはいないだろう。
そして、恐らく自分も――
英瑠はそう直感し、また唇を噛んだ。
1対6。
そんな状況でも、バクラのディアバウンドは決して押されてはいない。
それどころか複数の敵を相手にしてもなお、優勢を保っていた。
今の自分に何が出来るだろうか、と英瑠は考える。
周囲に衛兵はまだ残っているが、彼らは畏れるように神官たちと侵入者の戦闘を遠巻きに眺めているだけで、彼らをここで排除する意味は無い。
精霊と魔物たちの激突。
そんな中、神官の一人に宿った精霊が特殊能力を発動する。
「幻想の呪縛!!」
「これでディアバウンドの能力『壁抜け』も使えまい……これで貴様は逃げられん!」
敵の特殊能力によってディアバウンドが拘束される。
(バクラ……!)
英瑠は考える。
精霊だか魔物だか知らないが、ここで黙って見ているだけではバクラと一緒に来た意味がない。
神官たちは、精霊や魔物を召喚しバクラのディアバウンドと戦っている。
彼らが後生大事に持っている千年宝物。
そして、それを手にする神官たちはあくまでも生身の人間だ。
ならば。
英瑠は姿勢を低くし、地を蹴った。
柱から飛び出した彼女はしかし、バクラと神官たちの前には出ていかずに、王の間をぐるりと遠回りするように、壁沿いに走った。
衛兵が彼女に気付く。
声を上げられる前に、斬った。
英瑠は走る。
ようやく神官の一人が彼女に気付き、目を疑うように注目した。
すかさず壁から離れた英瑠は、その神官の元へ向かって身を踊らせた。
同時。
「螺旋波動!!!」
バクラのディアバウンドが呪縛を振りほどき、周囲の敵も魔力の効果も一瞬で吹き飛ばす。
英瑠に気付いた神官の視線がバクラと彼女の間を交互に泳ぎ、そして――
「死ねぇぇい神官の魔物ども!!」
ディアバウンドの攻撃と、英瑠の獣のような一撃が、炸裂する――
「!!!!」
神官の一人に飛びかかり、押し倒した獣は、次の瞬間にはその場から飛びすさり、他の神官たちに反応させる暇を与えなかった。
「オマエ!」
『それ』に気付いたバクラが感心したように声を上げる。
「なっ、なんだ――!!」
スタッ、とバクラの横に着地した英瑠の手には――
千年アイテムの一つ、千年錠が握られていたのだった。
「っ、千年錠が……!!」
「奪われた、だと!!!」
「ヒャハハハハハ!!!!」
ざわめく神官たちの声と、バクラの勝ち誇ったような哄笑が王の間に反響する。
神官たちの召喚した精霊や魔物を一掃したバクラと、その隣に控える顔を隠した英瑠。
「よくやったオマエ、褒めてやるよ」
バクラが半笑いで英瑠に告げ、彼女は声を出さないままコクリと頷いた。
スキをついて奪えたのは、七つのうちのたった一つ。
まだまだ先は長い。
だが、バクラの力があれば――
英瑠が、奪った千年錠を握りしめた時だった。
「オレが闘う! お前らは下がってろ……!」
今度は神官たちを守るように立ちはだかった姿。
現在の王、ファラオ――
「王サマじきじき出陣か!
てめえもすぐミイラに姿を変えるぜ!」
歳の頃はバクラと同じくらいだろう。
英瑠より小柄かもしれない少年の、首にかけられた千年錘が光を放つ――!
ざわ、と英瑠は己の背筋が粟立つのを感じた。
『これ』はまずい、と本能が告げていた。
横にいるバクラに視線で訴えてみれば、彼も驚愕した様子で言葉を失っていた。
「三幻神――そのひとつの神、オベリスク召喚!!」
「バクラ、だめ、これは――!」
英瑠は耐えかね、隣にいるバクラに聞こえるだけの小声で話しかけた。
しかし彼は聞いていないのだろう。
「オレ様のディアバウンドで神もろとも粉砕してやるぜ!!」
バクラは退くどころか、ファラオのオベリスクと完全に対決する姿勢を見せていた。
それは、野生動物が、獲物と自分の力量を無意識のうちに測るようなものだったのかもしれない。
獣のごとき英瑠は、バクラのディアバウンドと、ファラオのオベリスクの力量の差を本能で察した。
今オベリスクと戦っても、バクラには勝ち目がない。
そう直感していた。
「正義と悪の境界線なんざ誰もわかりゃあしねぇのさ……
千年アイテム……そいつはそれを見極める……
心の羅針盤よ!」
バクラの声が英瑠の脳髄に染み渡る。
手にした千年錠から伝わる力。
たしかにただ事ではない。
その力の根源に触れることを彼女は心のどこかで拒否していた。
これも本能に近いものだ、と思う。
そんな英瑠の心配をよそに、バクラのディアバウンドと、ファラオのオベリスクが激突する――
英瑠はのちに、ここであらかじめバクラから離れておけば良かった、と後悔することとなる。
ディアバウンドの放った、螺旋波動――
オベリスクを穿ったはずのそれは、しかし全く効かなかったのだ。
「バクラ……貴様ごときの『正義』がいかにもろいか……
神の鉄槌が教えてやるぜ!!」
ゴッド・ハンド・クラッシャー!!
神の一撃がディアバウンドに炸裂する。
側に居たばかりに衝撃に巻き込まれてしまった英瑠は、咄嗟に戟で身体を庇う――
が、かわりにもう片方の手から千年錠がすっぽ抜けた。
ディアバウンドと魂で繋がっているバクラの身体が吹っ飛ばされる。
中空へ放り出された千年錠は、カラカランと音を立ててファラオの近くの床へと転がった。
「っ、」
一瞬の間。
今すぐ千年錠を拾いに行けば、間に合ったのだろう。
だが英瑠は取り落とした千年錠ではなく、バクラとディアバウンドの方に駆け寄った。
それもまた、本能のようなものだった。
ファラオの追撃があった場合に、身を呈して彼らを庇うために。
「ぐ……、」
口から血を一筋零し、苦痛に喘ぎながらも何とか立ち上がるバクラ。
追撃はない。
我に返った英瑠は、弾かれたように床に落ちたままの千年錠の方へ飛び出そうとした――
ところで。
彼女の腕をガッと乱暴に掴んだバクラが、ディアバウンドを操り、王と神官たちを見据える。
落とした千年アイテムを拾わないと、と目で訴える彼女を無視して、バクラは捨て台詞を口にした。
「なるほどな……神の力、多少あなどっていたぜ……
だが次は神を倒すぜ王サマよ……クク……」
彼の腕が英瑠の腰を引き寄せる。
神官の一人が千年錠を拾い上げ、彼女は敗北を悟った。
ディアバウンドが二人を包む――
「あばよ!」
彼の声が響いた時、後に残ったのは静寂だけなのだった――