8.罠



王墓に足を踏み入れてから、バクラはずっと集中しているようだった。

その背中には唯ならぬ気配が漂い、そこはかとなく剣呑な色彩さえ帯びていた。

英瑠は彼の背後で、それを疑問に思う。


この墓には未だ破られたことのない罠が沢山仕掛けられていること、油断したらあっけなく死ぬこと、それらを掻い潜らなければ宝物にありつけないこと――

などを、彼は予め英瑠に話してくれていた。

だが、罠への警戒心だけが本当に、今の彼を殺気立たせる理由なのだろうか。

英瑠の力を信頼して堂々と正面から王墓に乗り込むような自信に満ちた彼。
その姿を思い出すと、今の彼の様子に何となく不吉なものを感じてしまう英瑠なのであった。

「オレが踏んだ場所と同じ場所を辿って着いて来い。
その長物を壁や床に触れさせんな。死ぬぜ」

英瑠は無言で了解の意を示す。

実際、王墓の内部は暗く、通路は横に狭かった。

バクラも英瑠も松明を手にしており、英瑠などは得物とあいまって、それだけで両手が塞がっている有様だった。

だが、いざとなれば松明など不要だ、と英瑠は思った。

獣のごとき身体能力を持つ彼女は動物並みに夜目が利くし、多分それはバクラも似たようなものだろう。

彼の身のこなしはさすが名うての盗賊といった感じだったが、何となく大胆すぎるというか、一見余裕を感じさせるものだった。

恐らくバクラは、罠によって危機的状況に陥っても問題ない『何か』を持っているのだ。きっと。

英瑠はその、彼に潜む『正体』をこの王墓で知ることになるだろう、と直感する。

そして彼が纏うある種の剣呑さ――
それは罠や彼に潜む力どうこうではなく、もしかしたら彼の精神性によるもの、例えばこの場所自体バクラにとって精神を昂らせる何らかの――


「止まれ! チッ、案の定かよ……!」

叫ぶと同時に振り返るバクラ。
英瑠は余計な場所を踏まないようにつま先を立てた猫のようにその場に静止し、
「戻るぞ!」
という彼の二の句に反応し、素早く踵だけを返した。

英瑠がどの床に足を踏み出そうか一瞬迷ったところで、バクラの影が颯爽と彼女の横を追い抜き、元来た道の、安全だった床のみを踏んで跳ぶように駆けていく。

彼は、今まで通ってきた足跡を全て覚えているだろうか。
感心した英瑠も次の瞬間、目でそれを追いながら彼の軌跡を辿り始めたところで。

ずん、という轟音が背後で響く。
振り返る暇はない。
バクラがたった今引き返してきたのだから答えは一つしかない。
この道は外れなのだ。

次の瞬間。

「上だ! ぶち壊せ!」

バクラの声が響くのと、上から石壁が降りてきたのが、同時。

反射的に松明を捨て、戟を頭上へ叩きつける。

壁となって侵入者の退路を塞ぐつもりだったであろう分厚い壁が、派手な音を立てて砕けた。

飛び散る破片が、辺りの壁や床に触れ、罠の作動が不穏な気配を撒き散らす――!

英瑠の眼が床からせり上がる無数の針を捉えたのと、彼女がまるで狩猟豹のように、中空に身を踊らせたのが、同時――

跳ねた勢いで前方に居た盗賊の身体を片手で攫い、彼を抱えて針の上に乗った石壁の破片に着地、衝撃で破片が砕ける直前、針の無い床へと向かってもう一度跳ねた――

ところで、着地点の床が丸ごとせり上がって――

「ッ!!」

天井から降りて来る壁はさっき砕いた。
今度は床からせり上がる石が壁と化すのだろう。

だが今は、踏ん張る場所がない。
一人の人間を抱えて、空中で戟を踊らせたところで石床を砕くほどの威力があるかどうかは疑わしい。

ならば、空中で軌道を変えて着地点をずらせば――
だが、着地した別の床が安全だとは限らず――

英瑠の思考が一瞬停止した時だった。

「――ゥンド!!」

彼女の腕の中で、褐色肌の男が吠える。

まだ少年と言ってもいい彼の『気配』が膨れ上がり、次の瞬間――


ぎゃりぎゃりぎゃり!!!


石壁、石床、全てを削り取る衝撃が辺りに炸裂する!

ああこれが彼の能力か、と瞬時に悟った英瑠の身体を、今度はバクラの腕が抱え返し――

得体の知れない気配に丸ごと身体を包まれて、英瑠はその場を脱したのだった――





「ありがとうございます、バクラさ……、バクラ」

「危ねぇ危ねぇ、ハズレと見せ掛けた正解の道、かと思いきややっぱハズレかよ。
うざってえもん作りやがって」

「……」

ひとまず攻略済の小部屋まで戻ったところで、英瑠とバクラは一息ついていた。

目印に立てておいた松明が揺らめく中で、二人は体制を整える為に数分だけ休憩を取ることにする。


英瑠はバクラの力を初めて目の当たりにし、その強さを思い知った。

(たしかに私の生身じゃ『あれ』に対抗する術はない――
すごいな、あの力)

彼があれほど強いなら、こんな王墓、いくら罠が厳重に張られていたって攻略するのは容易いだろう。

彼の武器になるなどとは言ったものの――
彼は、盗賊王を称するバクラは、既に最強の武器を持っているではないか。

英瑠はそんなことを考え、自分以外の異能に出会えた喜びを感じる一方で、自分の無力さを噛み締める羽目にもなったのだった。

そんな彼女の心を見透かしたように、バクラが口を開く。

「喜べよ英瑠……お前は、初めてこのオレ様が礼を言ってやる人間になれたんだからな」

「…………、」

「正直驚いたぜ?
この力を手に入れてから、まさか他人サマに抱っこされる日が来ようとはな!

増してやそいつが、化け物の女たぁ……
クク、笑っちまうぜ」

バクラは大袈裟に、冗談だか本気だかわからないようなことを語りながら嗤っていた。

その物言いに何故だか心が軽くなった英瑠は、思わずふふふ、と笑みをこぼす。

「化け物、化け物って、他の人に言われるとちょっと悲しくなるのに、バクラさ……、バクラに言われると何だか褒められてる気分になっちゃいます。
変なの……、ふふ」

「んだよ、最初から褒めてるって言ってんだろうが。
そんな身なりをして兵士のど真ん中突っ込んでって、全員惨たらしくぶっ殺して平然としてる女なんて、化け物以外の何モンでもねえだろうよ。

……だがな、そのイカレちまってるところが気に入ってるんだぜ、オレはよ」

「……、」

何故だろう。

バクラに褒められると、なんだかとても嬉しい気持ちになる。

『ふん、よくやった。褒めてやる英瑠』

脳裏に浮かぶ、かつての殿の声――

その傲岸不遜な物言いと、バクラの何者にも屈服しない孤高さは似ていると思う。

でも。

英瑠は、あれ、と思う。

元の世界で主に褒められた時も、確かに嬉しかった。
彼の刃になれること、役立つことが何よりも誇らしかった。

だが。

殿に褒められた時とは、何となく胸の高鳴り方が違う気がする。

あの、最強で、圧倒的で、自然と背筋が伸びてしまうような殿への敬意と――

このバクラの、どこか微笑ましくて、自然で、かっこよくて、どきどきするようなほの甘い感情は――

「っ……!」

英瑠はそこまで考えて、自分の心臓がずきり、と激しく高鳴るのを自覚した。

まさか。

まさか、私、バクラを――


思わずかぶりを振る。

いくらなんでも、容易すぎだろう、と自省した。

だってまだ出会って少ししか経ってないのに。

ああ、自分てやっぱり依存心の強い人間だったんだな。
無意識に殿の代わりを探してしまうなんて、嫌だなぁもう本当――

「英瑠」

彼に唐突に名前を呼ばれ、また心臓が跳ねる。

バクラは英瑠に近付くと、彼女のすぐ前に立ちはだかるように突っ立った。

彼の顔を見上げてみる。
言葉がうまく出てこない。
これはまずい、と彼女は思う。

「……外出たら服着とけよ」

「っ……、」

何故今、バクラはそんな事を言うのだろうか。

「私にとってはこの国、とっても暑すぎて……
ちょっと肌出しすぎかなとは思いますけど、でも街の女の人もけっこう薄着だったような気が」

「その肌の色は目立ちすぎんだよ」

「……、ですよね」

英瑠はあはは、と曖昧な笑みを浮かべ頬を掻いた。

何故だかバクラがとても近い。
だが不快ではない。
威圧感はあるが、それは敬意や畏れとは似て非なるものだった。


バクラの手がすっと英瑠の頬を撫でる。

彼女は黙って俯いた。
彼の手から伝わる体温がやけに心地良い。

このままではまずい、と本能が警鐘を鳴らす。

彼の温もりに身を委ねるためには、彼の本質をもっと知らなければならないと思った。

英瑠は、この王墓に入ってからずっと訊きたくても訊けなかった事を、唇に乗せて紡ぐ。

「バクラさ……、バクラ、あの。
ここのお墓に眠ってる王様って誰なんですか……?」

その瞬間。

バクラの殺気が膨れ上がって、壁を殴りつけた。




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