「……聞いたら戻れねえぜ」
バクラの声は震えていた。
悲しみや恐怖にではない。
英瑠にはわかる。
そういう声を発する人間を幾人も見てきたのだ。
戦場で。刑場で。軍議の場で。
彼女自身、そういう声を発したことがあるから余計わかる。
口からこぼれ出る言葉なぞ、杯の淵から溢れ出た僅かなものにしかすぎない。
その杯の中には、暗くて、烈しくて、燃え盛るような怒りと淀んだ怨嗟が溜まっている。
それは、激情で己が燃え尽きてしまうのではないかと思うくらい、苛烈な炎だ。
「聞かせてください。
バクラの、絶望を」
そう返した時、彼の瞳には底の見えない闇が広がっていた。
どこまでも昏くて、ドス黒い狂気と絶望。
だが、その中にほんの僅かだけ交じる、縋るような、深い哀しみを見たから――
英瑠は、彼の横で、その身の上話を聞くことにしたのだった――
**********
そこにはもはや、復讐心しか無かった。
涙などとっくに枯れ果てた。
恐怖など、顔に消えない傷を刻まれた時に、怒りで塗りつぶせることを知った。
後に残るのは圧倒的な憎しみと、憤怒と、報復心――
復讐してやる。
自らの全てを奪った者に。
それらを擁護する連中に。
この難攻不落の王墓、惨劇を引き起こした張本人、欺瞞の王の墓を暴いて――!!
英瑠は泣いていた。
正確には、彼女は涙をこらえ、時折さりげなく涙を拭いていた。
おめでたい女だ、とバクラは思う。
今語った惨劇は全て嘘だと、信じてんじゃねえバカ女、将の端くれのクセに頭空っぽかよ死んどけよ、と暴言を吐いてやろうかと一瞬思った。
だが彼女は信じないだろう。
嘘だと言うには、あまりにも感情が篭りすぎた。
英瑠は哀しみを湛えた目で、この救いのない身の上話に、何と言葉を返そうか考えているようだった。
(くだらねえ)
同情など要らない。
そんなものをもらったところで、何になる。
失った日々は、人々は決して返って来ない。
英瑠が哀れにも失ったらしい、主君とやらと一緒でだ。
バクラはすぐに後悔を覚えた。
己の素性を明かすのは、この王墓に眠っている、あらゆる元凶の王――
その息子である現ファラオを抹殺する時で良かったはずだ。
人々の命から作られた宝物で今の平和が保たれていると知ったら――
お上品なファラオはどんな顔をするだろうか。
想像しただけで震えが走る、とバクラは思った。
そうだ。ファラオだ。
彼と、彼の神官団が持つ七つの千年アイテムを全て奪って――
「ありがとう」
ふと、隣に居た英瑠の声がバクラの鼓膜を震わせた。
「バクラの話、聞かせてくれて」
「…………」
英瑠は哀しいような、憐れむような、そんな顔をしていた。
(これだから)
「同情なんざ要らねえんだよ……!
チッ、オレ様としたことが雰囲気に呑まれちまったぜ……
忘れな。今の話は全部よ」
「忘れませんよ。
だってこれからその……悪い王様のお墓を暴いて、それで……
千年アイテムというものを奪って、復讐するんですよね……?」
英瑠の声はひどく穏やかだった。
どうして、こんな穏やかな声が出せるのかと思う。
「お前は……、
お前は、ご主人サマとやらがくたばった時も、そんなに平然としてたのかよ」
「そんなわけないじゃないですか!!!」
英瑠が叫んだ。
血を吐くような声だった。
獣の咆哮のような、烈しい声。
バクラは思わず息を呑み、横にいる彼女の顔を見た。
燃える瞳。
炎に照らされて輝く英瑠の双眸。
その奥底には怒りがある。
哀しみも、無念も、憎しみも――
「……悪かったな」
思わず口にしていた。
「いいえ」
応えた声は、いつもの彼女だった。
英瑠から視線を外したバクラは、何故だか笑みが込み上がってきて、
「ククク。そんな声出すんだな」
と思ったままを口にしたのだった。
彼女は怒るだろうか。
そんなことを考えてまた英瑠の顔を伺うバクラだったが――
その顔は、不満げにむくれていただけで。
「ハッ、何だよその顔は!
随分と可愛らしい怒り顔じゃねえか。
そんなんちっとも怖くなんざ――
っ、おい」
「あの、困るので、そういう事言わないでください!」
「は?」
松明の炎に照らされた英瑠の顔が心なしか赤らみ、彼女は両手を顔の前でひらひらさせ拒絶のポーズを取っていた。
「何が、ってあ」
バクラは一瞬本気でわからなくて、それからたった今自分が口にしたセリフを思い出し、ハッとした。
「ばっ……てめ!
皮肉もわからねえのかこの野郎!」
「えっ、あ! 皮肉……、
……ああっ今のなし! 今の無しでお願いしますもうやだ私勘違いしちゃってああぁ」
「、っとに頭空っぽかよオイ、お前は本当――」
柄にもなく取り乱したバクラは、思わず英瑠の肩に腕を回すと、もう片方の拳で彼女の頭をぐりぐりと攻撃した。
「や、やめてくださいバクラさ――
バクラ、あの――!!」
「てめえがくだらねえ勘違いするからだろうがクソが、おらおら、痛てえかよ!」
「ひゃっ、ちょ……!
痛くはないです、だって私だし!!
痛みとかも鈍くてあ――」
「うるせえんだよ!!
だいたい何だよそのデタラメな力はよ、ムカつくんだよてめえそんな細っこい身体してるクセによ――」
「わーっグリグリするの、ていうか腕回すの本当にやめてください!
ドキドキしちゃうんですよ!!
嬉しいのと恥ずかしいので胸が苦しくなるんですよっ!
バクラにはわかんないだろうけど!!」
「………………は」
しばしの沈黙が流れた。
「……そういうことです。
笑ってくれていいですよ。
男性ばかりの軍に居たのに、免疫ないんですから私」
「…………」
「……離してください」
英瑠は固まるバクラの腕の中で、もぞもぞと身じろぎをした。
その力は決して、人外とやらの力ではなく、つまり彼女は本気で離してほしいと思っているわけではなく、つまりは――
そういうことなのだろう。
「……離してくださいよ」
英瑠の口調は何だかとても不自然だった。
「お願いですよ」
まるで、盗賊ではないかと兵士に疑われたチンケなこそ泥が、素性を隠すために善人ぶって口調まで意図して変えるような――
バクラの中で、再び笑いが込み上がってくる。
「ヒャハハハハ!!!」
笑う。
声を上げて笑って、それから。
彼の腕の中で、顔を真っ赤にして目を伏せてむくれる彼女の頬を撫でて、それから――
一瞬だけ唇を重ねて、彼女から腕を離し――
「行くぜ。アクナムカノンの野郎の全てを奪うためによ」
バクラは王墓のさらに奥へと、足を踏み出したのだった――
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bkm