愛の決闘の門を越えて3




「ふふふ……」


――不気味な笑みを零しながら佇む少女がひとり。


「んふふふふ!」


その双眸は欲望に彩られ、この世の光景を映してはいなかった―――

その瞳に何が映っているのかを知るのは、彼女自身のみ―――



「両手に華………そんなのは贅沢すぎる。
二人から愛されるとか……そんなのは高望み。
……んなこたぁわかってんだよォ、この蛇野郎がぁぁ!!」

ゆめは身体をシャキッとさせ、グラサン男の真似をした。
それが誰なのかはさておき――


「クーガーいいよねクーガー……」

ゆめは、ふっと目を閉じて――


それから、ゆっくりと眼を開いた。

その双眸には決意と欲望の炎が揺らめき、揺るがぬ意思と貫き通す信念を湛えていた。


「生まれてしまったから仕方なくただ生きる……
そんな生き方耐えられない!!

愛されなくてもいい!
ただ……側に居たい……見つめていたい……
そして…………二人を生かしたい……」

吐き出した言葉は風にさらわれ、夜の空に溶けていく。

ゆめはきりりと唇を結ぶと、踵を返し艦内へ戻っていった―――











夜闇の中、再び翻るマント。

言わずもがな、リシドを亡きものにしようと――闇人格である自身の生存戦略の為に、再びリシドに手をかけようと忍び寄るマリクだった。


「リシド……死の闇が迎えに来たぞ……」

「くくく……」

「誰だ!!」

「…バクラさまだと思った?残念!!私だよ!!!
……すいませんっ」

「謝るなら始めからやるな……」

気配の主が誰なのかを悟り、思わず冷静に答えてしまう闇人格のマリク。

「ゴメンなさい☆」

「また貴様か……」

マリクは、背筋に走った悪寒と、吹き出る冷や汗を堪えてゆめと向き合った。


「貴様……!
オレの邪魔をするなら今度は罰ゲームなんかじゃなくその身体を直接切り刻んでやるぜ……!」

「えっむしろご褒美では??? 
……でもここは遠慮しておきますね。
というか、わざわざリシドさんを殺さなくても良いのではないでしょうか……」

殺気を放つマリクをものともせず、ずいっとマリクに近寄るゆめ。

「フン……貴様に何がわかる。
奴がいるとオレは表に出て来れない……再び闇に封印されてしまうんだよ……!!」

思わずたじろいだマリクが一歩後ずさる。

罰ゲームの事があってからか、マリクは得体の知れないゆめの存在に若干気圧されていた。

そんな自分を全力で否定したくもあり、マリクは千年ロッドを握った拳に力を込めた。


「そう!!それですよそれ。
素敵闇人格のマリクさまにとってリシドさんは、存在を脅かす、いわば天敵――

ということはつまり、リシドさんの存在が、エロエロ闇マリクさまの存在に干渉しなければ良いわけですよね??」

「何だと……?」

「口で言うほど簡単ではないですが……
でも、考えてみて下さいな。
二重人格も、リシドさんの顔の戒めによる闇さま抑圧効果も、すべてマリクさま――あ、これは普通のマリクさまと闇さま共通のお話ですよ――の、精神の力が引き起こしたものなのです。

ということは――
同じく精神の力によって、リシドさんの存在があっても闇マリクさまが幽閉されずにすむことも、また可能だとは思いませんか――??」


「……………ドサクサに紛れてゼロ距離に肉薄するのをやめろ…
バラバラにするぜぇ……本当に」

「ゴメンなさぁい」

「素敵闇人格と闇さまはまだ許してやる……
だがな、エロエロ闇マリクさまってのは何だ……?
余程闇に葬られたいようだな……!」

「だって!!
エロいじゃないですか……指とか舌とか……
褐色肌とか反則ですよ!!
目つきもトローンとしてて魅力的すぎだし……

あのですね!!正直!!何もしなくても死にますよ?私。
好きすぎて萌えすぎて。
どんだけ私の心臓に負担かければ気が済むんですか!!」

ずいっ、とマリクに詰め寄るゆめのオーラはまさに修羅であった。

「ククッ……アーハハハハッッ!!」

さすがのマリクももはや高笑いでごまかす他にこの空気をやり過ごす術は知らなかった。

つられてゆめもアハハと笑い返す。

その屈託のない笑顔が、マリクにとってはただ恐ろしかった。




「で……
きしゃまが言ったことはただの憶測にしかすぎねえよなぁ……?
ここでリシドを葬っておいた方が楽だろうが……

第一、コイツのせいでオレはずっと表に出てこれなかったんだ……
その恨み、晴らさせてもらう……!
これ以上オレを邪魔しやがったら殺すぜゆめ……」

マリクがロッドを握りしめ、刃先を再びリシドに向けた。

「なまえ呼ばれた……
めっちゃ嬉しい……

じゃ、じゃなくてマリクさま!!
リシドさんを殺すのは待って下さい!!
もし今ここでどうしてもリシドさんを殺すというのなら私を殺してからにして下さい!!」

「ッッ――!」

慌ててゆめがマリクの腕に縋り付き、必死になって懇願する。


「どうしてそこまでする……さっぱり理解できねえな」

「マリクさまを救いたいからです!!
……イシズさんから聞きました……
墓守の一族の呪われた宿命を……
そのせいで、もうひとつの人格が生まれてしまったこと――
そして、闇人格のマリクさまがお父様を殺めてしまったことも……

これ以上、闇人格のマリクさまが手を汚す必要はありませんよ!!
もし、私の考えがうまくいかなかった時は、その時は―――」

「その時は……?」

「私が責任をもってリシドさんを葬ります
……闇さまがまた出て来れるように」

「……」

「エラソーなことばかり言っちゃってゴメンなさい……」

「……ククク……
アハハハハハ!!!!」

「マリクさま……」

「ククク……
面白い事を言うじゃねえか……
このオレに……得体の知れない貴様を信じろと……?

ククク……どうして貴様がそこまで首を突っ込みたがるのかサッパリ理解出来ないな……」

「わわわっ、だから言ってるじゃないですか!!
愛ですよ!!愛の気持ちが為せる業です!!
そんなに言うなら証拠を見せてやります!!! いざお覚悟!!」

トトッ、とゆめがマリクに詰め寄る――

「おい――」


ちゅ。


ゆめの唇が、一瞬だけマリクの唇に重ねられる。


「き、さま……――」


言葉を失ったマリクを、真っ直ぐ見つめるゆめ。

「ちゅーなんて、100回しても心にある想いを伝えきる事なんて到底できませんけどね!!
でも私……本気ですからね!! どすこい!」

ゆめの決意に揺らめく瞳を、マリクはただ黙って見つめていた――





――話は少し遡る。

闇人格のマリクが、リシドの命を狙って来ることはわかりきっていた――

それを何としても阻止するために、今や身体を失った主人格のマリクは、頼みの綱であるバクラに取引を持ち掛けていたのだった。


「ああ!?
オレ様がなんであのハゲの命を救わなきゃならねーんだ」

『頼むバクラ!
もし、リシドを奴の手から守ってくれるなら……
この背中の碑文の秘密を貴様に教えてもいい』

「何だと!?
――ちっ、仕方ねーな……その言葉忘れんじゃねーぞ」


ガタッ!!


「ちょっと待った〜〜!!!
私、参上!!!」

「ゲッ……てめえは!」

バクラは、主人格マリクとの密談中に突然空気を読まずに現れたゆめを見て、露骨に嫌な顔をした。

「わー悲しい……そういう反応傷付きます〜〜
まあ嫌な顔をされるのは慣れてるし、好きな人にされるのならそれはそれで萌えですが」

「うぜえ……」

バクラは頭を抱えて吐き捨てた。


「リシドさんの命を守れば良いんですよね?
闇人格のマリクさまから!!
なら、私に任せて下さい!!
バクラさま達は闇のマリクさまの前に出ていってはダメです。
どーせ決闘になってしまいますから!!」

『君は……
君に闇人格の奴を止められるとは思えないけどな。
奴は残忍で冷徹な魂の持ち主だ……千年アイテムを持たない君では奴に殺されてしまうだろう』

瞳をキラキラさせながら主張をするゆめを、呆れながら諭すマリク。

「ああ。コイツの言う通りだな。
悪いことは言わねーから大人しく寝てな、ゆめ……」

バクラも呆れたようにそれに同意した。

そんな二人をキッ、と厳しい表情で正面から見据えるゆめ。

「ダメダメダメですっ!!!
バクラさま達が闇マリクさまのところへ行ったら絶対争いになってしまいます!!
その争いの行き着く先は闇のゲームによる決闘!!

そして……結末は、どちらかの滅び……」

ゆめは目を伏せ、悲しげに眉をひそめた。


「何言ってやがる……
まあ闇人格のマリクとは対決するしかねーかもしれねーが……
もしそうなっても勝つのはオレ様よ!!
オレ様には主人格のマリクがついてるしなぁ……
ククク、神のカードだって恐れるこたぁねーんだよ!
ヒャハハハハハ!!」

「……ダメなんです……それじゃ……」

「ああ?」

「ダメなんです!!
どちらかが滅んではダメなんです!!

私は……どっちにも消えて欲しくないんです」

ゆめの目から、ぽろりと涙が零れ落ちる。

二人は黙ってその光景を見つめていたが――やがてマリクが口を開いた。


『君は……あいつの恐ろしさを知らないんだ……
さっきわかった事だが……僕の父上を殺したのはあいつだったんだ……!!
僕自身が生み出してしまった邪悪なる存在……!!

どんな手を使ってでも、あいつを滅ぼさないといけないんだ!!』

半透明のマリクは激昂し、真実を語った。

その瞳は真剣で、どこか苦しげで――父親を殺した罪悪感に苦しんでいるようだった。


「知っています……イシズさんから聞きました……
墓守の一族の宿命も……マリクさまに何が起きたのかも……全部……」

『だったらなおさら――』

「でも、ダメなんです!!
未来を――イシズさんから未来を託されたんです!!
イシズさんは言ってました……弟、マリクを助けて欲しいと……
その為には……今のままじゃダメなんです!!

お願いします……!
私を信じて下さい……!!」

ゆめは眼に涙を溜めたまま、膝を折って床にへたりこんだ。

いつにないゆめの必死さに、二人は息を呑む。


『姉さんが……君に未来を……!?
教えてくれ、姉さんは君に何を言ったんだ!?
姉さんはどんな未来を見たっていうんだ……!!』

我に返ったマリクが興奮してゆめを問い詰める。

「詳しくは話せません……
でも一つだけ信じて下さい……
私はバクラさまとマリクさま両方が不幸にならない結末を選びたいんです……

お願いします……もしどうしてもダメだと言うならバトルシップを墜落させて全滅エンドに持ち込むしかありませんね……」

「てめーはどこのテロリストだ!!!!
それじゃ全員不幸だろ!!!バカかてめーだけ死んどけ!!!

テメェ今なんつった?二人を不幸にしたくないとかぬかしておいてそれか!?
さりげなく怖ぇーこと言うから闇のオレ様も真っ青だぜ!?」

バクラの鋭いツッコミを傍らに、床にへたりこんだまま頭を下げるゆめ。
そのオーラは真剣そのもので、拒否したら本当に全員を滅ぼしかねない危うさに溢れていた。


「ちっ……仕方ねえな……好きにしろよ」

『!……バクラ!!』

「だがなあ、まだテメェを信じたわけじゃねーからな!!
誰も不幸にしない未来だぁ……?下らねえ!!
何の力も持たない貴様がどこまでやれるのか……見せてもらおうじゃねえか」

抗議の声を上げるマリクを制し、バクラは不敵な笑みを浮かべた。

その言葉を聞いてバッ!と顔を上げたゆめの瞳は少女漫画も真っ青なほどキラキラと輝いていて、バクラがしまったと思った時にはもう立ち上がったゆめの腕はベッドに腰掛けていたバクラの頭を包みこんでいて――

ふざけんな、と吐き出そうとした口ごとバッフリとしたモノで覆われて――

それがゆめの胸で、顔を胸に埋められたのだと気付いた時―――

コイツ意外と良い香りがしやがる、と思わず感じてしまった己自身を呪ったバクラは――

初めて、逃げという形で宿主との人格交代を果たしたのであった――










闇マリクとの交渉(?)により、何とかリシドの身を守ったゆめ。

バクラと闇マリクの対決もとりあえず回避する事が出来、ほっと胸を撫で下ろす。

ゆめは、改めてイシズとのやりとりを思いだしていた。



「イシズさん……
どういう事ですか……?」

未来を託すと言われたゆめが、イシズに問いかける。

「貴女は……千年アイテムの存在を知っていますね?」

「はい……さっき遊戯さんたちから聞きました」

それならば、とイシズは未来を見通す千年タウク、そして墓守の一族とマリクの過去について話し始めた。


「マリクさまの過去にそんなことが――
マリクさま、可哀相に……」

マリクが背負った想像を絶する、闇の人格を生み出すほどの苦しみ――そしてその苦しみを背負って生まれた闇人格を思うと、ゆめは胸を抉られるような気持ちになった。


「そして、先程まで千年タウクが私に見せた絶望の未来――
そこに今、貴女の姿がちらつくようになり、以前とは違った未来を見せているのです……
破滅ではない、もう一つの未来を……」

「もう一つの未来……」

「はい。
貴女の行動によって、弟マリクから邪悪な闇の人格が消え――
昔の優しいマリクが微笑んでいる姿が見えるのです」

「っ……
闇人格が……消え……!?」

「そうです。
私の見た未来には、闇人格の存在は欠片もなく、完全に消えています」

「そ……んな」

「しかし、そこに至る道が――どういうわけが、ぼやけて良く見えないのです。
以前はこんな事はありませんでした……
それこそ以前は、決闘で海馬瀬人が何のカードを出すかまではっきりと見えていたのに―――」

「チートですね」

「ともかく……
貴女の行動が平穏な未来に向けて何らかの鍵になっている事は間違いないでしょう……
それならば、貴女に弟マリクを救える未来を託したいのです……」

ゆめの呟きを華麗にスルーし、真剣な瞳で語りかけるイシズ。

イシズはスルースキルが高かった。


「うーん……行動が鍵と言われても……」

ゆめが口をとんがらせて困ったように呟く。

「そうですね……おぼろげなものでしかなくて申し訳ないのですが……
あっ―――」

イシズの首元でタウクが光を放つ。

「えっ――!?」

光は一瞬で消え、硬直したイシズが遠くを見つめるような眼で口を開いた。

「千年タウクは……『杖の闇と輪の闇に決闘させてはいけない。どちらかが滅びるから』と言ってますよ。

杖の闇と輪の闇……ロッド……リング……
千年アイテムの事でしょうか……」

「ええええっ!?
謎掛け!?お告げ!!??
なにそれ、それも千年タウクの仕様ッ!?」

「フフフ……
あとは――『闇人格ダメ、絶対。惚れるなら闇人格ではなく主人格の方が吉。闇人格を選ぶと幸せにはなれずあるのは破滅のみ』とも出てますね……

これはマリクの事でしょうか…?もしくは先程のもう一人の闇……?
フフフ、どちらにせよ闇人格に惚れる人なんて居るわけがないでしょうに……」

「えええええ〜〜ッッ!?
おかしいですよカテジナさん!!
何かが……何もかもが!!!」

ゆめは慣れないツッコミに戸惑い慌てふためていた。

突然イシズがハッと我に返り、さらに困惑した様子で
「わ、私もそう思います………」
と恥ずかしそうに目を伏せた。


「なにがなんだかわからない……千年タウクって電波だったの?呪い??」

ゆめは首を傾げたのだった。






ゆめはその後とりあえずイシズの言に従って、マリクを救うために動く、とイシズに宣言はしたのだが――――

ゆめの今までの決意から考えてそれは決して、闇人格の消滅を意味するものでは到底なかった。

闇に惚れるなというわけのわからないお告げも、もはや遅かった。

そしてゆめは――マリクの闇人格を消滅させず、闇のゲームで誰かを滅ぼすこともなく、そこそこまともな結末を迎える為に動くことを密かに固く誓ったのだった――――


もちろんその、ゆめの隠された願望をイシズは知らない。

別れ際、やけに素直なゆめの笑顔が気になったが……それは、ゆめが、弟マリクを気に入っていて(もちろんそれが闇の方に向けられたものだとは微塵も思わず)、マリクを救う為に働くことを快く引き受けてくれたからだと考えていた。

しかしゆめと別れたすぐ後に、イシズの千年タウクは未来を見通す力を失ってしまい―――

これは何かある、どうしたものか……と考えた上でイシズは、とりあえず名もなきファラオの魂を持つ遊戯たちにゆめにしたのと同じ墓守の過去話を聞かせた上で、役目を終えた千年タウクを遊戯に託すことにしたのであった――


千年タウクが未来を見通せなくなったのと、ゆめが、千年タウクに予言されていた結末とは違った結末に向かって歩き出す事を決意したのはほぼ同時であったが――


その事にも、その因果関係についても、ついぞ誰も知らないままなのであった――――











決戦の地、アルカトラズ――

バトルシップはその終着点へ向かって飛んで行く――




マリクは甲板へ出ていた。

しつこく付き纏うゆめから逃げながら。


「貴様……オレに付き纏うんじゃねえ……!!」

「別に付き纏ってるつもりはありませんけどぉ〜……ただお話したいなーって……
無理ならそっと影から見つめたり、密かにマリクさまの部屋のベッドの下に待機して同じ部屋に居られる喜びをかみしめたり――」

「ストーカーだぁ!!!
ストーカーがここにいるぜぇ!!

ありえないぃぃ……日本人の女はみんなこうなのか?恐ろしいぜぇ……」

「しっ!つれいなっ!!!
私以外の女の子はみんなまともですよ!!
ほら、舞さんだって杏子さんだって――

女で気が違っちゃってるのなんて私くらいですよ!」

まるで海馬のようにビシッ、と指をさし高らかに言い切るゆめ。

「フ……ハハハ……
自覚はしてるんだな……なおさらタチが悪い……」

ぼそりと呟いたマリクの額からは嫌な汗が噴き出していた。

何故今すぐゆめという女を葬り去ってしまわないのか、マリクは自分でも不思議だった。

罰ゲームから脱出されたことがトラウマになっているのか、それとも―――


「マリクさま」

「あぁん?」

朝日を受けて煌めく瞳と、風に靡く髪。

ゆめの瞳はいつになく真剣で――マリクは思わず息を呑んだ。

「マリクさまは……
もしこの戦いで遊戯さんたちに勝って――
優勝したらどうするんですか?」


――思ってもみなかった質問。


「さあね……先の事なんか考えちゃいねえ……
他の奴らを全て破壊していくのも面白そうだが……
そんな事を聞いてどうする?
もしそうなっても貴様自身だけは生かして欲しいってか……?」

「違います……」

「じゃあ何だ」

「その逆です……」

「逆だと?」

「はい……
こんな事言うの、おこがましいって分かってるんですが、でも―――

私の身ならいくらでも好きにしてかまいません。
私は――ぶっ壊れてる欠陥人間だから……死ぬのなんて、別に怖くはない……
だから……私の命をあげる代わりに、他の人をこれ以上闇のゲームに巻き込まないで欲しいんです……」


一陣の風が甲板を走り抜け、マリクとゆめの髪を撫でていく。

髪を靡かせながら真っ直ぐと前を見据えるゆめ――

初めてゆめの姿をきちんと目に収めたマリクは、ゆっくり近寄ってくるその存在から逃げたいとは思わなくなっている自分に気が付いた。

ゆめがマリクのすぐ前に立つ。


「何をほざいてやがる……
きしゃま一人の命と……他の人間どもの命が釣り合うわけねえだろうが……

それに……
そんなに死にたいならオレが今ここで殺してやるよ……!」

マリクの声は心なしか震えていた。

コツリ、と足音が響いてゆめの姿が揺らめく。

マリクは思わず千年ロッドを抜いた。

ふわり、と甘い香りが鼻につき――

それがゆめの髪の香りだと気付いた時には、マリクは―――

ゆめに優しく抱きつかれていた。


「よっしゃあ女唄!」

「きしゃま……」

ロッドの刃先を、自分に抱き着いているゆめの首筋に突き付けるマリク。

しかしそれを知ってか知らずか、ゆめは動じなかった。

マリクに身体を預けたまま、静かな声でゆめが口を開く。

「闇、って……
自分の心に巣くう闇とか、暗い気持ちって……

消せるんですかね??」

「ああ?」

ゆめの声は透き通っていて、それでいて深い闇を湛えるような重みをもってマリクの鼓膜を震わせた。

「マリクさま……辛かったですよね……
生まれた時から、逃れられない宿命を背負わされて……
闇人格が分かれたのも、自分自身を守るためだったんですよね……」

「フン……今更だな……」

ロッドの刃先はゆめに突き付けたままで、いつでも殺せるという自信があるためかマリクはゆめを振り払う事はしなかった。

ゆめがそっと、腕をマリクの身体へ回す。

「調子に乗るな……殺s
「私の――」

「あ?」

「私の――心の闇がわかりますか……?
まっとうにもなれず……闇にも堕ちきれない……
不安定で……不完全な醜い心が」

ぎゅ、と押し付けられたゆめの胸。その感触と体温をマリクは感じていた。

「さぁてね……
貴様の事なんか知らねーな……

そもそも他人に理解できるわけがねえだろ……
苦痛も憎しみも心の闇は――
そいつ自身にしかわからねえ……」

呟いてはみたが、マリクの脳裏に浮かんだのはリシドの存在だった。
ふい、とあさっての空を睨め付けてはみたが、ロッドを握る手には力が篭っていた。

リシド――

他人でありながら、主人格マリクの苦痛を共有しようとしてくれた存在。

その存在が、マリクに生まれた闇人格を封じこめた。

苦痛、孤独、己が運命と世界に向けられた憎しみ――
主人格がそこから逃れるために、一人では自我を保てないが為に闇人格は生まれた。

しかし、苦痛を共有するリシドという存在が現れたことで、言わば闇人格の存在位置はリシドにとって代わられたと言っても過言ではなかった。


――勝手に生み出しておいて、何とも勝手な話だ。


明けゆく空が双眼に映り、マリクは目を細めてまたそれを睨んだ。


「苦痛や憎しみといった闇が、本質的にはその人だけのものなら……
多分、隣に優しい誰かが現れて表明的には闇が消えたとしても――
それは一時的なもので、心の奥底から本当の意味では闇は消えないと思いますよ。

こんな狂った私だって……
こんな私でも――
そりゃ、たまにはまっとうになりたいとは思うけど、でも……
結局のところ私は私だから。

だから、私の闇も醜さも全部私のものなんです!
全部含めて私自身!!
もったいなくて他人にくれてやるかよ――ってコレ、誰のセリフでしたっけ!
あははははは」

マリクを見上げ、屈託なく笑うゆめ。

「私、めっちゃ痛いですよね!!厨二病ってどうやったら治るんですかね?」

また知らない単語が飛び出し、マリクは華麗にスルーを決め込んだ。


闇は消えない――

全部、オレ――

本当の意味での、『マリク・イシュタール』だけのもの――


「ククク……」


突き付けていた千年ロッドをしまい、肩を震わせて不敵に笑うマリク。


「マリクさま?
そういう不敵な笑い方、ものすごくツボなんですがっていうか鼻血出そうなんですが」


――消えるかよ。


主人格が、周りの奴らが、オレを否定したとしても――


奴に――
主人格面をしているマリク・イシュタールに――

オレの存在を認めさせてやる。

必ず――


闇を湛えるだけだったマリクの双眸に、わずかな光が浮かぶ――

ゆめが、その眼に気付いたかどうかは定かではないが――

当然のごとくゆめはマリクにくっついて至福のひと時を味わっていて――

相変わらず緊張感を欠いたままだったのはまあ、よくある話――




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