自宅にこもり、ベッドの中で寝返りを打つ私は、これからの身の振り方を考えなければいけないと思い始めていた。
図々しい要求だが、クラスを変えて私を『彼ら』から遠ざけてもらわなければ、私はこれ以上学校に通えないような気がしたのだ。
学校を休んでいる間に、迎えた休日。
いつの間にか学校に来なくなっていた海馬瀬人が、この童実野町でカードゲームの大会を開催するらしかった。
バトルシティと呼ばれるそれは、童実野町を丸ごと巻き込んだ、大掛かりな
私は、休み中ずっと家に閉じこもってばかりいても仕方ない、元気を出さなければ……と思い直し、街の本屋にでも出掛けることにした。
もし今日ちょっと元気になれたら、とりあえず休み明けには学校に行こう――
そんなことを思って。
本当に、笑ってしまうようなフラグだけれども。
ここでもし私が、家から出なかったら、私は今でも――
ううん。
今更後悔しても仕方ない。
それに私は、遅かれ早かれ、きっと『こうなってた』。
だからあれはもう、ある意味運命のようなものだったのだ。
街へ出た私の目に映ったのは、腕にデュエルの機械を装着した
彼らはそれぞれデッキを持ち、闘志を漲らせて街を闊歩している。
ふぅん、と私は感心しながら、店へと向かって行った。
そんな時、不意に私の背筋を撫でた冷ややかな気配。
どことなく不穏な感覚に、それがいつもクラス内で感じているものであることに気付く。
急いで視線を動かせば、視界の端に見知った姿が映った。
(武藤、くん……)
私はその時、あれ、と首を傾げてしまった。
いつも武藤くんの側に憑いている守護霊が、完全に武藤くんの体と重なっていたからだ。
私にはそれが、何を意味するのか分からなかった。
だって……ねぇ。
守護霊が、その守護者の体を乗っ取るなんてこと、ある……?
あの武藤くんの守護霊は、決して『嫌なモノ』ではなかったはずなのに……!
私は思わず駆け出し、武藤くんから離れるように路地を曲がった。
万一でも、武藤くんに気付かれたくない。
自意識過剰だとは思うが、そんなことを考えて人通りの少ない裏道へと足を運んだのだ。
こちらの方が本屋への近道だ。
そう、自分を納得させて。
しかし、運命はどこまでも意地悪だ。
そもそも、全国から好戦的な人種が童実野町に集まって来ている時点で、そういう事件が起きても何ら不思議はなかったのだ。
――それは、つまり。
「なんでだよ!
僕が勝ったんだぞ、
「いや、今のはノーカンだよ、ノーカン!
練習だろ? 今のは!」
「はぁ? ふざけないで、練習なんか無いよ、僕が勝ったんだから……!!」
「だから、ノーカンだっつってんだろ!」
「あぁっ!!」
ガッ、という鈍い音と、少年の悲鳴が路地にこだました。
私は突然目の前に突きつけられた光景に面食らい、その場に固まってしまう。
デュエルディスクを付けた、見知らぬ二人の人間。
片方はガタイの良い男で、もう一人は私より年下の小柄な少年だ。
粗暴な男の拳が、まだ子供である少年の顔を容易く振り抜き、少年はあっけなく地に倒れ伏したのだ。
暴力……
それも、強い人間が弱い者に振るった暴力だ。
「ッ……!」
恐怖と怒りが同時に湧き上がる。
けれど、私は大した正義感も運動神経も頭脳もない、内気な女子高生だ。
子供に平気で暴力を振るうような男に、面と向かって抗議する度胸などない。
事実、私は。
「っ、何見てんだよ!!
見せ物じゃねえぞ、おら!!」
「っ……!」
男と目が合い、すくんでしまう。
あぁ、これが私じゃなかったら。
たとえば、力も度胸も頭脳もある、強者だったなら――!
私は震え、息を呑んだ。
怖い。
大声を上げることも出来ない私は、逃げることしか出来ない。
だがそのままスルーしてくれるとばかり思った男は、固まる私に容赦なく追い討ちを掛けてきたのだ。
「テメー、俺のこと運営にチクるつもりか?」
「っ!?」
男は私の顔を見据え、一歩、二歩、こちらへ歩き出した。
なんで、なんで、やだ、知らないよ、そんなの――!!!
足がすくんで動かない。
今すぐ男から逃げなければいけないのに!
オカルトとは違う種類の恐怖に侵された私は、自身の運命を呪って絶望した。
だが。
こんな絶望など、ちっとも絶望ではなかったのだ。
この直後に私は、本物の絶望を知ることになるのだから。
どこまでも深く、禍々しい闇。
視界に入れることすら、それを認識することすら本能が拒否する、圧倒的な邪気。
この世のモノならざる悪霊は、私と対峙する男の背後から、とある少年の声でこう言った。
「おいへっぽこ
――先に言っておく。
私の正気は、きっとここで途切れている。
今でもあれは、現実かどうかわからない。
自分がきちんとその場に立っていたのか、それとも気絶したのか――
私は自分がどうなったのかはっきり覚えてないし、全てが朧げなのだ。
だからここからは、私の妄想として受け取ってもらっていい。
きっとその方が、精神的に良いはずだ。
奇しくも私を助けるような形で、『彼』が私の前に現れた後。
気付けば殴られた少年の姿は既に無く、例の粗暴な男が地面に倒れ伏していたような気がする。
そんな中、『彼』は高笑っていた。
悪魔の哄笑。
私はそれをきっと、薄れゆく意識の中で目にしていたのだろう。
『彼』の胸元で輝くリング。
その金色の神々しい輝きとは真逆に、どこまでも昏く邪悪なモノを撒き散らす、闇の霊気。
『彼』は、獏良了という少年を依り代とした、人ならざるものだった。
吐き気を通り越し、私という魂そのものを抉り取るような、暴力的な圧迫感。
悪霊を神の領域まで引き上げたような『何か』が、獏良了の肉体を使って、人の表情を真似ている。
全てを嘲笑うような、不敵な笑みを浮かべ。
もはや、その時の私に何が見えていたのかなんて、私にだってわからない。
ただ地面に体を横たえた私が聞いたのは、獏良了の声と、たしかに聞き覚えのある少女の声だった。
彼は――彼女たちは。
冒涜的なリングから噴き上がる闇を惜しげも無くその身にまとわせながら、多分こんなことを話していたんだと思う。
私の、頭上で。
「やっぱこの男、ロクなカード持ってやがらねえ……!
てめえが『強そうな
「ごめんなさい、……ラ
でも、結果的に――さんを助けてくれてありがとう……!」
「ケッ、助けたつもりなんざねぇよ!
パズルカードもたった一枚しか持ってやがらねえし……
ま、何も持ってねえよりはマシか」
大いなる
闇に取り憑かれてしまった彼女――
犬成桃香と。
私は『彼』の圧倒的な邪気に当てられて、幻聴を聞いてしまったのかもしれない。
犬成さんが『彼』と至って平然と口を利いているのは、彼女が『彼』に操られているからに他ならないと――
私は今でも信じたくて仕方がなかったりする。
「それにしても、なんで彼女は急に……」
だって、倒れる私を心配そうに見下ろすクラスメイトは、どこまでいっても普通の少女だったのだ。
決して、ヒャハハハと嗤って誰かを死に追いやるような人外ではない。
――そう、私は信じたくなかったのだ。
彼女が、『 』という邪悪の共犯者であるかもしれないなどと。
「……コイツは『本物』なのさ。
たまに居るんだよ。見えてはいけないモノが、ダイレクトに見えちまう人間がな」
「え……?」
『彼』は語る。
獏良了の優しげな声を、悪意で塗り固めたような声色で。
「そんな奴にとって、オレ様がどう見えてるかなんて……
千年リングに何を感じたかなんて、いちいち説明するまでもねぇだろ?
ククク……」
「――さんには、バ……が恐ろしいものに見えてるってこと?
だから、怖くて倒れちゃったの……?」
犬成さんは、『彼』の名を口にしていたのだと思う。
それはきっと、獏良了の名字と同じ発音だった。
けれど私には、彼女が口にするその名を、どうしてもそのまま耳にすることが出来なかった。
「……思い出してみな、『コイツ』がどうやって作られたのかをよ」
「え?
…………っ、…………あー……」
『 』の胸元で、シャラリと小さな音が鳴る。
全ての元凶であるリングを手にした『彼』は、犬成桃香にこの状況の説明をしていたのだ。
私という、『本物』を見下ろしながら。
「ヒャハハこいつ、こんなに鋭い感覚してちゃ、普段学校に通うだけでもキツかっただろうよ……!
どうも、千年アイテムの邪念に敏感に反応してやがる女が居るとは思ってたが、まさかここまでだったとはな」
ククク、と薄笑いを零す悪魔が発した『千年アイテム』という単語は、私が今までもこれからも二度と聞くことのない名称だろう。
「え……、じゃあバkuラは、――さんのこと前から知ってたの?」
「なんだ? 嫉妬か?
ククク、言っとくが、オマエにもコイツを追い込んだ原因はあるんだぜ?」
「しっ!? ……と、って違う、そういうんじゃ……!
ってえっ……!? 私にも……なんで?」
悪魔が、獏良了の肉体を借りて声を発している。
その横で、間抜けな声を漏らしている少女は、もはや悪魔の眷族だ。
犬成桃香という名の。
「オマエにまとわりついたオレ様の気配が嫌で嫌で仕方ねぇんだろ、『本物』の霊感少女サマはよ……!
オマエはコイツに心底嫌われちまったのさ。
汚ねぇ手で触んじゃねえとよ!」
「えー……BAくra……、ちょっとひどい」
「っ、ヒャハハハハ……!」
闇が揺らいでいる。
もはや何も語ることの出来ない私を取り巻いて、この巷を瘴気で満たしている。
「オレ様はまだ生き残ってる
オマエは『お友達』と合流しておきな。
「わかった」
彼らはそれから、まるでそこらの高校生男女がじゃれるように、少しだけ他愛のない会話を交わしていた。
私にはもはや、その言葉すら理解出来ない。
ただ私に分かるのは、未だかつて学校では聞いたことのない恍惚とした声で、嬉しそうに笑う少女が居たことと――
超常的な力によって現世に顕現し、少女を手懐けているらしい人ならざる悪魔が、その時たしかに存在していたということだけだった。
『 』の視線が、私に向けられる。
獏良了の肉体を借りた、どこまでもおぞましい双眸。
その、眼差しを直に見てしまった私は。
今度こそ、完全に意識を失った。
――次に私が目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
私はそのまま、童実野高校から転校した。
新しい学校に移った私は、特にトラブルに見舞われることもなく、三年生に進級した。
体調は回復した。
さらに、親の都合で私たち一家はほどなくして、童実野町から少し離れた別の町に引っ越した。
それ以来、童実野町には足を踏み入れていないし、かつて通っていた高校の同級生たちとも会っていない。
勿論、今でも死した者たちの気配を感じることはあるが――
それはもう、私にとっての通常運転だ。
私はきっと死ぬまでこの力から逃れられない。
そのことについてはもう諦めてるし、受け入れてもいる。
何より、私が直面した『あれら』に比べれば、どんな幽霊だって今ではかわいいものだと思えてくるのだから。
そんな中、卒業を目前に控えた私は、元同級生の高校生社長、海馬瀬人が主催するKCのデモンストレーションの模様をネットの生配信で見て、そこにあの武藤遊戯が
武藤くんはいつのまにかデュエルの腕で頭角を現し、その世界では知らないものは居ないほどの有名人になっている。
観客が大勢詰め掛ける大舞台で、
映像に映った武藤くんの胸には、もはやあの首飾りは存在していなかった。
そして、画面越しだからなのか分からないが、武藤くんの傍にずっと侍っていた守護霊も今は見えなくなっていた。
武藤くんは……あの武藤くんの守護霊は、本当に『守護霊』だったのだろうか……?
私は今でも、確認できていないことがある。
あの童実野高校の教室で――
何食わぬ顔をして授業を受けていた、獏良了と犬成桃香。
彼らが今どこでどうしているのか、ということだ。
私は彼らの『その後』を知らない。
幸か不幸か、ほとんど友達のいなかった私にとっては、当時のクラスメイトについての近況を聞く伝手は無かったからだ。
もっとも、その気になれば調べられたのかも知れないが……
私は怖かったのだ。
かつて私を真綿で首を絞めるように苦しめた彼らが、その後どうなったのかを確かめることが。
武藤遊戯はしっかりと地に足をつけて生きている。
けれども、その胸にあの忌々しい首飾りは無い。
ならば。
もし、もし。
もし獏良くんも同じ状況だったとして。
では、この世の怨念を無理矢理煮込んで封じたようなあのリング――
そこに宿っていたおぞましい『モノ』は、一体どうなってしまったのだろうか。
『あれ』は、決して一朝一夕に成仏できるようなものではない。
もし『あれ』を成仏させることの出来るモノがあったとしたら、それは、武藤くんのような、同種の――……
彼らは今でも、どこかで邪悪な気配を撒き散らしているのだろうか。
『 』と、彼に取り憑かれた少女は。
もし……、もしも、『 』が無事に成仏――
いいや、消滅したとして。
では、その悪霊に影響されていた少女は、一体どうなってしまったというのだろう。
邪念の影響から解放された少女は、正気に戻って日常に帰って行ったのだろうか。
わからない。
けれども、きっとそうであると信じなければ、私はさらなる恐怖に支配されてしまいそうな気がした。
やめよう、考えるのは。
忘れよう。
霊感少女などと揶揄された私の生命力を、ごっそり削り取った存在たちのことなど。
ネットで生配信されていた、次世代デュエルディスクのデモンストレーション。
その映像は何故か途中で乱れ、配信が途切れてしまった。
一体どうしたというのだろうか。
私は、放送事故に陥った画面を見つめながら、首を傾げてネットを切った。
心なしか、武藤くんを映していた映像が途切れた後に、私の背筋に得体の知れない怖気が走った気もしたが――
私は本能的に、脳裏に浮かんだ不穏な想像を打ち消した。
武藤くん、そして海馬くん。
彼らがその時直面していたモノが、この世ならざる、オカルティックな色彩を帯びた事態かもしれないなんていう想像を――
唐突だが、私の告白はこれで終わりだ。
だから、一連の出来事を詳細に思い返すのは、これが最後。
先日の生配信の後、KCからはネット配信の乱れによるお詫びがあった。
どうやら私がネットを切ったあの後、イベントは滞りなく終了したらしい。
当日イベント会場に行ったという参加者を名乗る人たちが、変な体験をしたという噂話があちこちに出回ってはいるが……
よくある噂話、オカルト好きの一般人のそれだと、私は自分を無理矢理納得させている。
私はこれ以上この件について深く考えることも、あらぬ想像を膨らませることもしない。
その方が精神衛生上良いからだ。
二度と私と会わないだろう、『彼ら』――
私を転校へと追い込んだ、まるで時が止まったように過去の遺物に囚われていた『彼ら』はともかく。
高校の卒業を控えた私は、まだ現世に生きているし、これからも生きて行かなければならないのだから。
武藤遊戯という名の元同級生の姿は、これからもどこかで見かけるかもしれない。
彼は、守護霊……のような何かに、守られていた。
今や姿は見えなくなっても、きっとその魂によって強くなった彼は、道を違える事は無いだろう。
それで良いのだと思う。
そして私の勘が正しければ、恐らく獏良了も生きているはずだ。
血の通った人間として。
善良で平穏な、男の子として。
それが全てなのだと、私は繰り返し自分に言い聞かせる。
あの時確かに『在った』が、今は消えてしまったモノに関して――
私はもう二度と、思い返す事はないし、心を動かすことも無いのだ!
消えてしまったモノが、何処へ行くのか。
見えなくなったモノが、どうなってしまったのか。
もはや、何も分からないのだ。
私は、『彼ら』を過去として、過ぎ去った出来事に背を向けて生きていく。
今までも、きっとこれからも。
だって私には、そうすることしか出来ないのだから――
END
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