「神さま、月光に浸した椿をお持ちしました」
 両の手で包み差し出すと、神さまはその細い指で椿の花をそうっとつまみ上げた。小さな口に運び、愛おしそうに花びらを一枚一枚食む。
 それからいつものように、神さまは社の真ん中に鎮座すると、指先からしゅるしゅると美しい絹糸を生み出した。私もいつものように神さま、お蚕さまから絹糸をうやうやしく受け取る。これを使って機を織るのだ。
 お蚕さまは時たま山の上の小さな社に降りて来ては、こうして霊験のある糸を与えてくださる。誰もが社のことなど忘れ去っているが、本来は私のように機を織る者はこうして祈りを捧げていたのだ。
 お蚕さまは自らが生み出す絹糸のごとく美しい。汚れ一つない着物を軽やかに纏い、重さなどないかのように振る舞う。切れ長の瞳と筋の通った鼻はいつも穏やかだ。
「神さま、曇り空に一週さらした菫でございます」
 お蚕さまはその日もいつものように花を受け取り、静かに唇を付けた。いつもと違ったのは、糸をくださる前に一言おっしゃったことだ。
「私はもう消えなくてはならない」
 私ははっと顔を上げた。
「どうしてですか」
「私のことを顧みる者が、お前一人になってしまったからだ
 信ずる者が減ると、神の力はなくなってしまうのだよ」
 だからすまないね、糸を与えられるのも今日限りだ。神さまは悲しく笑った。
 私は思わず社にのぼり、お蚕さまの腕を取った。消えないで、と爪を立てたが、ゆうべ爪を短く切りすぎた、彼の腕には傷一つ付けられない。
 気が付くと神さまはもはや消え失せ、私は絹糸のかたまりを握り締めていた。
 社の向こうに連翹が咲きほこっていた。私はふらふらとその黄色い花に近づき、朝露をたっぷり含んだ花を噛み千切った。



(第36回フリーワンライ参加作
使用お題:花(椿、菫、連翹)、曇り空、爪を短く切りすぎた)





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