洗面所からゴボゴボと音がしたので覗いてみると、床一面が泡に埋もれていた。
 洗濯機のホースが壊れて、底から排水が溢れ出てしまったのだった。私は床掃除のために、これから午前のセールに行くという計画が打ち崩れていくのを感じながら、業者に修理依頼の電話を入れた。昼過ぎに来てくれると言う。
 工事に来た若い男は、今から作業するとは思えないような、きちんとしたスーツ姿だった。若い男はサワヤカ笑顔でニッカリ笑うと、さっそく壊れた洗濯機を見に行った。本当にそれで修理できるの? と私は半信半疑になりながら、洗面所に入っていく男をオドオドと後ろから見遣った。男がテキパキとした様子でかがみこんで洗濯機を観察しているので、私は安心してお茶の用意をしに台所へ向かった。
 半時間後、洗濯機に取り掛かりきりのスーツ男を見に行くと、男はそこにいなかった。
 代わりに、新しい洗濯機がそこにはあった。開いた蓋が、さあ洗濯して下さい、と言わんばかりに待ち構えている。蓋の中にはスーツ一式とネクタイが放り込まれていた。……男が着ていた服だ。
 ピカピカの洗濯機が静かに洗面所の片隅に鎮座している。傷一つない。古い洗濯機は一体どこへ消えてしまったのだろう。そして、彼の姿もどこへ?
 蓋の開いた洗濯機がコロンと何かを吐き出した。傷んだホースだった。
 私は一つの仮説を立てた。彼は洗濯機を直したのではなく、古い洗濯機を食べ、そして彼自身が洗濯機になってしまったのだと。

 十九時に帰ると言っていたのに、夫は今日もそれを裏切った。テーブルの上の食事は、おそらく二十三時までラップをかけられたまま待ちぼうけをくらうだろう。私は椅子の上で耐えているのがくやしかったので、すっかり新しくなった洗濯機を夜にも関わらず回すことにした。
 私は洗濯機の中に入りっぱなしになっていた修理屋の彼のスーツを洗うことにした。本当はスーツを洗濯機で洗うことは望ましくないとわかっていながら、夫の権化のようなスーツに八つ当たりするのだ。
 蓋を開けたまま洗っていた。泡の中でぐるぐると回るスーツを見ていたら、なんだか気持ちが良さそうに思えてきた。
 私はその中に入ってみることにした。回っている洗濯機の中に。泡の中にするりと入ると、洗濯機の音しか聞こえなくなった。
 数十分後、私はスーツと共に洗濯機の中から出てきた。とてもすっきりとした気持ちだ。腕に抱えているスーツも、少しもくたびれた様子がなく、新品同様に光っていた。
 夫はその日結局帰って来なかった。

 それから私は毎日、洗濯機の彼のスーツを抱いて洗濯槽に入った。洗濯機に寄り添っているその時間は、私の至福の時間になった。泡で洗われる度、私の心は洗われていった。なかなか家に寄り付かない夫にも少しも腹が立たず、むしろ私がいつになく寛大に接するので、夫の方が気味悪がっているようだった。
 ある夜、夫が珍しく早く家へ帰ってきた。と思えば泥酔しているらしく、そのままソファに倒れ込んでしまった。いそいそと台所から料理を運んできた私は拍子抜けしてしまった。夫は既に軽くいびきをかいている。またテーブルの上の料理は食べてもらえないのだろうか。
 着替えもせずソファの上に転がる夫は、まるでくたびれたスーツの塊のようだ。私は思いついて、眠りこける夫の体を洗面所まで引きずっていった。そして、何やら寝言を呟いている夫を、苦労して洗濯槽の中に押し入れた。私を相手にしない夫に嫌がらせをしたのではない。洗濯されることによって私がすがすがしい気持ちになったように、夫にもそれを味わってもらいたかったのだ。
 きれいにすすがれて洗濯機から出てきた夫は、一回り小さくなったように見えた。私は色々なものが抜けて軽くなった夫をぐいと持ち上げて、洗濯ばさみを付け、部屋干しした。
 空中で目覚めた夫は、すっかり酔いが覚めていた。さらには、自分の記憶まで抜け落ちているらしい。だらりと干されたまま呆けている。
 私が心配して見上げると、夫は子供のように笑った。
 洗濯機は再び壊れていた。







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