アパートの中庭にて、雨水を溜めている人がいた。
204号室の小津さんが、大きな甕を地面に置いて、まばらな雨の中、傘を差して立っていた。
「キャンディをつくるんです」
キャンディ?私はオウム返しした。はい、キャンディです。雨水を使って?はい、雨味の飴……なんて。
小津さんは恥ずかしげに眉根を寄せて笑った。
「出来上がったら、あげますね」
一ヶ月後、小津さんから出来上がったキャンディをもらった。変わり者の小津さんと同じく、変わった味だった。ほんのり、雨味。
中庭で、いつもと同じく小津さんが雨水を集めていたが、その姿はどこか寂しそうだった。
「今度、引っ越すんです」
私は、ああ、と間の抜けた返事をした。
「だから、最後に言っておきたくて」
そして小津さんは、短い、ありきたりな告白をした。
それは雨に掻き消されて、私の耳には聞こえなかった。
そういうことにした。
一週間後、郵便受けを覗くと、小津さんが引っ越す前に入れていったのだろう、小さな袋があった。中身はあの雨味のキャンディだった。
一粒、口に放り込んだ。変わり者の小津さんの、変わらないおいしさ。ほんのり、涙味。
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