長い戦が終わった。
天下を分ける関ヶ原は、復讐の鬼へと化した石田により西軍の勝利となった。


そう、勝利、したのだ。




「大谷、」
「同胞か。随分と久しいなァ」
「石田は居るか?」
「……………」
「…上がるぞ」


無言を肯定と受け取る事にする。
早足で石田の自室へと向かう。
静かな長い廊下にみしり、みしり、と床が鳴る。


石田の自室の前では、困ったようにうろうろとする兵が一人。
近付くとその手には少しも手をつけていない食膳。



「…おい」
「も、毛利殿!お久しゅうございます」
「何をしておる」
「はっ。…三成様が、少しも食されて下さらないのでございます。もう一週間はまともに食されておりませぬ」


大方の予想通りだが、石田が食物を口にしない日数が来る度に延びているのは果たして気のせいではないだろう。
ほんの少しのため息を吐いて、兵から食膳を受け取る。



「…石田」


呼び掛けても返事はない。


「…入るぞ」


襖をあけて中にはいれば。



「………いえ、やす…」
「…我をそのような名で呼ぶでないわ」


もとより線の細い男ではあったが、細いなんてものではない。
骨と皮しかないような腕は、ひょっとしたらもう刀も握れないのではないか。


鋭い瞳は虚ろに空を見て、ただひたすらに、あれの名前を呼ぶ。
そこにはかつて凶王と呼ばれ恐れられていた姿など微塵もない。



「石田、飯を食え。貴様が天下をまとめねば、中国にまで被害が及ぶであろう」
「………何故……いえやす…」
「聞いておるのか石田?」


「三成に何を言っても無駄よ」



響いた声に振り向けば大谷が御輿にのりふわふわと浮かんでいた。
その顔は悲痛の色に満ちていた。



「今の三成には我の声すら届かぬ。…三成は徳川とともに死んだのよ」
「…………」
「三成は無意識のうちに自ら死へと向かっている。もう、こんなに痩せこけてしまった」


凶王のときに唯一といっていいほど心を許していた大谷にも反応を見せない。
まるで此処にはいないように。



「すまなんだが、我はもう行く。三成が不在の分働かなくてはな」
「貴様は、死なないのか」


「石田と供に、いかないのか」



言えば少しだけ目を細めると、石田の頬を撫でた。



「…三成は、我に生きろと言った。生きるしかあるまい」
「石田が死んでもか」
「当然よ。三成にはもう不幸はいらぬ」


三成が望むなら、
我はそれを叶えよう。


最後にそう言って、大谷は出ていった。
相変わらずどこまでも甘く、気苦労の絶えぬ男だ。




「我は、認めぬぞ。石田」


そんなもの、認めぬ。
貴様の望みなど叶えようとも思わぬ。
貴様は我に勝手に死ぬなといい、そして勝手に死ぬなど許さぬ。


膳の握り飯を少量口に含む。
少し塩辛いが、悪くはない。

石田の痩せこけた頬に手をあて、薄い唇に自らのそれを重ねた。
無理矢理握り飯を押し込む。
小さく喉が動いたのを確認してまた握り飯を口に含む。


その動作を何度繰り返したか解らぬ。
しかし石田は終始その瞳に何も映しはしない。



「……いし、だ」
「背徳の……許しを……秀吉さま……いえやす…」
「石田…!」


抱き寄せた石田は我が軽く力を込めただけで簡単に折れてしまいそうだ。
青白く、生気のない顔をしていても確かにぬくもりはある。



「石田……!いし、だっ…!」
「……秀吉様…許しを…」
「貴様は生きているのだ…っ!」


生きている。
呼吸をしている。
今、ここにある。

なのに貴様はどこにいるのだ?



「生きているっ…!」
「……………」
「石田っ、何故……」



「何故っ、我をみない…!!」




頬を温かいものが伝った。



生きる術を知らない


いつだって貴様はあれしか見ていなかった。

そして今度は、
あれと供に死ぬと言うのか。






text by 夢仄芳