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「すいやせーん、婚姻届出しにきたんですけどー」

「はい。この度はおめでとうございます。本日は奥方様と旦那様で?」

「へい。」

「旦那様の本籍地は江戸市中外ということですが…本日戸籍抄本はお持ちですか?」

「あ。これですかねィ…」

「ありがとうございます。そちらもお預かりしますね。それでは不備がないか確認させて頂きますので、どうぞそちらの椅子にかけてお待ちくださいませ。」

「よろしくお願いしやす。」

「…よ、よろしくお願いします。」


3時間。
これは、あたしが沖田様と出会い、入籍に至るまで掛かった時間である。

テレビのニュースかなにかで見たスピード婚は出会いから結婚までの期間が1ヶ月あった。それであってもとんでもなく早いと騒がれていたのに、あたしは初対面の男の子と1日、いや半日も経たないうちに婚姻関係を結んでしまった。

現在あたし達は江戸の役所で並んで座り、婚姻届の受理を待っている状況。
周囲にはあたし達以外にも婚姻届を出しにきた人達が結構居る。皆なんとなく嬉しそうで、多分きちんとお付き合いして色々段階を踏んでここにきているんだろう仲睦まじいのがすごく伝わってくる。あたし達とは本当全然違う。
隣同士並んでても話さないし。沖田様はずっと携帯電話弄っている。

…いくら年が近くったって、駄目だよ父様
と思うけど、それはもう本当に思うだけであってどうしようもない。


「なまえさん。」

「……。」

「なまえさんって。」

「……、」

「なまえ!…聞いてんのかィ?」

「…えっ、あ!!ごめんなさい、なんですか?!」

「婚姻届の受理証明書受け取りやした。」


突然の呼び掛けに吃驚して顔をあげると沖田様の手には一枚の紙。いつのまにか名前を呼ばれたらしい。


「あ…あたしぼーっとしてて気付かなかったです。ありがとうございます。」

「いーえ。まあとりあえず帰りやしょう。腹減ってきやした。」

「あ…はい、」


スタスタと歩き出した沖田様をみて、なんだか凄く複雑な気分になる。
婚姻届を出してあたし達は夫婦という関係になったわけだが、実感が湧かないというかなんというか。
目の前を歩く彼のことは何も知らないし、考えていることも全くわからない。
お役所を出てすぐタクシー乗り場があったのに、沖田様はそれを無視して街中をどんどん歩いていくが、それも疑問だ。


「あの、タクシー拾わないんですか…?」


我が家は江戸とはいえ郊外のしかも山手にあるため、あたし達は今日タクシーでこの役所までやってきた。時間もそれなりにかかったし、正直歩くには遠すぎる。
とりあえず沖田様を追っかけて出来る限り速く歩くけど、乗らないのが不思議でそんなことを尋ねてしまった。


「ここから屯所まで歩いて5分かそこらですぜ?タクシー使う程の距離じゃねーや。」

「と、屯所…ってどういうことですか?!うちに帰るんじゃ…」

「だから家じゃねーか。今日から屯所の離れが俺らの新居になるんでさァ。」

「え、」

「多分アンタの荷物、今頃うちに送られてきてまさァ。山崎辺りが多分整理してると思うぜィ。」

「う…うそぉ…」


いや、結婚しちゃったからそりゃ一緒に住むのだろうけども。今日から?準備も何もしていないのに?なんでもかんでも唐突過ぎである。

そもそも、この人は随分サラッと結婚を受け止めすぎじゃないだろうか。まさかあたしと同じくこの縁談を今日聞かされて受けたとは思えないけれど、初対面の人間といきなり籍を入れるのに抵抗はなかったのだろうか。


「…あの、沖田様はいつからご存知だったんですか?この結婚…」

「あー…いつだったかな…忘れちまった。とりあえず急にとっつぁんから婿行けって言われてねィ、まあ嫁さんなら貰っても良いっつったんでィ。そしたらアンタの親父さんが是非アンタのこと貰ってくれって言ってきたんで引き受けたんでさァ。」

「…そ、そうなんですか……。」


なんて軽いノリなんだろう。
余計なお世話だけれど、沖田様はそれで良かったのだろうか。
流れで婚姻届を書かされて提出までしたものの、正直あたしはまだ結婚なんかしたくなかった。ずっと花嫁修行をさせられていたあたしでさえ、せめて二十歳になるまでは待って欲しかったと思ってる。
沖田様だってあたしと同じ年の男の子だし、結婚なんて具体的に考えていたとは思えない。そもそも興味もなかっただろう。
出世のための政略結婚…というならば、あたしとくっついたところで、正直彼になにかメリットはさほど無さそうだし。


「つーか、いつまで俺のこと沖田って呼ぶつもりでィ。アンタも今日から沖田でさァ。…俺んこと下の名前で呼びなせェ。」

「えっ、」


沖田様にそう言われて、確かにそうだと気づく。

婚姻届出したわけだし、あたしももう沖田姓に違いないから彼がそういうのは当然だ。でも、あたしは今まで男の人と関わったことが殆どないし名前を呼ぶ機会も殆どなかったから少し気恥ずかしい。
躊躇っていると沖田様が振り向いてジトッとあたしを見てきた。


「なんでィ。もしかして名前覚えてねェのかィ?」

「違っ、そうじゃなくて…その…男の人を名前でお呼びしたことないもんですから…、」


…たかが名前、されど名前。

男の子に慣れていないあたしからすればそれは凄く難易度が高くて、彼の顔をまともに見て答えることができず俯いてしまった。
けど沖田様は別に気にした様子はなく「じゃあ“アナタ”とか“ダーリン”とかって呼びやす?」なんて言ってる。いや、アナタとかダーリンとかってもっと難易度高い。


「……そ、総悟さん。」

「なんでィ。」

「いえ、別になんでもないんですけど…。」

「あっそ。…まあなんとか呼べるじゃねーかィ。これからはそう呼びな。」

「……はい。」

「あーマジで腹減ったー…山崎、晩飯何作ってんだろ。」


本当イマイチよくわからない人だ。
彼の職場のことも聞いてない。警察ってことはわかるけどそれ以上はわからない。
でも、とりあえず彼が悪い人ではないということだけは、出会ってからこの時間まででなんとなく感じた。

今はまあそれだけでも収穫はあったのかもしれない。



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