乙女心と初秋の空(3)悪魔は天使の羽根を踏まない
 萩原さんをマンションに送り届けてから、秘密基地に戻り玄関のドアを開けた瞬間、何やら甘い香りが鼻腔をくすぐった。何だろ、ケーキとかクッキーとかの色んなお菓子の匂いがする。怪訝に思いながらリビングに向かうと、テーブルの上に所狭しと並べられた色とりどりのケーキやら何やらを囲んで兄と月夜以外のメンバーが深夜のお茶会をしていた。
 すごい量だなこれ。と思いながらキッチンを見ると、エプロン姿のオズと目が合った。

「えっ……どういう状況?」
「オズの本職はパティシエなんだ。ヒナも座って食べると良い、味は保証しよう」

 優雅に紅茶のカップを傾けながらタナトスが言う。本職ってどういう事だってばよ。禁書の司書と両立出来るもんなの? 首を傾げつつ促されるまま隣に座ると、オズが私の前にも紅茶を運んで来たので礼を言って受け取る。そして改めて目の前に広がるスイーツの海を眺めた。
 オーソドックスなショートケーキやチョコレートケーキ、フルーツタルトやシフォンケーキ……丁寧に切り分けられているけども、どれもワンホールのケーキたち。何だこれ、お店屋さんかな。小皿に盛られた可愛らしいクッキーやチョコレート、何故か練り切りまである。えっ、これ全部オズが作ったの? 凄過ぎない??

「うわぁ……すごい、美味しそう……!! じゃなくて、あのさ。松田さんが、エレさんの声が詰まった瓶? を持ってるらしいんだけど、松田さんじゃないと使えないだろうから、爆処組のお二人を秘密基地に呼んでもいいか皆に聞いとけって、月夜が」
「! 『瓶詰の歌声』を、陣平ちゃんが? そうか……此処へ呼ぶのは構わないが、例えあの二人でも経路や位置を知られるのは避けたい。ならば私かヘルメスが迎えに行くべきだろう」
「そうなるッスね。ロキは魔具の確認しに行った感じッスか?」
「うん、松田さんと一緒に……萩原さんは自分の家に戻ったよ」
「ではそのうち連絡が来るだろう。エレとオズも、異論は無いな?」
「もちろん無いわよぉー」
「僕の事はお構いなく」
「ならば結構。私は陣平ちゃんを、ヘルメスは研二くんを頼む」
「了解ッス!」

 そしてあっという間にタナトスとわんころの姿が消えた。兄の意見は……まぁいいや。二人が戻るのを待ってる間にケーキを頂く事にしよう。わぉ……どれから食べるか悩む。

 うーん、でもなぁ、やっぱりその前に。

「……ミヤ?」

 一応様子を見に部屋へと声を掛けつつ中を覗くと、規則正しい電子音と微かな寝息がふたつ。

(あれ……珍しい)

 ベッドの上のエレさんは相変わらずで、その横に置いたイスに座り腕を組んだまま目を閉じた兄は、私が近付いても起きる気配がない。寝てる兄なんて久々に見た気がする。流石に不寝の番は無理だったらしい。当たり前か、兄も一応人の子だったな。
 なるべく音を立てないようにクローゼットから毛布を取り出して兄に掛けて見るけど……うん、熟睡モードだなこれ。全然起きない。

(ずっと起きてたもんな……しばらく寝かせといた方がいいか。タナトスたちが戻って来たら起きるでしょ)

 そう脳内で結論付けた私は、二人を部屋に残しまたリビングへと戻る事にした。





 タナトスとわんころが爆処組のお二人を連れて戻って来たので、リビングのソファーの方に移動してテーブルに置かれた透明な空っぽの小瓶を手に取って眺めてみる。親指程の大きさの、ラベルも何も無い、ただひたすらにシンプルな空瓶にしか見えないけど……?

「……これがその、エレさんの『瓶詰の歌声』?」
「あぁ。月夜には“聴”こえたし、私も“視”たから間違いない」

 そう答えたタナトスに、ソファーに並んで座っていた萩原さんと松田さんが頷いた。二人が確認したなら間違い無いんだろう。

「では、早速使ってみるとするか」

 そう言って立ち上がったタナトスの後を、私と爆処組がついて行く。部屋に入ると、兄はまだ寝ているみたい……って、あれ?

「ねぇ、タナトス……」
「あぁ……ミヤが他人の気配で起きないのはおかしい」

 私たちが部屋に入るのを手で制したタナトスが、ベッドの向こう側を睨みながら「居るだろう、出て来い」と低く呟いた。

「……!! レム!」

 しゅるり、と影が立体的に集まり人の形を成したかと思うと、たちまち見知った子供の姿が現れた。思わず声を上げると、タナトスが怪訝な顔をする。

「エレの眷属が何故、使役者の意識外で立ち回れる?」
「……それを知ってどうするの? 君たちには関係の無いことだと思わない?」

 可愛らしい顔立ちににこりと笑みを載せたレムがこてんと小首を傾げて見せた。ピリ、と僅かに室内の空気が張り詰める。うへぇ。

「タナトス、萩原さん達も居るし、とりあえず殺気は仕舞った方がいいんじゃない……?」
「……そうだな。此方を害する気は無さそうだ……今のところは」

 小さく溜息をこぼして殺気を引っ込めたタナトスに、レムがクスクスと笑って見せる。固唾を呑んでそのやり取りを見守るしかない私たちをよそに、タナトスはやや尖った声色でレムに質問を続けた。

「……それで? 何故ミヤを眠らせた?」
「それがボクの役目だからね」
「役目だと? エレの命令か?」
「答えると思う?」
「ならば質問を変えよう。何故……エレは目を覚まさない?」

 その問いに、レムは表情を変え嘲笑うようにくつりと喉を鳴らした。

「そんな事もわからないの? 次代の“リーリアム”候補が? 笑っちゃうね」
「……ッ、何故、それを……」
「“知り得る者”が自分だけだと思ってるなら大間違いだよ、タナトス?」

 えぇ……? 何の話?? ぽかんとしていると、痺れを切らした松田さんがイラついた様子で口を開いた。

「オイ、このやり取りはいつ終わるんだよ?」
「あっは! 同感だなぁ! ……僕も飽きちゃった」

 そう答えたレムの手に、しゅるりと影が集まって──凶悪な大鎌が握られる。

「いいよ、遊んであげるね」

 底冷えする様な声に、肌が粟立つ。

 えっ!? ちょっと!? ここで戦闘すんのは絶対ダメでしょ!!

「ま、待って!? ストップ!! レム、タナトス、落ち着こう? ねっ!?」

 思わず大声を上げると、いつの間にか私たちの背後に立っていた月夜とわんころが呆れた表情を浮かべてこちらを見ていた。

「……レム、余り遊ぶとエレに怒られんぞ」
「ありゃ、レムってコイツの事だったんスかぁ?」
「えっ? わんころ、知り合い?」
「まぁ、知らないヤツでは無いッスねー」
「……ハァ……とんだ茶番に付き合わされた訳か」

 些かぐったりとした様子でタナトスが呟くと、レムは「僕の演技も中々のものでしょ?」と可愛らしく小首を傾げて見せた。


 * *


 リビングのテーブルでレムが幸せそうにケーキを頬張るのを眺めながら事の成り行きを見守る。

「……つまり、レムは精霊の一種、だと……?」
「そうッスねぇ、まぁ、平たく言えば。オレも詳しい事はわかんないッスけど、風の噂でそう聞いたッス」

 つまらなそうに呟いたわんころの言葉に、口元に手を添え視線を落としたタナトスが暫し考え込む。

「……私の目にも“視”えないとなると、一体何処から連れて来たのか……いや、心当たりは有るのだが……」

 そう言ってタナトスが視線をレムへと移すと、ペロリと口の端を舐めたレムが一瞬だけその幼い見た目と釣り合わない妖艶な微笑を浮かべた。その表情に、よくわからないけど悪寒が走る。うへぇ、なんか知らんけどこわっ。

「僕の事なんてどうでもいいでしょ? それより、君たちが解決しなくちゃいけない問題がある筈だよね?」
「それもそうだな。それで? 何故エレが目覚めないのか、教えてはくれまいか」

 タナトスがそう問うと、ソファーの方に座っていた萩原さんが微かに息をのむ音が聞こえた。

「……仕方ないなぁ。じゃあヒントを教えてあげる。『最先(いやさき)最終(いやはて)の狭間に黎明あり』、って主さまは言ってたよ?」
「……! ……そう、か……」
「えっ、待ってタナトス。まさか今のでわかったの?」

 レムの言葉に顔を顰めたタナトスに、思わず驚愕の声が出てしまう。そして萩原さんと松田さんの向かいに座っていた月夜とわんころも、タナトスと同じ様な表情を浮かべた。
 また蚊帳の外案件か! そうはさせんぞ!

「えっと……私にもわかるように説明して欲しいな……?」

 おずおずと尋ねると、チッ、と月夜がでっかい舌打ちをしたあと口を開いた。どうやら説明してくれるらしい。

「……先だってエレが蒐集した『終焉』が百巻、そん時に対である一巻『創造』の在り処がわかったんじゃねぇの。そんでその二冊が揃えば、十一巻『黎明』も見付かるって事だろ。違うか?」

 ギロリと月夜がレムを睨め付けると、チョコレートムースを頬張りながらレムが「怪獣にしては頭が回るよね」と返した。途端に月夜の眉間に皺が寄る。わぉ、一触即発。やめてくれ!

「え、えーと、それで? その他の禁書のせいでエレさんの目が覚めないの?」
「さぁね? 僕は主さまの言付け通り、邪魔者の排除をしてるだけ。それが僕のお役目だから」

 そう応えながら涼しい顔で紅茶を飲んだレムに、タナトスが諦めを含んだため息をひとつ。

「……レムと爆処組の事は私とヒナが見るから、他の皆は解散だ。埒が明かん」

 そしてタナトスの言葉の通り他の皆は順に姿を消した。リビングに残った私と爆処組のお二人、タナトスとレム。それから……黙々とケーキを食べ続ける月夜。うん、カオス。
 これ以上話は進まないらしいので、心底居心地悪そうなお二人を連れてウッドデッキに出て兄が使っている灰皿を手渡すと、二人は長いため息と共に紫煙を吐き出した。

「……何つーか……お前も大変だな」
「えぇ……? まぁ、そうですね。でももう慣れました。それより、せっかくご足労頂いたのにややこしい事になってすみません」
「ヒナちゃんが謝る事なんて無いよ、俺たちは好きで首突っ込んでるんだし。ねっ、陣平ちゃん?」
「……アイツが起きたら、この埋め合わせはしっかりして貰わねぇとな」

 ウッドデッキの端に腰掛けながら、ぶっきらぼうに答えた松田さんに、萩原さんが小さく「素直じゃ無いよねぇ」と笑った。強い人たちだな。だからこそ、エレさんは心を開いたのかも知れない。

「……ねぇ、ヒナちゃん。ちょっと質問してもいい?」
「えっ? はい、答えられる範囲でなら」

 頷きながら萩原さんと松田さんの間に腰掛け、言葉の続きを待つ。

「あのさ。前にシィ……エレちゃんが言ってたんだけど、異能者と普通の人とは相容れない、決して理解しあう事は無いだろう、って。……ヒナちゃんも、そう思う?」
「えっ、と……」

 その問い掛けに、思わず言い淀んでしまう。
 でも……それは、私もいつも考えていたこと。

 異能を持った人間と、普通の人間の、違い。

「……そう、ですね。でも……それでも、完璧に解り合えなくても、一緒に居る事は出来ます。確かに、異能を持ってる人たちは、少し考えがズレてたりしますけど。でも、みんな同じいきもので、一個の命なんです。でもそれは、普通の人間も同じですよね? それぞれ個性があって、勉強が出来たり足が速かったり、手先が器用だったり。異能って、その延長線だと思うんです。普通の人間同士でも、解り合えない事の方が多いですし。だから、特別異能があるからって、そこまで相違があるわけじゃ無いと、私は思います」

 珍しく喋る私に驚いたのか、二人は少しだけ目を丸くしたあと、互いに顔を見合わせてから優しい笑みを浮かべた。

「……そっか。そうだよね、うん。何かスッキリした! ありがとね、ヒナちゃん」
「えっと……どう、いたしまして?」

 曖昧な返事をすると、何故か松田さんにわしゃわしゃと些か乱暴に頭を撫でられてしまった。


 * *


 もう明け方も近いけど、とりあえずお二人には客間で仮眠をとって貰う事にした。レムはエレさんの影に戻ったらしく、タナトスはいつの間にかどっか行った。寝っぱなしの兄は月夜が(少し乱暴だったけど)兄の自室のベッドまで運んでくれた。
 静かになったキッチンで後片付けをしていると、最後のひと匙を食べ終えた月夜が何か言いたそうな視線を私に向ける。

「どしたの、月夜?」
「別に……」
「気になるから言って欲しいんだけど」
「……さっき一緒に出た時、オズに何か言われなかったか?」
「んん? 例えば?」
「例えば……『美味そう』とか『調理し甲斐がありそう』とか」
「あぁ……そういえば何か言われた気がするな? 何だっけ……『取って食べたりはしませんよ。タナトスたちに怒られてしまいます』、って。えっ、何? 怒られなかったらやっぱり取って食う気だったの?」

 一体何者なんだオズは。片手で大男を吊し上げてたし……謎すぎる。私の返答を聞いた月夜は忌々しげに「チッ、あの野郎……少しも反省してねぇな」と吐き出した。何があったのかこわくて聞きたく無いので、違う話題を振ってみる。

「レムの説得、やっぱり無理そう?」
「無理だろうな。精霊ってのは無駄に気位が高ぇから、原則主人以外の命令は聞かない」
「精霊かぁ……レムって何の精霊なんだろね? 影?」
「……さぁな」
「でもわんころは精霊の“一種”って言ってたな? 色々種類があるの?」
「説明がめんどくせぇ」
「そーですかー。よし、洗い物おわり。朝ごはんの支度でもしよっかな」

 白み始めた窓の外を見ながら呟けば、すかさず月夜が「米がいい」と言った。ブレねぇな。
 お米を研いでいると、タナトスが戻ってきた。

「おかえり、タナトス。どこ行ってたの?」
「……少し、な」

 珍しく言葉を濁したタナトスが、月夜の向かいに座り何かを取り出した。それを見た月夜が眉根を寄せる。

「アイツ、こっちに来てんのか」
「無理を言って来て貰ったんだ、そんな言い方はやめろ」

 テーブルに置かれたシンプルな銀色の輪っか。ブレスレットだろうか? それを指先でつつきながらタナトスが私の方を見た。

「ヒナ、これが何に見える?」
「えっ? ブレスレットかなぁ、って」
「まぁ、そうだな。形状としては正解だ」
「えーと、じゃあ用途がある、と」

 答えると、タナトスは短く「そうだ」と呟いた。

「……これは私の上司から借りたアーティファクトで、この世界には無い物質で出来ている」
「わぉ……とりあえず色々ツッコミどころがあるな」

 タナトスの上司ってどゆこと? こわすぎるんだけど。

「まぁ、彼等の事は追々話すとして……とりあえずこのアーティファクトには、精霊族を服従させる効果がある」
「何だと……すげぇな。あっ、つまりそれでレムを?」
「そうだな、最終的には使う事になるんだろうが……ひとつ問題がある」
「問題?」
「……この世界でこれを使えるのが、エレしか居ない」
「…………えっ??」

 どういうこっちゃ。混乱していると、タナトスが補足する。

「神術と魔術の違いは前に説明したな?」
「あぁ、そう言う……じゃあ、このアーティファクト? があっても仕方ないんじゃ……?」
「妹、エレの瓶の事忘れてんだろ」
「……あっ! そっか、なるほど? 瓶にコレを使える様にお願いするんだね? あれ、でもそしたらエレさん起こせなくならない?」
「そうだな」

 いや、そうだな、じゃなくて……うーん? どうするつもりなんだ。混乱していると、月夜が「禁書の七十九巻」と呟いた。

「七十九巻……『複製』、はエレさんが持ってるんだよね? ……あ、もしかして『索引』使えば、ほぼ同じ効果が得られる?」
「あぁ。だが成功するかは微妙なところだ。そして、禁書の扱いに関してはオズよりダンタリアンの方が適任だと考える」
「えっ!?」
「だろうな。それはオレも同感だ」
「えぇっ!?」

 いやいやいやいや、絶対タナトスたちの方が使えるよね?? 何で私!?

「……そういう訳だからヒナ、昼まで『索引』を使い熟せる様にしておいてくれ。私はまた出掛けてくる」

 私が反論する間も無く、そう言って指を弾いたタナトスの手の中に、一冊の見慣れない禁書が落ちた。


 * * *


 秘密基地の庭で、ダンタリアンに着替えた私はオズに『索引』の使い方をレクチャーして貰っている。

「……まぁ、及第点でしょうか。流石は書の悪魔(Dantalian)、とても筋が宜しいですね」
「お褒めに預かり身に余る光栄だよ……」

 使い方は私の零巻と同じ、なんだけど……如何せん情報量が多い。しかも作者毎に特性があったり、使ってはいけない順番とかもあるからポンコツな私の脳みそじゃとてもじゃないけど覚えきれない。

「オイ、朝メシ出来たぞ。とっとと食え」
「ありがとう、月夜」
「おや、僕の分もあるんですか?」
「うるせぇ。食わねぇならオレが食う」
「ふふ、今行きますよ」

 リビングに戻り朝食を摂る。だし巻き玉子に焼鮭、ほうれん草のおひたしとお味噌汁……オーソドックスな和食は徹夜の胃に沁みる。なんだかんだ言って月夜も料理が上手だ。しかも食後のデザートにオズがかわいい寒天ゼリーまで作ってくれた。朝から豪勢である。
 食べ終わる頃、二階の客間から萩原さんと松田さんが降りて来て、(ダンタリアン)の顔を見るなり「うわ、ダンタリアン……」と心底微妙な顔をした。気持ちはわかる。

「あれ、ヒナちゃんは?」
「今居ねぇよ」
「そのエプロン……まさかお前が作ったのか?」
「悪ぃかよ。文句あんなら食うな」
「えっ!? 食べるって!」
「ったく、どいつもこいつも……」

 ブツブツ言いながら二人の食事の用意をする月夜を内心微笑ましく想いながら立ち上がり席を二人に譲る。ソファーで新聞を読んでいたオズの方に行くと、私を見留めたオズが手元のそれを畳んで立ち上がった。

「さて、先程の続きの前に、腹ごなしに軽く手合わせでもしましょうか。勿論禁書の使用は無しです」
「手合わせかい? 生憎僕は不得手なのだけれど」

 基本ダンタリアンの時は肉弾戦しないからなぁ。どうなんだ。にこりと微笑んだオズに首を傾げていると、背後から月夜が「オイ、絶対やんなよ」と言う。

「ダメなのかい? 何故?」
「……ソイツと生身の対人戦すると、下手すりゃオレでも怪我する」
「やめようか、オズ」
「おや、そうですか……残念です」

 にこにこにこ。オズの笑顔がこわすぎる。
 あの戦闘狂の月夜でも怪我するってどう言う事だってばよ!?


 *

 *

 *


 オズに『索引』の使い方のお墨付きを貰ったのは、ギリギリ午前中の頃だった。
 リビングに戻ると、またいつの間にか戻って来ていたタナトスと爆処組が何やら難しい顔で話し込んでいる。

「……何かあったのかい?」
「いや、今後の事について話して居ただけだ。『索引』の使用については問題無さそうだな」
「えぇ、僕が保証しますよ。何なら司書もお任せしたいくらいです」
「それは出来かねるが……まぁ、一考する余地はあるか。それよりダンタリアン、レムの説得も頼んで良いか?」
「……一応、理由を聞こうか」

 またとんでもねぇ事を言い出したタナトスに訊けば、彼女は真面目な顔で一言「勘だ」と言い切った。

「レムに対して敵対心が少ない点では君が適任だと私は考える。異論は有るか?」
「……そこの萩原くんではダメなのかい」
「精霊というのは往々にして執着心が強い。主人と懇意にしている人間の言う事は聞かないだろうな。況してや、前々から会に在籍している我々も然り」
「なるほどね……仕方ない、やるだけやってみようか」

 つまり、消去法で私な訳か。なんだかなぁ。


 *


 重い足取りで廊下を進み、部屋の前でため息をひとつ。うぅ、やりたくない。でもやらねばならぬ。世知辛い。
 意を決してエレさんの眠っている部屋に入ると、そこにはもう既にレムが待っていた。

「……矢張り、君が来たのか」

 昨日とは打って変わり穏やかな表情のレムが、(ダンタリアン)の目を真っ直ぐ見ながらそう言った。
 あまりに雰囲気が違うので、困惑しながら返す言葉を探していると、レムはフッ、と嗤った。
 その違和感の正体に気が付いて──私はそっと瞠目してから、外界遮断の紙飛行機を生成して部屋に放つ。これでこの部屋の会話は外には漏れない。例え地獄耳の月夜でも何も聞こえない筈だ。
 ダンタリアンの仮面を脱いだ私は、彼に声を掛ける。

「……久しぶりだね、“ヒュプノス”。元気にしてた?」
「お陰様でね、見ての通りだ。それから、僕の名は『モル』に変わった」
「そう、良い名前だね」

 肩を竦めた“ヒュプノス”改めモルは、つまらなそうに私からエレさんへと視線を移した。

「……君も大概業の深い生き方だったが、彼女もまた(しがらみ)が多い。何故そこまでして己に試練を課すのか、全く以て理解し難い」
「それはきっと……その生き方を選んだからだよ。私も、エレさんも。自由という選択をしただけ」

 私の言葉を静かに聞いていたモルが、顔を上げ腕を組み少し考えるような仕草の後口を開く。

「……彼女の肉体は今、擬似仮死状態にある。その間は体内に蓄積していた魔力を微量ずつ消費している故に、枯渇するまでは羽根枯れは起きない」
「枯渇するのは、どのくらい先?」
「ひと月程だ」
「そう……それで、どうして目を覚まさないの?」
「終わりがあるからこそ始まりがある……禁書の『終焉』を手にした彼女が目を覚ました瞬間、『創造』が生成される」
「! それって、つまり……」
「周囲に何かしら危害が及ぶだろうから、その被害を最小限に抑える為に自らを仮死状態に置いた。目覚めは彼女の判断で行われるべきであり、邪魔立てする者の排除が眷属の役目だ」
「なるほど、それで……あれ、ミヤは何で起きないの?」
「あれは単に不養生なだけだろう」
「うわ、納得。自業自得なんだな」

 何だっけ、前に本人が降谷さんに言ってたな、徹夜したらその分寝なきゃいけないって。まぁ今その事は置いておこう。

「じゃあさ、えっと……エレさんを、例えば島の、周りに被害が及んでも大丈夫な所に運んだ方がいいのかな? その方がエレさんも安心だと思うんだけど」
「……これ以上君たちの世話になるのは本人の望む所では無いだろうが……その方が良いかも知れないな」
「了解。それで、この話は皆にしても?」
「構わない、僕が罰を受けるだけだ。それよりも……そろそろレムの制御が切れそうだ」
「えっ、レム乗っ取ってたの? こっわ……いや、うん、そっか。じゃあまたね、モル」
「……あぁ」

 スッと目を伏せたモルが目を開けると、レムの顔に戻った彼がぱちりと瞬きをして、少し驚いたように私を見た。そして些か不機嫌そうに口を開く。

「……何か用?」
「いや。顔を見に来ただけさ、レム」

 笑いを噛み殺しながら、私は肩を竦めて見せた。



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