乙女心と初秋の空(2)過去の禍根は彼の仔の好む此処にこそ

 無理矢理荒い息を吐き出せば、たちまち口内に鉄錆びた味が広がる。

(嗚呼……気に入らないな)

 途中から引き千切られた右の華翼が、熱を帯びている。その反対側、ぐしゃぐしゃに圧し折れた左腕は、もう使い物にならない。
 潰れた片目から、際限なく血が流れてわたしの表面と地面を濡らして行く。

(……帰らなきゃ)

 今にも頽れそうな両足を叱咤して、すっかり平地になってしまった──元は日本の首都があった筈の荒野を、ただひたすら前へと進む。

(まだ……終わる、訳には……)

 段々と霞みゆく意識の中、思い浮かんだのは……いつでも優しい、あのヒトの笑顔。

(……ごめん、ね……)

 どうやらわたしは……また、約束を守れそうにないみたい。


 * * *


 ピッ、ピッ、とベッドサイドモニターが規則正しい電子音を鳴らす。

「……ミヤ、そろそろ交代したら?」
「あぁ……わかってる。でも、もう少しだけ……」

 心此処に在らず、な返事を返した兄の背を眺めつつ、心の中でため息をひとつ。

「……晩ごはん冷蔵庫に入れておくから、ちゃんと食べなよ?」

 それだけ伝えて部屋を出る。
 秘密基地にある私の自室は、エレさんの治療部屋に充てがった。

 ──タナトスが瀕死のエレさんを連れて帰って来たのが四日前。

 目も当てられないほど重傷を負ったエレさんをニケさんが治療して、身体的には完治したけれど……エレさんは、まだ目を覚まさない。
 そして兄は、寝食を削ってずっとエレさんに付きっきりだ。

「……ヒナ」
「タナトス……」

 トボトボとリビングに戻ると、ソファーに座っていたタナトスが眉尻を下げながら私を見た。

「ミヤは……また食事を抜くつもりか。全く、心配なのは誰も同じだと云うのに。日を跨いでもそのままだったら、強制手段に出るとしよう」
「そう、だね……そうしてくれると助かる」

 わざとらしく戯けて見せたタナトスにぎこちなく笑みを返すと、途端に表情を消したタナトスが手招きその隣に座るよう誘った。

「……エレさん、早く目が覚めると良いんだけど」
「そうだな……ヒナにも教えておいた方がいいか」
「何を?」
「……鳥乙女(セイレーン)の歌声には特殊な波動……波長とも言えるか。兎に角、魔力を増幅させる力が有る」
「えーと、“魔力”って事は……タナトスとか月夜たちが使う“神術”とは(ことわり)が違うから、今じゃ使えるのが少ないんだよね?」
「そうだ。魔力を使い術を使えばそれは“魔術”と定義する。まぁ、それで……エレの華翼には致命的な問題が合ってな、魔力の主な発生源は華翼であり、長期間歌わないと華翼が朽ちて死に至るんだ。この世界では根本的に魔力を自然に取り込む事はほぼ不可能だから、魔力を帯びた歌声で自己再生するしか無い」
「えっ……? ……じゃあ、このまま意識が戻らなかったら……」
「命の危険がある。そしてエレはこの世に存在する鳥乙女の最後のひとりだから、同胞(はらから)を頼る手立ても無い。仮に私や月夜が変身したとしても、神術を会得して仕舞った私たちでは同様の効果を得られない。ニケの異能で辛うじて身体的な延命は出来るが……根本的な解決には至らない」
「そんな……!」

 私が絶句していると、タナトスはとても辛そうな表情でそっと瞠目した。

 その時だった。

 ──……チリリン

 涼やかなベルの音が、秘密基地のリビングに鳴り響いたのは。


 *


「……お取り込み中申し訳ありません、幾分か火急の用事でしたので」

 長い前髪を真ん中で分け、整った顔立ちに柔らかい笑顔と揃いで誂えたように優しく響く声色。突然現れたその青年は、少しだけ困った様に指先で頬を掻いた。えっ、誰。タナトスを見れば、特に気にした様子もなく「そうか、それで?」と青年に言葉の続きを促した。

「また禁書の三十四巻が脱走しましたので、捕縛と外出の許可を頂きたいのですが」
「またか……いや、わかった。許可する」
「ありがとうございます」

 禁書が脱走ってどういう事だってばよ。にこりと微笑んだ青年とタナトスを交互に見てから、ようやく疑問を口にする。

「えっと……あの、どちら様……?」
「あぁ、ヒナはオズと会うのは初めてだったな」
「初めまして。お噂は予々伺っておりますよ、ダンタリアン。僕はオズと申します。今は禁書の司書をして居ますので、どうぞお見知り置きを」
「あ、はい。えっと……よろしくお願いします」

 慇懃に腰を折ったオズさんに、私も慌てて頭を下げる。禁書の司書って……何かよくわからんけどすげぇな。

「必要無いとは思うが……ヒナ、ダンタリアンとしてオズの護衛をして来てくれるか? オズは会で唯一、異能が使えないんだ」
「えっ? 異能が使えない……??」
「えぇ、そうなんですよ。お恥ずかしながら」

 何だと……? 異能無しで禁書の司書やってるの? 大丈夫なの、それ。思考を読まなくても私の考えている事が分かったんだろう、タナトスが補足する。

「オズは禁書の『索引』を所持しているからな、異能が使えずとも問題は無いのだが、一応念の為に」
「索引って確か、全部の禁書の能力が使えるヤツだよね?」
「あぁ。威力は相当落ちるがな。手数の多さに関して言えば、ダンタリアン以上ではある」

 わぉ……すげぇな。じゃなくてだ。

「わかったけど……エレさんとミヤの事、頼むね」
「任されよう。オズ、ヒナを頼むぞ。あと死人は出さない様に」
「承知致しました。では、準備が出来次第お声掛け下さい」


 * *


 ダンタリアンの私服(?)姿に着替えた私は、オズさんと米花町の河川敷を歩いている。

「あの……どこに向かってるんです?」
「繁華街の方へ。それから僕に敬語は不要ですよ、ダンタリアン。いつもの口調で構いません」
「えっと……そう、かい。ではそうさせて貰うよ」

 私が言うと、オズは穏やかな笑みを浮かべたまま「その調子です」と応えた。うむむ……この人も雨宮のお兄さんと同じにおいがするぞ。一見穏やかそうに見えて、腹の底に昏い闇を飼っている感じ。

「……そんなに警戒しなくても、取って食べたりはしませんよ。タナトスたちに怒られてしまいます」

 怒られなかったらやるんか……と思ったけど口には出さない。話題を変えよう、そうしよう。

「オズは、禁書の在処がわかるのかい」
「えぇ、『索引』の能力で蒐集済みのものであれば把握出来ます」
「三十四巻は『跳躍』、だったかな。こういう事はよくあるのかい」
「そうですね……“エリスシリーズ”は少し目を離すとすぐ脱走するんですよ、困ったものです」
「……“エリスシリーズ”?」
「禁書の作者の一人です。“エリス”、“ネメシス”、“オイジュス”……他にも居ますが、ギリシャ神話ではタナトスの兄弟に当たりますね」
「へぇ……知らなかったな」

 後でちゃんと教えてもらわなきゃ、と考えていると、オズは別の話題を振った。

「……エレの事については、余りご心配なさらずとも大丈夫だと思いますよ。中々に悪運が強いですからね、あの方は」
「……オズも、仲が良かったのかい」
「どうでしょう。彼女は僕の教育係でしたので、必然的に行動を共にしては居ましたが……昔から無茶をする上に、あっさりと事を片付けて仕舞うので……今回も、単独で禁書の最終巻の回収に至った訳ですから」
「それはそうだけれど……エレの目が覚めないと、それも蒐集出来ないだろう?」
「そうですね。ですが、先程言った様に心配には及ばないと思います。悪運も味方する程、強い方ですので」

 にこりと私に人好きのする笑みを向けたオズは、本当に心の底からそう思っているんだろう。ニケさんもそうだった。これ程まで信頼される人柄と云うのも珍しいけど……確かに、エレさんはそんなヒトだ。

(……信じて待つ、か。それが信頼の証だとしたら……私も信じるしか無いな)

 誰かを待ち続けるのはとてもつらい。それは、私も……ヒロも、他のみんなも知っている事。そして、待たせている側も等しく同じ。だからこそ、私が余計な心配をするのはやめておこう。

 しばらく歩いて、繁華街への入り口で立ち止まったオズが「ふむ」と口元に手を添え思案顔を浮かべた。

「さて……早速問題を起こした様ですね」

 視線を辿ると、何やら揉めている男性たちと、それを取り囲む野次馬の人だかり。うへぇ……どうすんだ。

「止むを得ませんね、人死が出る前に回収しましょう」
「……了解した」

 躊躇う事なく歩き出したオズの跡を追って、人垣をすり抜け取っ組み合いの喧、嘩……って、あれ。何で? 

「……こんな夜更にしては随分と血気盛んでは無いのかい、御二方」

 声を掛ければ、見知った顔がバッとこちらを向いた。

「なッ!? テメェ……ダンタリアン!!」
「どうしてここに……じゃなくて! ちょっと助けて欲しいんだけど!?」

 私服姿の松田さんと萩原さんが、目を血走らせ両手を振り回し暴れる大柄な男性を抑え込もうと奮闘していた。
 野次馬の目もあるけどまぁ仕方ないか、と心の中で不可視の紙飛行機を呼び出すより早く、オズが動いた。

「……余り暴れないで頂けますか、うっかり手が滑ると縊り殺して仕舞い兼ねませんので」

 男の顎の下、首との境目を片手で掴んだかと思うと──オズはその痩躯から想像もできないほど軽々と、自分より二回り以上もありそうな筋骨隆々の体格の良い男を宙吊りにした。うそだろ、マジか。萩原さんたちも驚愕の表情を浮かべてその光景を見ていた。
 そんな外野は意に介さず、オズは柔和な声色を保ったまま男へと語り掛ける。

「さぁ、大人しく僕と一緒に帰りましょうね、『跳躍(Saut)』? どんなに逃げても無駄ですよ、いい加減に学習して頂けませんか」
「グガッ……!! グッ……ェ!!」

 笑みを絶やさぬままオズが言うと、もがく男の足元に一冊の本が落ちる。それを私が拾い上げると、オズはパッと男から手を離した。そのまま地面に落とされ気を失った男を一瞥もしないまま、私から禁書を受け取ったオズが「見掛け倒しも良いところですね」と言う。いや……たぶん違うと思う。

「僕は戻りますので、すみませんが後はお任せしても宜しいですか? 力加減はしたので時期に目を覚ますでしょう」
「そうかい……わかった、任されよう」
「ありがとうございます。では」

 慇懃に腰を折ったオズが指を弾き姿を消すと、野次馬たちがざわめいた。ため息混じりに私も指を弾き、この騒ぎに関しての野次馬たちの記憶を消すと、彼らは一瞬呆けて焦点の合わない目を瞬かせたあと……その誰もが、何事も無かったようにこの場から立ち去って行く。

「オイ……どういう事か説明してくれんだよな?」
「そだねぇ……他に聞きたい事もたっぷりあるし?」

 左右からガッチリと肩を組まれた私は、諦めて大人しく爆処のお二人に連行されたのだった。


 * * *


 ……さて。

 お二人に連れて来られたのは近くにあったチェーン店の居酒屋。ちなみにダンタリアンが年確されたのはこれが初めてじゃない。お酒飲まないから大丈夫ですよ……じゃなくて、そんな事はどうでもいいんだ。
 向かいに座ったお二人は淡々とオーダーを通し、店員さんが持ってきたビールを二人仲良く一気飲みすると、全く同じタイミングでジョッキの底をテーブルにつけた。

「……それでぇ? 禁書の回収しに来たのはわかったけど、さっきの誰?」
「彼はオズだよ。禁書の司書をしている」
「ヘェ……司書、ねぇ? そりゃー大変そうだなァ?」
「ハァ……そんな事より、僕に聞きたい事とは何だい。ヒナがキミたちに伝えた情報以上の事は開示出来ないのだけれど」

 先手を打てば、また二人は揃って同じ表情を浮かべる。まぁ、聞きたい事なんて分かり切ってる、エレさんの事だろう。

「……まだ、目が覚めないんだよね? お見舞いは出来ないって言われたけど……どうしても、ダメ?」
「そうだね……心配なのはわかるけれど、彼女の立場はとても特殊なものだ。それを理解して欲しい」

 エレさんは……今はもう会のメンバーでは無いけれど、その知識や技術はタナトスと同等だ。もしも、その事が政府や関係機関に露見した場合どうなるのかなんて、火を見るよりも明らかだ。
 表情を曇らせた二人が押し黙る。そして、萩原さんが辛そうに顔を歪めて口を開いた。

「……あのさ。昏睡状態って事は、シィ……じゃなくて、エレは……もしかして、羽根の栄養補給出来てないの?」
「! ……知って居たのかい」
「オイ、何の事だ?」

 頷いた萩原さんに、松田さんが怪訝な表現を浮かべながら問う。そして松田さんに説明をした萩原さんの言葉は、私がタナトスから聞いたものと全く同じ内容だった。

「……じゃあ、このまま目が覚めなきゃ、アイツは……」
「死んじゃう、だろうね。羽根が第二の心臓みたいなもの、って言ってたから」

 そしてまた、居酒屋の個室に気まずい沈黙が落ちる。外側から聞こえてくる喧騒が、ずっと遠くに聞こえた。

「……その様子だと、ダンタリアンたちにもどうにも出来ないんだね」
「それ、は……申し訳なく思っているよ」
「いや、責めてる訳じゃないんだ。ただ……あの子はいつも生き辛そうでさ。少しでも力になれたら、って思ってたんだけど……俺は結局、何の役にも立てないんだなぁって」

 無理矢理口角を上げた萩原さんが、痛々しい笑みを作る。私は……ダンタリアン(書の悪魔)として、どの言葉を掛けたらいいんだろう。膝の上に置いた禁書の装丁を指先で撫でながら考えていると、突然背後から声がした。

「ったく……揃いも揃って辛気臭ぇツラしやがって。通夜会場かよ」
「!? っ、月夜……!」
「お前もいい加減オレの気配くらい事前に察しろ、ダンタリアン」
「無理を言わないでくれるかい、[[rb:キミたち > 人外]]の気配は希薄過ぎるんだ。それで、何かあったのかい」
「別に。お前の様子見て来いってタナトスに言われたから見に来て見ただけだっての」

 フン、と鼻を鳴らしながら私の隣に座った月夜が、誰も手を付けずすっかり冷めてしまった料理を黙々と食べ出した。相変わらずブレねぇな。あっと言う間に最後のから揚げを食べ切った月夜が、心底面白く無さそうに口を開く。

「……エレが会に居た頃、緊急時に備えて魔具の瓶に声詰めて保管してたんだよな。もしかしたらまだ残ってるかと思って駄犬と前の拠点探索して来たが、案の定綺麗さっぱり無くなってた。恐らく離脱する時エレが処分したんだろ」
「そうかい……それが有れば良かったんだけれど」

 成る程、そういう保管方法もあるのか。そう思っていると、爆処組のお二人が互いに顔を見合わせて「あっ!!」と声を揃えた。

「陣平ちゃん! アレ! 願い事叶えてくれるヤツ!!」
「あの瓶か!」
「ハァッ!? オイ、持ってんのか!? 出せ、今すぐ寄越せ!!」
「気持ちはわかるけれど、皆少し落ち着いたらどうだい」

 わぁわぁと騒ぎ出した男性陣を宥め、とりあえず話を聞くと、例のスペクター壊滅の際に爆処組は『爆弾魔(ボマー)』の異能で作られた特殊な爆弾を解体していたらしい。何ですと? 

「……月夜は知って居たのかい」
「エレがコイツらに技術仕込んでたからな。手が足りなくて駄犬にも手伝わせたが、大半はコイツらが解体(バラ)した。成る程な……その対価にンな大層なモン渡してたのか、あのバカは」
「陣平ちゃんの願い事がパッと思い付かなくてさ。その瓶の蓋開けたら願いが叶う、みたいな事言われてたよね?」
「あぁ……だがよ、それ使っても延命にしかならねぇんじゃねぇのか? 結局アイツが意識を取り戻さねぇ事にはどうにもならねぇだろ」
「それもそうだね……どうしたものか」

 松田さんの言葉にそっと息を吐くと、月夜が「いや、もしかしたら」と呟いた。

「エレは“願いを叶える”っつったんだよな? だとしたら『アンサー』の効果が付与されてる筈だ」
「……『アンサー』?」
「エレの異能だよ。僕は詳しく知らないけれど……大抵の事は出来るんだろう、月夜?」
「まぁな。エレが望んだ通りの事象を構築出来るって意味じゃ、そうなる」
「確かに、そんな事言ってたな。って事は、その瓶にアイツの意識が戻るよう願えばいいのか?」
「試してみる価値はあんだろ。ただ……エレの性格上、所持者にしか使用出来ねぇ様にしてる筈だ。でもエレが今居んのが……」
「……秘密基地に彼らを連れて行くのは駄目なのかい」
「オレたちの一存じゃ決めらんねぇな。一旦持ち帰るか……オイ、グラサン。その瓶はどこにある」
「どこって、家に置きっぱなしだっての」
「じゃあオレが一緒に行って確認して来るから、ダンタリアンはタナトス達に報告しとけ」
「……了解した」

 頷いて見せると、月夜は松田さんを連れて個室から出て行った。残された私と萩原さんの間に、気まずい沈黙が落ちる。

「……あの、さ。ダンタリアン」
「……何だい」

 口火を切った萩原さんが、言いにくそうに言葉を濁す。

「前に、クチナシちゃんが『会に見付かったら連れ戻される』って言ってたけど、そうなの?」
「何だって? それは初耳だよ」

 確かにエレさんが会に戻ってくれたら、心強い事この上ないけど……兄との禍根がある限り無理じゃない? そう考えていると、萩原さんは眉尻を下げながら「違うの?」と訊く。

「……それは彼女の選択次第だろう。我々は無理強い出来る立場では無いし、自分の居場所を選択する権利はエレにしか無いからね」
「そっか。そうだよね……良かった」

 ホッとしたように息をついた萩原さんに、心の奥がチクリと痛んだ。


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