台風の芽(1)スピリタス


○月×日(雨)

 エレさんを島に移送して、暫く様子を見ることになった。猶予は約一ヶ月。その間、兄が常駐するそうだ。萩原さんがとてもとても心配していたけれど、こればかりは仕方がない。逐一様子を報告する方向でなんとか納得してもらった。
 万が一に備えて、タナトスたちが結界? みたいなのを今回改めて重複して張ったそうなので、一応被害は出ないと思うんだけど……どうか無事に、一刻も早くエレさんが目覚める事を切に祈る。


 * * *


 食器を洗っていると、お風呂から上がってきたヒロが心配そうに私を見た。

「……なあ、ヒナ。最近考え事が多いみたいだけど……会の方でまた何かあったのか?」

 うむむ、顔に出てたか。今回の事はヒロたちには言ってないので、返答に詰まり、曖昧な笑みを返すしかない。そんな私の態度に、ヒロの眉尻が益々下がった。ぐぅ、良心が痛い。

「ミヤビが暫く島に居るって言ってたのと関係あるだろ、本当に大丈夫か?」
「うっ、それは……なきにしもあらず、かな。でも……うん、本当に大丈夫だよ、こっちにはタナトスたちも居てくれるし」

 うぅ、もどかしい。でも私が悩んでても仕方ないわけで。それはわかってるんだけど……ダメだなぁ。ヒロにまで心配掛けるのよくない。無理矢理笑顔を作ってもう一度「大丈夫だよ」と答えれば、ヒロにぎゅうと抱きしめられた。

「……ヒナ。辛かったら、ちゃんと言ってくれ。 俺は、何があってもヒナの味方だから」
「うん、知ってる。ありがとう、ヒロ」

 ……とは言ったものの、ヒロに今回の事態を話せる筈もなく。湯船に浸かりながらそっとため息を吐き出す。

(……一ヶ月以内に目が覚めなかったら、エレさんは……)

 脳裏を過った不吉な想像を頭から追い出す。ダメだダメだ! ネガティブ禁止! タナトスたちが色々やってるんだから絶対に大丈夫! 私は私に出来ることをしないと! そう自分に言い聞かせてお風呂から上がると、リビングにスーツ姿の降谷さんが居た。

「あれ、こんばんは、降谷さん」
「あぁ、邪魔してるよ」

 何かあったのかな? とヒロを見ると、少し思案顔をした後説明をしてくれる。

「この前、俺たちとの協力者申請の再締結しただろ? それで、今捜査中の案件をヒナたちに割り振るかどうか、って話しをしてたんだ」
「なるほど? でもミヤは無理だから、私だけでも良いなら大丈夫だよ」
「全く……せめて内容を聞いてから承諾しろとミヤビにも言われているだろう」
「うっ、それは……そうなんですけど」

 私が二つ返事で了承すると、降谷さんに少し呆れたように嗜められた。でもなぁ……会の案件よりは危なくないのは確実なわけで。うむ……世知辛い。

「そりゃあ例の会に居たら俺らの案件なんて……いや、そんなに睨むなよゼロ」
「……言いたい事はわかる。だが、我々の職務を軽んじるのは赦さない」
「いえ、そんなつもりじゃなくて……すみません」

 うぅ、彼等の矜持を貶めるつもりなんて全く無いのに。でも、そう聞こえてしまったのなら私の落ち度だ。内心猛省しつつ肩に掛けたタオルの両端を握り縮こまっていると、いつの間にか横に立ったヒロに肩を抱かれソファーに座らされる。

「それで、案件の内容なんだが……いいよな、ゼロ?」
「あぁ。ヒナ達に関係があるからな、聞いておいた方が良いだろう」
「なるほど? ミヤもリモート参加させます?」
「出来ればそうして欲しい」
「了解です」

 テレビ台の下から、兄が私用に組んだノートパソコンを取り出してローテーブルに置き電源を入れる。機械に疎い私でも簡単に扱えるけど、生体力場? を検知してるとかで私にしか使えないらしい。相変わらずの謎技術。その中の通話ツールを起動すると、少しして『おー、どした?』といつものどこか間伸びした兄の声。

「こんな時間に悪いな」
『んー? 別にいいけど。それで、何の話?』

 画面に映るのは島の兄の部屋。マグカップを持った部屋着の兄が腰を落ち着けるのを見計らってから、降谷さんが再び口を開く。

「……もう知ってるだろうが、ヘンゼルとグレーテルを騙る奴等が居る」
『あー、それか。前からちょくちょく湧いてたから、都度潰しちゃいたが……そういやまた毛色の違うのが出て来てたな』
「なんだそれ、初耳オブザイヤー……」

 思わずげんなりしていると、画面の向こうの兄がニヤリと笑った。嫌な予感を察知。

(ヘンゼル)の代わりにロキかタナトス連れてっていいから、たっぷり遊んでやれば? グレーテル』


 *


 作戦当日。
 降谷さんとヒロが、黒猫姿のタナトスを実に微妙な顔で見下ろしている。

『そんな顔されると心外だよねぇ。もしかしてボクに喧嘩売ってる?』
「いや、別にそんなつもりじゃ……」
「ごめんね、タナトス。忙しいのに無理頼んじゃって」
『別にいいよぉ。ボクもちょっと調べたいことあったし』
「相変わらず、凄い変わりようだよなあ……」

 赤と青の瞳で二人を見上げ、少しだけ不満そうに長い尻尾をゆらりと揺らしてから、タナトスはぴょんと私の肩に飛び乗った。わぉ、すごく軽い。リコぐらいの重さかな? ちなみに私はグレーテルのパーカーワンピ姿。そんな私の姿を見ながら、二人はまた揃って微妙な表情を浮かべた。

「何て言うか……余りにもハマり過ぎててなあ……」
「グレーテルのペットは喋る黒猫……か。噂話がまた捗りそうな……」
「うへぇ、捗らなくていいんだけどな? それにペットじゃないし……」
『そだねぇ、ボクもペット扱いは遺憾かなぁ。使い魔くらいなら許すけど』
「まぁ、その話は一旦置いておこう。とりあえずこちらで把握している情報を共有するから、もう一度確認して欲しい。その間に俺は着替えてくる……ヒロ、頼んだ」
「おう」

 セーフハウスのリビングテーブルに置かれた資料を、肩に乗せたタナトスと共に眺める。その中の、監視カメラから切り取ったのであろうピンボケな写真を見たタナトスが、一言『ふぅん』と鳴いた。

「どしたの、タナトス」
『……外国の戦争孤児の双子だねぇ。子供を買って、裏社会の英才教育すんの。割とよくあるよぉ』
「うげぇ……相変わらず嫌な世界だ」
『それにしても……この子達が居る組織、確か闇ルートの臓器売買が主だった筈だけどなぁ? こんな事にまで手出しするとなると……内部分裂でもしたのかもねぇ』
「うへぇ……」

 のんびりとした口調でそんな事を言うタナトス。それを聞いていたヒロが険しい顔になる。

「……写真一枚でそこまでわかるのか」
『そりゃねぇ。伊達に“タナトス(死を司る神)”やってないよぉ』
「それも……そう、だよな」

 気不味い沈黙がリビングに落ちる。

『ま、この程度ならヒナでも余裕で相手出来るでしょ。月夜の稽古よりは楽チンだと思うよぉ?』
「それは……まぁ、だろうね」
『もし危なくなったらちゃーんとボクがフォローするから、ヒロもそんなに心配しなくてだいじょぶだよぉ』
「ああ、頼むよ」
『キミたちの作戦概要にボクは口出ししないしねぇ。好きにやりなよ』

 そこへ、バーボンに着替えた降谷さんが戻って来た。

「さて……そろそろ時間です。行きましょうか、グレーテル、タナトス」


 * *


 バーボンが運転するFDの助手席で、私の膝の上で丸まっていたタナトスがふわぁ、と大きなあくびをした。

「タナトス、眠たい?」
『んー……動物に変身すると、生態も同調するから眠くなっちゃうんだよねぇ……』
「ありゃ、それは大変だ」
『だったら猫になんか変身しなきゃいいのに、って思ったでしょ、バーボン?』
「……黙秘します」

 ちなみにヒロと風見さんは後方支援なので別に行動している。身体を起こして伸びをしたタナトスが私を見上げた。

『あ、そうだ。今回の作戦中、ボクの探し物があったらそっち優先しなきゃだから……そこんとこよろしくぅ』
「えっ? 離脱するってこと?」
『そだねぇ。そうなるかもねぇ』
「あー……うん、わかった。自分の事は何とかする……けど、探し物って?」
『前に話したでしょ、“遺物”だよぉ。ぼちぼち蒐集しないと流石に上司に怒られちゃう』
「あぁ……なるほど、了解」
「えっ、タナトスの……上司?」
『ボクにも色々あるよねぇ……はぁーあ』
「気持ちはわかるよ、バーボン」

 タナトスの上司とか想像もできない。ため息をついたタナトスが、また膝の上で丸くなり、赤と青の眼を閉じた。今度は本格的に寝る気らしい。

「……本当に、自由気ままですね」

 赤信号で停まりながら、バーボンが前を向いたまま、誰にでもなく呟く。

「案外そうでもないみたいですよ。いつも忙しそうですし。ミヤと同じで、タスク処理能力が尋常じゃないだけだと思います。……まぁ、それを言ったら降谷さんもヒロも同じじゃないですか?」
「それは……そうだと良いんだけどな」

 フッ、と笑みを零した降谷さんは、バーボンの仮面が剥がれてる。それを内心微笑ましく思いながら──車は暫く走って、郊外の工場地帯へと着いた。

「さて、ここからは少し歩きますよ。タナトス、起きてください」
『んぁー……おはよ。着いた?』
「おはよう、タナトス。まぁまだ夜中なんだけど」

 車を降りて、私は暗視付きのアイマスクを装着する。バーボンを先頭に、ろくすっぽ街灯も無い廃工場の間を歩く。灯りは無いけど、ところどころに監視カメラがあるのが不穏過ぎる。バーボンはそれらを完璧に避けながら暗がりの道を迷い無く進んで行った。

「うへぇ……オバケ出そう。見たことないけど」
『見えないならそれに越した事は無いよねぇ』
「月夜は見えるって言ってたけど、もしかしなくてもタナトスも見えるの?」
『そりゃねぇ。ヘルメスも当然見えるよぉ』
「なるほど……で、やっぱり……居る?」
『おやぁ……聞きたい?』
「いや……うん、その……やめとく」

 パーカーのフードにすっぽりと収まったタナトスとそんな会話をしていると、バーボンに「静かに」とおこられた。無言のまま十分程歩いただろうか。バーボンが廃工場のひとつに入ったので、そのまま着いて行く。倉庫のような、窓のない扉を開けると──そこは外界と打って変わり、煌々と明かりが灯ったエントランスと思しき空間が広がっていた。そしてその入り口には、人相と柄の悪ぅい、無駄に体格の良い男が、威圧感を纏って狛犬のように二人立っている。

「……入場証を」

 ぶっきらぼうにそう言った男に、バーボンが懐から一枚のカードを取り出し手渡す。何かの機械でそれをスキャンした男が「……こっちだ」と通路を先導した。その先にあったエレベーターで地下へと向かう。そして着いた先の光景と、嗅ぎ慣れないにおい(・・・)に内心息を呑む。

(……事前に聞いてたけど……悪趣味過ぎる)

 円形の劇場みたいに客席のある広い地下空間の、その真ん中は更に深く掘り下げられていて。客席からその穴の光景がよく見える造りになっている。そしてその中で──両手を拘束された男性が二人、互いにサバイバルナイフを持って……殺し合っていた。隣に立つバーボンも、無表情にそれを見下ろしているけど……彼が組んだ腕の拳が、僅かに怒りに震えている。

(そりゃあ、こんなの許せないだろうなぁ……私も許せないけど)

 男性の一方がよろめき、背中から倒れた。相手はそれに馬乗りになり、躊躇いなくその首筋にナイフを深々と突き刺さした。派手な血飛沫と共に、引き抜かれたナイフが、スポットライトを反射して鈍く光る。
 観覧席には、勝負の行方に沸く者と落胆の表情を浮かべる者。居住まいからして裏社会の人たちなんだろう──それを理解してしまう自分にも、嫌気が差してしまうけれど──バーボンだけじゃなく、ヒロたちにもそんなの一目瞭然だろう。その異様にギラギラした眼は、常人のそれとは明らかに異質だ。そんな彼らにとっては、所詮コレはギャンブルの一種。従って、他人の生き死にすら賭け事なのだ。
 ……あぁ、ほんとに胸糞悪い。もしこの場に兄が居たら、もう既に全員ノックアウトしてそう。それもその筈、この場の空気……と言うか、におい(・・・)の中に、微かに薬物臭がする。違法向精神薬、或いはその類を摂取したヒトの呼気。特に、穴の中の男性たちから顕著なそれに、肩のタナトスが、私にだけ聞こえるように『ミヤは来なくて正解だったよねぇ、見境なく暴れそう』と零した。わかるよ、出来る事なら私も今すぐ暴れたいもん。

「……大丈夫ですか」

 自分だってそんなに大丈夫じゃないだろうに、私へと気遣わしげに声を掛けてくれたバーボンへと、私は暗視アイマスクをヘアバンドのように上げながら曖昧な笑みを返すしかない。

「……大丈夫、ちゃんとやれるよ。ね、タナトス」

 頷けば、タナトスはにゃあと猫みたいに一声鳴いた。それを見たバーボンが、少しだけ悲しそうに表情を崩したあと……スッ、と完璧な“バーボン”の仮面を被り直した。

「頼もしい限りです、では……行きましょうか。そろそろアナタをエントリーしなくては」

 その言葉に私が応える前に、私たちにだけ聞こえる声量で、タナトスが遮った。

『あのさぁ、バーボン。グレーテルを偽名でエントリーするんだったら……それってさ、ボクが出ても別に良くない? 実際目の当たりにしたこの光景……流石のボクでも、ちょっと腹に据え兼ねるんだよねぇ』
「えっ……!? でも、流石にネコはエントリー出来ないんじゃ……? ねぇ、バーボン??」
「それは……そう、でしょうね。常識的に考えて」
『あっは! 心配御無用だよぉ。言ったでしょ? 伊達にタナトスやってないって……キミ(ヒナ)に負けないくらい、ボクにも名前があるからさぁ……それじゃあバーボン、エントリー名は“スピリタス”でよろしくぅ!』

 赤と青の虹彩が、獰猛にギラリと煌る。

(あー……これ、もしかしなくてもタナトス、ブチギレ案件でしょ……??)

 タナトスの地雷を踏んでしまったなら、それはもう……ご愁傷様です、としか。

「……バーボン、ここはタナトスにお任せした方がいいと思うよ?」
「ハァ……でしょうね。でもどうか人死には勘弁してください」
『そりゃ善処するよねぇ。バーボンだって無駄に始末書書きたくないでしょ?』
「ご理解頂けて何よりです……頼みますよ、タナトス」
『あっは、任せてよぉ! ……何せ“無かった事”にするのは、私の得意分野だからな』

 後半確実に素に戻ってたけど、聞かなかったことにしよう、そうしよう。


 *


 黒いジップアップパーカーに、同じ色のラフなサルエルパンツ、足もとは動きやすそうなブラックのスニーカー。首からスポーツゴーグルをぶら下げた、黒髪ショートヘアの少年。歳は中高生くらいに見える。つまるところ、タナトスの男の子バージョン。整った顔立ちの両眼はやっぱり鮮やかな赤と青のオッドアイ。わぉ……かわいいかよ。

「この姿も久しぶりだよねぇ。動きやすくて気に入ってたんだけど」

 物陰で猫から変身したタナトス……もとい、スピリタスがこてりと小首を傾げた。バーボンがまた何とも言えない表情で暫く見つめた後、半ば諦めたように口を開く。

「では、行きましょうか……スピリタス」
「はぁい」
「グレーテルは上で待っていて下さい」
「……わかった」

 二人と別れて再び観覧席に戻ると、どこからか視線を感じた。不自然にならないよう気を付けながら、パーカーのフードを目深に被る。ついでにヘアバンド代わりにしていたアイマスクを装着し直して、視線でそれを操作する。気配は私の左斜め後ろから。探るようなそれを送って居たのは──おそらくはこの悪趣味な闘技場の主。ガラス張りのVIP席から、私を見下ろしている。

(グレーテルだってバレたかな……? にしては敵意が無いし……何だろ)

 少しして、視線は消えた。ほっと息をついたのも束の間、闘技場にスピリタスの姿が現れた。興奮気味にアナウンスが響く。

《さぁ! 今宵は久々のチャレンジャーが現れました! 十人抜きで賞金とチャンピオンとの対戦権利が与えられます! さぁさぁ皆々様! どうぞ勝者を予想ください!!》

 闘技場上のスクリーンに、賭けの倍率が表示された。ぱっと見小柄で線の細い少年に賭けるのは稀である。うへぇ……倍率四桁越えって……後で泣きを見るぞ。まぁ、どの道ここに居る全員逮捕だけどな!

「……どうしたんです、フードなんか被って」
「おかえり、バーボン。さっきここの楼主に見られてたから、せめてもの抵抗。敵意はなかったから、バレたわけでは無さそう」
「成る程……もしかしたら(バーボン)の連れを探っていたのかも知れませんね」

 そんな事を話している間に、スピリタスは熊みたいにデカい筋骨隆々の男を蹴りの一撃で沈めた。派手に吹っ飛んだ男が壁に叩きつけられたのを見て、会場がどよめく。

「……あれ? 手枷はしないんだ?」
「スピリタスがハンデ無し、武器不問、生死問わずを選択したので……」
「わぉ……さすが。まぁ、有っても無くても結果は同じでしょうけど」
「異能は極力使わない、って言ってましたが……本当に使ってないでしょうね?」
「まだ使ってないと思いますよ。タナトス片手で月夜ボコボコに出来ますから」
「嘘でしょう、そんなに……?」

 バーボンの顔が若干ひきつっているのは置いといて、スピリタスは漏れなくワンパンK.O.で連勝を重ねている。
 そしていよいよ十戦目。最後の対戦相手は何とまぁ……短機関銃で武装した男が現れると、これで損をしないと確信した観客たちから歓声が湧いた。いやー、無理だと思うよ?

 開始の合図と同時に、短機関銃から無数の銃弾が撃ち出される。しかし姿勢を低くして、素早く距離を詰めるスピリタスには届かない。あっという間に間合いを詰めたスピリタスの見事なアッパーカットで、男は意識を失った。

 観客たちの盛大なブーイングの中、アナウンスが響く。

《勝者、スピリタス!! このあと続けてチャンピオンとの対戦が行われます! さぁ、勝者はどちらなのかッ!?》

 そのアナウンスに呆れながら、そっとバーボンの横顔を盗み見ると、見事なチベスナ顔になっていた。


 *


 つまらなそうな表情のスピリタスが、ふわぁ、とあくびをした。観客たちが、最後の対戦カードをどちらに賭けるかで騒めいている。

「さて……鬼が出るか蛇が出るか、見ものですね」
「いや、既に神が出張ってるので……」
「……、……それもそうでした」

 私の言葉に白けたバーボンが、肩を竦めた。

「あ、出てきましたよ」
「矢張り……ヘンゼルとグレーテルでしたか。偽物ですが」
「……私的には別に名前くらい譲っても……いえ、何でもないですスミマセンだからバーボンそんな顔しないでくださいおねがいします」
「全く。ブランドは大事にして下さい」
「えぇ……?」

 イマイチ釈然としないでいると、眼下のスピリタスが私を見上げてちょいちょいと手招きをした。おぉう……? 来いってか。隣のバーボンを見ると、ひとつ頷かれる。拒否権なし。世知辛い。
 観客席から闘技場へと飛び降りる。スピリタスの横に着地して、対峙した二人を真正面から眺める。
 ──服装や髪型は、ほぼ私たち(ヘンゼルとグレーテル)を模倣している、けど。

「……そんな安い芝居で、私たち(ヘンゼルとグレーテル)を騙るなんて……烏滸がましいよ、ね?」

 パーカーのフードを外しながら、うっそりと微笑めば──しん、とその場が静まり返る。

 観覧席のどこかで誰かが、小さく「グレーテル……」と呟けば、それを中心にさざなみのようなヒソヒソ話が広がっていく。
 ──「どういう事?」「偽物だったの?」「どっちが偽物だ?」「あそこに居るのはバーボンじゃ?」「本当に本物?」──……そのたくさんのクエスチョンを遮るように、私はグレーテルを演じ続ける。

「あははっ! 楽しい、ねぇ! いいよ、もし(グレーテル)に勝てたら……その名はアナタたちにあげるよ、ね? どう? とっても、とっても、面白いよ……ね?」

 声高に嘯けば、また場内はまた無音になる。

「だから、ね。スピリタス……もう戻っていいよ、ね?」
「そーお? まぁ、グレーテルが言うなら良いんだけどさぁ……よいしょ」

 くるりと宙返りをしたスピリタスが、黒猫の姿に戻り、私の肩に飛び乗った。

「だから、ね? グレーテルと、遊ぼうよ……ね?」

 さぁさぁ、面倒な(グレーテル)のターンだよ!!




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