桜の木の下には恋心が埋まっている(4)春の爛漫、宵の徒桜

 車で送ってくれる降谷さんに頼んで、米花町内のとある公園にやって来た。見たところ何の変哲もない寂れた公園……遊具が少ないので、人はまばらだ。

「……それで、何を確認するんですか?」
「んー……行けばわかるって言われたんですけど……なるほど、わからん」

 首を傾げつつ公園の中を歩く。でも確かに、何か違和感が。うーん……なんだろ。

「ユイ、もしかして……あの桜の木では?」
「桜? ……あぁ、確かに。そうかも知れないですね」

 公園の隅に生えた桜の木。他の木々に隠れてしまったその木は、心なしか元気が無いような。近付いてみると、今の時期なら満開のはずの枝木には、ちらほらと花がついているだけだった。

「栄養とかの問題ですかね?」
「株が弱っているのかも知れませんね。手入れしているようには見えませんので」

 ……で? これを見てどうすんだ。とりあえずふた抱え程の太さの幹をぐるりと回って……裏側に、ぽっかりと手のひらサイズの穴が空いているのに気がつく。中を覗いてみるけど、暗くてよく見えない。同じようにその穴を覗き込んだ降谷さんが、携帯端末のライトで中を照らしてみるけど、相変わらず真っ暗。これは、どう考えてもおかしい。

「……まさかこの中に手を突っ込めとか言わないよな……嫌すぎる」
「中々に勇気が要るでしょうね。虫とか蛇とか居たら嫌ですし」
「うわ……ミヤに電話します」

 自分の携帯端末で兄に掛けると、数コールのあと兄は電話に出た。

『おー、どした?』
「どした? じゃなくてさ……言われた通り公園に来たんだけど、桜の木の事だよね?」
『そー。裏側に穴空いてんだろ?』
「うん。それで?」
『手ェ突っ込んで、中の手触り教えてくれりゃぁいい』
「絶対ヤダ」
『大丈夫だって、虫とかは居ねぇからさ。じゃあ頼んだ』
「だから嫌だって……あっ! 切れた!!」

 一方的に切られた通話に憤慨していると、降谷さんが「ミヤビは何て?」と聞いた。

「やっぱり手を突っ込めって……中の手触り確認するだけらしいんですけど……」
「なるほど……じゃあ僕がやりましょう」
「えっ……神か。さすが安室さん、頼りになる〜!」
「おだてても何も出ませんよ。では……」

 腕まくりをした降谷さんが、躊躇いなく穴に手を突っ込んだ。うわ、すげぇー!! さす公やでぇ!!

「……? これは……何て言うか……モフモフして……あったかい」
「こわ……もういいんじゃ? 早く腕抜いた方がいいですよ、見てるこっちがこわいので」
「……この手触り、どこかで……? ……あっ、ハロか!」
「えっ!? うそ!?」
「間違いないですね、これはハロの手触りですよ」

 まじか……どうなってんの。腕を抜いた安室さんが、不思議そうに穴をじっと見つめる。

「ユイも試してみたらどうでしょう」
「えぇ……? うぅ、でもモフモフなら……うーん、えい!」

 意を決して私も穴に腕を突っ込む。肩ぐらいまで入れると、指先に何かが触れた。

「おっ? これ、は……うん?? つるつるしてる……あれ、なんだっけこの手触り……あっ! リコの羽根!」
「ホォー? もしかして、飼っているペットの手触りになるんでしょうか」
「どんな原理なんでしょうね……不思議がいっぱいコレクション」

 腕を引き抜いて穴の中を覗き込むけど、暗闇が広がるばかりだった。

「これで調査は完了でいいんですかね?」
「たぶん……安室さん、お付き合いいただいてありがとうございます」
「いえいえ、お安い御用ですよ」


 * * *


 曰く、あの桜の木の穴……『(うろ)』と言うらしいけど、どうやら今一番自分の事を想っていてくれるナニかの手触りになるらしい。リコを迎えに行きつつ降谷さんにその事を教えると、その日降谷さんは速攻で仕事を片付けて家に帰ったとヒロが教えてくれた。

「俺もヒナのこといつも想ってるんだけどなあ……リコに負けたか……」
「ソリャソウダ! ウマノホネ ニハ マケナイ!」
「……リコは神獣補正があるって月夜が言ってたぞ」
「ナンダト! ソンナコトナイ!」
「はいはい」

 ソファーにヒロと並んで座り、膝に乗ったリコのツノの間を人差し指で撫でると、リコは嬉しそうに「クー」と喉を鳴らす。かわいい。

「……そう言えば、来日してるFBIって赤井秀一だけ?」
「守秘義務だなあ。でもどうして来日してるか知ってるだろ?」
「まぁ、うん。日本で事件起こす前に捕まえて欲しい」
「そうだな……髪の長い女性ばかり狙うらしいから、ヒナも気を付けてくれ」
「うへぇ……ショートのウイッグでも被ろうかな。それか久々に髪切るか」
「えっ……切るのか? もったいない」
「……ヒロが嫌なら切らないけど」

 そう言うと、指先で私の髪を梳いたヒロが、柔らかく微笑む。

「ヒナの髪が長くても短くても、俺がヒナの事を好きな気持ちは変わらないよ。でも、この長い髪もヒナの一部だから……切ってしまうのはもったいないな、って思っただけなんだ」

 ちゅ、と毛先に口付けたヒロが、上目遣いで私を見た。

「あ、う……」
「はは、顔が真っ赤だぞ?」
「もう……そんな事言われたら、髪切る気にならないよ……」

 あと心臓が保たないので殺し文句はもう少し自重して欲しい。そろそろ破裂してもおかしくない。赤くなった顔を隠すように俯いてリコを撫で続けていると、すり、とヒロが私の首筋に顔を埋める。うひゃ、くすぐったい。

「……ヒナ。明日の休みはどこへ行きたい?」
「えっ、と……特には……」
「じゃあ俺が決めていいか? 少し遠出しよう。もちろん、リコも一緒に」

 うぅ、ヒロが喋る度、首筋に吐息が掛かってぞわぞわする。あと相変わらず声がいいのである。思わず身を竦めると、逃さないとばかりにヒロの両腕に捕まってしまう。

「ミウチノマエデ イチャツクナヨー?」
「はは! それは悪かったな、リコ」
「あぅ……えっと、どこ行くの?」
「それは、着いてからのお楽しみ……だな」

 そう言ってヒロは悪戯っぽく笑ったあと、私の額に優しくキスを落とした。


 * * *



「ヒナ、準備出来たか?」
「うん、出来た!」

 動きやすい服装で、とヒロが言ったので、その通りにウッキウキで支度をしてから、リコを連れて家を出てヒロの車に乗り込む。

「ドコイクンダー?」
「着いてからのお楽しみって言ったろ? でも、きっとヒナもリコも気に入ると思うよ」
「わぉ……楽しみすぎる」

 *

 二時間半ほどのドライブを楽しんだあと、着いたのは長野県にある諏訪湖のほとりのキャンプ場。

「わぉ……これが諏訪湖かぁ。初めて来た。綺麗だねぇ」
「そうなのか? ……そう言えば、ユイはあまり米花町から出ないもんな」
「ユイ! ユイ! リコ ミズタマリ アソブ!」
「はいはい、いってらっしゃい」

 大はしゃぎのリコを見送って、ヒロと一緒にキャンプ場の方へと向かう。管理棟の様な場所でヒロが何か手続きをしたあと、「こっちだよ」と連れてこられたのはバンガロー風の建物。壁のない吹き抜けの中には、バーベキューセット一式と、大きなクーラーボックス。

「手ぶらでバーベキューが出来るんだ。それに片付けまでしてくれる」
「えっ、すごい! 至れり尽くせりだね」

 いい天気だし、空気も美味しいし、湖も見えるいい景色を眺めながらバーベキューとか最高オブ最高じゃない? ワクワクしながらクーラーボックスの中をヒロと一緒に覗き込む。お肉や魚介類などのお馴染みの食材に、ホイル焼きやスープの入ったお鍋、研いだお米の入った飯盒などなど。わぁー! すごい! 串に刺さったマシュマロまである!

「……でも、こんなにたくさん食べ切れるかな?」
「あのさ……実は、他にも人を呼んでるんだ」
「えっ……?」
「なかなか休みが合わなくて。驚かせてごめんな。でも、どうしてもヒナに会って欲しくてさ」
「……それって、もしかして」

 私が言いかけたとき、こちらに歩いて来る人たちが見えた。

「お、居た居た。よっ、久しぶりだな!」
「ご無沙汰してます、敢助さん。お忙しいところお呼び立てしてすみません」
「そう畏まらなくていいのよ。バーベキューなんて久しぶりだから楽しみにしてたの」
「元気そうですね、景光。そしてこちらが……ユイさん、ですね?」
「ああ。紹介するよ、ユイ」

 わぉ……わぉ……! 思わずぽかんとしながらやって来た三人を見つめていると、ヒロが順番に紹介してくれる。ぎこちなく挨拶をしてから、ヒロと高明さんを順番に見る。うん、やっぱり似てるなぁ。さすが兄弟。眼福である。
 そして五人でのバーベキュー大会が始まった。最初は緊張して挙動不審だったけれど、さすが現役の刑事さんたち。人心掌握術を心得てらっしゃる。あっという間に打ち解けた私はごちそうを楽しんだ。

「ユイ、マシュマロ食べるか?」
「たべる!」
「かわいい……弟に負けてられないわね」
「これは勝負事では無いと思いますが……」

 ヒロが焼いてくれたマシュマロをもぐもぐしていると、湖の方からリコが戻ってきた。

「ユイ! シタイ ガ アッタゾー!」
「ごふっ! ン゛っ、うそ!?」
「大丈夫か、ユイ?」

 リコは認知阻害と言語阻害の足輪を付けたので、リコの言葉は私にしかわからない。危うくむせそうになっていると、長野県警の皆さんが珍しそうにリコを見ている。

「……スズメ?」
「ユイのペットなんだ。可愛いだろ?」

 あー、うん。ちょっとどうしたらいいんだ? とりあえずヒロを手招きして、両手で筒を作ると意図を察したヒロが少し屈んでくれる。

「……リコが、死体見つけたって……」
「えっ!?」

 驚いたヒロがリコを見た。リコは少し小首を傾げながら「ケッコウ クサッテタゾ!」と言う。うへぇ……と思いながらそれもヒロに伝えると、ヒロも僅かに眉根を寄せた。

「……どうかしましたか?」
「あー……ちょっと俺、散歩して来るから……ユイの事頼むよ。行こう、リコ」
「アイヨー」

 うむ……たぶん現場見に行って匿名で通報するんだろうな。おつかれさまである。ヒロとリコを見送っていると、怪訝な顔をした三人が私を見ていた。

「どうしたの?」
「えっと……秘密です」
「スズメってあんなに懐くもんなんだなぁ」
「リコと言う名前なんですね」
「はい、おりこうさんのリコです」

 そんな風に誤魔化しつつ簡単に後片付けをしていると、ちょっと顔色の悪いヒロがリコを肩に乗せて戻ってきた。

「……おつかれさま」
「ああ……だいぶエグかった……」

 ヒロがエグいと言うなら相当なモンだろう。心の中で合掌しつつ、これから来る警察の方々が具合悪くならなきゃいいなぁと考える。米花町から出ても事件……あれ、もしかして私も事件吸引体質じゃないだろうな? ……えっ、違うよね??

「さて、じゃあそろそろ俺達は退散するか」
「呼んでくれてありがとう、楽しかったわ」
「また長野に遊びにいらして下さいね。景光も、身体には充分に気を付けて」
「ああ。今日はありがとう。また今度ゆっくり遊びに来るよ」
「私も楽しかったです、ありがとうございました!」

 三人を見送ってから、お茶を淹れてヒロに手渡す。私も自分の分を持ってヒロの隣に座ると、リコが膝に乗って来た。

「具合悪くない? 大丈夫?」
「ああ、大丈夫。ごめんな、びっくりさせて。ちゃんと楽しめたか?」
「うん。みんないい人で……なんて言うか、大人の余裕? を感じた。それより自分が粗相なかったかの方が心配」
「はは、ヒナはちゃんとしてたよ。さて……次はヒナのご両親に挨拶しに行かなきゃなあ」

 優しく微笑んだヒロの顔をじっと見つめる。

「あの……えっ、と。それって、つまり……」
「うん。結婚を前提にお付き合いさせて頂いてます、ってきちんと言いに行かないと駄目だろう?」

 ……あれ、私、夢でも見てんのかな?

「ヒナ?」
「あ、う。えっと……いいの?」
「ん? 何がだ?」
「いや、その……私、で……いいの?」
「もちろんだよ。俺はヒナじゃなきゃ嫌だ」

 ギュッとヒロに抱きしめられる。あわ、わ……どうしよう、うれしすぎる。

「あの……不束者ですが、よろしくおねがいします……?」
「こちらこそ、これからもよろしく」

 そう言って、ヒロは私に優しく口付けを落とした。


 * * *


 ……さて。先日のあれはプロポーズと受け取っていいんだろうか。でもまだ直接的な言葉は言われてないわけだから、早合点しないほうがいいのか、どうなんだ。誰かに相談しようにも、私の知り合いの既婚者は伊達さんくらいしか居なかった。でも流石にヒロの同期の人に聞くのもなぁ……まぁ、ヒロなりに何か考えがあるんじゃないかな。たぶん。

「あっ! 見て志保! あのお洋服かわいい〜! 絶対志保に似合う!」
「もう……私の服はさっき買ったでしょ。自分の洋服を買いなさいってば」
「えぇ〜? でも折角志保とお買い物デートなんだから、本能のままに貢ぎたい」
「貢ぎたいとか言わないの。ほら……あの服なんかどう? たまにはイメチェンでもしてみたら?」

 今日は志保と一緒に郊外のアウトレットモールに来ている。前に兄たちとも一緒に来た事のあるところ。志保が指差したのは今時の若者コーデのマネキン。街中でよくあんな感じのファッションを見たことがある。

「うむ……でもほら、私もだいぶいい歳だから、あまり脚出して歩くのも……」
「ヒナはスタイルが良いんだから出し惜しみしなくていいの。ほら、試着しに行くわよ!」
「えっ!? 待ってよ志保〜!」

 ぐいぐいと手を引かれ、あれよあれよと試着室に押し込まれる。えぇ……絶対志保の方が似合うよコレ……ハイウエストのショートパンツとか着ることがないのでとても脚がスースーする。着替え終わり志保に声を掛けると、「開けるわよ」と躊躇いなく志保が試着室のカーテンを開けた。

「アラ、いいわね。やっぱり似合うじゃない」
「えー? そう? 着慣れないからむずがゆい」
「着てれば慣れるわよ。じゃあそれにしましょ。決まりね」
「うー、じゃあ、志保も色違い買お? 明美ちゃんの分も。みんなでお揃いにしよ? ね?」
「全く……しょうがないわね、わかったわ」
「やった!」

 はにかんだ志保がかわいい。みんなでお揃いコーデでお出掛けとかしたいなぁ。そんな感じで志保と買い物を楽しんでいると、不意に背後から声を掛けられた。

「……あれ? ユイさんじゃね?」
「うん? ……あ、快斗。久しぶり」
「おー、久しぶり……って、その人!」

 快斗が私の横に居た志保を見て目を丸くした。こら、指をさすんじゃない。それでまぁ、うん。ミストレの時なぁ……とりあえず近くにあったカフェに入って三人で座る。

「……で、何でユイさんと……えっと」
「……宮野志保よ。ねぇ、ユイ。この子誰? 工藤くんにそっくりね」
「そっくりだよねぇ。えっとね、この子は黒羽快斗。黒羽盗一って言う有名なマジシャンの御子息」
「あぁ、知ってるわ。東洋の魔術師って呼ばれてる有名なマジシャンでしょ? ふーん、この子が……それで? 私の事を知っているみたいだけれど、どこかで会った事があるのかしら? 記憶に無いわね」
「あー……うん。快斗、教えてもいい?」
「えっ!? ダメに決まってんだろ!」
「そう? まぁ、そっか。ダメだって、志保。ダンタリアンに聞きなよ」
「ふぅん? そう。わかったわ」

 優雅にミルクティーを飲む志保を、快斗が複雑な表情で見ている。

「ダンタリアンのお気に入りってのは本当なんだな……すげぇ羨ましい」
「羨ましい? どこらへんが?」
「普通に考えて、あの悪魔に気に入られて過保護に護られてたら怖い物無しでしょ」
「だよなぁ……あ、名探偵は元気にしてるか?」
「してるよ。ね、志保」
「工藤くんとも知り合いなのね。彼なら元気に大学生してるわよ。相変わらず事件があると講義すっぽかして幼馴染みに怒られてるみたいだけれど」
「ホント相変わらずだなぁ……単位とか大丈夫なのかな」
「ハハ……相変わらず過ぎて逆に安心すんなぁ」

 高校の時も出席日数超ギリギリで卒業出来たらしいからな、ちょっと心配してしまう。なんだろう、親戚のオバちゃんみたいな心境に近いのかも知れない。あんなに小さかったのにもう大学生? 早いわねぇ、みたいな。

「そう言えば快斗、まだ月夜に合格点もらえて無いんだって? 愉快犯の相手も大変だな」
「ホントだよ……どんどんハードル上がってくんだけど……」
「それだけ月夜に期待されてるって事だから、自信持っていいと思うけどな? 見込みが無ければ月夜の性格上すぐ飽きるから」
「そっか……じゃあ頑張らねぇとな!」

 そう朗らかに笑った快斗は、「じゃ、またな!」と喫茶店を後にした。

「……悪い子ではなさそうだけど……で? 何処で私と会ったのかしら、ダンタリアン?」
「ふふ、ミステリートレインでキミに扮してくれていたのは彼だよ。今度会ったらお礼を言っておくといい」
「……! 成る程、それで工藤くんとも面識があったワケね。それより、ヒナの交友関係って一体どうなってるのよ、もう」
「それなぁ……どうなってんだろ」

 自分で言うのもアレだけど、甚だ謎な交友関係である。

「……ケーキ食べたら帰ろっか。また来ようね、今度は明美ちゃんも一緒に」
「そうね……今日はありがとう、ヒナ」

 柔らかい笑みで志保が言う。うん、超絶かわいい。連れて来てよかった。私もつられて思わず頬が緩む。

「どういたしまして、志保」

 * * *

 秘密基地に呼ばれたので、ヒロを仕事に送り出してから顔を出すと、神妙な面持ちの兄たちが私を見た。何だどうした。またなんかあったの? うへぇと思いながら私もテーブルに座ると、タナトスが口火を切った。

「……ヒナ。キミに任務を振る。だが……不安ならば断ってくれて構わない」
「任務? どんな?」
「……“スペクター”への潜入調査だ」
「えっ!?」

 いやいやいやいや、無理だろそんなん。

「何で私?」
「此処に居る面子は全員、リリスと面識がある」
「あー……もしかして、間者としてスペクターに戻したリリスの様子見て来るとか、そういう?」
「それもあるが、とりあえずは異能保持者の特定と……出来れば、その懐に入り込んで欲しい」
「えっと……つまり、仲良くなれ、と」

 えぇ……? 無理じゃね? 私コミュ障だよ? でも……私しか出来ないのか。うむ……出来る、かなぁ……?

「あれ、でも拠点は海外なんじゃないっけ? 私外国語全然出来ないよ」
「それがさぁ……どうやら日本に拠点移したみたいなんだよな。黒の組織が居なくなった今、その空いた裏社会に根を広げる算段らしい」
「うへぇ……次から次へと……でもさ、そういうのって……もしかしなくても公安案件だよね?」
「そー。たぶん経験豊富なフルヤくんかモロフシくんが潜るんじゃね? 大変だよなぁ」

 ちょっと……!? 他人事みたいに言いおって……!! だったら尚更近くで弾除けにならないと……やるしか無いんだろ、もう。

「ミヤの妹だってバレないように、私は変装して潜入、って事なんだな?」
「いや、変装だとリリスにバレる。だから、ヒュプノスにはオレと駄犬で人間への変身を叩き込む」
「えっ……マジか」
「妹ちゃん、人間への変身出来ないッスもんねぇ。日数も無いんで、とことんスパルタでやるッスから覚悟して欲しいッス!」
「え、こわっ!」
「よし、じゃあ決まりな。俺とタナトスで潜入ルート確保と装備の新調、ロキとポチ公はヒナの特訓。じゃ、頑張れよー」


 *


「もう無理……死んでしまう……」

 マンションに帰って、ソファーに倒れ込む。とにかく、あの人外たちのスパルタは人間の私には辛過ぎる。筋肉の一本一本まで集中して知覚しろとか無理ゲーだろ。とりあえず、そんな感じでひたすら集中していたせいで、ずっと座っていたにも関わらず全身疲労が半端ない。とにかく疲れた。出来る事ならこのまま寝たい。

「あー……晩ごはん、作らなきゃ……」

 今日はヒロが早目に帰って来れそうだとメールが入っていたので、ゆっくり晩ごはんを食べてもらいたい。よし、と気合いを入れて起き上がり、私はキッチンへと向かった。

 *

「……それで、話って? 何かあったのか?」
「えーとね、うーん……その、ね?」

 食後のお茶を飲みながら、ヒロに話を切り出す……んだけど、どうしても口籠ってしまう。だってさぁ……私はまた今からヒロに隠し事をする。そんなの、ただひたすらシンプルに言いにくい。私が言い出すのを辛抱強く待ってくれるヒロは菩薩か何かかな? でも話さないといけないので、意を決して言葉を続ける。

「……あのね、会の任務でしばらく連絡が取れなくなったり、家を空けたりしちゃうと思うんだ。……ごめんなさい」
「……どんな任務かは……教えられないんだろうな」
「うん……でも、帰って来れる時は必ずこっちに帰って来るから、あまり心配しなくて大丈夫だよ」
「そうか……でもさ、心配くらいはさせてくれ。それから、一応報告義務があるからこの事は……」
「うん、報告して貰って大丈夫だよ」
「わかった。……ヒナ。気を付けて、な?」
「……ありがと、ヒロ」

 * * *


 秘密基地の庭で、月夜とわんころが微妙な顔で私を見下ろしている。

「……まぁ、及第点……か?」
「ん〜……何でこうなったんスかねぇ?」
「ヒュプノスのイメージだから、オレらにはどうしようもねぇよ」
「そりゃそうなんスけど……」
「ねぇ、私今どうなってんの? うっわ、声ひっく!」
「うわぁー! いつもの口調で喋っちゃダメッス! 鳥肌立ったっス!」
「……まぁ、とりあえず鏡でも見て来いよ」

 二人に言われ、洗面所の鏡へと向かう。そこに映っていたのは。

「わぉ……マキちゃんマジ白い天使……」

 襟足の長い銀髪に金色の瞳。兄くらいの長身の線の細い美青年。コレはあれだ、どっからどう見ても免罪体質のカミソリ男である。庭に戻って、怪訝な顔で私を見る二人に肩を竦める。

「ねぇ妹ちゃん、それ誰なんスかぁ?」
「……この世界には無い物語の悪役さ。うーん、何か違うな……まぁいっか。すごい、視点が高い。世界が広い。……あっ、そうだ月夜、シラットって教えられる? この人シラット使いなんだよね」
「あ? ……まぁ、出来るけど……とりあえず、変身解かずに一日過ごせるようになれよ」
「わかった」


 *


「……それで、この姿? 違和感すげぇな」
「何と云う名前なんだ?」
「槙島、だよ」
「だからマキちゃんっつってたのか」
「聞こえてたのか、さすが月夜。……あ、そうだミヤ。服貸りてもいいよね?」
「別にいいけど……」

 うーん、洋服とかも買いに行かなきゃなぁ。準備が大変だ。でも、これなら誰も私だと思わないよね?

「口調も練習しなきゃなぁ……あと、シラットも」
「シラット? まーたマニアックな武術を……ロキが教えんのか?」
「あぁ。それより、潜入経路は作れそうなのかよ」
「おや、心外だな。きちんと数パターン用意しているぞ。後は盤石に整えるだけだ」
「相変わらず仕事が早いッスねぇ〜、妹ちゃん……マキちゃん? も頑張って下さいッス〜!」
「うん……わかった」

 頑張って早く終わらせよう。その時の私は、そんな悠長な事を考えていたわけだ。




・・・‥‥……………………………‥‥・・・



 湯船に張った水に一滴、自分の血を落とす。小さな波紋の向こう側に映る光景を暫く眺めてから、そっと息を吐いた。

(……あの妹も潜入するのか……面倒な)

 日本に拠点を移した『スペクター』に、わたしがどうしても手に入れたい禁書がある。

(……いい加減、この呪いを解きたいんだけどな……)

 ヒトと会話が出来ないと言うのは、実際とてもストレスだ。だからこそ、私は銀狐や姫御前の神域に留まっていた訳なのだが。研二くんと暮らし始めてから、改めてその不便さにもどかしくなる。

(……元はと言えば、あの男が悪い。……この恨み、晴らさでおくべきか……!)

 水面に映るあの男の顔目掛けて拳を振り下ろすと、バシャリと盛大に水が跳ねる。びっしょりと頭から濡れながら、わたしは策を巡らせた。




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