五月雨の亡霊(1)Edler Ritter(高貴な騎士)
 ○月×日(雨)

 武力の貸付をしている闇組織──構成員も規模も不明、故に『亡霊(specter)』。その構成員になるためには、相当特殊なルートを辿らなければならないらしい……んだけど、そのコネを持ってる人物がタナトスたちの知り合いに居るらしい。交友関係どうなってんだ。いや、人のこと言えないんだけどさ。


 * * *


「へぇ、コレがミヤビの妹? 二卵性双生児なのに滅茶苦茶そっくりだな」
「よく言われる。それで、準備は出来てんだな?」
「当ったりめーよ。とっくに出来てるっつの」

 パンキッシュな服装の青年が、軽い口調で兄と会話している。状況が今ひとつ理解できず首を傾げていると、私の隣に座ったタナトスが説明してくれた。

「コイツは雨宮雫。便利屋だ」
「便利屋……」
「そ。庭の草むしりから死体の処理まで報酬次第で何でもやるぜー?」

 うへぇ……やべぇやつだ。まだ若いのにえげつねぇ仕事してんな。内心失礼なことを考えていると、雫と呼ばれた青年は私に名刺を一枚差し出した。黒字に銀の箔押しで、電話番号だけが書かれたシンプルな名刺。

「ソレが俺の連絡先。困った事があったら掛けてくれりゃーいい。ミオたちとの取り次ぎも含めてな」
「えーと……つまり、潜入中は雫くんと連絡を取れってこと?」
「そうだ。あと雫の事は呼び捨てで構わないぞ、ヒナ」
「何でお前が決めんの?」
「別にいいだろ。それよりさぁ、ヒナに殺しはさせないで欲しいんだけど」
「はぁ? 無理じゃね?」
「私とミヤで追加報酬を弾むと言ったら?」
「ヨッシャ乗った、まいどありー」
「ヒナ、コイツ文字通り現金なヤツだから、思う存分こき使っていいからな? 何があったら盾にでもしとけ」

 えぇ……そんな扱いでいいの? 戸惑っていると、真剣な顔をしたタナトスが雫をじっと見つめた。

「……雫、くれぐれもヒナに怪我をさせないように」
「ハイハイ。それにしても過保護だな……さってと、じゃー早速行くか。ホラ、お兄ちゃんにバイバイしとけよ」
「ヒナ、殴っていいからな? 俺が許す」
「殴りはしないけど……まぁ、頑張って来るよ」

 そして、私のスペクターへの潜入調査が始まったのである。


 * * *


 雫の運転する車の後部座席で、某マキちゃんに変身した私はタブレット端末に表示されているスペクターの情報に目を通していた。少しして、バックミラーで私を見ながら雫が口を開く。

「……お前のそれ、犯罪係数云々のアニメの悪役だろ」
「えっ!? 何で知ってるの!?」
「ちょい、その見た目とイケボでその話し方やめろ。何かすげぇ嫌だ」
「あっ、ごめん……じゃなくて、すまない。それで、何故知っているんだ?」
「そりゃー、俺が……まぁ正確には俺と俺の兄貴が多次元軸同位体だからなー。ちなこの世界は名探偵の世界だろ?」
「多次元軸……?」
「簡単に言ってしまえば要は、俺らはどの世界線にも存在してて、知識の共有が出来る、ってコト」
「成る程……それは便利だな」
「だろー? でもそれだけ。お前たちみたいに便利な特殊能力……異能、だったな。そーゆーのは全然無ぇから」
「そうなのか? でもタナトスの推薦があったという事は、それなりに腕は立つんだろう?」
「どーだかなぁ。まぁ、ハッカーとしてはそれなりに有名だけど」
「……まさか、“レインマン”は君の事か?」
Richtige Antwort(正解)、俺がレインマン(雨男)……だから、今日も雨なワケ」

 水滴の付いたフロントガラスから、つまらなそうに赤信号を見上げつつ雫が言った。わぉ……私の周りに世界トップランカーのハッカーが揃ったぞ。どういう事だってばよ。

「とりま、暫くは俺とお前でツーマンセルだから宜しくな、マキちゃん?」
「……あぁ、宜しく頼むよ……シズク」



・・・‥‥……………………………‥‥・・・


「……久し振りだね、リリス」
「まさか……セイレーン?」

 肺に重くもたれる鉄錆びた空気が立ち込める室内で、床の上に散らばる肉片の上に佇む、この場にそぐわぬロリータファッションの少女がわたしを見て驚愕の表情を浮かべた。

「……何しに来たの。此処は私の遊び場よ」
「そう邪険にしないで欲しい。用件は単純だ、取引をしよう」

 わたしの言葉に、リリスは強い警戒を示した。じり、といつでも逃げられる態勢を取りつつ、リリスは僅かに口角を上げる。

「……仕方がないから、聞くだけ聞いてあげる」
「禁書の第四巻『不死』……その回収がしたい」
「! ……そう。なるほどね……それで、取引って?」
「わたしのする事に対する一切の介入不可。情報漏洩も含めて」
「……対価は?」
「……わたしの生き血を」
「そう……ふぅん……最後のセイレーンの生き血、ね。うふふ、いいわよ。乗ってあげる」
「では交渉成立。それにしても……こんなに散らかして、相変わらず無節操だな」
「あら、別にいいでしょ? ストレス発散よ。セイレーンもやってみたら? 気分が晴れるわよ」

 靴のつま先で足元に転がる男の死体の頭をつつくと、リリスは心底愉しそうに喉を鳴らした。

「生憎、まだヒトを嬲る程に性根は堕ちていないよ。それから……この事は、タナトスたちには報告しないでね、リリス?」
「アナタも相変わらず狡猾ね。そんなだから惚れた男に浮気されるのよ」
「……次にその話題を出せば、死ねない様に処置したあと、生きたまま八つ裂きにしてやる」

 睨むと、リリスは顔色を悪くして「冗談よ」と慌てて取り繕う。

「……とにかく、わたしの邪魔をしないでね、リリス」
「わかってるわよ。セイレーンに喰い殺されたくはないもの」

 こうして、わたしはスペクターへの足掛かりを構築したのである。



・・・‥‥……………………………‥‥・・・



 スペクターの構成員として潜入してから約一ヶ月が経った。雫は元々スペクターで運び屋とか交渉人みたいな事もしてたみたいで、私が一緒に居てもそんなに怪しまれる事もなく。うーん……何て言うか、こうもトントン拍子で事が進むと逆に不安になってくると言うか。嵐の前の静けさ、とでも言うべきなのか。そんなモヤモヤを抱えつつ、スペクターの構成員として二人で『商談』に赴く。雫の運転で到着したのは、都内にある高級ホテルの一室。スーツに身を包んだ私たちがその中に入ると、皮張りの椅子に腰掛けていた人物が振り向いた。

「……お待ちしていました。早速ですが、仕事の話をしましょう」

 ゆったりと甘いマスクに笑みを敷いたのは、水色の双眸と絹糸の様な金髪にエキゾチックな褐色の肌の美丈夫……どっからどう見ても降谷さんご本人である。バーボンの皮被ってるけど。おいおいマジか……マジかよ……いや、お仕事だよね知ってる、でも何で今? 内心滝汗を流しながらソファーに座ると、妖艶なバーボンの笑みを絶やさぬまま、降谷さんが私と雫を順番に見た。ひぇっ!

「……幹部候補の方がお見えになると聞いていましたが、お二人とも随分とお若いんですね?」
「そうかぁ? アンタだって充分若いだろ、歳なんてそんな変わんねぇよ」

 ぶっきらぼうに雫が言うと、降谷さんは僅かに眉を動かした。うん、わかる。雫の話し方、ちょっと兄に似てるんだよな。若干雫の方が口が悪いくらいの違いだけど。それより……雫は降谷さんの事知ってるのかな? 知ってるだろうな。雫は兄くらい底が知れないと言うか、色々似てるところがある。

「まぁ、取り敢えず仕事の話しよーぜ? 探り屋バーボン?」
「おや……ご存知でしたか」
「そりゃーな? 結構噂になってるぜ? あの組織の大捕物から逃げ遂せ、次の仕事場探してる優秀な探り屋……今じゃどの組織も欲しがる逸材だ。しかもあのヘンゼルとグレーテルを隠し持ってるっつー話も付いてくる」

 待って? そんな噂になってんの? 初耳オブイヤーだぞ! あながち嘘じゃ無いのもアレだな、たぶん降谷さんの作戦のうちに入ってるんだろう。嘘にひと匙の真実を。うむ……相変わらず情報戦で勝てる気がしねぇ。雫の言葉を聞いても尚、バーボンの微笑は崩れない。シルクの手袋に包んだ形の良い人差し指を口元に立ててウインクする仕草は、相変わらず完璧である。いつも思うけどまつ毛長いな。

「すみませんが、その噂に関してはノーコメントです」
「ハイハイ、わーってるよ。詮索はナシだ」
「賢明ですね。では、改めまして自己紹介を……僕は安室透です。表向きは探偵をしています」
「俺はシズク、便利屋やってる。こっちはマキ、助手みたいなモンだ」
「……宜しく」

 そして、『商談』が始まった。私は相変わらず交渉事は何も出来ないので二人の話を聞いてるだけ。こんなんで大丈夫なんだろうか……と不安になるけど、まぁ仕方ないので大人しくしておく。暫くして、話が纏まったらしい二人は場所と日時を確認し合い、商談成立、らしい。三日後に計画されている、外国系マフィアを追い払う抗争に駆り出されるらしい。うへぇ……矢避けしちゃいけないから心底ダルい……けど、降谷さんが関わるなら話は別だ。全力でやらなければ。

「じゃー、変更あったら連絡してくれ。装備も足りなきゃ調達してやるよ」
「ありがとうございます。では、後日」

 そう言って私たちから先に退室して車へと乗り込むと、車は滑らかに走り出す。取り敢えず、すっかり習慣になった目と耳のチェックをしてから、変身を解いて深く息を吐いた。

「うへぇ……なんでこうなるの……?」
「あの金髪の兄ちゃん、お前の彼氏の同僚だろ? 公安も大変だなー」
「やっぱり知ってるんだ……あのさ、他の組織ではバーボンと……ヘンゼルとグレーテルの噂って、どんな風に言われてるの?」
「どうって言われてもなー? まぁ、端的に言うと優秀な探り屋であるバーボンが、通称黒の組織の壊滅作戦を警察機関が進めて居る情報を掴んで、大捕物の混乱に乗じてヘンゼルとグレーテルを連れて逃げた……って感じ?」
「……『ヘンゼルとグレーテルは新しいお菓子の家を探している』……って言うのは?」
「それも有名だな。気に入らなきゃ片っ端から潰していくとか、その人間の骨で家を作ってるとか」
「何だそれ、事実無根……遺憾の意……!」

 どこのB級ホラー映画だよ。キャラが完全に一人歩きしておる。

「……バーボンが警察組織の人間じゃないかとか、怪しまれたりはしてないの?」
「そう言うヤツも居るには居たけど、証拠も痕跡も全く出てこないから、ただのやっかみだと鼻で嗤われるのがオチ。どーせミヤビが綺麗さっぱり消してんだろ、そこら辺は大得意だからなー」
「なるほど……心当たりしかない」

 兄の仕事ぶりに内心ほっとしながら、窓の外を流れて行く夜の街並みを眺める。この一ヶ月、まともに家に帰れていない。たまに戻って掃除や食事の作り置きをして、短い文章の置き手紙を残してはいるんだけど……ヒロに、会いたいな。ちゃんと食事と睡眠をとっているだろうか。顔が見たい。声が聞きたい。大きな手のひらで、優しく頭を撫でて欲しい。右手の薬指に光る指輪にそっと触れる。……うん、早く終わらせよう。そうしよう。

「やっぱり、異能持ちと会えるようになるまでは難しいんだよね?」
「まーなぁ。黄昏の会と違って規定も秩序も無い分、自分の事を絶対的優位者だと思って踏ん反りがえって顎でヒトを使ってんだよ。ワンマン社長みたいなモンだ。でも矢面に立ちたがらない臆病者。ドブネズミの方がまだ堂々としてるぜ」
「となると……自分より強いヤツには媚び諂うってこと?」
「それもまたちぃーっと違うかなぁー。要は王様気取りで居たいだけだから、仮に黄昏の会がスペクターを強襲すりゃ、トカゲの尻尾切りでトンズラかまして他の組織に移るだけ。そうなりゃイタチごっこも良いとこだろ」
「そうなるのか……面倒くさいなぁ……」

 うへぇ、と顔を顰めると、雫はからからと笑った。

「急がば回れ、って言うだろ? 人生なんて面倒くせぇ事の積み重ねだろーし」
「おぉう、年下に諭された……」
「あれ、言ってなかったかー? 俺たちに年齢無いって」
「えっ? 年齢が……無い??」
「そー。この外見年齢固定だから、百年前も百年後もこの見た目。精神構造もほぼ変わんねーんだよ」
「へぇ……そうなんだ。不老不死みたいな?」
「いや? フツーに死ぬけど? ただ、死んだらその瞬間に記憶を引き継いだ新しい個体が生成される」
「えぇ……? よくわからんけどこわい。それって死ぬ瞬間も覚えてるって事でしょ? えー……どうなの、それ」
「まぁ、死ぬ程痛ぇ記憶から目が覚めんのは宜しく無いわな」

 あっけらかんと言うけども、それって相当辛くない? 私は一度しか経験がないけど、自分が死ぬ瞬間を知覚して生まれ変わるとか、出来ればもう二度と体験したくない出来事である。

「みんな色々大変なんだな……私も頑張らないと」
「どっからその感想出てくんの? ウケるんだけど」
「だってさぁ……今日の『商談』もただ居るだけだったし……言われた事しか出来ないの、情けないなって思うし……」
「ふーん? 俺からしちゃ、お前は相当恵まれてるとおもうけどなぁー? 便利な能力あるし、過保護な保護者も居るし? あーマジ羨ましいんだけど」
「うん……それは否定しないけどさ、分不相応なんじゃ無いかと思う訳で……」
「…………それ、ミヤビとかミオに言ったか?」
「えっ? いや、言ってないけど……?」
「じゃあ言わねぇ方がいい。相当怒るぞ」
「……うん。でも、何で?」
「お前の精神相違体……えーと、お前には“前の妹”って言った方が分かりやすいか? まぁ、ソイツはさ、その能力を制御出来無かったせいで生命維持活動がド下手くそだったんだよ」

 その言葉に、思わず息を飲む。点と点が繋がる感覚。ずっと疑問に思っていたけど、誰にも聞けなかったこと。……つまり、“前の妹”さんも、この異能があったのか。でも、使いこなせないせいで身体に支障をきたして……だから、兄たちは私に対して過剰な程に過保護だったのか。

「……おーい、聞いてる? まぁ、つまりさ。適材適所ってヤツでお前が引目を感じる必要なんて無いんだよ。得したラッキーくらいの気持ちで受け入れりゃいんじゃねーの? 何だっけ……『神様は乗り越えられない試練は与えない』、だったか? あまり気負っても良い事なんかねぇと思うぜ、俺は」
「うん……そう、だね。ありがとう、教えてくれて」

 強く握った拳に、少しだけ爪が食い込んだ。


 * * *


 雑居ビルの一室の、外国語の罵声と怒号と野太い悲鳴が飛び交うカオスな状況を部屋の角に背中を預けながらじっと眺める。うむ……雫めっちゃ強くない? 動きがトリッキーだから狙いを定めるのも難しそうだし、落ちてる獲物を即座に使い熟すのすげぇな。ただ、あの凶悪な笑顔は直した方がいいと思う。バーサーカーかよ。降谷さんも相変わらずの判断力と身体能力で、前に出たかと思えば瞬時に周りの状況を判断してサポートに回ったり囮になったり。視野が広い、と言えばいいのか。さすがだなぁ……と感心していると、私に向かって外国人マフィアの下っ端が何かを叫びながらアーミーナイフを振りかざして襲いかかってきた。

「己の力量も計れないと言うのに、敵に襲い掛かるとは愚かしい」

 相手のナイフを持つ手首を受け止めて空中で固定し、その肘に反対側で掌底を喰らわせると、嫌な音を立てて関節が逆に曲がる。相手が悲鳴を上げる前に足を払い手首を引いて顔面に膝を入れれば、意識を失った男は慣性の法則に従って壁に顔から突っ込み動かなくなる。うん……あのさ、男の人の身体ってすごいね? いつもの半分の半分くらいの力加減でこの有様。何と形容するべきか。一言で言うなら、ずるい、とか? でも別に筋肉ムキムキになりたい訳じゃないんだよなぁ。単純にアドバンテージの問題。まぁ、どうでもいいか。
 その後も思い出したように私に襲い掛かってくる男たちを鎮圧していると、立っている人間はこちらだけになった。銃撃戦になるかと思ってたけど、そんな事もなく終わったのでまぁ、よしとしよう。銃火器使われると警察のみなさんのお仕事が大変な事になるからね。服についたホコリを払いながら辺りを見回す。重傷者は居るけど死人は出てない。遠くでサイレンの音がする。たぶん、予め降谷さんが呼んでたんだと思うけど……これだけ騒いでたら、普通に通報されると思う。

「……逃走ルートはこちらに」

 私が言うと、降谷さんと公安の強面職員の方(いつもお世話になってるのにすいません)が、少しだけ驚いた顔をする。それを見ないフリをして階段を一階分上り、一番奥の事務所の扉を開ける。その中にある社長室へと入り、本棚の左側面のスイッチを押すと、本棚が自動で横にスライドしてその向こうに隠し階段が現れる。そこへ皆が入ると、背後で本棚がスライドして戻った。地下まで続く階段を見た降谷さんが、少しだけ驚いた声を出す。

「……ここに、こんな場所が……?」
「過去の遺物だ、有り難く使わせて貰うとしよう」

 先導を切って地下駐車場に降りてから、用意していた八人乗りのバンにそれぞれの構成員を乗り込ませる。小切手を切った降谷さんが、それを雫に差し出した。

「……不足が有りましたらご連絡を……ところで、この道は何処へ?」

 小切手を受け取った雫が目線で私を見た……うん、あのね? このルート、随分前に私が伊達さんの死亡フラグへし折った時、警察学校組と追いかけっこした時に使った逃走ルートなんだよな。兄には使用許可を得たので良いんだけど、これなぁ……降谷さんたちに教えたらもう二度と使えないんだよなぁ……でもまぁ仕方がない。観念して口を開く。

「……この私道は首都高に直結して居る。その車両はエンジンを起動してから二時間、監視カメラ他の機器には一切の痕跡を残さぬよう細工してあるから、安心して帰るといい」

 言い切ってから、私は雫の車の後部座席に引っ込む。うーわ、緊張した……変身した私はその過程を知らないと認識出来ないとは言え、降谷さんとは短くはない付き合いである。おそろしく感の良い降谷さんが気付かないという保証は無いと言えば無いのである。私が言うのも何だけど、人の第六感は侮れない。……前に、ヒロがダンタリアンと私を結び付けたように。
 フルスモークの窓越しに、彼らを眺める。降谷さんはこちらに唇の動きを悟られぬよう、絶妙な位置で背を向け指示を飛ばしたあと……自分だけを残して、部下たちを撤退させた。おぉー……ん? いや、うーん……この後の降谷さんの行動は、長年のアレで大体わかるけどさ……うん。
 案の定、良い笑顔を浮かべたバーボンの表情が、窓一枚隔てた向こう側に近付く。コンコン、と軽やかにノックされた窓を下げると、全く悪びれる様子の無い笑顔。ウッ! 相変わらず眩しいな!!

「すみません、僕も同乗させて頂いても?」

 これには、運転席に乗り込んだ雫も肩を竦めた。……つまり、乗せるしかないのである。ドアロックを外せば、滑らかな動作でドアを開き隣に乗り込む降谷さん。うわぁ……手際が良すぎて笑っちゃいそうなんだけど、駄目だ駄目だ。笑うのだけはいかん。

「……そんで、お客さん。どちらまでー?」
「走りながらでいいので、少し話しませんか?」
「えー……どうするよ、マキちゃん?」
「まぁ、いいんじゃないか」
「ありがとうございます。では行きましょう」

 にこやかに言った降谷さん……今は安室さんと言うべきか。さて、話って何だろう。走り出した車の中で、降谷さんが口を開いた。

「……今日は有り難う御座いました。お陰で僕の仕事も捗ります」
「黒の組織が壊滅してから、その後釜狙いのヤツらが挙って日本に拠点置き始めたからなー。まぁ、俺らが言えた事じゃねーけどさ」
「そうなんですよね……どの組織に取り入るべきか、悩みどころで。なるべく強固な組織を探して居るのですが……以前の様に壊滅させられたら堪ったものではありませんからね」

 そう言って大袈裟に肩を竦める降谷さん。相変わらずの演技力だな。ただ、事情を一から知ってる私と雫には効果無いんだけど……うぅ、心苦しい。バックミラー越しに運転席の雫を見ると、戯ける様に片眉を上げて見せる。私が何とかしろって事なんだろうな。うーん、どのカードを切るべきか……近くに居てくれた方がフォローのしようがある。けど、口止めしているとは言え、リリスが降谷さんの事を漏らさない保証はない。まぁ、それを探るのが私の役目なんだけど。ぐぬ……どうしたらいいんだ。言葉を選んでから口を開く。

「……詰まるところ、君は我々の組織に興味がある、と」
「話が早くて助かりますね。実はそうなんです。僕の探り屋としての能力、お役に立つと思いますよ?」

 自信満々に言い切った降谷さん。それが決して傲りじゃ無い事を、私はよく知っている。この人はまた、危険な任務に身を置こうとしているんだ。だとしたら……私が、私に出来る事なんて、もう既に決まっている。

「……僕たちと組むのなら、口添えくらいはしてあげられるだろう。ただ、僕たちはまだそれほど組織内での地位は高くない」
「でしたら、今後のし上がるお手伝いをさせて下さい。自分で言うのも何ですが、僕のネームバリューは中々使い勝手が良いですよ?」

 おぉう、グイグイ来るなぁ。この強引さ、バーボンの時によく見たよ。懐かしい。じゃなくて、だ。

「……何故、僕たちに与する気になったのか聞いても?」
「理由は色々ありますが……そうですね、一言で言うならば……勘、です。あなた達は信頼するに足ると判断しました」
「へぇー、随分と鼻が利くんだな? それか、自分の勘に相当自信があるとか? ま、どっちにしろロクでもねぇけど」

 けらけらと笑う雫に、降谷さんがニッコリと笑みを向けた。

「ロクでも無いかどうかは、今後の働きぶりで判断して頂きたいですね。お二人とも、これからどうぞ宜しくお願いします」


 * * *


「どうしてこうなった……」

 今回の潜入に使っているセーフハウスのリビングで頭を抱えていると、キッチンの換気扇の下で紫煙を燻らせながら雫が肩を竦める。

「たぶんミヤビの差し金だろ、どーせ」
「何だと……いや、でもそっか……私たちと一緒の方が降谷さん安全だしな……でも事前に連絡くらいして欲しい。遺憾の意」
「まー、そりゃ別にいーんだけどさぁ……何か相当切羽詰まってる感じじゃね? 俺が探った情報だと、あの人相当優秀だったけど……取り入る為の手段が杜撰過ぎんだろーよ」
「うーん……やっぱりそう思うよね、私も違和感あった。もっとこう、慎重に事を進める性格してるんだけど……私たちの事は調べても出てこない筈だし、あんなにあっさり信用する筈無いんだけどな?」
「ちぃと理由探してみっか。じゃー、俺は帰るから。夜更かしすんなよー」

 ヒラヒラと手を振り部屋を出た雫を見送って、戸締りを確認してから寝る支度をする。

(……また警察内部で何かあったのかな……うぅ、ミヤたちと連絡取れないの不便過ぎる)

 私が居なくても何かあったら兄たちが何とかするんだろうけど、心配なものは心配だ。何事もないのが一番なんだけどさ。ごろりとベッドに横になって目を閉じてみるけど、余計な考えばかり浮かんでしまう。

(スペクターに潜入したのは良いけど、今のところ目に見えた進展はしてないし……焦りは禁物なのは、わかってるんだけど……)

 静かな部屋に、私のため息と時計の秒針が響く。



・・・‥‥……………………………‥‥・・・



 リリスの部屋は相変わらず悪趣味なゴシック調の装飾で、唯一褒めるところがあるとすれば、座り心地の良いこのソファーくらいか。つい今し方リリスが愉しそうに語った話の中の言葉を反芻して吐き出す。

「へぇ……『革命』、か。前時代的だね」
「あら、斬新で良いんじゃない? それに何より楽しそうだわ」
「キミは相変わらず血腥い事が好きだな……大体、法治国家の見本としても良い程に完成形であるこの日本で革命を起こしても、賛同者なんてそんなに集まらないと思うけど」
「アナタも相変わらずリアリストね。ヒトが何しようが私たちには関係無いじゃない。ゲームだと思って娯しむべきだわ」

 ツン、と唇を尖らせたリリスに苦笑を向けると、彼女はうっそりと獰猛な笑みを浮かべる。

「アナタがその気になれば、この世の真理なんて簡単にひっくり返るのに……ね?」
「そんな事をして、わたしに何のメリットが?」
「無いわね……残念だわ」

 心底がっかりしたようにローズティーを飲んだリリスが、何か思い付いた様にわたしへと視線を向け直す。こういう時、誰にでも当て嵌まる事だけど大概碌な事を思い付いていない。ため息混じりに彼女の言葉を促せば、嬉しそうに話し始める。

「ねぇ、セイレーン。私と賭けをしましょう? この『革命』が成功するか、否か」
「……一応聞くけれど、何を賭けるの」
「そうねぇ……アナタが勝ったら、私の知ってる禁書の在処を教えてあげる」
「……リリスが勝ったら?」
「うふふ……私が勝ったら、セイレーンの涙を頂戴。ね、良いでしょう?」

 甘ったるい声でそう強請ったリリスに、思考を巡らせる──わたし(セイレーン)の涙、か。今時そんな物を欲しがるのは、リリスか姫御前くらいしか居ないんじゃないの。

「……それで? リリスはどちらに賭ける?」
「あら、乗ってくれるの? 勿論、成功するに賭けるわ。あぁ、わかっていると思うけど、直接手を出しちゃダメよ?」
「へぇ……間接的には手を出してもいいの」
「そうね。でも、アナタの能力は使っちゃダメよ。あくまでも間接的、ね?」
「全く……碌な事にならないのは目に見えてるな。言っておくけれど、目に余るようだったらこの賭けは反故にするから。わたしはヒトの世に混沌を望まない」
「あらあら……相変わらず殊勝な心掛けね。ヒトに裏切られてもまだヒトを信じているなんて……滑稽だわ」
「何とでも言うといい。これはわたしの生き方だ。その妨げになるなら容赦はしないよ、リリス」

 僅かに殺気を込めて睨めば、ピリ、と部屋の空気が張り詰める。リリスの金色の瞳がわたしを映したまま僅かに細められた。それを受け止めて微笑み返してから、わたしは立ち上がりドアへと向かう。

「じゃあまたね、リリス」


 …………………………


 パタン、と閉じたドアに向かって、部屋の主はうっそりと蛇にも似た獰猛な笑みを幼い顔に乗せた。

「……そうやって、またヒトに裏切られた時、アナタはどんな顔をするのかしら……ねぇ、セイレーン?」

 呟いた言葉は、誰の耳に届く事なく静寂に掻き消えた。




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