桜の木の下には恋心が埋まっている(3)災難は忘れた頃にやってくる
 兄の記憶も戻り、『葬送』の禁書の件もとりあえず様子見という事で、これでやっといつもの調子が戻ってきた……はずなんだけど。

「……何でや工藤……」
「えっ!? ユイさん、服部に会った事あんのか?」
「無いけど……」

 隣で私と同じく後ろ手に両手の親指を結束バンドで縛られた新一が、ヒソヒソと私の呟きに反応を示した。せやかて工藤、今それどころじゃないと思うんだ。

「さすがは米花町、今日も殺意が高い高ーい」
「オイオイ、大丈夫かよユイさん……それよりさぁ、ユイさん滅茶苦茶強かったよな? この状況、何とかならねぇの?」
「無茶を言うなよ少年。私ひとりだったら簡単だけど、他の人質の皆さんもいるんだぞ。怪我したらたいへん」
「ホォー……武装したこの人数相手にひとりで充分か。流石だな」
「ちょっと黙ってて貰えます? あと何で日本に居るんですかね赤井秀一殿」
「フッ……聞きたいか?」
「あとでミヤに聞くので間に合ってます。とりあえずお黙りなさい赤井秀一氏」

 べいかデパートで立て籠りの人質なう。このデパート呪われてんじゃない? 月一で事件起きてるよね? そんな催し要らんわ。私は散歩がてら物産展を覗きに来ただけなのに。あと何で銀弾ズが居るんだ。この事件ダイソンめ……元に戻っても吸引力は変わらないってか。やかましいわ!!

「うへぇ……月夜たちが来てくれたら秒で解決するのに。何で今日に限ってみんな島に行ってるんだよもぉー……遺憾の意」
「何かユイさんキャラ違うくねぇか?」
「残念だったな、素の私はこんなんだ。あと今ものすごく眠い」

 はぁ……とため息を吐くと、「知りたくなかった……」と新一がボヤいた。

「それに一般人の私なんかより専門職が居るでしょ、あなたの事ですよ赤井秀一君」
「何故先程から俺の名前の敬称が統一されてないんだ?」
「ちっちぇえ事ぁ気にすんな。あーやっぱりダメだ眠い。オフトゥンが私を呼んでいる。活動限界です」

 世間の荒波に揉まれた私はもう赤井秀一に対して遠慮しないことにした。もう原作も終わったしな! とメタな事を考えつつ、今自分が置かれている状況を整理する。立て籠りの犯人は見えるところでも十人ほど。防火シャッターを下ろしたこの三階部分に居る人質は老若男女が約三十人。小さい子供が居なかったのが不幸中の幸いだったな、こわくて泣いちゃったりすると犯人の刺激になる。携帯端末は取り上げられてしまったけどまぁいいや。犯人の獲物は短機関銃系と拳銃。さっきも言ったけど私ひとりだったら制圧は容易い。

「新一くん、電話してる犯人の言ってる事わかる? 私英語さっぱりなんだよね」
「んーと、この前逮捕された仲間たちの解放の要求してるみてぇだな。組織の構成員がどうとか言ってる」
「あー……待って? それすごく心当たりがあるな、まだ残党居たのか。次から次へと沸いてきて……Gのお仲間かな?」

 記憶の足りない兄とちぐはぐなヘンゼルとグレーテルした残党狩りを思い出す。あれは大変だった。主に、兄がホシにやたらと攻撃的だった事が。久々にリアル血の海見たんだよなぁ。まぁ、今それは置いておこうか。

「そろそろ警察が包囲してる頃かな。犯人が銃火器持ってるから特殊部隊投入もありえる……けど、人質居るしなぁ。長期戦は勘弁してほしい、ねむい」
「ユイさんホントに緊張感ねぇな……」
「何かもうね、銃向けられんの慣れたもんだよ。ところで赤井秀一さん、今日は獲物はお持ちで?」
「……No commentだ」

 なんでや。教えてくれたっていいじゃん。でもそう言うって事は持ってるな。ちゃんとこの国に申請したんだろうな。まぁいい、だとすると、いざとなったら囮にでもなってもらうとしてだ。私の携帯端末は私から一定距離離れると兄に通知が行くアプリが入ってるので、たぶん月夜が様子見に来てくれるんじゃないかな。出来る事なら今すぐ指を弾いて鎮圧したい。けど今の私は一般人のフリをしなければならない。歯痒い。うー……眠くて頭が回らない。いや、いっつも回ってないんだけどさ。とりあえず人質に怪我をさせないように気を付けないと。

「……どうやら下の階の人質もこのフロアに集める様だな」
「なぁ赤井さん、それに乗じて身を隠して反撃の機会を伺えるか?」
「おいこら、そこのふたり。絶対ダメだぞ。もし見つかって犯人がキレたらどうするの。大人しくしてなさい」

 私が言うと、ふたりは府に落ちない表情を浮かべる。気持ちはわかるけどさ、今は動くべきじゃない。

「……日本の警察は優秀だと云う事をお忘れですか、赤井秀一捜査官」
「……君がそう言うのなら、少し様子を見る事にしよう」
「ご理解いただき何より、です」

 少しして、階下から人質になって居る人達がこのフロアに集められる。そしてその中にとても見覚えのある顔があって、サッと血の気が引く。えぇ、ちょっと待ってよ……なんでよりによって。

「……お母さん……」
「あら、ヒナも人質になってたの? 奇遇ね」

 のほほんと母が言った。

「……“ヒナ”?」
「あー、後で説明するからお口チャックだぞ、いや待て口裏を合わせろくださいシルブレズ」
「シルブレズ……?」

 うげぇ……ここで本名バレする!? 思わず天を仰ぐと、私と母の顔を見比べた赤井秀一が「ホォー」と鳴き声を上げた。なんだよ、言いたい事はわかるけど。

「成る程、君たち双子は母親似なんだな」
「ホント……すげぇ美人」
「あら、嬉しい事言ってくれるわね。どっちがヒナの彼氏?」
「どっちも違うから……」

 やめてくれ……と脱力しながらざっと人質の人数を数える。ありゃ、百人は居るな。犯人は二十人くらいか。これは結構大掛かりな立て籠り事件だ。ニュースになるだろうから、顔が映らないように気を付けないと。

「家から遠いのに、わざわざこんな所まで買い物しに来たの?」
「違うわよ。お友達のお見舞いついでに物産展見に来たの。そしたら立て籠り事件に遭うなんて……何年ぶりかしら?」

 親子揃って考える事が一緒である。母も年季の入ったとてもよく訓練された米花町の住人なので、人質になっても慌てない騒がない絶望しない。嫌なスキルだな。

「……あら、あなたよく見たら工藤新一くんじゃない? 探偵の」
「あー、はい。そうですが……よくご存知で」
「有名人だもの、知ってるわよ。それにしても、こんな有名人と知り合いだなんて、どうして教えてくれなかったの? ヒナ」
「教える機会が無かったからでしょ……」
「それで、こちらの方は?」
「あ、他人ですねぇ」
「相変わらずつれないな。そろそろ少し心を開いてくれないか、Cutie?」
「ンッ!? オイオイ、マジかよ……」
「ちょっと待って今のどう云う意味?」

 とりあえずバカにされてんな? ムッとしていると、また母がいらん事を言い出す。

「そういえばヒナとミヤビに同窓会のお知らせが来てたわよ。今度取りに来なさいね」
「わかったから、お母さんちょっと静かにしよう?」
「……成る程、ユウは“ミヤビ”か」
「ほんと静かにしましょうねシュウイチくん!」

 あーもー! バレたくなかった! 遺憾の意!! そりゃ親に言えない事してる私たちが悪いんだけども! 思わず大きな声を出してしまった私に、犯人のひとりが銃口を向けて何か言っている。だが残念だったな、私は英語のヒアリングが死ぬほど苦手だ。

「……何て?」
「ご指名の様だぞ、ヒナ」
「呼び捨てすんのやめて貰えます? 全く……あ、新一くん、お母さんの事お願いね」
「ヒナさん……」

 立ち上がって犯人の方に歩いていく。母が何だ言いたげに私を見ていた。ごめんよ母。私なら大丈夫だから心配しないでほしい。揃いの覆面姿の犯人の所まで来ると、その中のひとりが私の腕を掴みバックヤードへと連れて行く。男は段ボールの陰に私を座らせると、呆れたようにため息を吐いた。

「ったく、手間掛けさせんなっての」
「ごめんて、月夜。うー、親指もげるかと思った」

 変身を解いて結束バンドを切ってくれた月夜が、床に映像投影デバイスを置き操作しながら状況を説明し始める。

「……他のヤツらは来てない。オレとお前で何とかしろとよ。犯人の数は二十三、全員銃火器で武装してる。警察は周囲を包囲済み、犯人の説得に当たってるが……無駄だろうな。あと何でアイツらとお前の母親まで居んだよ」
「知らんがな……とりあえず私たちが出張って大丈夫なの?」
「さぁな。だが黙ってても長期戦になるだけだ。ンなのクソだりぃだろ」

 とは言ってもなぁ。何かいい作戦あるかな? と考えて……パーカーのポケットの中に入れていたものを思い出す。

「……あ。私いいもの持ってるよ」
「何だコレ、ペンライト?」
「えーと、ミヤに貰ったんだけど……何だっけ、広範囲に短期記憶処理できる、範囲は半径十メートル、使用時より遡って一分以内の記憶が曖昧になる、だったはず」
「ふーん……記憶処理出来んだったら手段は選ばなくて良くなるな。じゃあすぐ終わんだろ。オレは電気系統ハックしてから合流するから、ヒュプノスは物的証拠残さねぇように何とかしろ。一分以内な」
「あいあいさー」

 *

 *

 *


 そうして、べいかデパート立て籠り事件は犯人たちが揃って突然昏倒するという不可解な終わり方で幕を閉じた。ちゃっかり人質の群れに戻った私は簡単な事情聴取のあと、自分の荷物を受け取りようやく自由の身となった。ちなみに月夜はとっくの昔に撤退している。ついでに私の眠気もどっか行った。

「びっくりしたわね。ヒナ、たまにはお夕飯でも食べて行ったらどう? お母さん腕を振るっちゃうわ」
「あー、ごめんねお母さん、今度ミヤと帰るから。ほら、タクシー来たよ。気を付けて帰ってね、お父さんにもよろしく言っといて!」

 ふー、危ない危ない。母のポイズンクッキングは今ちょっと遠慮したい。母を見送ってから小さくため息を吐いていると、いつの間にか横に居た新一が実にいい笑顔を浮かべながら私の顔を覗き込んだ。うわ、嫌な予感しかしねぇ。

「なぁ、ちょっと俺んちで夕飯でもどうだ? “ヒナさん”?」
「助けておまわりさん、未成年探偵が脅してくるよ」
officer(おまわりさん)なら此処に居るぞ。さて、では行こうか」
「うげぇ……超絶行きたくない……」

 これからシルブレズの口止めせんといかんの? 私ひとりで? 嘘やろ工藤。


 * * *


 工藤邸は相変わらずの豪邸である。お掃除大変そうだけど、お手伝いさんとか頼むのかな。セレブの生態は庶民には想像がつかない。とりあえず、有希子夫人は相変わらず若々しい美人さんだ。きゃぴきゃぴしておる。

「お久しぶりね、ユイちゃん! 相変わらず可愛いわ〜、今度お兄さんと一緒にモデルの仕事とかやってみない?」
「絶対無理です。それより、えっと……何か手伝います」
「いいのよ、ユイちゃんは座ってて!」
「すみません、突然お邪魔して……」

 おぅふ、今すぐ隣の阿笠邸に駆け込んで志保にヨシヨシして貰いたい。帰りに寄ってこ。手ぶらだけど許してくれるかな。工藤夫妻とはコナンから新一に進化した時以来だけど、私と兄の事はちゃんと覚えてくれていたらしい。光栄だけど、ちょっと今そんな素直に喜べる精神状態じゃない。大人しく椅子に座っていると、斜向かいに座った優作さんが私に優しい笑みを向けた。相変わらずイケオジである。

「今日は大変だったみたいだね? 怪我がなくて何よりだよ」
「痛み入ります……」
「そう畏まらなくていいよ。そうそう、いつも息子が世話になっている様で」
「いえ、こちらこそ……?」

 生きてたんだな、私のコミュ障。最近顔見知りとしか接してないからな。いや待てよ、ご近所さんにも同じ対応してんな。もれなく挙動不審だよ。あととりあえず新一のお世話はしてない。カマかけてんのかな? 優作さん底が見えないから反応に困るんだよなぁ。

「えーと……ナイトバロンの新作、とても面白かったです。兄がトリックの実証実験し出すの止めるの大変でした」
「はは、本当かい? でも実証実験か……見てみたかったなぁ」
「ユウさんなら出来そうだな……オレも見たいかも」

 いや、あれやったら一部屋お釈迦になるからな? 絶対やらせんぞ。断固阻止する。

「そういえば、ユイさんは『黄昏の会』に所属していると聞きましたが……少しお話をお伺いしても? 次回作の参考にしたいので、是非」
「あー……ダンタリアンに怒られるので、ダメです」

 ぐぬ、やっぱ知ってるよな。バッサリ断ると、優作さんは残念そうに「そうですか……」と眉尻を下げる。

「さぁさぁ、難しい話の前に、まずはお夕飯食べましょ!」

 有希子さんが助け舟を出してくれたので、私は大人しく御相伴に預かる事にした。


 *


「とっても美味しかったです……! ごちそうさまでした!」
「ユイちゃんの食べてる姿可愛かったわぁ〜! 録画しておけばよかった!」
「いや、それは遠慮します」

 お皿を下げるのを手伝ってから、食後の紅茶を頂く。うわぁ、めっちゃいい茶葉だな、香りが違う。セレブすげぇや!

「さて、そろそろ本題に入ろうか、ヒナ?」
「呼び捨てすんのやめないとダンタリアンとヒロに告げ口しますよ」

 呼ばれる度に鳥肌立つからやめて欲しい。あー……それにしても面倒だな。たぶん、兄が私の携帯端末を通してこの会話を聞いてるはずだから、マズくなったらフォローしてくれるだろう。

「……小鳥遊ユイと優は偽名です。以上」
「ホォー、いつから使っていたんだ?」
「黙秘します。あと、私たちの名前検索すると漏れなくプロメテウスとグラトニーの監視が付くので是非とも検索してみて下さい。あと外で私たちのこと本名で呼ぶと降谷さんとヒロに怒られますからね」
「こえぇ……セキュリティレベル高過ぎだろ……」

 いい香りの紅茶をひと口飲んでから、そっと息を吐く。

「……それから、優作さん。島への渡航許可は黄昏の会からは決して下りる事はありませんので、残念ですが諦めてください」
「……理由を聞いても?」
「他国への情報漏洩の可能性があると会で判断されました」
「それは、些か横暴ではないのか?」
「私に言われても……不服申し立てはプロメテウスかタナトスにどうぞ。文書を作成して頂ければ届けますので」

 うむ……でもこれは優作さんの今までの行動を考慮すると仕方ないんだよなぁ。潔く諦めて欲しい。

「……ユイさん。タナトス、って?」
「あぁ、そっか。タナトスは何でも出来るクールビューティーだよ」
「へぇ……それにしても死を司る神(タナトス)って。もしかしなくても滅茶苦茶強いんだろ?」
「うん。会の中で一番だね」
「マジかよ……スゲェな……」

 乾いた笑いをこぼした新一は多分、月夜でも思い出してるんだろう。それにしても紅茶美味しい。どこの茶葉だろ? あとで教えて貰おう。少しの沈黙のあと、優作さんが口を開く。

「……黄昏の会は、『スペクター』について知っておいでかな?」

 うへぇ……どう答えたらいいんだ。優作さんの腹の中がわからない。うむむ、と悩んでいると、優作さんが言葉を重ねる。

「私の知る情報と、交換とはいかないだろうか」
「……いえ、間に合ってます。恐らくスペクターについては会の方が情報が多いかと」
「やはりそうか……流石だね、どの国の諜報機関よりも優れた情報収集能力だ。試すような真似をしてすまない、ただ……これは私個人の心配なんだが、他国は日本が黄昏の会を独占しているのをよしとしていない」
「外交関係もプロメテウスとタナトスの管轄なので、私にはわかりかねます……が。つまり、大袈裟に言ってしまえば、争いの火種になりかねないって事ですよね? その事については、会の中で協議中です」
「成る程、人知の至る事は須く杞憂と言う訳だ」

 フッ、と優作さんが微笑む。ダンディってこういう人の事を言うんだよな。うちの父はゆるふわ系なので新鮮だ。あとめっちゃ顔に出やすいし、駆け引きとか無理。ババ抜きしたら必ず負けるタイプである。

「えーと……美味しいお料理ご馳走になったので、会じゃなく私個人が答えられる範囲の質問なら……」
「ホォー? では……」
「いや、残念ながらあなたには言ってないんですよ、Mr.赤井秀一」
「フッ……冷たいな、cutie?」
「だから何なんですかそのキューティーって……よくわかんないけど不快なのでやめてください」

 思わず眉根を寄せると、クスクスと笑った有希子さんが私と赤井秀一を順番に見た。

「秀ちゃんはユイちゃんの事気に入ってるのね」
「……は? 笑えない冗談やめてください……あっ、すみません……」

 おっとお口が。慌てて取り繕うと、更に可笑しそうに笑った有希子さんが悪戯っぽくウインクをくれる。うわぁ……元大女優のウインク貰っちゃったよ? クリスタルのケースに入れてベルモットのと並べて飾りたいけどどうかな。アンチエイジングのご利益ありそう。

「ユイちゃん、あなた実は演技とか得意でしょ?」
「えっ? えーと……」
「ヒナはミラーリングが得意だったな」

 赤井秀一のその言葉に、ぷっちーん! と私の中の何かが切れた。

「…………お望みとあらばご覧に入れて差し上げますよ。どうです、これで満足しましたか、ライ?」
「ホォー、バーボンか」
「すげぇ、声まで一緒だ……!」
「……有希子、アナタも余りkittyを揶揄うものではないわ」
「アラ、完璧にシャロンね!」
「……新一も! 感心してばっかりじゃなくちゃんと止めてよねっ!」
「ら、蘭……」

 ハァ……疲れる。

「…………深淵を覗きたければそれ相応の覚悟をしたまえよ。好奇心で真理を識ったとて、得られるものなど何も無いのだからね」

 ミラーリングを解いてそう言うと、優作さんが小さく「ダンタリアン……」と呟いた。


 *


 もう遅いから送って行く、と言う赤井秀一を頑なに拒否して、阿笠邸に逃げ込んだのは私です。

「うぇえ、何なの、何なの!? 私が何したって言うのさー!?」
「だったら逆に聞くけれど、ヒナがやらかしてない時ってあった?」
「っ……!! 志保の言葉が切れるナイフみたいに胸に刺さった……!!」
「切れないナイフはただの金属板よ」
「えーん、明美ちゃん! 志保がしっかり者だよぉー!」
「そうでしょ? 自慢の妹なの。もちろんヒナちゃんもね?」
「ン゛ッ……!! 仰げば尊死!!」
「今日はいつにも増して壊れてるわね……」

 ソファーに並んで座る志保と明美ちゃんの太ももの間に頭を突っ込んで脱力する。しあわせだけどしんどい。主に、生きることが。しっかしこの姉妹は見事な飴と鞭だな。私の楽園はここにあった。思わずその姿勢のまま深呼吸していると、志保に思い切り頭をはたかれる。

「もう……とりあえず落ち着きなさい。ヒナ、あなた今すごく眠いんでしょ、違う?」
「ねむい……ねむねむのおねむだよ……見事正解した志保には再来月発売が決定したばかりの新作絵本を進呈しまーす……」

 パチン、と指を弾いて編集さんから送られてきた製品版を取り出して志保に手渡す。志保は「もう!」と怒りつつ、おめめがキラキラしておる。うむ……天使かな。天使だな。一万年と二千年前から知ってた。私のサンクチュアリはヒロが居る場所と志保と明美ちゃんの居る場所と定義する。異論は認めない。ねむい。

「……ミヤビに迎えに来てって連絡したら、今行けないからもし良かったら泊めてくれって返って来たわ。諸伏さんにはミヤビから連絡するそうよ。……お風呂に入って、お姉ちゃんも一緒に三人で寝るわよ。ほら、早く行ってきなさい」
「……ッ!? 今日って私の命日か!? 知らんかった!!」
「ねぇ志保、ヒナちゃん眠いとこうなるの? 面白いわね」
「人格変わるのよ。見てて飽きないわ」


* * *


 ……新しい朝が来た。きぼうのあさだ。

(えっ……どゆこと??)

 右腕に志保、左腕に明美ちゃんを腕枕して居るのは何故?? 案件? 案件だよな? どうしよう?? 天井を見上げて考えるけど、布団の中の状況は変わらない。えーと、ちょっと昨日という日を思い出そうな今日の私。クールクーラークーリッシュ。うーんと……? 立て籠り事件……シルバーブレットの二人と母……本名バレ……工藤邸……ミラーリング……美人姉妹の太ももの間……ウッ、頭がッ!! あー……事案ですね。潔くヒロに出頭しよう。そうしよう。

(お腹すいた……)

 私の三代欲求の九割九分九厘は食欲と睡眠欲が仲良く切り替わる。スイッチヒッターかな? 野球よく知らんけど。とりあえず身動ぎも許されないこの状況……右を見ても左を見ても天使の寝顔である。なにこれ。両隣からめっちゃいいにおいするぞ。しあわせすぎる。この時ばかりは自分の性別がこの姉妹と同じで良かったと思う。合法。繰り返すがこれは合法である。生きててよかった! とりあえず志保か明美ちゃんのどちらが早く起きるか脳内でシュミレートして、それぞれの寝覚めに相応しいセリフのピックアップを行う。……うん、何回考えても途中でトチる。仕方ないから深呼吸でもしよう。そう、仕方ないからね。すーはーすーはー。


 *


 先に目が覚めたのは明美ちゃんだった。二人で朝ごはんを作っていると、阿笠博士が起きてきたので「お邪魔してます」と挨拶してから志保を起こしに行く。

「志保〜、朝だよ〜」
「……ん…………まだ寝てたいわ……」
「朝ごはん一緒に食べよ〜?」
「…………あれ、ヒナ……? ……あぁ、そう言えば……うん……いま、おきる……」

 わぉ……天使の目覚めってタイトルの絵画かな。寝ぼけた志保は相変わらず可愛い。あー、朝からしあわせ。昨日の不運の分をチャージしながら、みんなで朝食を摂る。うん、今日も一日がんばろー!

 *

「えっ!? ミヤビが幼児化してたの!? 何で教えてくれなかったのよ!」
「えぇ……? 見たかったの? 性格そのまんまの五歳児のミヤだよ?」
「絶対かわいいわよね……写真とか撮ってない?」
「写真ならあるよ?」
「もう……早く見せて」

 食後のお茶を飲みながら近況報告していると、二人が兄が幼児化した話題にめっちゃ食い付いてきた。遊園地で撮った写真を見せていると、志保と明美ちゃんが揃って「かわいい……!」と言った。まぁ、子供はかわいいけど……いかんせん兄だからなぁ。私からはちっちぇなとしかコメント出来ない。

「ヒナちゃんの小さい頃もきっと可愛かったんでしょうね……」
「いやー……? このチビミヤの髪長いバージョンだよ?」
「絶対色違いの服とか着せたくなるわね」
「あー、よく着せられたなぁ。懐かしい……まだ実家に服あるよ。お母さんがデカいクマのぬいぐるみで着せ替えしてるんだよな」
「ヒナのお母さん、私も会ってみたかったわ」
「私がストレートのショートボブになった感じだよ。そっくり親子って言われる」
「お母さんも美人なのね……」

 んー……身内の顔は見慣れ過ぎてどうとも思わないんだけどな。私なんかより宮野姉妹の方が美人さんである。きっとエレーナさんも美人に決まってる。降谷さんが初恋を捧げるくらいだもんな。写真とか残ってないのかなぁ……兄たちが調べてくれたら出てこないだろうか。今度頼んでみよう。


 * * *


 お昼前に阿笠邸からお暇して、ポアロに寄って行こうと足を向け、ドアを潜り……とても後悔した。

「おや、ユイもポアロでランチか?」
「何で居るんだ赤井秀一の旦那ァ……!」

 カウンターから私に声を掛けた赤井秀一に眉を顰める。張り付いた笑顔に青筋を浮かべた安室さんがテーブル席へと案内してくれる。

「……ユイ、ヤツから一番離れた此処に座ってください。それから、後で事情を聞かせて貰いますからね」
「ウッス……えーと、コーヒーとハムサンドおねがいします」
「かしこまりました。今日は僕お昼で上がるので、食べたら送って行きますよ」
「ありがとうございます」

 私と安室さんのやりとりを見た赤井秀一が「ホォー」と鳴く。何だよーもー!

「昨夜は俺の誘いを散々袖にしたのに、安室君の誘いは二つ返事でOKか」
「……昨夜?」
「うわ、言い方に悪意を感じる。因みにやましい事は一切無いと神と悪魔に誓って言えます」
「でしょうね。全く……馬に蹴られて仕舞えばいいのに」
「島にめちゃデカい偶蹄類が居るので、連れてきます?」
「いいですね、それ」

 とてもいい笑顔を浮かべた安室さんがオーダーを作ってくれている間に、携帯端末を取り出して連絡の確認をする。ありゃ、兄からメール来てる。……『米花町にて確認事項あり』……場所の地図が添付されている。えーと……ここは確か公園だな。帰りに寄って貰おう。そう言えば何で日本に赤井秀一居るのか聞かなきゃな。兄にメールを送信すると、すぐ返事が返ってきた。

【機密:Level 6・日本国内に逃亡した連続殺人犯の確保目的。各関係機関に捜査申請済】

 うむ……じゃあポアロで優雅にランチしてないで捜査したら? って思う。まぁ、情報収集も兼ねてるんだろうけど……とりあえず連続殺人犯を輸出しないでほしい。水際対策してくれよ。兄からのメールを削除していると、安室さんが品物をサーブしてくれる。やったー、久しぶりのポアロのコーヒーとハムサンド! それを堪能しながら、公園で何を確認するのかなぁ、と考えを巡らせた。




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