それからの私たち(3)ヘンゼルとグレーテル




「うっわ、この格好久々過ぎる……」
「一年振りだからなぁ……サイズ変わってないのがせめてもの救いだな」

 ゴシックチックなデザインのヘンゼルとグレーテルの衣装を着た私たちを、ヒロが物珍しそうに眺めている。

「前に降谷から画像貰ったけど……実際に見ると中々……こういうのもアリだな……すごく可愛い……」
「あのさぁ、モロフシくん。ほんと俺が居ない時にやって? 頼むから」

 大真面目に呟いたヒロを、兄が呆れ顔で見た。私はとりあえず服の上から装備の確認をする。スカートに隠れた右大腿のフットホルスターにはドミネーター型スタンガン、ベルトに通したポーチに携帯端末とペン型記憶処理装置と空間転移の鍵、左腰に差した彼岸花の意匠が施された日本刀(ヒロには模造刀って言ってある)。左手首のバングル型ワイヤー装置、首に下げたアイマスク型網膜投影スクリーン。肩口で切りそろえられた乳白色のウイッグの毛先を整える。うーん、フル装備だドン。

「まさかまたグレーテルになるとはなぁ……まだ需要あるの辛過ぎる……」
「今や伝説の猟奇殺人犯だからな。気に入らない組織を片っ端から潰してるらしいぞ」
「そんなの一回もやってない……遺憾の意」

 まだあの噂流行ってんの? うそだろ。

「……『ヘンゼルとグレーテルは次のお菓子の家を探している』……って話は裏社会で有名らしいからなあ」
「待って、ヒロ。初耳オブザイヤーだぞ!」
「黒の組織壊滅は裏社会でも話題になってたからなぁ。それもヘンゼルとグレーテルの仕業だって流布したの、もしかしなくてもフルヤくんとベルモットだろ?」
「はは……ノーコメントだなあ」

 うへぇ……マジか。情報操作にも程があるだろ。思わずチベスナ顔でヒロを見ていると、するりと頬をヒロの指先がなぞった。

「……本当のグレーテル(ヒナ)は人殺しなんかしないって、俺はちゃんと知ってるよ」
「ン゛ッ……!!」

 ねぇ、不意打ちやめて? 危うく心停止するところだった!! 心臓のあたりを右手で掴んで蹲ると、兄が盛大にため息をついた。

「ったくもー。そろそろモロフシくんは減点対象だな」
「えっ、減点対象……? 何のだ?」
「個人的ブラックリスト」

 ニッコリと完璧な作り笑いを浮かべた兄に、ヒロが顔色をなくす。あー、いつだか兄の部屋掃除した時にそれ見たことあるぞ。ノートにびっしり減点行為書いてるやつだろ。何気に月夜とわんころの名前もあったのは内緒だ。兄の闇が深過ぎる。あとでタナトスに愚痴ろう。こわすぎる。

「……ヒロに何かしたら、いくらミヤでも許さないからな」
「へぇ? それはそれで面白そうだな?」
「もー! この愉快犯め!」

 私が非難の声を上げた辺りで、玄関の方から人の気配。音がしないから降谷さんだろう、と思っていると案の定、バーボンの格好をした降谷さんがリビングへとやって来た。

「いつまで待たせる気ですか? 準備が出来たなら早く行きましょう」
「うっわ、久々に見たけど相変わらず胡散臭いな」
「はっ倒しますよスコッチ」

 良い笑顔の“バーボン”が、握り拳を掲げて見せた。私たちが組織に入った頃には、当たり前だけどスコッチは既に居なかったので、この絡みは新鮮だ。……ちなみに、ヒロは今水色のパーカーを着た“スコッチ”の姿。惜しむらくは今日はスナイプ不要なので、ギターケース無しな事かな。ねぇ私今から一緒にお仕事するんだよ? 既に推しの供給過多で死にそうなんだけど。二人のレアショットを網膜に焼き付けていると、私と兄の携帯端末が同時に鳴った。

「……はいはい、こちらグレーテル。そっちの準備終わったの、ロキ」
『準備なんざとっくに終わってんだよ。それより、そっちに面倒なの居んぞ』
「ん? どんな?」
『前に教えた“ホムンクルス”は覚えてるか』
「えっと……錬金術で作った人造人間、だっけ?」
『それが“商品”に混ざってるから、見つけ次第コアを破壊して無力化しろ』
「えっ? コアってなに」
『見りゃ分かる。液体の入った瓶、それがコア。プロメテウスにはタナトスから説明してるからそっちに聞け。じゃあな』

 一方的に通話が切れる。うむ……人造人間(ホムンクルス)とな? 手の中の携帯端末を見下ろしながら首を傾げていると、同じく通話を終えたらしい兄がため息をついた。

「まーた面倒くさいモノを……」
「何かあったのか」
「んー……まぁ、ちょっとな。ヒナ、概要は説明されたな?」
「……一応は」
「とりあえず優先事項はそれが一番だから、発見次第殱滅(Search & Destroy)な」
「うへぇ、りょーかい」

 物騒な単語を放った兄に、降谷さんとヒロの顔が険しくなる。それを見た兄が携帯端末をポケットに仕舞いながら肩を竦めた。

「道中説明すっから、取り敢えず出発しようぜ?」

 *

 風見さんが運転するバンに乗り込んで、携帯端末を操作していた兄が画面から視線を上げないまま口を開く。

「フルヤくんたち、海外を拠点にしてる『スペクター』って組織、知ってるよな?」
「あぁ、武力の貸付をしている闇組織……構成員も規模も不明、故に『亡霊(specter)』……相変わらず何でも知ってるな、お前たちは」
「まーなぁ。その構成員の中に異能持ちが居るんだけど、ソイツがまた厄介な異能でさ……ヒナ、前に話した“物質創造”の異能の話、覚えてるかぁ?」
「あー、うん。『錬金術師』でしょ? なるほど、だからホムンクルス(人造人間)なのか」
「ホムンクルス……また不可思議なモノを……」

 兄の隣に座った降谷さんが深々とため息をついた。その後ろ側の座席、私の隣に座るヒロも、険しい顔で私を見る。

「そのホムンクルスってのはどんなモノなんだ?」
「えっと、心臓の代わりにエーテル機関をくっ付けた人造人間……コアってそれか。えーとね、そのエーテル機関の色で、性格が変わるんだったかな。赤なら攻撃的、青なら従順、とか」
「エーテル機関? これまた前時代的だなあ」

 まぁね、そうなるよな。ファンタジー系SFの世界観だよ。ここ米花町やで。もうほんと何でもアリだよなぁ。携帯端末を操作していた兄がやっと顔を上げ、私の方に振り返った。

「モデルガンに識別機能付けたから、判定がホムンクルスだった場合は即殱滅。コアは大抵頭にあるが、そうじゃない場合も想定すること。コアの硬度はコンクリくらいだから、それ相応の威力で攻撃すること。コアの成分は劇物だから絶対に触らないこと。わかったかぁ?」
「わかった」

 頷いた私に、ヒロたちの顔が強張る。

「簡単に言うが、危険すぎるだろう」
「そうかぁ? 物理攻撃通るから楽だけどな?」
「コンクリートの強度をどんな手段で破壊するんだ?」
「さぁな? 色々あんだろーよ」

 いつものようにのらりくらりと返答する兄に、降谷さんが深々とため息をついた。

 * * *

 人身売買組織が拠点にしているのは、例によって湾岸線にある貨物倉庫群。貨物用コンテナを偽装して、中に人間を詰めて密輸入しているそうだ。ありきたりな手口である。

「俺とフルヤくんは関係者の捕縛に当たるから、ヒナとモロフシくんは“商品”の保護な。ホムンクルスは確実に殲滅すること。但し、被害は最小限に。わかったかぁ?」
「あいよ」

 離れた位置にある倉庫の中で、公安の皆さんと合流した降谷さんたちは、最終調整の会議(?)をしている。その反対側の壁際で、私と兄は二人で移動経路の確認をしていた。私と兄は降谷さんとヒロとツーマンセルを組む。これアレだよね? バディ的なやつ。なんて浮かれちゃいけないんだけどさ。携帯端末に表示された倉庫内の地図上に、兄が所々マーキングをしている。

「この中のどれかが地下通路に続く入り口になってる筈だ。さて、そろそろロキたちに連絡しなきゃな。何か質問あるかぁ?」
「うーん? 特には」

 月夜とわんころ、そしてタナトスは海外にある拠点を同時に襲撃する手筈だ。ダンタリアンの紙飛行機も渡してあるので、また島の人口が増えるだろう。外交的なあれやそれは兄とタナトスが完璧にやってくれているので、私は一切ノータッチだ。そもそも外国語わからんし。

「連絡完了、っと。フルヤくんたちも終わったみたいだから、そろそろ作戦開始だな」

 *

 先行した兄たちの後ろを着いて行くと、降谷さんが“止まれ”のハンドサインを出す。他にも何か指示を出してるみたいだけど、生憎私はさっぱりわからない。ので、隣のヒロに顔を向ける。

「……見張りが三人居るってさ」

 声を落としたヒロが教えてくれる。無言で頷いてから、アイマスク型スクリーンを視線で操作して入り口正面の映像を取り込む。うん、めっちゃ武装してんな。ここ日本やで。呆れながらフットホルスターのモデルガンを抜くと、兄と降谷さんが物陰から飛び出して行き、あっという間に見張りの三人を気絶させた。

『出て来て良いぞー』

 インカムから緊張感のない兄の声。ヒロに合図を送り、同時に倉庫へと駆け出した。

 *

 工業用機械が並んだ、体育館ふたつ分くらいの広さの倉庫内。兄たちがスニークショットで中に居た男たちを無力化している。私たちは先程兄が目星を付けた場所を回って居るんだけど、地下通路への入り口がまだ見付からない。機械の陰に身を隠しながら首を捻る。まさか見落とした? でもヒロも一緒に確認してくれたからなぁ。うーん、ダンタリアンでなら簡単に見つけられるんだけど、そうもいかないからな、どうしたもんか。

「……ヒナ」
「うん?」
「あそこのパレットが積んである横、あの鉄板が気になる」

 ヒロが指差した先を見る。床に二メートル四方の鉄板が敷かれている。静かに近付いてみると、床に少し擦れたような跡。取手の類は無し。音を立てずにこの鉄板を動かすのは難しそうだ。辺りを見回して、誰も居ない事を確認してから静かに指を弾く。

「……凄いな」

 床からじわじわと生えた氷柱が鉄板を押し上げていくのを見たヒロが、小さく感嘆した。そして鉄板の下には──ぽっかりと空いた穴。そろりと覗き込むと、十メートルほど真下に伸びたあと直角に曲がり、その先へと続いているようだ。

「凄いのはヒロのほうだよ、大当たり。梯子があるけど気を付けて降りてね。照明は殆ど無さそうだから、私が先に行く」
「……わかった、気を付けてな」

 身体を鉄板の隙間に滑り込ませて飛び降りる。音を出さないように着地して、真っ直ぐ伸びる通路の先を見ると、二十メートルほど向こうは階段になり上に続いている。壁の感じからして手作業で掘ったのかな? ご苦労な事である。梯子を使ってヒロが降りてきたのを確認してから、もう一度指を弾いて氷を溶かし、鉄板を元に戻しておく。場所は兄が把握しただろうから大丈夫。隣に立ったヒロと頷き合って、狭くて暗い通路を進んだ。

 * * *

 倉庫内に居た十五人の男を無力化したミヤビが、気を失った男たちを一か所に集めロープで縛り上げる俺の横で携帯端末を操作しながら首を傾げる。

「何かおかしーな?」
「……何がだ」
「奇襲とは言え、警備と抵抗がやたら薄い。この組織のトップはタナトスの方に居たらしいけど……“商品”のリストが足りない。こっちの分は……」

 そこまで言ったところで、言葉を切ったミヤビが片手で俺の腕を掴んで床を蹴り、二階部分の資材の陰に押し込んだ。何だ今のは。まるで重力を無視した動きに驚いていると、警戒した様子のミヤビがハンドサインで「誰か来る」と示した。そして、倉庫の入り口の扉が開き──小学校低学年程の、白とピンクのロリータ服に身を包んだ少女が顔を出した。

「なるほど、そう来たか」

 少しだけ愉しそうな声色で呟いたミヤビが、付けていたアイマスク型の装置を外して俺に装着する。目の前に裸眼よりも鮮明な景色と、横にワイプでこの建物の構造図、そして生体反応の表示。何だこれは、便利過ぎるだろう。ウイッグも外したミヤビは、「フルヤくんはここで待機な」と残して資材の陰から出て行った。

「……よぉ、久しぶりだな『リリス』。相変わらず若作りし過ぎじゃね?」
「あら、久しぶりね『エロース』。相変わらず顔が良いわね、でもその減らず口は直した方が良いわ」
「悪いけど、俺もう『エロース』じゃねぇんだわ。その名前で呼ぶのやめてくんねぇ?」
「あらそう。どうでもいいわ」

 ピリッ、と空気が変わる。知り合いか? 相手も異能持ちか? そんな事が頭を駆け巡った次の瞬間、ミヤビが右腰の刀を抜いた。ボトボトッ、と頭と胴体が切り離された大蛇が床に落ちる。そしてそれは、瞬く間に黒い灰となり崩れていった。リリスと呼ばれた少女は、とても子供のものとは思えないほど獰猛な笑みを浮かべて、ペロリと舌舐めずりをした。その長い舌は、蛇のように二股に分かれている。

「ねぇ。もう一人の金髪の方を私にくれたら、貴方の命は助けてあげてもいいわ」
「あっそ。だが断る」

 空中で右手を捻る動作をしたミヤビの周囲に、正八面体の透明な物体が現れる。全部で五つのその物体は、滑らかに空中をすべりそのうちのひとつが俺の顔の横で静止した。指を弾く構えを取ったミヤビに、思わず息を飲む。

「邪魔するなら容赦しねぇよ、リリス」
「あら、貴方で私に勝てるのかしら?」
「そりゃなぁ。言ったろ? 俺はもう『エロース』じゃねぇってさ」

 ──倉庫内に、炸裂音が響いた。

 * * *

 階段を登った先にあったのは、別の倉庫と思われる空間に所狭しと並べられた貨物用コンテナ。アイマスク型スクリーンが、その中に生体反応がある事を示している。コンテナの外に人は居ない。照明の点いていない倉庫内は暗くて危険なので、ヒロに階段で待機してもらい、自分だけ外に出た、その時。

「ッ!? グァっ!!」

 私が反応するより速く、首に人の手が食い込む。カッ! と倉庫内の明かりが点灯して、コンテナの中から武装した男たちが出てきた。まずい! 私の首を掴んで宙吊りにした人物を見る。人形みたいに整った顔の少年……手にしていたモデルガンを向けると、スクリーンに“対象該当:殲滅を推奨”の文字。マジか。この子がホムンクルス? とりあえず空中で身体を捻って脚で少年の腕に絡み付き、反動を付けて首の拘束を解く。勢いを利用して少年を男たちの方へ投げ飛ばし、ヒロを庇う位置に着地する。

「……ッ、ゴホッ、ゴホッ!」
「っ! 大丈夫か!?」
「ん……だい、じょーぶ」

 咽せながら返事をして、少年が立ち上がる前に身体加速を最大にチューニングする。武装した男は十三人。モデルガンの遠隔スタンガンで全員を無力化していく。スーパースローの世界で、緩慢な動作で起き上がろうとしていたホムンクルスの少年の双眸が、私をしっかりと捉えた。……マジか、うそだろ。咄嗟に指を弾いて霧を作り出し、視界を遮ってからヒロの居る階段へと戻り、もう一度指を弾いて階段部分に氷の塊を出現させて身体加速を解く。

「ヒロ、一旦戻って。あのホムンクルスやばい」
「わかった。怪我してないか?」
「私は大丈夫だから、走って!」

 ヒロをせっついて慌ただしく来た道を戻る。背後から氷塊を殴る音。うへぇ、絶対攻撃特化だよアレ。ヒロが梯子に手を掛けようとした時、頭上の鉄板の向こうから激しい炸裂音。ビリビリと空気を揺らすそれに、思わずヒロを引っ張って角に押し付けつつ腕の中に庇いながらスクリーン上に向こうの様子を映し出す。兄の正八面体の水晶、ヘキサドライブが倉庫内を縦横無尽に動き回り、ロリータファッションの少女……え、誰? とにかく、その少女の手から紐状の何かが飛び出てきて、ヘキサドライブがそれを防いでいる。そして兄が指を弾いた瞬間、少女の身体の一部が爆ぜる……しかし、少女は全くの無傷。もしかしなくても異能持ちと交戦してる兄の方へ行くべきか、否か。通路の向こうではまだ氷塊を破壊する音がしている。

「ヒナ、状況は!?」
「ミヤが交戦中。降谷さんは資材の裏に隠れてる。怪我はしてない。氷塊はもうすぐ壊れる。……ヒロ、ここから動かないでね」

 腕を解いて移動しようとすると、ヒロに手首を掴まれる。

「……俺も行くよ、ヒナ。勿論、こと戦闘に於いては俺が足手纏いになるのは分かってる。でも……俺の見えないところで、ヒナが傷付くのは嫌なんだ」
「ヒロ……うん、わかった。じゃあ、作戦を立てよう」

 素早く思考を巡らせて、兄たちに叩き込まれた知識の箱をひっくり返す。

「……対異能に於いて、私よりも遥かにミヤの方が対処法を知ってるから、迂闊に出て行っちゃダメ。ホムンクルスの方は、さっきの会敵で攻撃特化型と推測する。だから、私は作戦通りホムンクルスの方を殲滅する。でも、向こうのコンテナの中に“商品”の人たちが居たから、被害を考えるとこの通路内での戦闘が望ましいと思うんだ」
「わかった。俺が何かする事はあるか?」
「ヒロには……ヒロは、一瞬だけ囮になって欲しい」

 私の手首を掴んだヒロの手に、反対側の手を添える。大丈夫、ちゃんと守るよ。スクリーン越しにヒロを見れば、一瞬だけくちびるをふさがれた。

「仰せのままに、グレーテル(お姫様)

 *

 ゴォン! と氷塊のかけらが階段下へと雪崩落ちる。人形のような、と言うか人形なんだろう。一切の感情を浮かべない整った顔が、通路の先の人物を見たあと、ゆっくりと歩を進めた。

 ……不可視の効果を付けた私は、一定の条件を満たした者にしかその姿を捉える事は出来ない。スクリーンには、不敵な笑みを浮かべる“スコッチ(ヒロ)”の姿。この表情を、私は昔、見た事がある。黒の組織にノックバレしたあの夜、ダンタリアン()が最初に見たのはあの表情だった。諦めたような、待ち望んだような、もうとっくに死を受け入れていて、自分が為すべき事を正しく理解している表情。

(……大丈夫。ヒロは、私が守るよ)

 そして私は、トリガーを引いた。

 * * *

「そんな……まさか、私が……?」
「……アンタが今、どこに与してんのか知らねぇけどさぁ……あまり俺たちを舐めるなよ、その汚ねぇ面の皮剥ぎ取るのなんざ、簡単過ぎて欠伸が出るぜ?」

 少女の大きく抉れた右側の頭蓋から、内容物が溢れる。それを無表情に踏み潰したミヤビが、赤黒く染まった少女の襟首を掴んで宙吊りにした。

「……潔く退くか、このまま俺に殺されるか……とっとと選べよ、クソババア」

 底冷えする様な低い声。そして、少女が一度大きく身震いしたかと思うと──ベシャリ、と足元に何かが落ちて、その何かは床を這い、あっという間に入り口から出て行った。

「ったくもー、何しに来たんだか……おーい、フルヤくん。あと出て来ていいぞー」

 抜け殻の様に萎れたソレを忌々しげに壁へと投げ捨てたミヤビが俺を呼んだ。慌てて資材の裏から飛び出て、落下防止の柵に取り付く。

「大丈夫か!? 怪我をしてるだろう、すぐ救護班を……」
「こんくらい大丈夫だって。それより……あぁ、来たか」

 俺から視線を移したミヤビが、ほっとした様に息をつく。その視線の先に、グレーテル姿のヒナとスコッチ姿のヒロが居た。揃いのデザインのスーツに血が滲んで居るのを見留めたのだろう、唇を戦慄かせたヒナが一挙動でミヤビに飛び付いた。……相変わらず運動神経がおかしいが、まぁ、気持ちはわかる。

「ちょっと、ミヤ!? 怪我してるじゃん! 大丈夫なの!?」
「大丈夫だって。そっちは?」
「ホムンクルスは殲滅したよ、“商品”の皆さんは他の倉庫に閉じ込められてるけど全員無事。それよりどっから血出てんの? 死ぬ? 死にそう?」
「死なねぇって、もー! 後処理が先だからちゃっちゃと動く! フルヤくん、指示!」

 呆れた様に叫んだミヤビに急かされて、ずっと待機させていた部下たちに指示を出していると、いつの間にか隣に居た幼馴染みが難しい顔でこちらを見ていた。

「……後でちょっと話し合いだな。そっちはどうだった?」
「無論説教も追加だ。規格外どころじゃないぞ、あの双子は。……全く、困った奴らだ」

 慌ただしく入って来た部下たちを見ながら、俺たちは揃って深いため息をついた。

 * * *

 深夜の湾岸倉庫群に、たくさんの赤色灯が煌めいている。

「うへぇ……気持ち悪ッ!」
「お前なぁ……怪我人には優しくしろって」

 所々赤黒く変色した兄の腕に、思わず鳥肌が立つ。兄は傷口に注射器みたいなポンプ状の毒を吸い上げる装置を使って、手早く自分で処置をしている。兄は薬物耐性が物凄く高いらしいけど……うーん、まぁ本人が大丈夫って言うなら大丈夫なんだろうか。

「……あの『リリス』って子、なんなの?」
「それは……後でタナトスにでも聞いとけ。俺より断然詳しいからな」
「そりゃそうだろうけどさ……降谷さんの前で異能使って大丈夫だったの?」
「お前だってモロフシくんの前で使ってただろ? まぁ、後でこってり絞られるだろーよ」
「ですよねー……」

 片手で器用に包帯を巻き終えた兄の肩にブランケットを掛けていると、現場の指揮を執っていた降谷さんとヒロがやって来た。

「怪我は大丈夫か?」
「大した事無いって、こんくらいなら跡も残らないしさ。それより、タナトスたちからの報告とこっちの人数の確認したいんだけど」
「ああ、それなら今やってるから、終わり次第教えるよ。……ヒナは、怪我してないんだよな?」
「うん、私は大丈夫だよ……あっ」

 そうだった、忘れてた。フットホルスターから、真っ二つになったモデルガンを取り出す。

「ごめん、ミヤ。壊しちゃった」
「あー……まぁ、別にいいけど。これ使わずにホムンクルスどうやって殲滅したんだ?」
「いや、あの……えへへ」
「モロフシくーん?」
「いやあ……水って怖いな」
「ちょっと、ヒロ!?」

 ヒロの言葉で察した兄が、私のほっぺたを抓った。イテテ! 不可抗力だってばよ!! 

「ヒナー? 地下通路でお前の異能使うのは自殺行為だからな? 無事だったから良かったけどさぁ……最悪生き埋めもあり得たんだからな? ちゃんと使う場所考えろって」
「イタタ……反省してるってば。次からは気を付ける」

 ヒリヒリするほっぺたをさすりながら言うと、呆れ顔の兄が「そういう事じゃねぇっての」とこぼした。

 * * *

 カコーン、と庭に置かれた鹿威しが小気味良い音を立てた。ここはミシュランガイドにも掲載される高級料亭の奥座敷。庶民の私には縁遠過ぎる場所である。いや、あのさ……ダンタリアンの時に国の重役との協定締結の時にタナトスと一緒にこういうところに来た事あるけど、ほんと居心地悪いな。自宅のラグマットが恋しい。

「……本日はお時間を頂きまして、有難う御座います」

 私の左隣に座るヒロが、向かいに座る四人に向かって言った。ちなみに向かいに座っているのは、ヒロとお見合いした女性とそのご両親、そして警察上層役職である女性の祖父。

 うげぇ……女性からの視線が痛い、ってかめっちゃ睨まれてんな。そのご両親と祖父はにこにこと穏やかと言うか、余裕綽綽の笑みを浮かべている。何て言うか、自分たちの絶対的優位は揺るがないって思ってる、そんな顔。この表情は、グレーテルの頃によく見た覚えがある。地位と権利を手にした、捕食者の顔。あぁ、嫌だな。好きじゃない。そっと瞠目していると、祖父の方が「今日は、どんなご用件かな?」と口火を切った。

「……先日、ご令嬢とのご縁談と顔合わせをさせて頂きました。その折に、今現在お付き合いさせて頂いている女性が居ります事を再三にして申し上げ、彼女と縁を切る事は一切考えていないとお伝え致しました。それでも、とご令嬢との顔合わせをし、その場で僭越ながら断りの旨をさせて頂いた筈なのですが」

 丁寧に、しかししっかりと言い切ったヒロの言葉にじんわりと胸が熱くなる。……そっか、やっぱりヒロは、ちゃんと断ってくれたんだな。小さく息をつくと、ヒロが私の方を見た、私も顔を上げて、ヒロの双眸を見つめると……ふわり、と優しいヒロの笑顔。私も笑みを返して、静かに深呼吸する。大丈夫、ヒロが居てくれたら、どんな事があっても大丈夫だよ。私たちはまた前を向いて、向かいに座る人たちを真っ直ぐ見た。

「……こちらが、今回彼女に行った迷惑行為並びに関与した犯罪組織、及び機密情報漏洩についての証拠資料になります」

 ヒロが差し出した茶封筒の中身を恐々と見た祖父の顔色が赤くなり、青くなり、白くなる。わぉ……嫌な七変化だな。暫く無言でそれを見る祖父に、私はなるべく穏やかに兄に教わった通りのセリフを口にする。

「……“我々”には、それを公表及び立証し、正しく法の下にて裁く為の準備が整っております」

 にこり、と兄直伝の作り笑いを浮かべながら言うと、祖父と両親は益々顔色を無くした。……ただひとり、その真ん中に座る女性を除いては。

「……なっ、なんなのよ! 若いだけしか取り柄が無いくせに! 私の方が家柄も学歴も教養もずっと上なんだから! アンタみたいな地味女、諸伏さんと釣り合わないわ! この泥棒猫!!」

 誰が泥棒猫か。湯呑みを引っ掴んだ女性にヒロが動くより早く、私は戦闘スイッチを入れる。まぁ、誰も知覚できないから良いよね? 火傷しない程度にぬるくなった各々の湯呑みの中のお茶を、ここぞとばかりに女性の頭にぶっ掛けてから座り直し、身体加速を解く。

「……教養のある方は、頭からお茶をお飲みになるんですねぇ? 初めて見ました、勉強になります」

 メイクが溶けて顔に黒い線を描き、真っ白なハイブランドのワンピースに薄緑色のシミを作った女性に、精一杯嫌味ったらしく作り笑いを浮かべながら言うと、茶封筒の中身を放り出した祖父に連れられた一家は慌ただしく帰って行った。

「……ふっ、く」
「…………ヒロ?」
「……いや、うん。ちょっとやり過ぎだけど……あの顔……っ」
「やっぱやり過ぎだったよね…………嫌いに、なった?」

 さすがに一般人相手にちょっとやり過ぎたよなぁ。内心反省していると、俯いて肩を震わせていたヒロがパッと顔を上げ、私を腕の中に閉じ込めた。

「誰を嫌いになるって? まさか俺がヒナを嫌いになるとでも? そんなの、この世の終わりが来たって有り得ない」
「……そっか。なら、よかった」

 ふわりと香るヒロのにおい。うん……安心する。すり、と首元に顔を寄せると、少し腕の拘束を緩めたヒロが、優しく私の背をさすった。

「……俺が好きなのは、ヒナだけだよ。それだけは今も昔も変わらない。それに、これからも」
「うん……ありがとう、ヒロ。私も、ヒロが好きだよ」

 しばらくそのまま抱き合って、顔を見合わせた私たちは照れ臭くなって微笑んだあと、場所を考えて触れるだけのキスをしてから、またお互いの顔を見て──いつもみたいに笑い合った。





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