春霞と狐の嫁入り(1)一難去ってまた一難


 ○月×日 晴れ

 お見合い騒動は、まぁ色々あったけど大団円だったから終わり良ければ全てよし。上層のお偉いさんは突如辞表を提出して天下りもせずに一家仲良く田舎にさよならバイバイしたそうだ。スローライフしたかったんだなきっと、うん。ダンタリアンのお手紙に『海と山、どっちが好き? (意訳)』って書いただけなんだけどな。まぁ、それでそのあと降谷さんの縁談も無事に流れたらしいので、何故か風見さんにやたら感謝されて美味しいお菓子まで頂いた。うむ、後でお返ししなきゃだなぁ。ところで怪我をした兄は大丈夫って言ってるけど、まだ包帯が取れないみたいだ。本当に大丈夫なのか、明日あたりタナトスに聞かなきゃな。兄は自分に都合が悪い事があると誰にも言わない悪い癖がある。これでタナトスが知らなかったら……まぁ、そう言う事だろう。


 ◇◆◇◆◇


 一応名目上、ダンタリアンは『黄昏の会』の代表なので、兄とタナトスが厳選しても尚度々行われる国のお偉いさんが集まる会合やらパーティーやらに顔を出さないといけないらしい。料理が美味しい事以外は似たような顔のおっさんたちに囲まれてよく分からん政治の話を延々と聞かされるという地獄。あのさぁ、こういうのは絶対兄の方が向いてるからな? 人選ミスにも程があるだろう、まったく。

「たーだいまー……うぅ、疲れた……」

 主に精神的に。靴を脱ぎながらセーフハウスのリビングの方を見て、首を傾げる。今日は兄もこっちに居るはずなんだけどな? 晩ご飯作ってくれるって言ってたけど、何で真っ暗なんだろ? 

「ミヤー? あれ、出かけたのかな……でも靴はあるし……」

 リビングの電気を点けると、兄の部屋の方から微かに人の気配。でも兄じゃない。もっとこう、小さい生き物だ。えっ? 何だ? 最大限警戒しながら開けっ放しの兄の部屋のドアへと近付く。そーっと暗い室内を覗き込むと、部屋の隅、兄のベッドと壁の隙間で、何かが微かに動いた。殺気も敵意も感じない、警戒してる感じはするけど……注意しながら部屋の明かりのスイッチを押すと、その何かがビクリと大きく跳ねる。明るくなった部屋の隅に、薄茶色のもふっとした毛玉。何か凄い既視感があるぞ。えっ、待って。まさか……嘘だろ? 

「…………ミヤ?」

 呼ぶと、それはゆっくりとベッドの縁から顔を出した。くりくりとした意志の強そうな鳶色の瞳が、じっと私を見たあと「……母さん?」と呟いた。やっぱりか……うむ。これは見紛う事なく、小さい頃の兄である。軽い目眩を覚えながらも、ゆっくりとしゃがんで両手を挙げ、敵意がないことを示すと、壁とベッドの隙間から出てきたちっさい兄が私の前に立った。うわ、ちっさ。待って、何がどうしてこうなったの。

「えっと……ミヤ、だよね。まさか隠し子……な訳ないか。間違いなくミヤだもんな。えぇ……? なんで??」
「……アンタ、母さんじゃないな。よく似てるけど目の下にホクロが無いし髪の長さも声も違う。誰だお前」

 うわぁ……このクソ生意気な感じ、めっちゃ懐かしいな……じゃなくてだ。どうしたらいいんだこれ。大きさ的に因幡たちと同じ五歳くらいか。Tシャツをワンピースみたいに纏ったミニ兄は、私のことをじっと睨んでいる。説明……してもいいか。兄だしな、うん。

「あのさ、ミヤ。私はヒナだよ。何か知らんけど、大人のミヤが子供のミヤになったらしい。原因を探るためにこれから有識者に意見を聞きに行くから、私の言う事聞いて」
「はぁ? そんな非科学的な事あるわけないじゃん。大体ヒナがそんな元気に動き回れる筈ねぇし、子供騙しにしてももう少し話にリアリティ持たせろよ」

 あー、うん。とっても兄だな。とりあえず日頃の鬱憤を込めてモチモチのほっぺたを痛くないように左右に引っ張っておく。おぉ、めっちゃ伸びる〜! 

「ひゃめりょ! ふぃほうひゃふふぁいふぇふっひゃえるりょ!」
「へへ〜ん、何言ってるかわっかんないなぁ〜」

 調子に乗ってモチモチ〜と引っ張っていると、両手の甲を思いっきり抓られた。イッタ! 思わず手を離すと、飛び退いたミニ兄が両頬を押さえてギッ! と睨んできた。

「児童虐待で訴えてやるからな! このショタコン誘拐犯!」
「うっわ、こんな五歳児嫌過ぎる……」

 これ、もしかしなくても最初の記憶バージョンの兄だな? 強くてニューゲームを繰り返している兄は、私の知る幼少期の頃はこんな凶暴じゃなかった。うむ……だとすれば。

「……“ミオ”の言う事なら、聞く?」
「ミオまで誘拐したのか? 命知らずだな」
「してないってば、もう」

 ポケットから携帯端末を取り出して、タナトスに電話を掛ける。忙しいらしいからなぁ、出るかなぁ……と思っていると、数コールの後に繋がった。

『……ヒナか。どうした?』
「あのさ……あの、あのね? ミヤが子供になっちゃったんだけど、どうしたらいい?」
『……何? 何故だ?』
「わかんない。今どこに居るの?」
『秘密基地に……いや、今すぐにそちらへ行くから待っていろ』
「わかった」

 通話を切って、ベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせているミニ兄を見る。とりあえず着替えだなぁ、と自分の部屋のクローゼットに向かうと、何故かミニ兄も着いてくる。リコ用に用意していた子供服を取り出して手渡すと「さすが誘拐犯、こんなモノまで準備してるとなると計画的犯行だな」と言われた。うわぁ……タナトス早く来て、頼む。

 *

「……と言う事だ。説明以上、理解したか? ミヤ」
「成る程なぁ、大体わかった」

 リビングのソファーに座り、タナトスの説明をすんなりと受け入れたミニ兄は、得心した様に深く頷いた。何だこの対応の差。キッチンの火の元を締めながらひとりでむくれていると、タナトスが私の方を見た。

「……ヒナ。こちらに来てくれるか」

 促されてリビングへと戻ると、リビングテーブルの椅子を引いたタナトスが座る様に目線を向ける。大人しく座ると、口元に手を当てたタナトスが少し思案顔をした後、口を開いた。

「……ヒナの推察通り、このミヤは一度目の生の記憶しか持っていない。そしてヒナ、君は此度の生以前は……」
「あのさ。多分だけど、私……私は、これまでの『隼雀ヒナ』じゃない、イレギュラーなんだよね?」

 これは、随分前から感じていたこと。私が幼い頃、兄はいつも私の体調をしきりに気に掛けていた。それに、兄と親しい月夜やわんころは私を初めて見ると言っていた。そして、最初の記憶しか持たないこのミニ兄は、私がこんなに元気なはずがないと言う。それは、つまり……『元の』私は、短命だったか、病気がちだったか、まぁ、どちらかなんだろう。

「……この話は後でしよう。だが、ヒナが気に病むことは何一つとして無い事だけは忘れないでくれ。さて……此処ではいつ降谷が来るか分からんからな、場所を移そうか」

 * * *

「うっわぁ!! ンッ、ブフッ!! ちっちゃ〜!! ねぇねぇミヤビの旦那、ン゛ッ! 何して遊ぶッスかぁ〜? おままごと? かくれんぼ? それにしても、うっひゃ〜!! チビッスねぇ!!」
「アイツも一応ヒトの子だろ、想像付かなかったが……まんまじゃねぇか、クッソ面白ぇな」

 秘密基地のリビングで、月夜とわんころに突き回されているミニ兄を横目に、ソファーに座ったタナトスが私にココアの入ったマグカップを手渡した。

「……取り敢えず訊くが、あの状態に成る心当たりは?」
「うーん……? この前の怪我くらいしかわかんないな。でもミヤは大丈夫だって言ってたけど……」
「怪我? ……初耳だな。日時と場所、相手は?」

 お? これまさか、兄が報告してなかったパターンか? 珍しい……って言うか、兄が怪我したの初めて見た気がする。

「……この前の、お見合い騒動の時の人身売買組織の捕物の時。私がホムンクルスやっつけて、ミヤが、えっと……『リリス』? と交戦してた」

 説明すると、タナトスたち全員……月夜とわんころも目を見開いた。えっ!? 何か不味かった!? いや、不味かったんだなこの反応は。うへぇ……報告してなかったのか、兄は。

「……『リリス』と会敵したのか?」
「えっ、と。私じゃなくて、ミヤが」
「えぇ〜? そんで、『リリス』はどうしたんスかぁ?」
「なんか、逃げたって言ってたけど」
「あ? 逃したのかよ……面倒くせぇな」

 チッ、と舌打ちをした月夜が顔を顰めた。この反応……不味いどころじゃないな? 身を硬らせていると、タナトスが憂げに息を吐き出したあと、赤と青の双眸で私を見た。

「……成る程……ロキ、ミヤのセーフハウスから端末と衣服を回収。ヘルメス、『リリス』が今所属している組織……大方“スペクター”辺りだろう、詳細を『取って来い』……ミヤ、誰に世話をされたいか考えておけ。今日のところはもう寝るといい、おやすみ」

 ミニ兄を兄の部屋に行かせたタナトスが、難しい顔で考え込んでいる。うむ……つまり、兄がちっちゃくなったのは『リリス』が原因なんだな? それにしてもスペクター、か。また厄介な組織が出てきたなぁ……と考えていると、小さく息を吐いたタナトスが私を見た。

「……『リリス』の異能は『蛇姫』と言って、ありとあらゆる効果の毒を自分の体内で生成し、その効果を付けた蛇を使役する事が出来るものだ。一般的な毒、例えば致死性のあるもの等ならば、ミヤの耐性と処置で無力化したのだろう。ただ、気付かれぬ様に幼児退行の毒……まぁ、APTX4869の副作用の様な効果を付与していたと推測する」
「なるほど……その、解毒剤とか……作れるんだよね?」

 恐る恐る訊くと、タナトスは真剣な顔で「無理だな」と言い切った。何ですと? 

「……タナトスの能力で、その効果を消したりは?」
「出来ない事は無いが、如何せん時間が経ち過ぎて居る。遺伝子からリリスの毒の情報を強制的に排除した場合、ミヤの身体にどんな影響を齎すか正確に把握出来ない以上、リスクが高過ぎる」
「えぇ……じゃあ、ミヤはずっと子供のままなの?」
「案ずるな、ヒナ。何事にも解決策はある。なに、簡単な話だ……リリスに直接、解毒させれば良いだけの事」

 優しく微笑んだタナトスの、目が全く笑ってないのは気のせいじゃないと思う。

「……それに、奴には色々と聞かなければ成らない事もあるしな」

 タナトスの赤と青の双眸が、鋭く光った。

 * * *

「……えっ、私?」

 翌朝。ミニ兄がお世話係に指名したのは、意外な事に私だった。てっきりタナトスか月夜を選ぶと思ってたので、思わず間抜けな声を出した私に食後のお茶を飲んでいたミニ兄が少し不満そうに口を開いた。

「大人のミオは忙しそうだし、犬みたいなヤツはうるせぇし、月夜ってヤツは顔は可愛いけど男だろ。だから消去法で、仕方なく」

 ため息混じりに言うと、ミニ兄はお茶を一口飲んだ。それを見ていたタナトスが、俯いて肩を震わせている。お皿を洗い終え手を拭いてからリビングに戻り、リビングテーブルの横で腰に手を当て仁王立ちして二人を交互に見る。

「あのさぁ……元に戻ったら覚えてなよ、ミヤ」
「ヤだね」
「ぐぬぬ……っ! タナトスも笑わないでよ、もぉー!」
「っ、すまない。余りにも懐かしくて……さて、ミヤ。ヒナの言い付けはちゃんと聞く事。良いな?」
「ったく、聞くしかねぇんだろ? 子供に出来る事なんて限られるからな。とりあえずヒナ、お茶おかわり」

 空になったマグカップを差し出したミニ兄に、私はガックリと肩を落とした。

 * * *

 えーと、まぁ……そのあとタナトスからミニ兄の処遇について説明を受けた訳だけど。

「うん……そう言う訳だから、暫くはセーフハウスの方に寝泊りするから、降谷さんにも伝えておいて貰えるかな。ごめんね、ヒロ。うん、じゃあ、また連絡するね」

 リリスと交戦時の様子は降谷さんも見てたので、異能のせいで兄がちっちゃくなった事をヒロに伝えて通話を切る。島のあれこれは兄が居なくても回せるらしいので、そっちは大丈夫そうなんだけど、公安からのお仕事には支障が出まくりである。セーフハウスのリビングのソファーで、黙々と医学書を読み耽る五歳児の兄を見る。うーん、この時点で私より頭が良いってのがよく分かる。末恐ろしいな、将来は魔王かな。魔王だったな、そうだった。

 掃除と洗濯をして夕飯の下拵えをしていると、玄関のドアが勢い良く開く音。バタバタと慌ただしく廊下を通って、リビングに顔を出したのは血相を変えた降谷さん。こんなに慌てるなんて珍しいな、と思いつつ声を掛ける。

「こんばんは、降谷さん。ミヤならソファーで読書中です」
「なっ、ヒナ!? 何でそんなに落ち着いてるんだ!?」
「えぇ……? まぁ、見たら分かりますよ」

 視線で促すと、幾らか呼吸を整えた降谷さんがソファーに座るミニ兄の前にしゃがみ込んだ。

「うわ……本当に小さいミヤビだ」
「記憶も五歳児なんですけど……あの、タナトス曰くミヤも知的ギフテッドらしいので、言動は大人の時とほぼ変わりないですよ」
「何? ……成る程、道理であんな性格になる訳だ。それより、さっきからこっちを見向きもしないんだが?」
「昔っから没頭すると周りが見えなくなるので、その本取り上げないと反応しないですよ」

 私が言うか早いか、降谷さんは容赦なくミニ兄が読んでいた分厚い医学書を取り上げる。ミニ兄は数回瞬きをしたあと、ゆっくりと視線を上げると、怪訝な顔で降谷さんを見た。

「……誰だお前」
「目上の人間に“お前”なんて言うのは感心しないな」
「歳食ってりゃ皆目上か? 前時代的な思考だな。その金ピカの頭に化石でも詰まってんのかよ」
「……ヒナ?」
「すみません降谷さん、諦めて下さい」

 子供の兄は、美人なお姉さんの前でしか猫を被らないのである。何とも言えない気持ちになりながら下拵えした材料を冷蔵庫にしまってリビングに戻る。

「ミヤ、この人は降谷さん。えーと、たまに一緒にお仕事するんだよ」
「俺の職業医者じゃなかった? 見た感じ医療関係者には見えないけど」
「本当に五歳児なのか? 実は記憶があるんじゃ……?」
「タナトスが調べたので残念ながら間違いないです。ミヤ、降谷さんとお話しするから、もうちょっと本読んで待ってて」
「あっそ。なぁ、それ返して」

 ん。と手を伸ばしたミニ兄に、降谷さんが医学書を返す。二人分のコーヒーを淹れてから、リビングテーブルに座り難しい顔でミニ兄を観察している降谷さんの前に座る。

「えーと、どこから説明しましょうか……」
「……先日の蛇使いとの戦闘で負傷したのが原因なんだろう? 元に戻せるのか?」
「今ロキとヘルメスが『リリス』の行方を探してます。本人に解毒させれば、元に戻るそうです。タナトスが言うには、『specter』に所属してるんじゃないかって」
「スペクター……他にも異能持ちが所属しているんだったか」

 ゲンドウポーズでテーブルを睨んだ降谷さんに、少し考えてから口を開く。

「……今のところ、黄昏の会で把握している『specter』に所属している異能者は三名。ホムンクルスを作った『錬金術師』、ミヤと交戦した『リリス』、それから……」
「……それから?」
「あの、えっと……私もまだ詳しく教えて貰ってないんですけど、たぶん『不死』の異能が居るみたいです」
「不死……」

 死なない人間はいない、と前に月夜が言ってたけど。人間はいずれ死ぬから人間なのであって、死なない人間は人間ではない。だから、その『不死』も、人間では無いのではないか、とタナトスたちが話していた。だとすると神獣系かなぁ、とぼんやり考えていたけれど、ソレと対峙した時に、私は……どう立ち回るべきなのか。

「……ヒナ?」
「え、あ。すみません、えーと、対異能については、黄昏の会の方で対処するので問題ないです、たぶん」

 慌てて取り繕うと、降谷さんが眉間にしわを刻みながら私を見た。綺麗な空色の瞳が、私を映している。

「……その『リリス』を捕縛するまでの概算予測は?」
「えっと、『リリス』は擬態するのが得意らしいので、少なくとも半月は掛かるかもって言ってました」
「半月……」
「あの、もしかして公安の方のお仕事有りましたか?」
「……いや、頼ってばかりではいけないのは分かっている。こちらの事は気にしなくていい」
「えっと……私の方からダンタリアンに頼めますけど」
「……良いのか?」
「まぁ、暇してると思うので、たぶん」

 嘘は言ってない。最近のダンタリアンの仕事は接待くらいしかしてないので、降谷さんやヒロたちのお手伝いなら大歓迎だ。ミニ兄はとても聞き分けがいいので、お留守番ならしてくれるし。

「その事については……後で連絡する。ところで、半月もこの姿のままだったら不便じゃないか? おちおち外出も出来ないだろう」
「親戚の子供を預かってる事にしたらどうですかね? まぁ、十中八九ミヤの隠し子だと思われそうですけど」
「それは……否定出来ないな」
「日頃の行いって大事ですよね」

 兄に言ったら「そんなヘマしねぇよ」とか、最低な答えが返ってくるだろうけど。

「名前……偽名的なの、どうしましょう」
「そうだな……ヒナ何か案はあるか?」
「うーん? あ、そう言えば、小鳥遊の方は雲雀(ヒバリ)日雀(ヒガラ)で迷ったって言ってましたね。優とユイで良かったですけど」
「へぇ……だったらヒバリで良いんじゃないか?」
「ヒバリかぁ……まぁ、無難ですね」

 そんな訳で、ミニ兄の偽名はヒバリに決定した。

 *

 数日後、セーフハウスに引き篭もってばかりだと可哀想じゃないか? というヒロの提案で三人で出掛けることになった訳なんだけど。

「何でお前らが居るんだ……」
「それはこっちのセリフだっての! しかも子連れって……お前らいつの間に」
「うわー、ユイちゃんのお兄さんそっくりだね! ヒカルの遺伝子どこ行ったの?」
「いえ、あの……親戚の子です」

 平日の遊園地で遭遇したのは、グラサン天パとタレ目ロン毛のイケメンズ。ヒロがこめかみを押さえながら「男二人で遊園地とか……いや、別にいいんだけどな……」とブツブツ言っている。そんな大人たちを少し不思議そうに見上げたミニ兄は、ニッコリと完璧な作り笑顔を浮かべた。待て、その顔は何か企んでる顔だな、知ってるぞ! 

「こんにちは、僕、小鳥遊雲雀です。両親が海外で法事があって、その間ユイお姉さんにお世話になってます」
「おー、ちゃんと挨拶出来て偉いな」
「まだ小さいのにしっかりしてんねぇ」

 うーわぁ……猫被ったよ? 何だ何だ、何を企んでんだコレ。戦々恐々としながら黙っていると、気を取り直したらしいヒロが私の方を見た。

「仕方ない……ユイ、一緒に回ってもいいか?」
「うん、大丈夫……だよ」

 わしゃわしゃと萩原さんに頭を撫でまわされているミニ兄は、ニコニコと子供らしい笑顔を浮かべたまま、私を見上げた。

「早く何か乗ろう、ユイお姉さん」

 *

「研二お兄さん、次アレ乗りたい!」
「よっしゃー、行こ、陣平ちゃん!」
「何で俺が……オイ、引っ張んな!」

 すっかり爆処組のお二人と打ち解けたミニ兄は、萩原さんに肩車して貰いあっちこっちのアトラクションに連れ回している。

「何か申し訳ない……」
「あの二人なら全然気にしてないから、ユイも気にしなくて良いぞ。少し座るか? 歩き回って疲れただろ?」

 私をベンチに座らせて飲み物を買いに行ってくれたヒロの背中を見送ってから、携帯端末を取り出すと、タナトスから着信が来ていた。うわ、全然気付かなかった。折り返してみると、タナトスはすぐに出た。

「ごめん、電話気付かなくて」
『いや、ただの進捗の報告だ。このまま報告しても?』
「あー、うん。お願いします」
『では……まずベネチアでロキがリリスを捕縛した。だが相当抵抗したらしいからな、連れて来るのに三日ほど要する』
「そっか……じゃあ元に戻せるんだね?」
『……ヒナ、その事については移送が終わってから話しをしよう。それから、保険としてヘルメスの方で“ニケ”を探しているんだが……彼女について、ミヤから何か聞いていないか?』
「いや……? 聞いてない」
『そうか……わかった。取り敢えず今のところの報告は以上だ。楽しんで来るといい』
「うん、ありがと。じゃあ、また後で」

 通話を終えた辺りで、ちょうど戻って来たヒロが「電話か?」と私の手の中の携帯端末を見た。

「うん、真朝から。楽しんで来いって」
「そうか、じゃあユイも楽しまないとな。何か乗りたいのはあるか?」
「うーん? 特には……」

 ミニ兄を萩原さんたちに預けている手前、私が動き回るのはどうかと思うし。視線を巡らせていると、アミューズメントコーナーが目に付いた。

「……あそこ覗いてみても良い? ヒバリたちが降りて来ても見えるだろうし」
「わかった。じゃあこれ飲み終わったら行ってみような」

 *

 アミューズメントコーナーにはクレーンゲームなどが並ぶゲームセンター、的当てや輪投げ、そして……。

「……ヒカル」
「うん? どうした……って、もしかして」

 ヒロの服の袖を引いて期待の眼差しを送ると、意図を察したヒロが苦笑を漏らす。

「俺よりユイの方が得意だろう?」
「違うくて、ヒカルが射的をしてる姿を見たいんだよ私は」

 推しの射的姿だぞ! レアスチルにも程があるだろう! まぁ、惜しむらくは撮影不可な事なんだよな。悲しみが深い。私の力説が功を奏したのかはわからないけど、優しいヒロは係員から射的の弾を貰って詰めている。私は少し離れてヒロが射的銃を構えて狙いを定める顔がよく見える場所に移動する。ワァーッ!! 顔が良い!! お客さん! お顔がかっこよすぎですね!? うわっ、顔がいい……何これすごい。このアングル最高。あと八時間くらい余裕で見てられる……ありゃ、終わっちゃった。

「うーん、当たったけど落ちなかった……って、何でそんなところに居るんだ?」
「大丈夫、私が撃ち落とされたから」
「……どっからそんな言葉覚えて来たんだ……まったく」

 珍しく赤面したヒロを見上げていると、アトラクションを乗り終えたらしいミニ兄たちがやって来た。

「おーおー、お熱い事でよォ……」
「何やってたの? 射的?」
「……ユイお姉さん、僕あのクマのぬいぐるみ欲しい」

 嘘つけ、絶対要らんやろ……と景品の方を見る。クマってアレか、あのいちばんでっかいやつ。地味な嫌がらせをしてくるミニ兄に手を引かれ、渋々射的銃にコルクを詰める。

「……取れなくても、文句なしだからね」

 私の妙な特技である『与一の心得』は飛び道具の命中率確定なだけだから、重量のありそうなあのぬいぐるみは取れないだろう。照準器も見ずに射的銃の先をぬいぐるみに向けて、引き金を引いた。

 *

「すごい……ユイちゃんって射的の世界チャンピオンか何かなの?」
「全部一発で景品落とすとか……店員が死ぬほど驚いてたな」
「要らない……私このスキル要らない……」
「はは……羨ましいけどなあ」

 それぞれ色んな大きさのぬいぐるみを抱えながら観覧車の列に並ぶ。おかしい……こんな筈じゃなかったぞ。後でタナトスにこのスキルの検証手伝ってもらおう。そんであわよくば押し付けようそうしよう。とりあえず自分と同じくらいの大きさのぬいぐるみを抱えたミニ兄の写真を撮ってタナトスに送ると、『家に持って帰った途端に中身解剖し出すから気を付けろよ』と返信が来た。初期設定の兄はサイコパスか何かかよ。思わずゾッとしながら視線を上げると、感慨深そうな顔で観覧車を見上げる松田さんの横顔が見えた。もしかしなくても……あの時の事を思い出してるんだろうか。同じように松田さんを見ていた萩原さんと目が合った。うん……萩原さんも、ヒロも、松田さんも、伊達さんも、今日もちゃんと生きてる。

「……ダンタリアンが、皆さんの事、勝手に助けた理由……聞きますか?」
「……ユイ?」

 ぬいぐるみを持つ手と反対側で繋いだヒロの手を少し握り直して、私に集まる視線に笑みを返す。

「……桜の花弁は、五枚で一輪。だからこそ、ひとひらでも損なえば精彩に欠ける……だそうです」

 彼らの絆はきっと、この先も鮮やかに未来を彩るだろう。私の身勝手で始まった奇妙な世界の中で、小さくなった兄の鳶色の瞳が不思議そうに私を映していた。





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