『ゼロ』のマイクロフト




 各国の機関が集まる、長年世界に棲み着いた組織を一網打尽にするための作戦会議室。

 FBIに宛てがわれたブースでは、ジェイムズ捜査官を始め皆一様に難しい顔をしていた。

 それとは対照的に、他国の捜査官たちがひっきりなしにやってきては去っていく日本の捜査ブース。同じ歳だという見た目詐欺の四人と、その一つ年上の右腕が、慌しくも規律立った働き振りを見せていた。

 最近、日本からも他国からもFBIへの風当たりが強い。

 それがいつから、なぜ起きたのか、理由は数あれど。初日は確かに真逆の立場だったはず。FBIが作戦会議を先導し、有利な条件ばかりで推し進めても、日本からは文句一つ無かったのだ。

 それをじっと眺める四人の公安捜査官は、『そうですね』『いいと思います』『その通りです』を繰り返したため、ここぞとばかりに米国が圧倒的利益を受ける作戦を練り上げた。

 そんな初日が終わる頃には、日本側の捜査官は『ゼロ』の紅一点だという雨音だけが残り、明日のための資料を人間離れしたタイピング技術で黙々と打ち込みながら、会議の様子を静かに傍聴していた。

 さすがに憤った他国の捜査官達に幾度となく詰め寄られても、涼しい顔で『会議ですので意見を出したもの勝ちです』と言い含めていたのは彼女だが。

 深夜に差し迫ろうとしたために、一旦お開きとなった会議室で、最後にFBIと退室し施錠した彼女が去り際に残した『会議の提案は我々が精査し、作戦に反映します』という言葉の意味を、もっとよく考えるべきだったのだ。

 次の日の朝、最初の捜査員が入室する頃には既に各国のデスクの上に置かれていたという、几帳面に角をピッタリと揃えて綴じられた冊子。

 その中には、初日に提案された全ての発言記録とその内容の箇条書き、それを精査した日本警察としての見解と事由、果てはリスクアセスメントまで成され。

 日本語と英語、更には各国の言葉で完璧に翻訳されたそれは、後で漏れ聞いたところによると、なんと雨音が一人で夜なべして作り上げたのだという。

 そのあまりの事実に衝撃を受けた他国の捜査官が彼女に詰め寄れば『文字を打ち込み計算しただけです』と素気無く言われ、ならばと他の日本の捜査官に聞けば『いつもの事ですので』と、取り付く島もなく返答された。

 そこから、誰が言い始めたのか。




 ──『ゼロ』には、紅一点のマイクロフトが居る。




 そういえば、とFBIの誰かが思う。

 風当たりが段々と冷たくなるのは、必ずその直前に、この中の誰かが『彼女』に失言した時だった、と。


 * * *


「……大変に不名誉な風評被害を被っている」

 むすっとした顔でココアを啜った澪が、遺憾の意を示した。

「ああ、あれか『ゼロのマイクロフト』?」
「そう、それ」

 澪の返答を聞いた隼雀が、ぶはっ、と吹き出した後げらげらと笑い転げる。何事かと紫煙を吐き出しながら胡乱な眼差しを向ければ、隼雀は息も絶え絶えに肩で息をしていた。

「おまっ、お前が……マイクロフト……っ! サロン作るか……!? もうある、ふふっ、はっ! ぐぇ」

 真顔で澪が繰り出した綺麗な右ストレートが隼雀の左脇腹にめり込む。南無三。

「嫌なのか?」
「絶対嫌だ」

 問えば被せ気味に返答が返ってくる。

「ぴったりだと思うけどなあ」
「……ヒロも一発いくか?」

右手の握り拳を顔の横に掲げた澪に、脊髄反射で謝罪すると、はぁ……と物憂げなため息。

「おー、いってぇ……あ、そういやさぁ、モロフシくん、俺たち同い年組が他の捜査員になんて言われてるか知ってる?」
「ええ……なんか、色々言われすぎててわからん」
「年齢詐欺グループ」
「あー……ああ、うん、わかる。わかるけど仮にも警察官に失礼過ぎだろそのネーミング。しかし言い得て妙だな、特に降谷と雨音」
「何でだ。遺憾の意」
「お前とフルヤくん、ティーンに見えるってよ。俺とモロフシくんは二十代前半だって」
「これ喜ぶとゼロに殴られるやつだろ」
「私も怒る。ミヤはもう一発なぐる」
「やだこの子凶ぼうっぐ」

 二回目の右ストレート。ご臨終です。

「荒れてんなあ。理由はわかるが」
「そろそろ中身(スピリタス)出そう」
「出すな出すな! しまっとけ!」

 そんな物騒なもの出すな! 頼むから! 気持ちはわかるけど!

「もうレッドカード(強制送還)顔に叩きつけても許されると思うんだよねぇ」
中身(スピリタス)漏れてるからしまおう、な?」
「……わかった」
「それより雨音、毎日あの冊子一人で作るのはさすがに大変じゃないか?」
「あぁ、ちょっとズルしてるから大丈夫。ゼロには許可もらってる」
「へえ。ズル出来る要素あるか?」
「翻訳はノアくんに手伝って貰ってるし、あの作業で一番辛いの製本なんだよね。だから各国の一冊ずつ作って、その後はまぁ……C&P」
「こぴーあんどぺーすと」
「うん。物体の」
「ぶったいの」

 相変わらず斜め上にぶっ飛んで便利。なにそれすごい。

「うっ……俺もその能力、ほし……い……」
「お、生き返ってすぐ死んだ」
「尊い犠牲だった……」

 雨音がポケットティッシュを二枚取り出して、一枚で口元を拭きもう一枚を開いて隼雀の顔にそっと被せた。無慈悲過ぎる。

「ミヤの『篝火』も便利だと思うけどなぁ」
「なんだそのカッコいいネーミング」
「私が付けた。もっと褒めて」
「へえ、センスいいな。そういやゼロが人の注目を集めるんじゃないかって言ってたな」
「まぁ、それもあるし、ミヤって暗視できるんだよね。夜目が効くと言うか」
「それはスナイパーとしてとても羨ましい」
「それが『火を見るより明らか』で、あとよく『恋心に火が付く』とか『火に油を注ぐ』とかって言うでしょ?」
「ああ、言うな」
「そういう『火』の付く慣用句なら大体できる」
「だいたいできる」
「うん」

 うん。こっちも充分やばい能力だな。と言うかあの煽りスキル異能だったのか。隼雀、自分の能力ショボいとか言ってたけど大嘘じゃないか。あとでゼロに教えよう。絶対殴られる。


 *


 風見さんと一緒に次の捜査資料を配り歩いていると、ライに呼び止められた。

「少しいいか」
「忙しいのでよくないですね」

 その場を離れようとすると、肩を掴まれそうになったので身体を捻って避ける。

「やめていただけますか」
「ホォ、なかなかの身のこなしだ。何か武術を?」
「個人的な質問には黙秘します」
「フッ……つれないお嬢さんだ」

 誰がお嬢さんか。もうアラサーだってば。鳥肌立つからやめてほしい。

「……工藤夫妻と話したのは君だな?」
「それが何か?」
「ホォー、否定すると思ったが……ふむ、なるほど。さすがは『ゼロのマイクロフト』と言うわけか」

 あ。無理。キレそう。

「ライー? お仕事中にナンパすんなよ、俺だってブロンド美人捜査官を前に我慢してんのに」

 腕を引かれてミヤの背中に隠される。危なかった。ゼロもヒロも居ないから、私がキレるのはまずい。

「おや、彼女のナイトは君だったのか?」
「あ?」

 あっ待てこれミヤがキレるやつだな。マジでやめろって! もう何も言うなって! ライのばか!

「君はてっきりもう少し派手な女性が好みかと思っていたのだが」
「……へぇ? とんだ偏見だな?」
「ミヤ、席に戻れ。私は大丈夫だから落ち着け」
「ホォ、あだ名で呼ぶ仲か」
「だったら何?ライには関係なくない?」

 あーもー!! 既にキレてる!!

資料を持っているため、片手でミヤの腕を引っ張ってもびくともしない。あー、その顔は臨戦態勢だよね。やめろ。外でやれ。

「ミヤ、会議室内で乱闘は禁止だ。席に戻れ、大丈夫だから」
「……わかった」

 ぷいとライから顔を逸らし、ミヤは日本の捜査ブースへ戻っていく。残された私とライは、静かに見つめ合う。

 この男が何故こんな事をするのか、目を使わずともわかる。試したいのだろう、私を怒らせる毎に自分たちが不利益を被るのかどうかを。

 え、バカなの? これ以上墓穴掘ったら地獄に繋がってるんだけどな?

「君は随分と男の扱いが上手いようだ」
「……職務中ですので失礼致します」
「待て、君と話がしたい」
「仕事の話以外はお受けできかねます」
「聞きたい事が山ほどある、例えば」
「仕事以外の話題でしたら、あちらに壁がございますので、どうぞ思う存分話して差し上げて下さい。きっと喜びますよ。では失礼致します」

 私も踵を返そうとすると、今度は手首を掴まれた。うん、割とアウト。でもなぁ。あの二人が居ないから減点出来ないんだよなぁ。

「……今すぐ離していただけない場合、鎮圧行動に移らせていただきますが覚悟はよろしいでしょうか」
「勇ましいな。出来るのか?」
「出来ますよ……ほら」

 ライをうつ伏せに引き倒し、背中側に腕を捻り上げる。確かライは左手が利き手だった筈なので、痛めない程度に。片手で組み伏せられるとは思ってなかったのか、周りに居た捜査官たちが息を飲む音が聞こえた。

「……あまり我々を侮らないでいただきたい」

 ライの耳元に顔を寄せ、低く呟いたあと、背骨に沿って体重を掛けていた足を下ろして拘束を解く。こらミヤ、笑い過ぎだぞ。

 身体を起こしたライが、鋭い視線を遣す。

「……君は少し、あの怪物に似ているな」
「どの怪物かは存じ上げませんが、職務が残っておりますので、今度こそ失礼致します」

 慇懃に礼をして資料配りを再開する。

 背中にずっと、ライとFBIの視線が刺さっていた。



 * * *



「……こちらには、全てが揃っております」

 工藤邸で、目の前の夫婦にそう告げると、揃いの貼り付けた笑みを浮かべたまま、優作氏が少しだけ身を乗り出した。

「……何の、でしょうか。心当たりがないもので……すみません」
「そうですか。では言い方を変えます。こちらには、あなた方を立件出来るだけの証拠が充分に揃っております」
「困りましたね、まるで身に覚えがない」
「そうですか。困りましたね。我々も穏便に済ませたいのですが」
「……それは、何かの脅しでしょうか?」
「さぁ、どうでしょう」

 私が無表情を貫いていると、今度は有希子氏が口を開く。

「あのー……雨音、さん?もう少しわかりやすく話していただけないかしら?」
「申し訳ありませんが、あまり詳しくお話ししている時間はありません。こちらの書面にサインをお願いしたいだけですので」

 テーブルの上に置かれた一枚の紙に視線を落とす。

 誓約書、と簡素に書かれた書面の内容は一文だけだったが、そのひどく遠回しで小難しい文章を要約すると、こうだ。



 工藤一家は勝手な行動・言動を慎むこと。



 以上である。

「急かして申し訳無いのですが、ご署名ください」
「身に覚えが無いのに、署名しろと?」
「では取引をしましょう」
「……取引?」
「えぇ、そうです。取引を」

 目の前の優作氏をじっと見つめる。

 この部屋にある監視カメラと盗聴器で、他の部屋から様子を見ているであろう小さな探偵にも聞こえるように。


「……APTX4869の解毒剤は既に完成しており、その全てを我々が管理しています」


 優作氏の瞳の奥が僅かに揺らぐ。伸るか反るか。

 ……沈黙。

 心の中でぴったり百八十秒数えた後、小さく息を吐きながら出しっぱなしのままの書類とペンを仕舞うために手を伸ばす。

「待って!!」
「っ、新ちゃん!」

 ドアから飛び込んで来た小さな探偵に、有希子氏が驚いて声を上げてしまったのを、優作氏は一瞬だけ、しまった、と表情に出した。

「ねぇ!! 今の話本当なの!? ねぇってば!!」

 私のそばに走り寄ると、乱暴に腕を掴まれ揺さぶられる。だからキミは、子供なんだよ。

「コナン君、やめなさい」
「ねぇ!! 答えてよ!!」
「し、コナンちゃん、こっちに来て紅茶でも飲みましょう?ね?」

 この時私はさぞ冷やかな視線を送っていたのだろう。優作氏が無理矢理コナン少年を抱き上げ、私から引き剥がした。

「すみません、親戚の子なのですが」
「あぁ、別に隠さずとも大丈夫です。言ったでしょう、全て揃っていると。指紋と毛髪のDNA検査も半年前に完了しております」

 その言葉に、コナン少年が目を見開く。
 優作氏もまた、諦めたように息を吐いた。

「……私たちに、何を求めるのですか」
「書面にある通りですが」
「手を出すな、そう言う事ですか」
「その通りです。ご理解頂き感謝します。ではご署名を」
「待って! 薬は!? ここに父さんがサインしたら、解毒剤をくれるんだよね!?」

 尚も喚き散らすコナン少年に、憐憫の眼差しを送る。この世界の、小さな特異点へと。

「……解毒剤は、こちらの書面の約束が果たされたと我々が判断した場合にのみ、お渡しします」
「……ッ!! でも……クソッ!! 俺だって!!俺だって、あの組織を壊滅させる手伝いができる筈だ!!!」

 幼い獣が吠える。

「ではお聞きしますが、工藤新一氏。貴方は化物退治の経験が?」
「化物……? 何言って、まさか……組織の幹部の」
「スピリタス。人間の時は『真朝』と名乗っていたようですが」
「は……? えっ……!? 真朝さんが、スピリタス……!?」
「えぇ。その様子だと赤井秀一氏から聞いていたようですね。右目が赤、左目が青の、怪物です」
「だからいつも眼帯を……!? そんな…!」

 愕然とするコナン少年を、大人たち三人が見ている。とんだ茶番だ。目の前に居る私こそが、その怪物スピリタスなのだから。

「それで、工藤新一氏はその怪物に勝てますか?」
「そ、れは……! そんなの、警察だって同じじゃないか!!」
「我々はスピリタスを無力化する方法を知っています」
「な……ッ! え? 嘘だ……そんなの出来っこないよ!! 銃も効かない、目を見ただけで人を殺せる怪物を、どうやって!!」
「守秘義務違反になりますのでお答えしかねます」
「……ッ、クソッ!!」

 余程悔しいのだろう、ぽろぽろと涙をこぼしたコナン少年の背中を、工藤夫妻が優しく撫でている。

「署名を」

 冷徹に告げると、瞳に涙を溜めた有希子氏が私を睨んだ。

「……あなたも、怪物みたいだわ」
「えぇ、よく言われます。おかげさまで、最近は『ゼロのマイクロフト』などという大変不本意な渾名が付きました」
「っ、何で……どうして……」

 俺ばっかり、と消えそうな声。

「……The world is not just looking at you.( 世界は、貴方だけを見ているわけではない)

 私が言うと、コナン少年は驚いた顔で私を見る。一瞬だけ視線を合わせ、優作氏へと移す。


「……ご署名を」





 ──ペンを滑らせる静かな音が、部屋に響いた。




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