■さめざめと恋は唐突に
「次の部長は…松岡、お前だ」
御子柴部長に言われたのは、県大会予選が終わってしばらく経った頃だった。
あの大会で…俺はハルたち岩鳶高校水泳部のメンバーとして出場。
タイムは一位だったが勿論大会規定に抵触して失格になった。果ては競技会、連盟にまで問題は波及したが何とか先生方が事態を収束させてくれた。相当な尽力によって…。御子柴部長も関係各所への説明に同行するなど方々へ走り回ってくれているのを、俺も目の当たりにしていたわけで…。 申し訳なさと感謝でいっぱいだった。
そんな部長からの打診は突然だった。
最初にその言葉を聞いた時は、何を言われたか、何を言っているの理解ができず、
しばし無言で突っ立ってしまっていた。
頭が真っ白になるとはこういうことなんだと思う。
「あの…俺、わかんない…す…」
うわずった声でそう言って、その場から逃げる様に部室を飛び出すのが精一杯だった。 何も考えず…いや、考えられずというのが相応しい…。
いたずらに夜道を走った。
道を照らす白い街灯の光がやたらと明るすぎてチラチラと目障りに感じた。
ただ…こんな時でも夜風は肌に気持ち良かった。
自分が一歩踏み出す度に、少しだけ秋の気配を感じる冷んやりとした風が、頬をビュンとかすめ過ぎ去ってゆく。
ぼんやりと熱っぽかった頭が、次第に冷やされて行くのがわかった。
…部長に…俺が…?
考えれば考えるほど、体の動きは比例する様に鈍くなり、次第に足取りは重くなっていって、いつの間にか走るのではなく歩いていた。
なれる?
なれない?
…わからない
けれど 踏み出すしかない。
だって季節は変わる。変われば部長は卒業する。
オーストラリア留学を志し半ばで諦め帰国したばかりの頃。鮫柄学園に転校してきて、何もわからず、身も心も灰色一色だった日々に。部長の振る舞いに、朗らかな明るさにどれだけ救われただろう。
そんな人が春になれば卒業する。
プールにも学校にも寮にも、何処にもいなくなる。目の前からいなくなるのだ。
自分にその後釜が務まるのか?
途端に近々現実になるかもしれない未来にゾッとした。
部長の大きさに…初めて気づいた。
あぁ あの人は夏の太陽なのかもしれない。
ギラギラと熱く灼熱。
誰もが憧れる夏の太陽。
足取りはやたら重かった。けれども気づけば鮫柄学園の前。
いつの間にか帰ってきていた。
ーここが俺の居場所…ー
鮫柄学園の赤いレンガ造りの門を見上げながら思った。
しばらく眺めてから、それから門をくぐって寮へと向かった。
決意…
そんなものはまだできていないのだけれど。
ー部長…何て言うかな…ー
ー部長…怒ったかな…ー
部長のことばかり考えていると、後ろから聞き慣れた声に名前を呼ばれ、思わず体が強張った。
「松岡!」
…部長…だった。
もう逃げれない…。
「…さっきは…」
逃げはしない…。
けれど… 俺はまともに部長の顔を見ることができず、俯いて足元を見つめる様にしながら小さな声で言った。
「…すい…ません…でした…」
「松岡は…猫みたいだな…!!」
「…へ?」
部長の口から飛び出した予想もしなかった言葉に、思わず間抜けな返事をしてしまう。 この人は…ほんとに… いつだってこうなのだ。
「お前さっき脇をスルッとすり抜けて逃げていくもんだから…」
「…」
「今から探しに行こうと思ってたんだぞ」
いつもと変わらない部長の口調に、どこかほっとする自分がいた。
顔を持ち上げて、俺よりも高い場所にある、整った顔の吊り目がちな瞳を見つめた。 部長はクリクリと大きな目を細める様にしながら言った。
「…でもちゃんと自分で帰ってきたな」
「…はい…」
部長は言葉を続ける。
「松岡…腹は決まったか?」
「………」
即答できない俺を真っ直ぐな瞳でじっと待っていてくれる。
「は…い…」
「じゃ、頼んだぞ」
「…はい…!」
俺がそう返事をすると、部長は俺の頭に手を乗せてわしゃわしゃと髪を掻き混ぜる様に頭を撫でた。
大きな手から伝わってくる温もりは、何故か俺を切なくさせる。
あ…泣く…
そう思ってとっさに下を向いて、唇を噛んだ。
行き場のない両腕の先にある拳をギュっと握り占めた。
こんな気持ち…俺は知らない。
ある日それは突然やってくる。
さめざめと恋は唐突に。
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*ずっと書きたかったみこりん話を前触れもなく唐突に投入しました。
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