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13-2




ただ有賀が意図的にか、それとも女性達の好奇心を満たすためか、かなり赤裸々に桜介への愛情を語っている様がところどころ耳に入って来た。それを聴いているのも忍びなく、ただひたすらに鉄板の上で生産される食物を腹に入れていたが、久しぶりの友人たちとの会話はそれなりに楽しく、特に気まずいという思いをすることもない。

岩永夫人も時々、歩きにくそうなヒールの高いミュールを鳴らし、酒を勧めに来る。まったくもって普通だ。
有賀の痒い惚気が功を奏したのか。それともそもそも岩永の説得は成功していたのか。
何にしても特に何もなければそれはそれで構わない。酔っぱらい始めた友人達に絡まれつつ、そろそろ炭の番の岩永と変わってやろうとバーベキューセットに近づいた。

「三浦さん、本当にお酒は飲まないの?」

かけられた声に振り向くと、ビールを片手に岩永夫人が笑っている。多少は飲み食いしている筈なのにグロスには崩れが無くて、そういえば何度か席を立っているなと思いあたる。
わざわざ化粧を直すような集まりでもないのだが、それは人それぞれだと思い、とりあえず笑顔を作った。

「すいません、俺、どうにもアルコール弱くって。結構無茶して反省する事があるから、今日は火の番してますよー。まあ、焼けるのを見てるだけの簡単な作業ですけど。奥さん達は食べてます?」
「ええ、有賀さんから頂いたマリネがおいしくて、おいしくて。レシピをみなさんでねだっているところなんですよ。お料理のできる男の方って素敵ですよね」
「ああ、そうですねー、俺も随分助かってます。凝ったものばかり作りたがるんですけどねぇ。ビーフシチューは作れるのに、親子丼ができないとかどういうことなんだって感じですけど」

慎重に笑顔を作りながら、当たり障りない言葉を選んで行く。それでもうまく顔を上げる勇気が出ず、炭の確認をしながら言葉を並べた。
そろそろ追加で炭を入れておかないといけないかもしれない。端に寄せた炭を取ろうと数歩動いた時に、視界の端で何かが倒れ、ガシャンと重い音がした。

「……うおあっつ……ッ!」

何が起こったか確認する前に、地面に飛び散った火の粉が飛んでくる。

「サクラちゃん……!?」
「桜介! 大丈夫か!? 奥さんも、危ないから離れて……っ」

バーベキュー用のコンロの足が折れて倒れ、鉄板や炭が桜介のすぐそばに転がっている。コンロの足のひとつが折れて中の炭と鉄板が倒れてきたらしかった。

直接振りかかっていたら、絆創膏ひとつでどうにかなる怪我ではすまないだろう。幸いにも特に火傷をすることもなく、熱気に飛びのいたくらいで転んでさえいない。
簡易折りたたみ式だったらしいコンロの足は細く、確かに不安定だ。誰にも怪我がなくて、笑い話で済みそうでよかったと視線を上げた先で、気持ち悪い程鮮やかな笑顔でこちらを見下ろす岩永夫人が目に入り、一気に桜介の表情が固まった。

皆、大事には至らなかった為にハプニングとして流す空気になりつつある。
それに便乗し、アウトドアとは相性悪いんだと笑った顔は引きつっていなかっただろうか。いつの間にかこちらに駆けよっていた有賀で視線をふさぐようにすると、やっと気持ちが楽になる。

「サクラちゃん、本当に怪我ない? ちょっと、思っていたよりとんでもないんだけど、気分とか平気?」
「……あーうん、なんか、あのー……気持ち悪い通り越してマジこええんだけど。ええー……これ日本語通じると思う?」

周囲を片づけるふりをしながら、囁いてくる有賀に主語もなく問えば、どうだろうと低い声が返ってくる。

「同じ言語使ってても脳みその構造が違うと、もうどうしようもないからね。とにかく、このまま何事も無ければ、別に他人の家庭壊すこともないしって思ってたんだけど、洒落にならないし、ごめんね、僕の方が我慢できない」
「え。ちょっと、有賀さん落ち着いて。気持ちはわからんでもないけど、俺怪我してないし」
「結果論です。サクラちゃんが火傷でもしてたら、僕はもう少し理性放り投げてこの場を引かせています」

自分の顔も引きつっていたと思うが、有賀の顔も相当固い。むしろ笑っていない。目が本気すぎて桜介の背筋に冷たいものが走る。
どうしようまずい。そう思って考えているうちに、笑顔を作った有賀が、手を洗いたいので洗面台をお借りしてもいいですかと奥方に笑いかける。笑顔で頷いた岩永夫人と有賀が連れだって庭先から消えるのを追う様に、俺も、と岩永を引っ張った。

「おい、桜介どうした」
「どうしたもこうしたもねーよやばいやばい。ちょっと、ツレが切れた。つかお前奥さん全然手懐けられてねーじゃんバカ。もっと手綱しっかり握っとけよ……!」
「え、まさか今のはうちのが……」
「それもそうだけどそうじゃないのもあるんだよ。いやまあ、もう、言うわ。お前の奥さん浮気してる。興信所調べだから証拠有り。ただしなんで俺を目の敵にするのかはまったく不明。って話を今うちのツレが結構ガチな感じで奥さんに言う気がするからちょっと止めてくるんだよ」
「は、浮……なんだって?」
「後で書類見せるから! もー何事もなければそのまま帰ろうと思ってたのに、あんたの奥さん何なのまじで」

呆然とする岩永を引きずりながら、すぐに追いかけたつもりが、すでに廊下の奥では夫人が俯き座り込んでいた。
見降ろす有賀の視線に、同情は一切ない。ただ桜介と目が合うと、少し気まずそうに視線を逸らした。

「有賀さん、あのね」
「言い訳はしておくけど。手は上げてないし。別に、大したこと言ってないよ。驚いたことに迫られそうになったから、ちょっと触らないで貰えますかねっていうのと、あと、御自分の事を棚に上げてよく旦那さんの浮気疑えますねって、言ったけど。別に脅しても居ません。詰っても居ません。罵倒しても居ません」
「……随分我慢したね」
「だって、サクラちゃん嫌な気分になるでしょ。僕はね、キミが平和に楽しく毎日仕事して、一緒にご飯食べて、毎朝おはようって笑ってもらえれば、もう別に、友人の妻の事情なんてどうでもいいんだよ。ただ、その障害はきっちり排除したとは思ってるし、だからなんでこの人がサクラちゃんを怪我までさせようくらいの気持ちでいるのか、それは知りたいけどね」

呆然としている旦那の前で、言われるがままの女は泣きだした。それを支えるように岩永は駆けよるが、妻は『だって』『でも』と、とうわごとのような言葉をひたすらに繰り返すばかりだ。

有賀はもう何も言う気はないらしく、壁にもたれて静かに立っている。その横に寄り添うと、小さな声でごめんと聞こえた。別に怒ってはいない。こうなってしまったことは、有賀の責任ではないし、桜介が言うべき台詞を代弁しただけだ。

静かに見降ろす桜介と有賀の前で、蹲った女は泣いていても許されないと悟ったのかそれともただ思ったことを口にだしただけなのか、ぽつぽつと言葉を吐き出し始めた。
取りとめのない言葉の羅列は、混乱しているから理解できないのかと思った。しかし何度か問い質しながら整理してみて、やはり理解できないことだけがわかった。

余りに頭が痛い内容だったので、岩永も呆然と妻を見つめるだけだった。
桜介と有賀にはどうしようもない。言葉が通じない相手と話し合いはできない。とりあえず夫人は岩永にどうにか任せ、主催がいなくなった宴会に戻ることにした。このまま続行というわけにはいかないだろうし、なんとなくお開きの雰囲気に持っていくしかない。

玄関先で靴をはき、少し考えてから、桜介は有賀に向かい呟いた。

「……あのさ。ちょっと俺には理解できなかったんだけど。つまり、自分も浮気してるから旦那も浮気してるにちがいないって思った。更に、自分の浮気相手に振られそうになって、それは何もかも俺が岩永と浮気しているせいだ。そんで、ついでに言うならば、ビッチのゲイのくせに彼氏がイケメンでむかつく、と、いうこと、みたいなんだけど有賀さん日本語に直してもらっていい?」
「残念ながら百点満点のまとめだね。つけたすことはないね」

心底疲れたような溜息と共に言葉を返され、桜介も飲み込んでいた憂欝な息を吐いた。

「ちょっと何言ってるかわかんないんですけど、アノヒト」
「僕も頭が痛いよ。どういう思考回路してるのか理解できないけど、もう、なんでもいいんじゃないかね。頭おかしいけど一応、旦那さんのことは好きみたいだからね。更に逆恨みさえされなければ、まあ、一応区切りはついたんじゃないかな、と思うけど」
「怖い事いうのやめてくれませんかねちょうこえーよなんだその可能性。絶対離婚して欲しくねーな岩永……頑張って調教してほしい……」
「まあ、また嫌がらせがヒートアップしてきたら、対策考えようか。海の向こうに逃げてもいいけど、僕は今の仕事好きだし、サクラちゃんには電器工務店のおにーさんで居てほしいからね」

ね? と疲れた笑顔を向けられ、思わずへにゃりと笑い返してしまう。今の生活を守ってくれようとする有賀の心遣いが嬉しかったし、自分が何とかするだなんて強気な事を言わないところが有賀らしいと思う。

「さて、後はストーカーさんが捕まれば、晴れて平和に毎日楽しく生活できるんだけどね」

肩首をほぐす様に回しながら、有賀が呟いた言葉には桜介も同意だった。
ただ、その冗談のように吐き出された願いは、案外早く、思いもよらない方面から解決されることとなった。


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