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9-1



『七時くらいには、帰りたい』
「……希望じゃなくて予定を話してくださいよ。それ信じて平気? 信じていいなら多分その時間には間に合うけど」
『進捗が微妙。今日中に目処がつく連絡が来るんじゃないかと思うけど。共同作業的な仕事だからなんとも。だから鍵あげるって言ったのに』
「いや、今村さんに言えばいくらでも待たせてもらえるし。なんだったら開けてもらうから別に要らないっす」
『そういうんじゃないのにーさー夢見させてよーもー』

駄々っ子の様に語尾を伸ばす声が、携帯越しに桜介の耳に響く。
電子機械を通すと有賀の低い声は少しだけ甘くなる気がする。どうせ向こうではいつもの無表情で煙草を吸っているのだろう、と思うが桜介の方も里倉夫人が出してくれたどら焼きを頬張りながらの対応だった。

渋めの緑茶に甘いどら焼きがうまい。今日は比較的暇で、町内を走りまわることもなく、小さな店内で持ち込みと持ち帰りの家電修理をこなしていた。
三時に休憩が取れるなんて、久方ぶりだ。小さな工務店と言えど、社員が二人しかいない里倉工務店は案外毎日忙しい。

「だらだら喋ってていいんすか。仕事終わんの?」
『休憩くらいさせてよ。楽しい予定の構築くらいさせてよ。煙草くらい吸わせてよ』
「文句は俺じゃなくて仕事の方に言ってください。まあ、無理そうなら連絡してもらえてばいいんで」

まだ何か言いたそうな有賀をたしなめて、仕事がんばれとだけ言って通話を切った。
この桜介の『がんばれ』が、案外有賀の機動力になることに最近気が付いた。というか、有賀は思っていた以上に桜介の事が好きらしい。

もう少し軽い気持ちでの告白かと思っていた。
勿論好かれた上での言葉であることは重々承知していたが、消去法のような過程を経ての恋愛感情ではないかという偏見があった。一番近くにいる恋愛対象になる人間が桜介だっただけで、なんとなく好きになったような気分になっているのではないか。
そんな風に思っていたのが間違いだと気が付いたのは、告白まがいの言葉を受けた日の夜、道端で回収されてそのままお持ち帰りされ、最終的に何故か口づけをしてしまった後だった。

思い出すと、桜介まで頭を抱えてしまう。
有賀の事が嫌いではないのは本当だったし、人間的には好きだと思ったし、唇くらい許してもいいかなというくらいには好きだった。すでに初日にセックスまがいのことをしてしまっている為、貞操観念が薄めになってしまうのかもしれない。でも、キスくらいはいいだろう。そう思った桜介がきっと悪かった。

長々と、ゆっくりと、溶けるようなキスをした。
圧し掛かられるようだった態勢は、気が付けば抱き寄せられ後頭部と腰をしっかりと支えられていた。後ろ手で体重を支えていた両腕が空き、縋るものを探して有賀の肘あたりを掴む。背中に手をまわしてしまうと収拾がつかなくなりそうで、そこだけ変な理性が働いた。
頭の中は、溶けそうなキスでいっぱいだったのに。

たっぷり時間をかけたキスの終わりは甘く、何度か唇を啄ばまれ、思わず追いかけそうになった。ぼんやりした頭で、この人はやっぱりタラシだと結論付け、このまま食われたらどうしようと思い始めた時、有賀がへなりと桜介の肩口に沈み込んだ。そのまま、抱きしめるでもなく離れるでもなく、蚊の鳴くような声で『しぬかもしれない』と呟いた。

しんぞうが、いたくて、しぬかもしれない。どうしよう、こいって、すごいね。

甘い響きを含んだ囁き声に、桜介の方が死ぬかと思った。たかがキスひとつ、有賀も初めてではないだろう。初恋というわけでも無い筈だ。それなのにそんな声を出して桜介の熱を上げる。

このタラシと毒づいて、仕返しのように抱きしめてやったら変な声を上げていた。そのままどうでもいいことばかりを話して、夜が明ける頃にやっと蒲団を敷いた。座布団の上でも構わないという桜介を無理やり自分の布団の中に引き込み、有賀はそのまま寝たふりをしてしまった。どちらが先に寝たかはわからないが、すぐに、眠りに落ちたわけではないということはわかる。

翌日も昼過ぎまで蒲団から出して貰えず、眠いやだ目が覚めないという有賀に煙草代わりのキスをして解放してもらった。
今思えばアホかと思う。完全に出来上がっている。どう考えても出来上がっている。それは有賀にも伝わっている筈で、それでもその日以外はキスを求めてくることもなく飄々と夕飯に誘い、その度に柔らかく好意を示してくるだけだ。

そんな有賀のことを桜介は内心でジェントルタラシと呼んでいる。余裕ぶっているくせにいざとなると駄目で、正しいくせに甘い。知れば知るほど、良物件だと思う。
そもそも外見はパーフェクトに近い程好みだ。その上人間としてもかなり尊敬できる。会話をしていても楽しい。ああ言えばこういうというテンポも気持ちいいし、その中でも甘さを匂わせる言葉遣いが奇麗でうまい。桜介は有賀の言葉の選び方が好きだ。

有賀は桜介の声の鷹揚が好きだと言うけれど、そんな魅力がどこにあるのか自分ではよくわからない。
ただ、好きだと言う気持ちはどうやらかなり本気らしい。これはもう、素直に落ちてもいいのではないか、と、最近は思い始めていた。現状既に友人と言った雰囲気ではない。友人未満恋人候補、といった感じだ。

しかしまあ、とりあえず、自分の問題を片づけてからかな、と、桜介は胃の痛い事案を思い浮かべてため息をついた。

「お。どうしたサクラ。有賀ちゃんと喧嘩かね」

そのため息だけを目ざとく見つけ、後ろで茶を飲んでいた里倉が声をかける。初老と言っても問題はないくらいの年齢の里倉だったが、サクラに対する態度は親戚のおじさんに近い。父親という程近くは無い。祖父という程遠くはない。適度に気にかけ、適度に構って煙に巻いてくる。そんな里倉が好きだから、桜介の態度も気を許した横柄なものになる。

「ちっがいますよ。喧嘩するほど仲良くないっす」
「またまた。先週もなんかうまいもん食ってただろ、知ってんだぞー。若造のくせに生寿司なんて作りやがって、粋だねー有賀ちゃんは」
「え、なんで知ってんの」
「調度町内会であった今村の奥方に自慢されてよ。大家に差し入れまでするなんて気が効き過ぎじゃねーかって思ったけどな、そういやあの奥方自分から突撃するタイプだわって思いなおして有賀ちゃんも大変だなと思ったわけだ」
「あー……そうっすね。そういや半分取られたって言ってたかもしれないっすわ」
「で、喧嘩の原因はなんだ」
「だから喧嘩じゃないですって。ごく普通に良好にご近所付き合いしてます」
「その割には浮かない顔してんじゃねえか」
「これは別件っす。俺にもね、悩みの一つや二つはあるんすよ」
「ほーう珍しい。この陽気な春に陰気なこった」

鼻歌でも歌いそうな里倉は、春だろうが夏だろうが冬だろうが陽気な男だ。下町の親父然としている割に、人が良すぎる。誰にでも笑い、背中をたたくような好々爺だ。
桜介もご近所さんやお得意さんには似たような印象の青年かもしれない。勿論それは作ったキャラクターというわけでもないが、最近は頭の痛い悩みがある所為で無理に笑うのが辛い時もあった。

有賀の家に泊った翌日、結局夕方まで拘束されて夕飯まで一緒に食べた。その後家に帰り、桜介は件の電話があった友人、岩永本人の携帯を鳴らし、事情を打ち明けた。
対面で話すべきかと思ったが、気まずくなった時に辛い。それに、桜介自身は岩永の事は大切だが恋をしているわけでも愛しているわけでもない。実に悔しいが、縁を切ってくれと言われたらそのまま電話を切って、交流を終わりにする気持ちもあった。

全てを聞いた岩永は、桜介のカミングアウトには驚いていたようだったが納得した節もあったようだ。女に興味がないことをうまく隠せていたようで、実際そうでもなかったらしい。
俺は別にお前がそういう趣味でも、友達だと思っていると言われ、正直ほっとした。その上で妻と話してみると言われたがそれはそれで面倒なことにならなければいいが、と思った不安は的中した。




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