「百ちゃん、入っても良い?」

「眞壁さん!ええ、勿論ですわ」


コンコンと少し控えめのノックの後、問いかければ部屋の中から明るい声が返ってくる。いつもの彼女の声に少し安堵しながら扉を開け、中に入る。診察を終えた出久と共にやってきたその一室は私や出久と同じような実にシンプルな病室で、彼女は―…八百万ちゃんは、ベッドに腰かけたままこちらを見て小さく微笑んだ。


「体調は?」

「おかげさまで回復に向かってますわ。そちらは?」

「こっちも何とか無事に」


にへへ、とどうしてもぎこちない笑顔になってしまう。「隣、良い?」と聞くと、「どうぞ」と優しく自分の腰かけるベッドの隣の空間を少し開けてくれる。出久は近くにあった簡易的なパイプ椅子にゆっくりと腰かけた。お互いの無事は確認できたし、顔も見れて嬉しいことに変わりないがグダグダと話をしている暇はない。意を決して本題に踏み込む。


「切島くんと轟くんから話は聞いた」

「…そう、ですか」


勝己が攫われたあの夜、八百万ちゃんが敵(ヴィラン)に取り付けた発信機の話。そして、その発信機に対する受信機を使ってプロヒーローたちが捜査を進めていることも。その話を偶然にも聞いた切島くんと轟くんからの勝己救出の誘い。聞いた時は酷く揺らいだ。いや、今だってそうだ。その発信機の信号を追えば必然と敵の元へ…勝己の元へたどり着けると言う事実。問題は、その受信機を造れる唯一の存在である彼女が私たちに協力してくれるかどうかにかかっている。でも、でも、どうしてもこの気持ちは諦めきれなくて、出久にも着いてきて貰ったのだ。


「私ね、酷い人間だから百ちゃんをズルい話で説得しに来たの」

「え、」


切島くんや、轟くんにも説得されてきっと八百万ちゃんも酷く悩んでいるとは思う。でも、それでも今話さなきゃって思えたから。私の気持ちをちゃんと伝えて、それでも駄目だったら諦めようって決めたから。


「私のお母さん、プロヒーローだったの。ちっさい事務所だったし、大きな事件には関わってなかったけど…まぁそれなりに凄い人だった」

「だった…とは?」


ポツリポツリと話し始めると、八百万ちゃんが少し眉尻を下げながら首を傾げた。チラリと傍に座っている出久を見れば、少し不安げな顔をしてこちらを見ていたけど静かに目を伏せ息を吸う。


「実は、お母さん、死んじゃったんだ」

「!」

「それも私の目の前でね」


今の今まで誰にも自ら話せなかった話。だから出久にも聞いて欲しくて、話したくて連れてきたと言っても過言ではない。幼馴染である彼にもあの時あの瞬間私が見た事、感じた事は一切話していなかったから。ニュースで取り上げられたにしても内容は私にとってみれば酷くあっさりとしたものでしかなかった。

―突如現れた暴走敵(ヴィラン)に命を賭けて立ち向かったプロヒーロー

そんなカッコいい肩書きなんて、私にはどうでも良かった。世間が知ったのは突如個性を振り回し一般人を襲おうとした敵を偶然居合わせた母が応戦、逃げ遅れた一般人を庇って命を落としたって事だけ。それだけだ。

偶然その場に居合わせただけだった。久々の休暇で、一緒にショッピングしてた時だった。突然車が吹っ飛んだ。悲鳴が上がった。あちこちで何かが爆発し、怒声やら奇声が聞こえた。何が何だか分からないまま幼い視界に一瞬だけ収めたのは個性だろうか最早凶器のような身形の人型の何かが暴れまわっていた。


「帷は此処に居てね、ママ行かなくちゃ」


そう言い残して母は私と繋いでいた手を離して飛び出していった。行かないで、と叫んだ私の声は周りの大人たちの悲鳴や叫び声でかき消されて。手を伸ばしても既に届かなくなっていて。他のプロヒーローが駆けつけるまで、駆け付けた後だって母は必死に被害を最小限にしようと応戦してた。何なら敵にずっと「止まりなさい」とか「話をしましょう」と呼びかけていた。それでも、それでも敵は狂ったように奇声を上げながら周りを破壊していた。


「とても怖かった」


ヒーローの仕事が危険だと言う事は幼いながらも理解していたつもりだった。それでも憧れて、いつか母のようになるのだと思っていた。母も私の個性をいつも褒めてくれた。でも実際現場に来てみればどうだ。

とても怖くて、動けなかった。

元々母の個性は私と同じバリアで対戦するには向いていないもの。いつもならサポート役に徹している筈の母が必死に敵の攻撃を受けている事が酷く、怖くて。数人ものプロヒーロー相手に敵は一歩も引かず狂ったように暴れまわり続けている。攻撃を受け崩れる建物。瓦礫や敵の攻撃から必死に一般人を護ろうとするヒーローたち。呆然と恐怖でその場に立ち尽くしていた私は近くに居た大人に手を引かれ逃げようとしていた。そして、現場から離れる時一度だけ振り返ったその瞬間、逃げ遅れた一般人を庇って、母は―…。


「今でも夢に見る。母さんに必死に手を伸ばすんだけど、届かなくって。何回見ても、その先の結末を知ってるのに届かないの。体が動かないの。夢の中だけでも救えたら良いのにって毎回思うんだけど、駄目なんだよね」


手の届く所に居た。私の個性だったら救えたかもしれない、と何度も何度も思う。敵に襲われる母にバリアを張って、母を護ることが出来たかもしれない。私が個性を使っていれば、母は死ななかったんじゃないかって。だけど、もう、母には手は届かない。きっぱりそれは理解した。覚悟した。現実と向き合った。話を聞いていた哀し気な表情を浮かべる出久と一瞬だけ目が合ったけど、私は小さく微笑んでゆっくりと一回だけ瞬きをしてから八百万ちゃんにしっかりと向き直る。


「でも、でもね、百ちゃん。今回はまだ…勝己には、私、手が届くって分かって、夢じゃなくて、現実でまだ手が届くって分かって、居ても経ってもいられなくって。…ハハ。御免、やっぱり酷い話してる」


勝己には、まだ手が届くと分かってから酷く胸が熱いの。切島くんが言い放ったあの言葉を聞いてからずっと。希望があるって、まだ失ってないんだって。夢じゃないんだって。このままずっとプロヒーローたちに任せて待つことだってできる。でも、それじゃ絶対後悔するって分かってる。


「百ちゃんにとっては凄い重い決断だと思う。でも、忘れないで百ちゃん。私、もう、二度と失いたくないの」


後悔するならまずはやれるだけの事をやってからだ。って、誰の台詞だっけな。その通りだって思う。結末はどうなるか分からない、それでも行かなきゃ。最善の結果じゃなかったとしても、最悪じゃないだけまだマシだ。最悪でも生きていれば次のチャンスがある。もう二度と、大切な人が手の届かない場所に行かせてたまるものか。


「…本当、眞壁さんって酷い人だったんですね」

「うん。ゴメンね。否定はしないよ。でもこれが私の本心だから」


哀しそうな顔で目を伏せた八百万ちゃんが息を吐くように呟く。否定はしない。友達にそんな顔をさせるなんて最低な友達だとは思う。でも、言った通りこれが私の本心だし、仮に攫われたのが勝己じゃなくて八百万ちゃんでも出久でも誰でも私は助けに行きたいと思うし、同じことを選択したと思う。二度と、失わないように。奪われないように。



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