「……えーっと」


静まりかえる一室の中、気まずそうに声を発したのは今現在私の目の前に座っている明るい橙色の髪を揺らした青年と大人の間ぐらいに見える1人の男。通された1室の中に置かれた椅子に座るよう促され、素直に腰を下ろした。そこまでは至って普通だった。問題はその後に入ってきた彼なのだろう。
気まずさの神髄である。今、私の斜め後方には見事なまでの紅い掌の跡を頬に残しながら腕を組み壁に寄り掛かっている青い髪の男…私のサーヴァントが不機嫌そうに立っているのだ。


「何かあったのかを僕は聞いた方が良いのかな?」

「あー…っと…」

「いえ、ここは聞かずに察してくださいドクター」

「そ、そう…」


私たちをこの部屋まで案内してくれた1人の青年と共に室内に入ってきた薄紫色の綺麗な髪をした少女が淡々と代弁してくれる。あの現場を何とも言えぬタイミングで見られた挙句、私の身に危険が及んだのではないかと慌てて私と私のサーヴァントとの間に入ってくれた少女は依然として私と彼の間を仕切ってくれている。その傍らで苦笑する青年。実に頼もしいが、やはり気まずい。

キッと青い髪の彼をけん制するかのように見る少女に苦笑しながらも橙色の髪を揺らしながら男の人は苦笑した。一見、医者のような出で立ちの男だが、纏っている雰囲気は和やかそのもので言っていいのか分からないが偉い役職の人には見えなかった。


「改めて、僕は此処カルデアの医療部門のトップ…だけど色々事情があって今はカルデアの指揮を取ってるロマニ・アーキマン。みんなからはDr.ロマンって呼ばれてるんだ。よろしくね」


大変失礼いたしました。事情は分からないが今現在、目の前にいるこの人がこの"施設"のトップだった。ヘラリと笑いながら簡単な自己紹介を述べる彼に呆然としたまま、よろしくお願いします。と、小さく頭を下げる。
するとそのDr.ロマンの傍らに立っていたとても綺麗な黒髪の女性がその目を惹く身形のままスッと歩み出てきてすぐ間近まで顔を近づけてくるものだから思わず息を止めてしまう。近くで見ると更に綺麗すぎて。ニコリと笑ったその女性も「うんうん」と私の事を一回り観察しながら口を開く。


「私はカルデアの技術局特別名誉顧問として技術部のトップ、レオナルド・ダ・ヴィンチ!情報・技術面でのサポートで立香くん達をバックアップしてる」


近いですお姉さん、と反論する暇も無く一通り観察すると満足したようにスッと静かに離れた女性にようやく落ち着いて吐息した。心臓に悪い人しかいないのかここには。
しかし近づいてきた彼女はどことなく人間ではない事を察した。恐らくサーヴァント…彼と同じ存在。であるならばその容姿と気配に納得がいく。微かに感じ取ったその雰囲気に何となくそう思いながら彼女に見とれていると、不意に傍らに立っていた青年とあの少女が笑いかけてくる。


「オレは藤丸立香。君と同じくマスターだ。よろしく」

「私は先輩…マスターのデミサーヴァント、マシュ・キリエライトです。お気軽にマシュと呼んでください」


よろしく、と小さく返したもののまた分からない単語が通り過ぎていく。デミサーヴァント?サーヴァントとどう違うのだろうか。いや、そもそもサーヴァントの事もうまく理解しきれていない自分にとってみればこのカルデアと呼ばれる施設も将に未開の地。
分かるのは私の周りにいるこの人たちが私の事を救ってくれた、とても優しい人たちだという事。そしてあの青い髪の彼が私のサーヴァントになっているという事。私がマスターという存在である事、だ。


「と、まぁ一通りこちらの紹介が済んだところで―…君の事を教えて欲しいなぁ、なんて」

「私、は―…」


えへへと笑ったDr.ロマン。そうですね、聞いてばかりではなくまずはお互いの事を―…と思って徐に口を開いて止まる。言葉が出ない。続かない。何を、伝えればいい。
いや、言うべきことは分かっている。なのに出てこない言葉に思わず視線を落とせば、「どうかしたかい?」とDr.ロマンが不思議そうに顔を覗き込んでくる。その言葉を合図に周りにいたマシュも立香くんも私に不自然なものを見ている時の視線を注いでいるのを感じる。好奇の視線に近いその気配に心臓が嫌に早くなる。何か、言わなければ。否、だから言うべきことは分かっているじゃないか。えっと。そう、えっとえっと…えっと、えっとえっとえっと―…


「―…思い出せないのかい?」

「ッ―!」


ポツリと呟くようにダ・ヴィンチと言っていた女性の口から吐き出されたその一言に私の脳は理解した。否、ずっと拒絶していたその可能性をようやく受け入れたのだ。


私は、誰?


一体何処の誰で、どんな存在なのか。あの焼け野原で目覚めた時と同じ感情が一気に身体の奥底からせり上がってくる。ええ?とザワつく周りの声にも吐き気に似た気持ち悪さに何の反論も出来ない。結局行きつく先は、その通りなのだから何も言えるわけない。


「…やっぱりな」


と、不意に吐息交じりに聞こえたその声にハッと顔を上げる。壁に寄りかかったまま腕を組む彼の細められた紅い瞳と一瞬目があった。


「おや、君のサーヴァント君は知っていたようだ」

「知っていたというか、大方予想してただけだ。俺達(英霊)や聖杯戦争を知らねぇ割に魔力があり過ぎるんだ、この嬢ちゃん(マスター)は」

「君たちの聖杯戦争に関わっていない訳が無いと言いたいわけだ」

「少なくとも敵に狙われる存在か、マスター候補、もしくは聖杯戦争に参加したヤツの協力者だと俺は思うわな」


唖然としていた。彼は察していたのだ。先ほどベッドの上で取り乱していた私を見た時から。サーヴァントやマスターに関する事を問いただしていた時から。だからこそ、彼は冷静に私にあの契約を目視できるようにして説明してくれたのだろう。彼なりに分かりやすく、自分達の関係を確認させたのだ。


「その様子だと本当に記憶が無いみたいだね」


最初こそ驚いていたDr.ロマンだったがすぐに落ち着きを取り戻して静かに、言葉を失っている私に優しく問いかける。嘘を吐く必要も、逃げる道も何もない。なら正直に自分の言葉で伝えるしかない。自然と腿の上に置いていた手が拳に変わる。


「…何も、思い出せません。自分の名前も、どうしてあんな所に居たのかも、どうしてこんな事態になっているのかも、全て」


静かに息をついて、ゆっくりとただ真っ直ぐに目の前にいるDr.ロマンとダヴィンチさんを見つめたまますべてを肯定した。燃え盛るあの地で目覚める前の記憶が無いのだと。どんな生活を送っていたのか、どうしてあの場に居たのか、どうして私自身に魔力があるのかさえ分からないのだと。
その様子にDr.ロマンとダヴィンチさんは一度アイコンタクトを取ると、互いに小さく頷きスッとなにやら黒い手帳らしきものを取り出した。


「ここに一つの手帳がある。気を失った君をこちらに運んでいる最中に君の上着から落ちたものだ。最後のページの隅にこの手帳の持ち主らしき名前が書いてあった」


見覚えはない。しかし、私の上着から零れ落ちたものと聞いてハッとする。一体どこにそんなものを隠し持っていたのだろう。そんな事を思っている私の視線の先でペラリと頁を捲ったダヴィンチさんがそっと私にその手帳を差し出す。


「スバル・フォン・ラインツバルツ」


ダヴィンチさんの口から紡がれたその言葉がスウッと、とても素直に自分の内側に収まるような感覚。手帳の隅に筆記体で書かれたその名前にそっと指先で触れる。


「恐らく君の名前だろうと踏んでいたのだが…それもこれが本当に君の持ち物であるならば、という結果になってしまったがね」


手帳に見覚えも無いし、この名前が自分の者であるという確信は、ない。でも、馴染みがあるように感じた。果たして自分が書いた字体なのか、その文字の羅列の上でそっと指先を滑らせる。紙ならではの感触を感じながら徐々に湧き上がってくる懐かしさにそれが自分の名であるように感じた。


「多分…」

「ん?」

「多分、私の名です。何も思い出せない私自身に何の証明もありませんが」


写真が載っているわけでも無ければ、手帳の中に何か書いてあるわけでも無い。手掛かりは何も無い。でも、今の私の手元に残っていたというこの手帳は何か意味がある筈だ。記憶が無いことに酷く焦っていた心が手元に1つでも何かが残っていたことに少し安堵したように落ち着いて行くのを感じた。


「…まぁ、今のところその感性を信じて君をスバルくんと呼ぶとしよう。思い出したら本当の名前やら色々な事を教えて貰えばいいし!」


何と楽観的であろうか。Dr.ロマンは「うんうん」と頷きながらそう明るく言い放った。名前が無いと困るし!とかなんとか言っている彼にダヴィンチさんやマシュに立香も納得したのか誰も何も反論しなかった。とりあえず、自分の欠片を1つ見つけたような気持ちだ。


「フォウ!フォウフォウ!」

「ぉわ、」

「フォウも警戒してないようだし、悪い人間じゃないだろう」


どこから現れたのか、あの白い毛玉がいきなり膝の上に飛び乗ってきて思わず驚いて手を上げるとそれを見計らったかのようにスッと手から引き抜かれる手帳。視線をそちらに移せばどれどれとばかりに手帳をペラペラ捲る青い髪の彼。
そんな彼にまったく…とばかりに吐息しながらもスリスリと自分にすり寄ってくるそのフォウと呼ばれた白い毛玉の感覚に安堵を憶え、優しく撫でてやるとフォウも気持ちよさそうに目を細める。


「そこで、だ。スバルくん。起きて早々悪いんだが、今からこの世界で起こっていることを出来るだけ分かりやすく話すつもりなんだが―…聞いてくれるかい?」


君を取り戻すの手掛かりになるかもしれないし、と先ほどとは打って代わって少し真剣な表情のDr.ロマンにフォウを撫でていた手を止めて彼を見る。


「教えてください」


自分の事もそうだが、まずは知らなければいけない。私のサーヴァントを名乗る彼の言っていた聖杯戦争のことや今現状ここで起きて居ること、記憶が無い以前に知らねばならない事はたくさんあるのだ。


「この世界で起きている事、全てを」


その言葉を待って居ましたとばかりに力強く頷くDr.ロマンと、目を輝かせているダヴィンチさん。傍らに立つマシュと立香も静かに私に語られる今この世界に起きて居ることに耳を傾けていた。





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