「ほう…アサシンか。…呼ばれて早々戦闘ってのも面白いじゃねぇか」


1つに纏められた長くて青い髪が揺れる。その向こうでヒュンと風を切る紅い得物を視界の隅に収めつつもニヤリと笑う整った顔立ちの横顔に、私は見惚れるようにして彼を見ていた。
ちりちりと脳裏が熱い。突然酸素を奪われ、そして思いっきり取り込んだ身体がぐったりと疲れ切っているのを感じる。酷い脱力感。何か、別の力まで一気に持っていかれたような感覚。恐らく立ち上がる事すらままならないだろう。現時点で床に投げ出している足に力が入らない。


「んで?とりあえずコイツを倒しゃあいいのか?マスター」

「へ…?」


チラリとこちらを振り返った何とも軽い声に、思わず上ずった声が零れる。こちらに向けて声をかけたことは確かなのだろうが、果たして私が返事をしていいものか。いや、でもこの状況で話しかけるとしたら私か後は対峙している黒い影の存在しかない。この選択ししかないのなら、前者である私で良いのだろうか。
恐らく間抜けな声と何とも言えぬ表情を浮かべていたのだろう。軽く此方を振り返った彼の顔が鈍く笑った。「おいおい、しっかりしてくれよ」なんて今にも言い出しそうな彼の表情に戸惑っていれば、視界の隅に収めていた黒い影が微かに震えたのが見えた。


「馬鹿な…!媒体も、詠唱も無しにサーヴァントを召喚するなど…!!」

「ああん?」

「死にぞこないの小娘が…何をした!」


何が起きたのか分からない私に向けて、ワナワナと微かに体を振るわせ半歩ほど足を退きながら指を差す黒い影。さーばんと?やら、召喚?など余計に意味が不明だ。…いや、召喚という言葉の意味ぐらいは分かる。
と、なると…。である。目の前に突然現れたこの青い髪の男性は人間ではない。いや、突然何もない所から現れた時点で普通の人間ではない事は察したが、その人間ではない生き物を私が召喚した…ということになるのだろうか。…そんなまさか。


「わた、しが…?」

「おいおい、俺は此処に居るだろう?実質この嬢ちゃんが俺を召喚したに決まってんだろうが」

「あ、あ、ありえん……ありえん!」


断固否定するように声を微かに震わせながら言い切る黒い影。どうやら、私という死にぞこないの娘がこのような男性を召喚したというのは、あり得ない話だそうだ。その媒体とか、詠唱とかも含めてあり得ない話―…そうだ。私にそんな力があるなんて私自身が知らな―…。
そこまで考えて止まる。今までの私は、何をしていたか。力が上手く入らずに震える両手を見つめる。自然と口から出た憶えの無い異国ような言葉と共に燃え上がる炎。果たして私自身、普通の人間なのか?そもそも私はどうして此処にいる?私は―…私は…。


誰、だ?


今の今まで忘れていた。そうだ、私は何をしていたのか…いや、名前すら思い出せない存在。自分自身すら赤の他人のように何もわからないのだ。きっぱりと人間だと言い切れる確証がどこにあるというのだろう。自然と上がる息に、徐々に脳内が焦りを感じ始める。自分を、自分を思い出さなくては、その焦りだ。でも、


「…まぁ、確かにテメエの言い分には一理あるが……今は、関係ねぇなッ!」


ふわりと空気を含んだ言葉の羅列が後半になるにつれ、その力強さを増してヒュッと風を切った。顔を上げれば目の前に居たはずの青い髪の男性が居ない。え、と声を零す暇も無く、続けてキインと金属同士がぶつかる音が響いた。


「他人のマスター殺しかけといて無事で済むと思うなよ」


黒い影の持つ刃物と青い髪の男性が持つ得物―紅い槍とがぶつかり合い、チリチリと火花を散らしている。薄っすらと笑みを含んだ男性の声色に乗って僅かに怒りの感情が乗っている。至近距離まで一気に間合いを詰められた黒い影は小さく舌打ちした。と、ほぼ同時に互いの得物を弾きあい、再び相手との距離を取ったかと思えば再び得物同士がぶつかり合う音。


―速い。兎に角、速い。何もかもが。


眼で追えないほどのその速さに、やはり彼らは私が知る人間という生き物ではないらしい事を痛感する。音とほぼ残像に近い影でその存在と位置をなんとか把握することしか出来ない。互いに本気で殺しにかかっているのだ。見ているだけで分かる。何だろう、息苦しい…いや、胸のあたりが苦しい…。

と、

ヒュンッと飛んで来た得物が私のすぐ横を射抜く。耳元でグシュリと何とも嫌な音と共に微かに「ぐ、あ…」と声にもならない音が聞こえた気がした。あとほんの数ミリほどズレていたら私の顔を掠っていたどころかまさに射抜いていたかもしれないぐらいの近さに思わず息を止める。その得物の先を握るのは、私を見下ろして笑う青い髪の男性だ。


「随分と手癖が悪りィじゃねえか…なァ?」


カランと刃物が冷たい床に落ちる音。つい、先ほどまで私の喉元に向けられていたらしいそれが重力に従って落ちた。それは、持ち主が持つことが出来なくなったからだ。ザシュリとこれまた鈍い音を響かせ引き抜かれる槍に視線だけ動かして彼の槍の先を追えば、そこには彼と対峙している黒い影と似ている雰囲気の少し小柄な黒い影がスウッと黒い靄のようになって闇に溶けて行ったところ―…消滅していた。
どうやら、戦闘に見とれていて隙だらけの私を背後から狙っていたらしいその存在を彼が倒した。そう理解するのに思った以上に時間が掛かっていた。突然の事に感情が追いついていない。この数秒の内に命を奪われていたかもしれないその状況下に置かれていたなんて、理解できない。


「ふ…端から貴様らの相手が、私"ひとりだけ"だと思うな」


改めて黒い影に向き直り、クルクルと槍を回転させながら肩に担ぐ青い髪の彼をあざ笑うかのようにその黒い影は言い放った。それを合図とばかりにこの狭い教会の中に次々と姿を現す黒い影。何処に隠れていたのだろうと思うぐらいのその数があっという間に私たちを囲う。
どれも目の前に居る大きな黒い影に似ているが、それぞれに特徴があって小さかったり大きかったり細かったり女性ぽかったり子供ぽかったりと姿はそれなりに個体差があるように見える。その光景に思わず息を飲めば、いつの間にか私を庇うように立つ彼が微かに苦笑したのが見えた。


「ちっ…面倒な相手だぜ…」


多勢に無勢。数の時点で負けている。それは私にもわかった。問題は私を守ろうとしていくれているらしいこの彼がこの状況を打破してくれるのか否か。いや、無茶だ。この戦力差に、いくら彼が強くても一斉に飛びかかられたら一溜りもない。況してや自分という足手まといがいる状況下で彼が生き残れる可能性は低い。
いや、そもそもどうして私を守る?召喚したかもしれなから?それこそ、マスターだから?…そんなの今は関係ない。こんな歩くことすらままならない、戦う事すらできない人間なんて捨ててさっさと逃げればいい。どうして私みたいな存在にそんな命を張ってくれているのか理解できなかった。


―私が、いなければ


少なくともこんなことにはならなかっただろうし、彼だってここに現れることも私を守ろうとするこそもなかった。なら、あの時、首を絞められたあの時殺されておけばよかったのだろうか。どうして、生きながらえようとしていたのか。どうして死にたくないなどと、強く望んだのだろうか。こんな、こんな記憶も何も、何も残っていない私がこのまま生きていても―。
そんな思いが脳裏をぐるぐると廻り始める。視界の隅に映るその床に転がった小さな刃物が答えを急いでいるような、私に残された選択肢はそれしかないとすら錯覚させるぐらいその存在を主張してくる。駄目だ、他に、他に何か手がある筈―…。ギリギリと緊張の走る空気の中で互いの出方を伺い、両者見つめ合う状態がいつまで続くのかと思っていた、その時である。


ドゴオオオオオッ!!!という轟音と共に弾け飛ぶ壁。


「うがあああああああああ!!!」

「「?!!」」


何事かと両者ともその分厚い教会の壁に穴を開け飛び込んできた大きな白い存在に驚き、息を飲んだ。飛んでくる瓦礫に加え、その飛び込んできた存在が黒い影に飛びかかっていくのが見えた。新手か?と思う暇もなく、「おおっと!あぶねえ!」と少し慌てた彼の声がしてヒョイといとも簡単に担がれる体。私を難なく抱えて移動した彼の後には幾つもの瓦礫。彼が担いでくれなければ今頃瓦礫の下敷きだっただろう。いや、まて、この建物崩れ―…


「ッ?!やべえ」


彼も気付いた。これ、このまま崩れるパターンだ。壁に大穴を空けられた状態で、あちこちで黒い影を捕まえては倒していくこの大きな白い塊が好き勝手暴れまわれば建物にとってはたまったもんじゃない。天井が抜け、柱がゆがみ始める。
あちこちで大きな白い存在から逃げまどい、外へと脱出する黒い影たち。このままでは取り残される。急いで外に…そう気付いて彼が動いた時にはもう視界は最悪の状況が広がり、もう間に合わな…。轟音と共に降り注ぐ瓦礫たちを最後にそこで思わず視界を閉じて、次に来る衝撃に備えた。が、


「…あの、大丈夫ですか?」


いつまで経っても衝撃は来ない。衝撃どころか、柔らかい声が降ってきてハッと目を見開く。そこには大きな壁―…いや、盾だ。本来眼を開けば瓦礫いっぱいの視界であるはずなのに、そこにある盾によって自分達は崩れる建物から守られたのだ。
現に、盾によって守られていた自分達の周りには崩れ去った建物の瓦礫が無残にも散らばり、逃げ切れなかったのか下敷きになったらしい影のいくつかがサラサラ闇に溶けて行った。その光景を呆然と眺めている私の横でフワリと薄い桃色と紫の間のような何とも綺麗な髪が揺れた。


「……何者」


ガラガラと盾の上に降り積もっていた瓦礫を押しのけるようにして、自分達のすぐ傍で立ち上がったのは青い髪の彼に比べてかなり小柄な少女。しいて言えば自分と同い年ぐらいの少女が盾を片手に立ち上がっている。容姿を見ればわかる、きっと彼女も彼と同じ存在だ。
私の腰に腕を回したまま「ふー、たすかったァ」なんて呟く彼を余所に、その少女はキリッとした表情で黒い影を見つめ返していた。


「うがああああああ!!」


瓦礫の山から飛び出してきたのはあの大きな白い存在。どうやら白い彼もがれきの下敷きにされたがその頑丈さで無事だったらしい。フーッフーッと息を荒げながら黒い影を少女と共に睨みつけている。どうやら、2人ともこちらの味方と思っても大丈夫そうだ。


「たった2人相手にこの大人数、恥ずかしくないのですか?」

「うううううがぁ…」

「ふん…自分以外のクラスのサーヴァントを殺すのは当然。増してやマスターも居れば尚のこと。手段など他者にどうこう言われる筋合いはない」


自分以外のさーばんとを殺す。そしてそのマスターも。一体、どんな弱肉強食の世界なのだ。今まで生きてきてこんな世界があるなんて知らない。いや、第一に私には憶えも無いのだからそんな物騒な事をいまさら言われたって。


「第一、貴様らこそどうしてそいつらを庇う」

「我らサーヴァントは全て敵対にある存在の筈!」

「それがこの聖杯戦争のルールだ!」


聖杯、戦争。これは、今私たちが居るここは戦争地帯なのか。そんな、そんなルールがある戦争って一体何なのだ。自分以外全て敵って、そんなサバイバルゲーム…。なら、この少女もこの大きな白い彼も皆、皆敵ということなのだろうか。でも助けてくれた。それは自分達が私たちを殺すため?自分達の手柄にするため?
声を荒げ初めている黒い影たちに恐れることなく、少女は真っ直ぐな瞳を相手に向けたままキッパリと言い放った。


「生憎、我々はこの戦争の"部外者"なので該当しません」


部外者?部外者のさーばんとも居るのか?もう訳が分からない。ただ、どこからか湧き上がってくる安堵感にずっと苦しかった胸元の痛みが引いて行くのを感じる。


「なので、我々が正しいと思う事をさせて頂くだけです」


そう言って盾を構え直す彼女は、自然と私を守るように前に出た。ああ、本当にこちらの味方なんだと思うと同時に傍に居た青い髪の彼も私の腰に回していた腕を離して「此処に居ろよ」と小さくささやいてからスッと立ち上がって自身の得物を構え直す。


「ほほう、いいねぇ。その心意気。嫌いじゃねぇぜ」


アイコンタクトを交わす少女と白い彼と青い髪の彼。嗚呼、これでもう大丈夫だと心の底から確信した。


「んじゃま、共闘といきますか」


その声と共に対峙する黒い影たちに向かっていく大きな背中にまた見惚れたように見つめる。靡く長い青い髪。ヒュンと風を切る紅い得物。戦場とは思えないほどの声色と振る舞いで平然と敵対する者に立ち向かっていくその姿―…あれ?
ザザザとノイズが入ったように一瞬視界が曇る。ズキリと痛む頭を押さえながらまた顔を上げて彼を見る。あれ、私、彼を―…


「き、君、大丈夫?」

「…へ、あ、」


いつの間に傍に居たのだろうか、これまた自分と同い年ぐらいの少年が心配そうに自分の顔を覗き込んでいる。少し焦ったように表情を曇らせている彼を私は焦点の定まらない目で見つめ返す。痛い。頭が、ひどく痛い。


「お、オレは君の味方!此処に居ちゃだめだすぐに安全なとこまで移動を―!」


痛い、痛い。分かってる。動かなきゃいけないことぐらい。でも、でも、体は動かないし頭も痛い。思考が上手く働かない。駄目だ。駄目だ。此処で、意識をどうにか繋いでいないと、そう分かっている分かっているがそれをさせまいと視界がノイズで埋まっていく。
霞む視界の向こうで必死に少年がこっちに呼びかけているけど、その声すら酷く遠い。綺麗な青空みたいな青年の瞳を最後に私の中での必死の抵抗も空しく、意識はブッツリと途切れた。





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