熱い。息を吸う度に肺に熱気が流れ込んでくる感覚と共に体中に走る焼けるような痛みに意識が覚醒する。バッと目を見開き、身を起こす。


「な、…」


カラカラの喉の奥から絞り出したはずの声は擦れ、ほとんど息を吐き出しただけのような音となって辺りに解けて消えていく。否、それ以上に言葉を失っていた。上体を起こした私の目の前に広がるのはまさに


― 火の海。


どういう事だ。私の頭の中はパニックだ。市街地であっただろう面影が見えるその場所は火に飲まれ今や瓦礫の山と化している。まるで何か大きな爆発が起こった跡のようだ。そこに横たわっていた自分。まさか何か事故に巻き込まれた?で、こんな所に?…嗚呼、


― 何も思い出せない。


頭が痛い。特に胸元が焼けるように痛い。横たわったままの体をとりあえず起こそうと焼けて熱くなっているアスファルトに手を付いて体を支える。そして焼けるように痛む胸元を服の上から片手でギュウっと押さえながらどうにか立ち上がる。足元がおぼつかないながらも、無事に起き上がる事が出来た、その時だった。


「ッ!」


ザリザリっと瓦礫を踏む音がしてバッと顔を上げる。自分以外の存在を確かに感じ目を凝らす。と、そこに立っていた存在に私は息を飲んだ。


「オオオ、オオオオオー!」


明らかに人ではないその異形に、ゾゾゾゾ…と背筋を何かが駆けていく感覚と共に脳裏で本能が危険を知らせている。目の前にいるコイツは…コイツらは私自身に害を成すものだ。と。
一刻も早くこの場から離れなければ。しかし、目の前のこの生き物から逃げ切れるだろうか。未知の生物だ。どれほどの速度で追ってくるか、はたまた追ってこないかもしれない…そんな考えも頭を過ぎったが今は無駄な思考だ。どうであろうと、逃げなければ。


殺される。


そう直感した。足は痛いし、頭も、肺も、とにかく痛い。それでも逃げなければ、と頭では理解している。だから、ジリジリと距離を詰めてくるその生き物から離れようと足を動かした。けど、私の身体は自然とその人ではない何かを真っ直ぐに見つめたまま―…


「アンサズ」


相手に掌を広げながらそう、はっきりと言葉を発した。途端、目の前に古い文字のようなものが宙に浮かび上がり、その人ではない何かがボウッ!という音を立てて激しく燃え上がる。


「ギャアアアアアアア―――!!!!」


奇声と共に炎に飲まれて崩れていく影。その光景を見てハッと意識を取り戻す。今、私は何を…。目の前で消えていく古い文字とその人ではない何か。私が、私が、今、炎を?自分の掌を見つめたまま思わず息を飲む。訳の分からないこの状況に脳がついて行かない。何だ。私は今、何をした?そもそも、逃げるつもりだったのに、どうして。


「オオオオオオオ!!」

「ッ!」


目の前で消えて行った何かと似たものが徐々に徐々に集まり始めている。逃げるチャンスを失った、そう思った。自分を囲むように点々と現れる何かは、徐々に徐々にこちらに向かって距離を詰めてくる。
さっき逃げていればよかったものを…と思う反面、自分で思っている以上に意外と冷静な自分が居た。この、感覚を私は知っている。そうだ、知っている。この力を、この状況を、この人ではない何かが私にとっての危険因子だということを私は知っているのだ。


「ッ!アンサズ!!」


先ほどと同じように自然と体が動く。先ほどよりも声を張り上げて相手をしっかりと見据える。滅すべき相手を、しっかりとみる。基本中の基本だ。視線を周囲に凝らし、腕を振るう。ピンと伸ばした指先の更に先、宙に浮かんだその文字たちは確実に危険因子であるその何かを炎で包んでいく。
あちこちで奇声が上がり、炎が上がる。その中でも数体は炎に包まれたまま此方に飛びかかってきたものも居たが、それも最早死にかけのものが襲いかかってくるのだ。避けるのは造作も無い。よろめく影を幾つも炎で燃やし尽くし、残ったのは辺り一面と同じような光景だけ。…そう辺り一面と同じ、炎。そこまで考えてふと固まる。


……この、火、は…


まさか。いや、そんなはずは。自分の掌を見つめて徐々に血の気が引いて行くのを感じる。まさか、この一面を私が…?いや、そんな力は無い。それほどの力など持っていない。持っていない、そう言い聞かせるように脳内で呟くが確信が持てない。何故なら、


私は、今まで、何を…


意識を失う前、どこで何をしていた?そもそも、この力はなんだ?あの生き物は?あの生き物に対抗したのはいわば直感のようなもので、自分自身、どうしてあんなに立ち向かうことが出来たのか不思議なぐらい自然と体が動いていただけ。どうして知っているのか、その理由まで私は、思い、出せ―…


「ほほう…?」

「ッ?!」


微かに背後から聞こえた声に振り返る間もなく、脇腹に襲いかかる衝撃。とてつもなく重い衝撃に身体が宙に浮く感覚と、意図も簡単にふっとばされていく感覚。そして次に来るのは何か固いものに体がぶつかって、その何かを突き破った痛み。
ようやく地に体が着いたと気付く頃には、痛みにもがくことしかできない。衝撃を受けた個所を手で押さえながらどうにか痛みに耐えようと思うがこの痛みは尋常じゃない。微かに開いた視界も霞んで焦点が合わない。衝撃に思わず止まっていた息をどうにかしようと思うが、微かに吸い込んだ空気もどこか埃っぽさを含んでいて咽てしまい、上手く息が出来ない。


「妙な気配があると思えば…フン。ただの魔術師の小娘か」


自分ではない声がすぐ傍まで迫っている。姿はまだ確認してないが、先ほど自分に奇襲をかけてきたヤツだろう。今すぐ、起き上がらなければ。幸いといえばいいのか、意識を飛ばすほどの痛みではない。まだ、まだ動けると自分に言い聞かせながら痛みを無理やり押さえつけ、息を整えつつしっかりと目を開く。
視界の先に移り込んだのは自分が突っ込んで壊してしまったのだろう。建物の入口である木製のドアが見事に壊れている。その崩壊した入口から建物内に入ったのか、こちらを見つめて腕を組みながら立つ、黒い影。これまた人ではない何か。だが、先ほどまでの者とは違う。何より、理解できる言葉を発しているし、意思も力もあるようだ。ヒシヒシと肌で感じる何かが先ほどまでの何かとは明らかに違うと告げている。
はあ、はあ、と息を小刻みに整えながらゆっくりと相手から距離を取るように慎重に体を起こしつつ後ずさる。建物の中は広く、幾つもの長椅子が並んでおり、相手から視線を外すことなく長椅子の陰に身を置く。ヤツもきっと、危険因子だ。


「まさか、この有様で生き残りが居たとはな」

「(生き残り…)」


視線の先に立つその黒い影は静かにこちらに足を進めながら言い放つ。その口振りといい、ヤツはこの地で何が起きたか知っているようだった。しかしそれを聞く余裕はなさそうだ。ジリジリと近づいてくるソレから放たれる殺気に、押されそうになる。
この生き物は私を殺そうとしている。私が何をしたでもない、ただ自分以外の生きているものは殺すという意思だけで私を殺しに来ている。そう思った。だから私も大人しくしているわけにもいかず、必死に長椅子に身を隠しながらどうにかふらつく足で立ち上がって腕を振るう。


「アン、サズ…!」


先ほどの奴ら同様、兎に角今はやられる訳にはいかないと振るった腕の指先から古い文字が宙に浮かび上がると同時に炎が黒い影を包む―…。が、


「フン」


軽く一掃される。払い除けられるようにして消えた炎は先ほど外で振るった時よりもかなり威力が低下していたように感じたと当時に体がかなり重い。正直、立つのがやっとだ。しかしこのままでは本当に殺される。近づいてくる黒い影から逃れるように後ずさりながら何度も何度も「アンサズ」とその微力と化した炎をぶつけるがやはりそれも軽く払い除けられてしまう。
まるで鬱陶しいとばかりに。そして、私を追い詰めるのが楽しいのか影の足が徐々に徐々に距離を詰めてくる。そんなやりとりを続けながら数メートルを後ずさると数段の階段に思わず足を取られ、ふらつく。ふと視線を背後に向ければ小さな祭壇が見えた。正面に眼をやり、並ぶ長椅子に所々西洋の装飾が施されている壁や柱を見て、此処でようやくこの建物が"教会"だということに気が付いた。と、


「生き残りだから少しは期待したのだが、やはり虫の息か」

「あぐッ?!」


グッと伸びてきた異質の黒い大きな手が私の首を捕えた。逃げる間も避ける間もなく捕えられた私の首は意図も簡単に締め上げられ、一気に酸素の供給が出来なくなる。微かに持ち上げられる感覚を憶え、慌てて足をばたつかせながら身を捩る。このままでは本当に殺される。


「どのサーヴァントクラスのマスターだったかは知らんが、なんとも無様な最期だな」

「(サー、ヴァ…ト…、マス、ター…)」


遠のきかけている意識をどうにか繋ぎとめる。息苦しさの中に走る腹部の痛みから現実に自分の意識をどうにか繋ぎ止めながら相手を睨みつけつつ、その言葉に思考を巡らせようとするがやはり駄目だ。上手く考えられない。兎に角、兎に角ここから逃げなければ。隙を、作っ、て。


このまま死ぬのだろうか。


その一言が脳裏を過ぎる。体が徐々に溶けていくような、思考が遠のいていく感覚。私が私じゃなくなる感覚。あれ?これ、前にも何処かで…。私の首を締め上げているその黒くて大きな腕に爪を立てて抵抗している自分の感覚が無くなっていく。嗚呼、駄目だ。だめだ。ダメ、ダ…。


死にたくない。


死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない―…


「抗うな、楽になれ」


締め上げる力が更に込められ、霞む視界の隅に見えた鋭利な刃物。コイツ、絞め殺すだけではなく私を切り殺すつもりか。嗚呼、確実に息を止めに来ている。二度と、私が起き上がることなどないように。確認をする必要が無いぐらいに確実にコイツは私を殺すつもりなんだ。何も、私は何もしていないのに。そう、何も…、


死んで―、たまるものか!


「 ?! 」


消えかけた思考の中、一つの意思が強く私の中で弾けた。途端、胸元の焼けるような痛みが大きくなる。否、その痛みが体中を巡り始める。何が起きて居るのか、私自身にも分からない。熱い。熱い。けれど、フウッと首の締め付けが無くなって視界の隅で黒い影が微かに後ずさったのが見え、ドサリと床に体が落ちる。
熱い胸元を押さえつけながら咳き込めば、その押さえつけている手の指の隙間から微かに赤い光が漏れている。なんだ、なんだこれは。熱い。熱い。押さえながらその痛みに耐えると、ズズズズ…と何か胸に刻まれた。刹那、


ブオオオオオオ、


明らかに自然に発生したものではない風が教会中に巻き起こり、黒い影が自身を守るようにして更に後ずさる。私自身もその突風に眼を固く閉じて耐えていたがその突風は一瞬にして治まり、フワリと優しい風が頬を撫でた。


「―…ほお、これまた妙な所で呼び出されたもんだ」


黒い影とも、自分の声とも全く別の声にハッとして目を見開く。床に膝を着き、胸元を抑えたまま顔だけをその声の方に向ける。
視界に飛び込んできたのは綺麗な青。厳密に言うと青く長い髪だ。長身のその声の主の背中を見上げる私は一体、どんな表情をしていたことか。青い服に身を包んだその声の主は不意にその綺麗な青い髪を揺らしながらクルリとこちらを振り返った。これまた綺麗な紅い目と視線が合う。
その青い髪と紅い眼を持つ男は自身の得物であろう紅い槍を肩に担ぎ直しながら微かに笑みを含みながら呆けている私の顔を見て、


「…んで?アンタが俺のマスターか?」


と問いかけた。





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