心地よい微睡に身を任せていると、不意に微かな振動を感じて夢から現実へと意識が居りてくるのを感じる。とほぼ同時に微かに反響しながら通路からアナウンスが聞こえてくる。


「≪―…ラム スタート。霊子変換を開始 します―≫」


耳を澄まし聞こえてくる文字を脳内で理解する。何だ?変換を開始?何かが始まるのか?微睡から覚醒した脳でぼんやりと考えながら身を起こす。柔らかいベッド、見慣れない部屋。嗚呼、そうだ。私に与えられた部屋だ。ふわああと一つ欠伸を零しながらゆっくり立ち上がろうとした、その時。


「≪レイシフト開始まであと3、2、1…全行程 完了(クリア)。グランドオーダー 実証を 開始 します≫」


微かに揺れを感じ、一瞬だけ動きを止める。地震か?いや、それにしては揺れが変だし、先ほどから流れているアナウンスの内容も気になる。レイシフト…確か昨日Dr.ロマンことロマニが話していたあれの事だろうか…。
何故だかドキドキと高鳴っている心臓にすっかり目を覚まし、ベッドを抜け出す。身支度を整え、静かにドアを開ける。


「よぉマスター。おはようさん」

「…おはよう、"ランサー"」


するとどこから見ていたのか青い髪を揺らして彼が…ランサーが現れる。朝から何とも清々しい笑顔だ。と思ったが時刻を確認すると朝というより昼に近い。何ということだ。すっかり寝過ごしてしまっていたらしい。
しかしまぁ、彼が慌てていないところを見ると先ほどのアナウンスも揺れもこれと言って問題はなさそうだ。


「どっか行くのか?」

「さっきのアナウンスが気になって」

「あー、なるほどな」


そこまで言うと彼は察してくれたようだった。「俺も行くぜ」なんて言って後を着いてくる。まぁ、サーヴァントとマスターしては当たり前だが、彼にとってみれば暇つぶしにも見えなくもない。これと言って用もなさそうだし、断る理由も見当たらないので人気のない通路を並んで歩いた。


「あ、おはようスバルちゃん」

「おはよう…ございます…」


シュンっと短い軽い音を立てて開く扉。その音で気づいてもらえたのか、部屋の中心的位置に座っていた彼がくるりと椅子を回してこちらを振り返ってくれた。柔らかな笑顔で挨拶され、思わず気が抜けてポカンとしてしまったが何とか挨拶を返すことが出来た。傍にいたダヴィンチちゃんとも挨拶を交わしながら部屋の中に踏み入れる。


「ごめんね、まだ詳しいことは分かってないんだ」

「色々視点を変えて探っては居るんだがどうも…」

「あ、いえ…私のことは後回しにしてもらって全然構わないので」


一瞬、何のことを言っているのか分からなかったが、すぐに自分の事だと理解した。記憶のない自分のことを昔のデータを漁って探ってもらっているようだが、その雲行きは怪しいまま。そのことを聞きに来たと思われたのか、昨日自分からとったデータを見返すロマニとダヴィンチちゃんに、フルフルと首を振って否定する。彼らの本来の役割はこんな小娘の記憶を探すことじゃない。もっと大切な事だ。優先順位は下位で構わない。それよりも私がここに来た理由は、


「先ほどのアナウンスは―…」

「嗚呼、立香くんたちがレイシフトしたんだ。次の時代に座標がリンクしたからね」


やはり。人類滅亡を防ぐために藤丸くんたちは過去の事象に介入することで時空の特異点を探し出し解明、およびその原因の1つである聖杯を破壊するために、過去に時間旅行(レイシフト)を行っていると昨日説明を受けた。つまり先ほどのアナウンスはその特異点が見つかり、藤丸くんたちは先ほど過去へと飛んで行ったということを示している。…今、まさに歴史を護るために彼らは戦っているのだ。


「でも、丁度いい所に来てくれた。今日はちょっとスバルちゃんにお願いしたいことがあったんだ」

「お願い?」


レイシフト先に無事についたかどうか藤丸くんたちの通信を確認しようとして色々と操作しているロマニがうんうんと頷く横で、ニコリと笑うダヴィンチちゃんに思わずキョトンとしてしまう。こんな時にお願いなんて何だろうと思いつつ首を傾げると、彼女はとりあえずついてきてと手招きしてくる。
一度だけ隣に居たランサーと目を合わせてから、ロマニの方に視線を向ける。と彼はまた優しい笑顔で「行っておいで」と手を振る。そう言われてしまえば行くしかない。手招きしながらワクワクした表情で部屋を出ていくダヴィンチちゃんの後を追う。
長い通路を迷いなく歩いていくダヴィンチちゃんの背中を追ってしばらく。一つのとても広い一つの部屋にたどり着いた。中は薄暗く、床には何やら陣のようなものが描かれている。何か儀式でもする部屋だろうか。


「此処は…」

「我がカルデアの英霊召喚の為の部屋!召喚ルームさ!」


英霊召喚…いわば儀式だ。自分の直感が当たったことと声を張り上げながら自慢げに話すダヴィンチちゃんに些か顔が引きつる。「ほぉ〜」なんて感嘆を漏らす隣の彼と共に部屋の中を見回しながら足を踏み入れる。「フフー」と笑っているダヴィンチちゃんの顔を見れば、この後彼女が言いたいことが自然と理解できた。


「…もしかしなくても私に英霊を召喚して欲しいと?」

「流石察しが良いね!その通りさ!」


はいこれ、と一冊の本を手渡され付箋のついたページを開くよう言われて本を開く。幾つもの言語に訳された文字が並ぶ一つのページ。軽く字を目で追ってみるが内容はよく分からない。何なのかと問うより前に、隣のランサーが口を開いた。


「マスター1人につきサーヴァント1騎だろ?嬢ちゃんにはもう俺がいるじゃねぇか」

「ふふん。本来であるならそれがルールであり基本だ。だが此処はカルデア!しかも本来の聖杯戦争とは違った形で聖杯が存在し、以前からのルールは当てはまらないのさ!」

「ああ?マスター1人につき、サーヴァントは何騎でも持てるって?冗談だろ。それじゃぁマスターの身が持たねぇだろうが」

「さっきから言っているが、此処をどこだと思ってるんだい?あのカルデアだよ?!カルデアでは召喚、契約に成功したマスターの魔力の負担を軽減させるためその電力の約四割をにサーヴァント達との契約維持に費やしているんだ!」


つまり、本来マスター1人につきサーヴァント1騎の契約というルールはこの異常事態には通用せず、しかも数騎のサーヴァントを顕現させるための魔力もこのカルデアという機関にはあるということ。マスターの負担は減り、戦力は増える。成程。実に合理的だ。そういえば此処に居るサーヴァントの殆どは藤丸くんと契約してるよ、なんてダヴィンチちゃんがサラッと言ってのけるものだから、隣の彼と共に言葉を失う。今の世の中は進んでんのな、なんて一言で片づける彼も彼だが、いや、本当驚きだ。


「じゃ、早速だけどそこに立って、手を翳して」


指示された床に描かれている大きな陣の端に立つ。片手に先ほど渡された本を持ち、空いている片手で陣の上に手を翳す。ダヴィンチちゃんも青い髪の彼も部屋の隅へと非難し、そこに描かれている文字をゆっくりとしっかりと読んでと言われて若干不安ながらも呼吸を整える。まだ召喚するなんて一言も言ってないのにこの流れは断れそうにない。
いや、仮にサーヴァントが召喚できればもしかして藤丸くんの力に…カルデア的にも戦力は欲しいだろうし記憶のない私でもみんなの力に少しでもなれるかもしれない。救われた恩を思えば少しでも力になりたいのは事実。そう思えば、自然と翳した手に力が籠る。すうっと息を吸い、一度閉じた目を静かに開いた。


「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ―…」


ボウっと床に描かれた陣が光を灯す。と同時に辺りにもいくつかの魔法陣のような模様の光が浮かび上がり辺りを囲う。文字を読む度に光度が増し、どこからか風が巻き起こる。傍から「おおっ!」というダヴィンチちゃんの声が聞こえた気がした。


「―…汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」


本に書かれていたその召喚に必要だったらしい文字を読み終え、体の中の何かが熱くなっていくような感覚がして今にも何かが召喚されようとしているのか巻き起こる風と走る閃光に思わず目を細めながらその様子を伺う。…が、


「……へ?」

「ありゃりゃ?」


シュウウウ…とその閃光も風も収まり、魔法陣の光も消えていく。しかしその陣の中心には英霊の姿はなく、部屋に入った時と同じ状況、同じ光景が広がっているだけ。どうなっているんだ?何か間違えたかと内心ドキドキしながら本を見返す。いや、全部間違えずに読んだ。声量か?読む速度か?何だ?何だ?
てっきり英霊がそこに立っていると思っていて拍子抜けした私の傍ら、首を傾げながら何やら部屋に設置されていたパネルを弄り始めるダヴィンチちゃん。


「≪やぁ!召喚は?出来たかい?≫」

「ああ、ロマニ。丁度良いところに。そちらから召喚システムに異常がないかもう一度チェックしてくれないか?」

「≪ん?あ、ああ。良いけどちょっと待ってくれ≫」


パネルを弄るダヴィンチちゃんの元にロマニからの通信が入る。こちらが上手く召喚できたか気になって連絡してきたのだろうが、今現在何も呼び寄せていない。冷静なダヴィンチちゃんが通信の向こうにいるロマニに指示を出すと彼は状況を理解したのかすぐさま何やら調べてくれたようで、そう時間は掛からずに返事が返ってくる。


「≪変だな?システムに異常はないみたいんだけどなぁ≫」

「ゴメン、スバルちゃん。もう一回やってみてくれる?」

「は、はい」


もう一度しっかりと立ち、手を翳し、ゆっくりと文字を読み上げる。再び文字を読むごとに光度を増す光と巻き起こる風。今度こそは、と思い全ての文字を読み終えるとやはり光と風は収まり陣の中心には何の姿もない。何かが現れた痕跡もない。再びダヴィンチちゃんが首を傾げて「うーん」と唸り、ロマニが「駄目かい?」と聞いてくる。
そのあとも諦めずに何度も何度も試してはみるが結局結果は一緒で誰も現れないし、何の痕跡も残らない。ランサーが「元から故障してんじゃねぇか」なんて呟いているが、これはもう問題は私自身しか考えられないような気がしてくる。世界の最先端技術が詰まったカルデアのシステムがこう何度試しても出来ない訳がない。増してやロマニとダヴィンチちゃんが点検してくれているのだ。故障は考えにくい。


「…うーむ。此処まで来るとスバルちゃんは複数の英霊を召喚する適性がないのかもしれないね」

「え?」

「≪まさか!こんな魔術回路も完璧で、魔力の数値も下手をすると普通の魔術師たちよりも高いのに?≫」

「納得はいかないけどね。こればかりは私たちの力じゃどうにもできない」

「…私の力不足ですか」

「いやいや、一種の呪いかもよ?」


今まで複数召喚に成功したのが藤丸くんしか居なかったから、魔術師なら出来ると思い込んでいたのだけれどもしかしたら個人差があるのかもしれないし…なんて分析を始めるロマニ。すぐさまデータとして保存されてそうだ。
2人は決してスバルちゃんのせいじゃないよと明るく言ってくれるが、スバル自身は自分の力不足に感じて何だか複雑だ。せっかく何かしら少しでも力になれると思ったのに、まさか力になれないとは。はあ、と息を吐きながら本を閉じる私の横でダヴィンチちゃんの視線がスッと傍らにいたランサーの方に向く。


「もしくは、余程そこの槍兵さんの独占欲が強いのか」

「え、」

「あ?」


ダヴィンチちゃんの言葉に思わずランサーとほぼ同時に声が零れる。問題点はそこじゃない気がするのだが。ニヤニヤと不審な笑みを浮かべるダヴィンチちゃんにそんな馬鹿なと苦笑すれば、ランサーは徐に寄りかかっていた壁から体を離してゆっくりとこちらへ近づいてくる。


「別に俺ァ端から嬢ちゃんが他の英霊(ヤツ)を召喚しようが契約しようが嬢ちゃんが望むなら気にしねぇつもりだったが…」


彼の青い髪がふわりと揺れ、両耳に付いた銀色のイヤリングが揺れて微かに光る。ゆっくりと近づいてきた彼がピタリと私の目の前で立ち止まり、ニイッと口の端を吊り上げたのを見上げる形で見つめていると、


「まぁこれで、俺のマスター様は"浮気できねぇ"ってこったな」


なんて嬉しそうに高らかに言うものだから一瞬だけ思考が停止してしまう。ぶふっ!と横で噴き出すダヴィンチちゃんの声と通信の向こうで微かに咽ているらしいロマニの声で徐々に意識が戻ってくる。


「ッ!!!」

「痛だあああ?!!」


かあああっと一気に熱くなる顔に、気が付けば目の前でこれまた綺麗な笑顔を浮かべているランサーの頬に向けて思いきり平手を振るっていた。





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