※銃兎視点


その日は朝から妙に嫌な予感がしていた。
いつものように出勤、出動要請を受け現場に駆け付け、無事に一仕事終えて署に戻る。特別変わったことはなく、1日が終わる。嫌な予感はきっと気のせいだろう。今回の書類もそう難しいものはない。さっさと片付けてしまおうかと思っていた時だ。


「入間さん、お疲れ様です」


署に戻るなり、同僚が声をかけてくる。ええ、といつものように返事を返すと同僚は少し辺りを見回してから俺に身を寄せ小声で話しかけてきた。


「帰ってきて早々スミマセンが、入間さんを待ってる方がいらっしゃいまして――」

「はい?」


また左馬刻のヤツか、それかその関係者か。自分をご指名とはきっとロクでもない事だろう。そもそも事前に連絡なしにご指名とか此処はホストクラブじゃないんだぞ、と内心ツッコミを入れながら仕方なく同僚について行く。帰ってもらわない事には署にも迷惑がかかるし、俺自身にも分が悪くなる可能性がある。さっさと要件を聞いてお帰り願おう、とネクタイを締め直しながら署の受付の場所に辿り着く。


「いつ帰ってくるか分からない、って説明したんですけど待てる間は待ってみますって言ってきかなくって」


あの人です、と柱の陰から同僚が視線を送った先を見てとてつもない違和感を感じた。明らかにそこらへんに居そうな極普通の青年が独り、受付のソファに座ってスマホを見ていた。その筋の輩でも関係者でもなさそうだ。何だろう、情報提供者か?にしても俺をわざわざご指名なのだそれ相応の事情があると思いたいが、如何せん共通点が見つからない。
じゃ、よろしくお願いしますと言い残してそそくさと退散していった同僚の背中を見送り、改めて視線を青年に戻す。今時の子にしては少々地味かもしれないが、大学生ぐらいだろうか。やはり分からない。とにかく話を聞かない事には始まらないな、と観念して静かに青年の元へと歩み寄る。
失礼、と静かに声をかければ青年は視線を手元のスマホからこちらに向けてハッとしたような表情を浮かべた。黒縁の眼鏡の奥の綺麗な翡翠の瞳がやけに印象的だった。


「お待たせして申し訳ありません。私が入間です」

「初めまして、入間巡査部長。こちらこそ突然すみません」


手に持っていたスマホを素早くしまい、スッと立ち上がり軽く会釈する。こんなに丁寧な相手(しかも若者)に会うのはどれぐらいぶりだろうか。職業柄、ガラ悪い連中とか礼儀もなにもなっちゃいないヤツが多かった分、少し気味が悪いぐらい丁寧に思えてくる。


「どうも。失礼ですが私に何か用ですか?」

「はい。単刀直入に言います。碧棺左馬刻に会わせてください」

「……は?」


前言撤回。何を言っているんだコイツは。一気に今までまでの印象が覆る。平然とした態度のまま要件を述べるその存在は異様でしかない。予想外の返しに理解するまで時間差が生まれてしまったほどだ。遠のきかけた意識を呼び戻し、青年に一気に詰め寄り顔を寄せる。


「こんな公の場で堂々とその名前を出すという事は、どういうことか分かってます?」

「どうもこうも、入間さんのチームメイトでしょう?何か不都合でも?」


此処が署で無ければ、人目が無ければ怒鳴り散らしているところが残念なことに此処は自分の職場であり警察署だ。思わず小声になりながらも怒りを露わにすれば少しは引くかと思ったが、このガキは何の戸惑いもなく言葉を続けてくる。確かにチームメイトということもあって暗黙の了解のようになってしまっているが、本来ならばお互いに危うい立場だということを理解していないのだろうか。


「アイツの立場と俺の立場を考えたらわかるだろう」

「では、連れて行ってください」

「話聞いてねぇなこのクソガキ。俺たちには立場ってのがあるんだよ」

「俺には関係ないです」

「こんの――」

「入間さん何かありましたか?」


いつもなら冷静に対応するであろうこの俺が小声でしかも少し苛立ちながら青年の首元を掴みかけて話しているのが気になったのか、近くに居た署員が心配そうに声をかけてくる。何か問題でもあれば、迷わず署員は一斉にこのガキを確保するだろうし俺だってそうする。静かに青年に視線を戻せば、苛立つ俺とは対照的にその青年は静かに自分の服を掴んでいる俺の手に自身の手をのせる。


「俺もコトを荒立てるつもりはありません。彼に会わせてくれるだけでいいんです。そこから先は自分でどうにかしますから」

「……はぁ…」


会わせる義理はない。しかし、俺を頼ってきたのには訳がある。いや、正しいルートとでもいえばいいのか。正面切ってアイツに会いに行ったって門前払いも良いトコだ。相手にもされないだろう。左馬刻に会える確率はかなり低い。それを考えた結果俺を使うのは相当頭が良いのかもしれない。しかもこんな白昼堂々と警察署という騒ぎを起こせない空間で接触してきたのはそれなりに考えている証拠。俺が断りにくい状況を作っているという事。
1つ吐息を零し、青年を掴んでいた手を納める。「何でもありません。お騒がせして申し訳ありません」といつもの笑顔で署員を追い払うとそのまま青年に目配せして付いてくるよう合図する。それを理解したのか大人しく青年はバッグを背負い直しながらついてきた。仕事用の携帯で少し所用で出るとだけ報告し、車のキーを取り出す。続けてアイツにこれから向かうことを伝え、署の前に止めてあった一台のロックを解除する。


「乗れ」

「ありがとうございます」


後部座席に乗り込む青年の表情は変わらずだった。エンジンをかけ、ゆっくりと発進する。一つ貸しだからななんて青年に言う台詞じゃないなと思いつつも彼の良いように使われて俺は一体何やっているんだとも思う。嗚呼、これが朝に感じた嫌な予感ってヤツかもなんて。


「勘違いするなよ。俺は左馬刻の所に向かうだけで、そこからお前がどうなろうと関係ない。どんなことになっても俺は関与しないからな」


礼を言った青年に対し、俺は酷く冷たくあしらった。それはある意味で脅しだっただろう。なんたって、世間的にあまり口には出せないあの事務所に連れて行くのだ。そこで揉め事が起きようが、犯罪が起きようが正直何もおかしくない世界に足を突っ込んでいるのだ。警察である自分が一般人をそこに連れて行くことすらどうかとも思う。だからこそ、何かあっても助けてやらない、自業自得だぞと念を押してみる。


「…覚悟はしてますのでご心配なく」


ミラー越しに見えた青年の顔は相変わらず真剣で、何も迷いが無いような…迷いを捨てようとしているような顔だった。些細な行動、言動で湾に沈められてもおかしくない。なんかのきっかけでこの世からいなくなってしまうかもしれない、そんな世界に向かっているというのに。なんで、この青年はそんな世界に自ら赴く必要があるのだろう。見た目は、本当にただただ普通の一般人なのに。


「そういえば名前、聞いてなかったな」


同時に少しだけ興味が湧いた。一体こいつが左馬刻に会って何をしようとしているのか、そもそも左馬刻とはどういう関係なのか。まぁ、正直に教えてくれる可能性は少ないかもしれないが名前ぐらい聞いてもバチは当たらないだろう。そもそも、この俺を使ってるんだからそれぐらい教えて貰わなきゃフェアじゃない。


「…コウスケ」


消えそうな声だった。チラリとバッグミラーで後部座席を見れば、青年もミラー越しに少し恥ずかしそうに微笑みながらでもまっすぐにこちらを見つめながらその名を口にした。


「御厨コウスケです」


御厨なんて珍しい苗字だな、なんて思ったけどそれ以上に珍しい名前のヤツを俺はたくさん知っている。彼の名前なんてこの世界では平凡に近いのかもしれない。なのに、何かが引っかかっているような気がしたが、分からない。深く考えることなく、目的地に向けて車を走らせた。






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