※他本丸の長谷部視点





とんでもない話だった。


「―…とまぁ、そんなことがあって今ここにお邪魔してるってワケ」


最初はどんな理由があるのか聞いてやろうじゃないか、という何とも軽い気持ちでその重そうな口を開く小娘を部屋の入口から見守っていた。だが、その軽い気持ちが徐々に徐々に蝕まれていく感覚に俺は内心焦っていた。
いつしか無意識の内にその小娘と自身の主の姿を重ねていたのだ。破壊された本丸に取り残された主…そんなの想像もしたくない。しかし、この人間の体を受けてからというもの、感情や想像が豊かになってしまったがために、その脳裏に過ぎった最悪の状況が頭に焼き付いて離れないのだ。冗談じゃない。このままこの話を聞いていたら、おかしくなりそうだった。だから俺は乾いた小娘の苦笑交じりの声に耐えきれなくなって、気付けば部屋から離れていた。

吐き気にも似た気持ち悪さにどうしてあいつらは平然と聞いていられるのだ、と思いつつ廊下の角を曲がって先ほど歩いてきた縁側の通路に出る。外の空気でも吸わないとやっていけない。と、不意にその縁側に腰掛けてぼうっと外を眺めている一つの陰に顔を上げる。御手杵だ。それも、ウチのではなく、あの小娘の連れてきた御手杵だった。
小娘が話し始めるなり姿を消していたと思ったがここで時間を潰していたとは。気持ちはわかる。あの小娘の事だ、訪れた本丸であの話を毎度の如く何度も何度も話しているのだろう。そりゃぁあんな話を何度も聞いていれば嫌になるのも納得できるというものだ。そんな事を思いながら奴の横顔をぼんやり見つめていると不意にあちらもこちらの存在に気付いたらしく、何とも気の抜けた顔で此方を振り返ってヘラリと困ったように笑いながら口を開く。


「幾ら他の本丸の事だからって、自分が死ぬ話なんて酷いもんだろう」


刀としての生涯を終える感覚。俺達はモノの筈だ―…モノの筈だった。しかし、付喪神となり今は人の形と生を受け感情というものを持ってしまった。想像する事も体に感じる痛みを実際に味わう事も戦場で覚えてしまった。
しかし、彼らが味わったのは今まで自分達が味わったものをはるかに超えるような感覚。痛みと苦しさに加え、主を残して消える悔しさに悲しさ。嗚呼、想像なんて出来るものか。人としてはまだまだ未熟であるこの俺に、別の本丸で折れた、俺のことなど。


「……他の仲間が死んで、唯一自分だけ生き残って…」


別の本丸で折れた、俺の事なんかよりも俺は。


「貴様の方がよほど辛いだろう」


ポツリ。そう言葉が零れる。折れた刀たちの事を思えば、胸が痛むのを感じないわけではないが、俺が何より気にしているのは目の前でヘラリと笑って居るこの三名槍の1本の事だ。話を聞くまで…否、聞いた後だってそんな出来事があったとは思わせないくらい、穏やかな表情を浮かべているこの1本の槍の方が気になって仕方ないのだ。


「…はは。あんた、良い奴だったんだな」


一瞬、俺を見て驚いたような表情を浮かべた御手杵だが、すぐにまたヘラリと笑みを浮かべながらこちらを見上げている。何故だ。何故、そんな表情でいられる。他の仲間が死んで、1人取り残されたのだ。辛くない、訳が無い。
そう思えば思うほどに、ケロリとしているソイツの事を見ていると何故だか腹が立った。もし俺がコイツだったら、こんな表情なんてしていられない。気が狂ってもおかしくないその状態で、何故、コイツは笑うのか。気付けば、


「死にたくならなかったのか?」


そう吐き捨てていた。その言葉を聞いた瞬間、ほんの一だけ奴の目の色が変わったのを見て俺はとんでもない一言を吐き捨てたことに気が付いた。自分だけ生き残った惨めさを味わうのは想像するよりも辛い。きっと、死にたいくらいに。だが、それを改めて言葉として吐き出すなんて、なんて最低な刀なんだ。俺は。


「…いや、すまん。忘れろ」

「嗚呼…死にたかったよ」


視線を逸らしながら先ほどの発言を撤回するように手を翳したが、縁側に腰掛けたままの御手杵から普通に返事が返ってきて思わず驚いて再び彼を見る。


「サツキの兄貴に助けられて、どうにか俺は助かったけど…なんて言うんだ?んー、きっと罪悪感ってヤツだろうな…。すぐにでも自分の胸に自分を突き立てて死んじまいたかった。俺だけ生き残るなんて、耐えきれなかったよ」


笑みを浮かべながらこちらを見ていた視線を庭先の方へと向けつつ何処か遠くを見つめるかのように空を仰いだ御手杵は今にも消えてしまいそうだった。きっと彼の無名の内を占めていたのは生き残ったという奇跡のように聞こえる感情よりも寧ろ罪の意識を刻み付けるような生き残ってしまった、という絶望感なのだろう。
今まで周りに居た者たちが1晩にして消えたのだ。仲の良かったであろう刀も、そうでなかった連中も。一つ屋根の下でともに顕現した仲間たちが、もう、居ない。そんな世界、少なくとも俺には耐えられない。


「でも、俺は臆病だった」


ポツリ、吐き出されたその言葉はかなり空気を含んでいて今にも消えそうな声だった。


「いざ自分の胸に切っ先向けると手が震えて力が入らねェんだ。ハハ、みんな果敢に挑んでいって死んだのに俺は自決する勇気も無ェ…なんて情けない奴なんだって毎日泣いたよ」


自分の両手を見ながらその時のことを思い出しているのだろう。自害する人間を今までに幾度となく見てきた事はある。実際、潔くその命を全うする者もいれば、涙を流しながらその生を自身の手で終わらせるという行為に手を震わせていたものもいた。正直、後者の方が正しい反応なのだと今、人間としての形をもらった俺は思う。だから、御手杵が泣くのも自分自身を殺せないのも当たり前だと思った。…ハハ、きっと刀のままであればこんな気持ちを抱くことなく、潔く折れただろうに。


「死ぬに死ねない日が何日か続いて、サツキが目ェ覚ましたんだ。アイツ、目ぇ覚めてから俺の顔見るなりいきなり抱き着いてきてさ、生きてて良かった。御手杵が生きてて良かったって言ったんだよ。生きててくれてありがとう、ありがとうって。それから死のうなんて思えなくなっちまった」


薄情だよなぁ。と目を細めながら空を仰ぐ御手杵は、未だに死ねない自分を許せてなどいないのだろう。幾ら主に生きていたことを喜ばれたとはいえ、心のどこかにその罪悪感というものを抱き続けているのだ。


「俺は死にそびれちまったんだ」


死にたいのに死ねぬ苦しさ。いっそ折れてしまった方が楽だったかもしれない。けれど目の前にいる槍はヘラヘラとウチの御手杵と変わらず、その気の抜けた笑顔をこちらに向けている。辛い過去などなかったかのように。


「だから決めたんだ。サツキが死ぬまで俺も死なないって」


嗚呼、そうか。お前は罪悪感と共に生きることを決めたのか。それは唯一生き残った自分自身への重い罰のようにも思えた。きっと、此奴の心はズタズタだ。そしてその心を支えているのはあの小娘。槍の存在をこの世に成立させているのは、あの1人の小娘なのだからこれまたおかしな話だ。それほどに審神者というものは―…主というのものは大事なのだ。自分だって、主の為に生き、主の為に己を振るっている。


「そうか」

「…って、何話してんだろうな。こんな話聞いてもアンタには関係ないのにさ。なんか…悪いな」

「いや、聞いたのは俺だ。貴様は悪くない」


…結局、この御手杵も俺も同じ。どれほど辛いことがあろうと主を守るのだ。それが俺達の存在意義。寧ろその不安定な心持でよくここまで生きていたとすら思える。俺はコイツの主でも何でもないが、褒めてやってもいい気がした。
気まずい雰囲気に耐えられ無さそうに困り顔で笑う御手杵。その姿を俺は微かに目を細めながら庭先に視線を流す。と、不意に後方からドタドタと賑やかに廊下を歩く数人の足音や話声が聞こえてくる。


「御手杵ー、そろそろ御暇するよー」

「おー、今行くー」


廊下の曲がり角からひょっこり顔を出したあの小娘の声に、縁側に腰掛けていた御手杵が先ほどまでの哀愁すら感じるような雰囲気を一瞬にして隠してしまう。此処に現れた時と同じような声色と態度でよっこいしょと腰を持ち上げて先に行ってしまった娘を追って歩き出す。邪魔したな、なんて軽く声を掛けながらその場を後にする御手杵の背中が、大きくたくましく見えた。
…ウチの御手杵も見習ってほしいもんだ、なんて考えがよぎった俺自身が可笑しくて思わず目を伏せた。





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