『……おや』


未だほんのりと温かさの残るドーナツの入った紙袋を抱えたまま潜った扉の先。そこに広がっているのは将にいつもと同じ光景である。床に伸びている銀髪の男を見て嗚呼、帰って来たのかと思った。


「お帰り、シュタイン。目的のドーナツは買えたかい?」

『うん。ギリギリだったけど買えた。クラウス達の分も買ってきたよ』

「それは嬉しいな」


扉を開けたまま固まっている私に気づいたらしい大柄な赤髪の彼がニコやかに微笑みながら声を掛けてきた。あとでギルベルトさんに美味しい紅茶を淹れて貰って頂くとしよう。と眼鏡の奥でその綺麗な緑色の瞳を細めながら優しく笑う彼…クラウス・X・ラインヘルツは言った。


『…で?これはいつもの状況と見て宜しいだろうか』

「嗚呼。君の見解は間違っていない」


ニコやかに笑うクラウスとは真逆の光景を眺めつつ問いかければ肯定の意。嗚呼、やっぱりな。コイツも懲りないものだ。床に伸びきっているこの男…ザップ・レンフロ。撃沈している彼がどうしてこうなっているのかといえば、このザップという男は何とこのクラウスを隙あらば斃そうと狙っているのだ。それも心底殺すつもりでつっかかってくるものだから、クラウスもそれ相応の対処をしなければならない。
結果いつも彼は部屋の床に伸びていることが多い。否、最早日常である。そんな床に伸びたザップを見下ろす私と、彼の事など気にもせずに微笑むクラウス。なんて不自然な光景なのだろうか。だが、悪いのは明らかに床に伸びているコイツ。そう、自業自得である。


「よう、ツギハギ女…珍しくお外に出てたってか…」

『…ねぇクラウス、コイツちょん切っていい?』

「ちょ…?!」

「それは困る、シュタイン」


床に伸びたまま此方に喧嘩を売ろうとしているのが丸分かりのザップの言い方に、思わず片手で鋏の形を作ってチョキチョキと動かしながらクラウスに許可を求める。しかし許可は貰えなかったので大人しく手をパッと開いて見せる。と、表情を変える事無くクラウスが一応大事なライブラのメンバーだ、と言う。そんなクラウスもクラウスで"一応"を付けるあたり、彼も意地が悪い。


『おやおやおや?見ない顔だね?初めまして』

「は、初めまして…」


床に伸びているザップが旦那まで…なんて嘆いてるのを横目に、ふと視界に入った見慣れない1つの塊に視線を向けるとそこにはやはり初めて見る顔の少年がこの状況に慣れていない感満載の表情を浮かべたまま立っていた。


「新人だ。前に話していただろう」

『………嗚呼!ジョニー君!…ん?でも、あれ?』


ちゃんと挨拶するあたり、至って普通の人間と見て間違いないらしい。しかし何故此処に彼が居るのかと思っていればそんな私の意志を読み取ったのかクラウスが私の記憶を引き吊り起こす。そう言えば、チェインが新人が来るとかどうのこうのと結構前に話してて―…あれ?
そこまで思い出して不意に脳内が疑問に切り替わる。何故なのかは分からないが、それよりも後にチェインから何にかでジョニーの名を聞いた覚えがある。何だっけ?


「おうおうツギハギ女…今俺をちょん切るとか言ってたなぁ…」

『え?何?切り刻まれたい?自ら志願?』

「するか!!」


そんな私の思考回路を断ち切るかのように床に伸びていたザップが上体を起こし、此方を見上げながらまた突っかかって来るものだからニコやかに笑いながらザップに己の手を見せる。売られた喧嘩は買いますよ。

ドスン。


「…おっと、靴底が汚れたかな?」

『おー…ナイスタイミングでお帰り、チェイン』


ザップとシュタインの睨み合いが始まり、いよいよ険悪なムードに切り替わろうとしていた矢先である。開いていた窓から目に見えぬ風が室内に飛び込んでくる感覚を感じた次の瞬間、突如ザップの上に黒いスーツ姿の女性が現れ、そのまま彼を踏みつけたのだ。


「彼女はチェイン…チェイン・皇。諜報活動のエキスパートだ」


突如現れた彼女にポカンと固まったままのジョニーにすかさずクラウスが紹介を含めフォローする。入社初日に色々と初めてだらけの洗礼を受けているようで上手く反応出来ずにいるようだが、大丈夫だ。徐々に慣れる。寧ろ受け流す事が出来るようになる。


「な…にを…しやがるんだこのヤロウ」

「床に転がったままシュタインに喧嘩売ってる奴が悪い」

『そーだそーだ』

「床にあるものは何でもかんでも踏むのかおめぇは!!立体でも!!」

「バカ言わないで踏んでいいものだけに決まっているでしょう」

「………!!」

『プフ、』


立ったままのチェインと踏まれている状態のままのザップの攻防戦。傍から見ているシュタインもチェインと共にザップに対抗している。これもいつもの日常。面白い、日常の1ページにすぎない。だから新人、ひかないで。


「雌犬…てめえた やっぱり勝負しねえといけねえみてえだなあ」

「喚くなって銀猿。ミスタークラウスから片付けると言っておいて敵わないから方針転換?終いにはシュタインに八つ当たりまでして…。二流のやることはこれだからウスラ寒いよ」

「何だとおおおおおおお(泣)」

『だが、事実である(笑)』

「(笑)じゃねええ!!!」


相変わらず騒がしい男だ。そして、からかいがいがある。だからいつもこうやってふざけ合って、じゃれ合っていられる。現にクラウスも止めに入らないし、お互いが本気で無い事を理解しているのだ…いや、チェインは本気かもしれないが。


「ヒデエと思わねえかジョニー!!あの女はおっぱいがでかければ生きとし生けるものの頂点に立ってると思ってやがんだぞ」

「…?」

「新入りだ」

「…え…?」

『ほら、チェインが前話してくれてた…』


ザップが遂に傍に居たジョニーに同意を求め始めた。新人にまで助けを求めるかこの男。困り顔の新人に、その存在にようやく気付いたらしいチェインが首を傾げていたのでクラウスとシュタインが2人でフォローする。が、チェインの表情は微妙なままだ。


「新入りってジョニー・ランディス?ジョニー・ランディスなら来ないわよ?」

『……え?』

「ていうか…来れないわ」


キョトン、とした表情でチェインは言い放った。一瞬静まり返る室内。どういうことだ。チェインは何を言っている?今、現に目の前にジョニーが居るのにそれを来れないとは一体…。少なくとも此処に居る時点で、前々から新人の迎えに行くとか言っていたザップが連れて来たのは確実だろうし、連れてきたからには本人と確認したはずだ。なのに、


「何言ってんだお前。現に此処に…!!!」


連れてきた本人であるザップが一番驚いているようで、チェインから視線を新人の方に戻すと、新人のジョニーは床に額を擦りつけるが如く土下座していた。その光景にザップが言葉を失い、シュタインは嫌な予感を憶えながらもチェインを振り返る。


『どゆこと?』

「さっき通達があったのよ。ハドソン川で死体が上がったの」


死…死んでる人間が此処に居る訳が無い。しかし情報に関してはピカ一のチェインが嘘の情報を仕入れる訳がない。なら、此処に居るジョニーは何だ。疑問が堂々巡りだ。しかしチェインは至って冷静にカチカチと傍にあったPCを弄り始める。


「あのな雌犬。こちとら写真を見て…」

「どれよ」

「これだよ」


チェインが開いたジョニー・ランディスの情報の記載ページに一緒に載っている写真と、ザップの持っていた写真が照らし合わされる。うん。それは将に同じ写真だ。だが、問題は2人の認識している写真の上下が逆だったという事。
本来のジョニーの顔は、今まさに土下座しているジョニーの顔を上下逆さまにした状態のモノ。しかし、ザップが認識していたのは将にこの場に居るジョニーの顔そのものだ。つまり、ザップが間違えて連れてきた。…否、でも、それだけでは無い。


「…………」

『…わお』

「嘘おおおおおおお無理あるだろこれええええ」


顔が上下逆さまでも顔が成り立つなんてどこのトリックアートだ。だが今はそんな事は良い。ザップにも後でみっちり話を聞こう。まず第一に解決しなければならない事、大問題は此処に入り込んできた目の前の少年はジョニーでは無い事。そして先ほどジョニーに関しての疑問の正体はこれだったのかとつくづく思う。


『何者だ』


一瞬にして切り替わる空気。バッと手を広げたシュタインの足元から偽ジョニーが土下座している床の周りに向け複雑な模様が広がる。魔法陣のように広がるその模様。それを見つめるクラウスを始め、ザップもチェインもシュタインが本気である事を察した。


『返答次第では―…切る』

「ご、ごめんなさいッ!!」


薄ぼんやりと光を放つ床の模様に加え、今までの彼女とは別物と思えるほど声色から低く冷たい声に変わったシュタインの雰囲気。土下座したままの偽ジョニーがようやく口を開いた。


「あの場でどうしても助かりたくって…!!何より…ザップさんがライブラの名前を口にしたので…!!」

『…ライブラに何か用?』

「…知りたいことが…知らなきゃいけないことがあるんです…!!裏に通じている皆さんなら分かるかと思って…!!」

『……はぁ…』


シュタインの脅しにも近いような口振りに、慌てて口を開く偽ジョニー。話を聞く限り、彼はきっとこの街のどこかで変な事件に巻き込まれていた所をザップに運よく拾われたのだろう。本物のジョニーを迎えに行っていた彼に。まァ、そこまでなら未だしもこの銀髪、本人かも確認しない間にライブラの名を口にしたのか…呆れて何も言えない。


「………すまねえ旦那。俺のポカだ。てめえ爆弾しこたま体に巻いてるとかじゃねえだろうな」

『爆発物の感覚は無いよ…今の所は』


頭を掻きながら珍しく申し訳なさそうに言うザップ。そして静かに床に広げた模様を片手を軽く振って消すシュタイン。慌てようと言い、感じ取った感覚からこのジョニーを名乗っていたこの少年に害はなさそうだ。今の所は。


「何しろこの街で俺達を殺ろうって奴らはひきもきらねぇ…」


―パチン。


「何だ?急に」


ザップの言葉を遮るかのように室内に設置された一台のテレビの画面が音を立てて勝手に点いた。電源は誰も弄っていない筈だが、本当に点いた。そして始めは砂嵐のような画面から徐々に徐々に映像が映り始める。


「≪今、犯人が、機動装甲警察隊(ポリスーツ)に挟まれるように護送車に向かいます。白昼堂々と起こったこの凶事に周囲の住民は戸惑いを隠せず――≫」


画面に映し出されたのは、強盗という罪を犯したばかりの大柄な異界人が警察に囲まれ、今まさに連行されようとしている現場のニュース映像だ。どうやらリアルタイムで放送されているニュース番組の映像のようだ。
今日もまた犯罪が起こり、犯人が捕まったのか。まぁ、いつもの事で此処までならなんの疑問も抱かない。何故、テレビが勝手に点いてこの映像が流れだしたのか、その場にいる誰にも分からなかった。しかしそんな事を思いながらも静かにそのニュース映像を皆で眺めていた、そんな時である。画面に映る犯人が護送車に乗るのを拒むようにしてその場で蹲り、何かを言っているように見えた―…と、


ギイン、ズッ―…シュン。


将に一瞬の出来事。蹲った犯人の体が真っ二つに割れ、中から"ゲート"が出現。そこからさらに半身の何かが現れ、瞬きする暇もなく周りに居た機動装甲警察隊(ポリスーツ)を薙ぎ払うかのように長い得物を振るってスパンッと綺麗に斬り捨ててみせた。


『…白昼堂々、街中で召喚魔術…かぁ』


小さく顔を引き攣らせつつ無理な笑みを浮かべるシュタイン。画面の向こうで悲鳴が上がる。どうやら、一瞬にしてヘルサレム・ロットの街中は大パニックに陥ったらしい。幾ら毎日犯罪が絶えない街とはいえ流石に召喚魔術でとんでもない化け物が呼び出されたともなれば話は別だ。それも逃げも隠れもせず、白昼堂々。相手はとんでもないヤツに違いない。


「おうおう大胆なことで」

「何を呑気な!!神業どころの騒ぎじゃ無いぞ」

「ちょっと待って!!画像が変わるわ」


呑気なザップに、喝を入れるクラウス。そしてチェインの言う通り、パニックに陥っている街中を映す画面が徐々に徐々にまた砂嵐のように霞がかって画面が切り替わる。


「≪ごきげんよう。ヘルサレムズ・ロットの諸君≫」


まとわりつくような声。この声の主を私は…いや、私たちは知っている。徐々に砂嵐が晴れ、映し出されたのは街中では無く重々しい雰囲気の空間に置かれた椅子に座る、1人の変人。


「≪私だよ、"堕落王フェムト"だ≫」


こんな馬鹿げたことを白昼堂々と起こせる変人は、このヘルサレムス・ロットの街中を探してもコイツぐらいしか居ないだろう。





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