ギャアアアやら、キェアアアアなど色んな奇声が遠い。視界に舞う紅いそれは地下鉄の構内をあちこち汚していく。飛び散り、バラバラになったそれらは最早本来在るべき姿の原型を保ってなどいない。哀れに思いながらも彼らの考える暇など今はない。次々と襲い掛かってくる屍喰らい(グール)達を一掃し、次に狙うは本命のみ。
明らかに厄介な本命は男女2人の内、女性の方だ。それを瞬時に判断し、シュタインは勿論スティーブンとK.Kも同様に一気に女性の方へと攻撃を集中させる。片手に握ったままの得物を大きく振りかざし、女性に向け振り下ろす。

が、簡単に弾かれる。笑みを浮かべた女性にクッと奥歯を噛みしめ一旦距離をとろうとしたその時だ。身を捩るようにしながら得物を持った腕を大きく振るう。が「おっと」というこれまた軽い声と共に得物が何かにぶつかり防がれる感覚。チッと舌打ちを零しながら再び相手を捉える。


「ヒュー!やるぅ!!」


いつの間に背後に回っていたのか女性の傍に寄り添っていた男性が腕を変形させ、襲い掛かってきたのだ。楽しそうに表情を緩ませる男の眼は爛々と輝き、生き生きとしている。男の腕を弾きながら得物を片手に、少し距離を取る。が、すぐさま距離を縮めてくる。男の異形の腕を得物で受け止め、衝撃に飛ばされないよう脚に力を込める。そして、スンと鼻先を掠める微かに残る太陽の匂いに表情を歪ませる。


「下手に首突っ込むと怪我するよ、"新人さん"」

「へぇ!俺の事が分かるのかい?お嬢さん」

「…どういう経緯でそうなったのかは知らないけどさ」


男はまだ転化してからそれほど経っていないのだろう。それも自ら望んで転化したクチだ。全く、人間から態々化け物になるとは―…。どんな理由があろうと、どんな出来事が起こったとしても、彼が奴らの本当の恐ろしさを知らないにしても―…いや、もう止そう。キリがない。明らかにこちらを舐め切った態度のままの男に対し、得物を握った手に思わず力が籠る。長い会話に意味などない。此処に居るのは敵だけ。そして何より、自ら堕ちていった輩を私は酷く嫌っている。


「反吐が出る」


男の攻撃を受け止めた得物の大きな鋏を思いきり押し返す。数歩だけ後退した男の体。それを逃すまいと一気に踏み込む手加減なんかしたらこっちがやられる。それよりももっと速く。速く。反撃の隙を与えるな。そこで流石に私の速さと能力の威力を感じ取ったのか、男の表情が少し曇った気がした。


「逃がすか」


更に後退し、態勢を立て直そうとしている男を追って一気に踏み込んでいく。同時に片手の得物を持った右手とは逆の左手に得物の刃を素早く滑らせるとそのまま流血する左手を男の方に伸ばす。


「断繍(だんしゅう)血闘術―…術式の弐 縫縛(ほうばく)」


男の動きが止まる。シュルルと自身の左手から伸びた紅い糸(血液)たちが男の腕や脚を絡めとり、男の体全体に纏まりつくようにして動きを止める。くっと悔しそうな声を上げて歪む男の顔に更に笑みを深める。明らかに苦い顔をしている男に迫り、そのまま得物を振りかざしそうとした―…その時だった。

プツン。プツン

紅い糸が切れる音がした。瞬時にマズいと思った。踏み込んだ足をどうにか留めて自身の体を進行方向とは逆の方へと後退させる。男が反撃に出てくることはなかったが、今まさに自分が踏み込もうとしていたその地面を這うようにして、異形の棘のようなものが自身に向けられていた。


「助かったよマスターシニョリータ」

「だから言ったでしょ油断しちゃ駄目って」

「…チッ」


本命である女性からの攻撃だった。あと少しで串刺しにされるところだった。が、危機を脱したわけじゃない。スティーブンとK.Kに向けられていた意志がこちらにも向けられていたことを突き付けられている。コイツ、同時に3人を相手にしながらどうしてそんなに余裕なのだろうか。いや、理由は分かっている。こいつ等が正真正銘の"化け物"だからだ。
女性を睨み付けながら動きを封じようと再び糸を伸ばす。同時にスティーブンとK.Kが視界の隅で動いたのが見えた。少しでも動きを鈍らせてスティーブンとK.Kと共にこいつ等を食い止めなければ。そう思ったのだか。一瞬、女性が微笑んだ気がした。


「ああああああああ!!」

「ぐああああっ!!!」

「あ、が…っ!!」


痛みに耐え切れず上がる悲鳴。目の前で起きた信じられない光景―…いや、自分自身に起こった一瞬の出来事に思わず息が詰まる。女性の体から伸びた異形の棘に体を貫かれた2人の姿と、


「ご、ふっ…」


腹部や肩、腕に走る鈍い痛みに口から零れる紅。気付いた時には2人と同じように自身の体が異形の棘に貫かれていた。避けることも受け流すことも出来ないまま、痛みと共に地面に落とされる。カシャンと胸元のポケットにしまっていた懐中時計が零れ落ち、地面を滑る。得物の鋏も体を貫かれた瞬間に血液に還り、女性と男性を捕らえようと伸ばしていた糸たちも空気に解けるようにして消えた。動きを封じられ、地面に倒れたまま。体が動かない。カチ、カチ、カチと少しぼやけた視界の中で地面に落ちた懐中時計が時間を刻んでいる。


「…何だかがっかりだわ…あなた達」


結果、自身の眼の上のたんこぶである3人を1人で制圧した女性は拍子抜けしたような表情のまま首を傾げる。彼女の想像の中ではもっと"出来る"と思われていたらしい。全く、何から何まで舐められている。嗚呼忌々しい…。


「そりゃあ…どうも…」


体を異形の棘に貫かれたままゲフッと微かに吐血しながら嫌味ったらしくスティーブンが女性を見つめる。


「対"血界の眷属"特化型人間兵器と聞いていたけど…あと一歩よね」


ため息交じりに言葉を紡ぎながら、女性は自身の指先に着いていた血液を舐め取った。シュウウウウ…と指先と舌が触れた瞬間、微かに煙を上げたが女性は平然とした態度で話を続ける。


「確かに細胞レベルまで侵食してダメージを与える恐ろしい血液で、血を糧にする私達には天敵だけれども、今まで、心臓に杭を立てて、銀の弾で爆散させて、灰にして、それで"不死者"が滅んでると思った?」


答えは決まっている。"いいえ"だ。


「貴方が一番よく分かってるんじゃなくて?」


その声が自棄に近くに感じて、横たわったままの視線を上げる。動かない体を見下ろす一つの影に体の奥底が騒ぐ。しかしその感情に任せて今意識を"彼女"に手渡したら終わりだ。どうにか意識を繋ぎ留めながら冷ややかな視線と目が合った。


「変ね?私たちと同じ匂いはするのに……体は人間そのもの…ってトコかしら」

「……黙れ…」

「ん?」

「貴様らとは違う…違うんだ」


いつにも増して脳裏で囁くあの声が大きく感じる。いつも以上に血を流し過ぎたか。此処で意識を手放して代わりに力を得ればこの状況を簡単に打開できるかもしれない。でも、でも結局最後はすべてを壊し尽くすのだろう。大事なものも、護りたいと思っていたものもすべて壊して…。あとには何も残らない。
どうにか意識を繋ぎ留めなければ。薬を飲んで落ち着く暇もなければ、ゆっくり休む時間もない中で意識をどうにかこの場に留めておかなければならない。少しでも気が緩めば、そこに襲い掛かってくるのは以前にも感じた事がある自分が自分でなくなる感覚だ。


「シュタイン…」

「ふうん…まァ良いわ」


近く感じていた女性の声が遠のき、影が離れていく。カチカチと時計の秒針の音が自棄に煩く聞こえる。力なく横たわったままゴフッと吐血しながら答える私に興味を失くしたかのように、そう言いながら先ほど血液を舐めた自身の舌をベロリと出して見せた。


「滅ぼしたと思ったその瞬間から復活は始まっているのよ。細かく刻んで遅らせてるだけ。低級の連中ならば千年かかるかも知れないけど、私とかはホラ、もう完治」


我々の猛毒同様の血液を舐めた所で"血界の眷属"にとってみれば何とでもないのだ。滅ぼしたと思っていてもそれは所詮気休めでしかない。一時的に奴らの動きを止めただけ、いずれは再び動き出す。奴らは復活するのだ。そんなの、そんなの知っている。知っているさ。それでも、それでも―…。


「……で、いいのさ…」

「?」

「それでいいんだよ…化物のお嬢さん(モンストレス)」


遠くに感じる意識をどうにか引き留めながらも2人の敵の姿と、体を貫かれながらも吐血し息を切らしつつも声を紡いで立ち向かうスティーブンの姿を視界に収める。動かない体。相手がその気になればいつだって殺されてしまうこの状況下でも尚、スティーブンは立ち向かっていた。


「千年かかろうが、千五百年かかろうが、人類は必ず君達に追いつく。不死者を死なせるという、矛盾を御する日がきっと来る」


横たわったままの体が微かに振動を感じる。地面に着いたままの耳が徐々に近づいてくる金属音とその存在を捉える。嗚呼、いかんいかん。些か血を流し過ぎたか。もう体力も僅かだというのに自分の弱さに思わず呆れと共に笑みが零れてしまいそうになる。こんな所で横たわっている場合じゃない。


「そう。これは大いなる時間稼ぎだ。だがその時間稼ぎの中に、今、長老級にすら届く牙があるとしたら…」


カチ、カチ、カチ、と時計の秒針がその時が迫っている事を知らせている。体は動かなくとも闘志を消すことなく立ち向かっているスティーブンとどうにか体を起こしているK・Kが見える。2人とも諦めてなどいない。それは、私自身も。
徐々に金属の軋む音と共に構内を照らすライトが近づいてくるとともに徐々に大きくなる。どうにか手をついて身を起こし、ふうっと息を吐く。やれやれ時間通りだ。ハハ、これで、これで終いさ。私から血を流させた事を後悔させてやる。


「どうする?」


真っ直ぐな刃のように向けられたスティーブの声とキキキキキ…と金属を軋ませる音と共に駅構内に入ってきた電車のライトに女性が気を取られる。そして、動く私の気配を察知した女性と男性の視線がこちらに向く。電車を背に、笑いながら床に掌を押し付けた私とバッチリ視線が合った。


「そら、どうするよ」


地面に広がった自身の血液がその声に反応して動き出す。やがてそれは大きな魔法陣のような模様を描き、微かに光を放った。しかし、女性にも男性にも何ら変化は愚か、シュタイン自身にも何も起こらない。少し呆気にとられたような表情でつっ立ったままこちらを見ていた奴らには理解できなかっただろう。


「ブレングリード流血闘術」


私が、空間転移の術式を発動したことなんて。


「推して参る」


電車が物凄い勢いでホームを通り過ぎていく。そこにはつい先ほどまで何もなかったハズなのに、今は確かに燃える闘志と強大な力を持つ気配があった。即座に反応したのは意外にも本命である女の傍らに立っていた男の方だった。
男は腕を刃の形へと変形させ、その声が聞こえた気配の方へと突き刺そうと振りかざした瞬間。魔法陣のような模様の描かれた天井をまるで地面のように踏み込んで、拳を男共々本来の地面へと叩きつけながら彼はその姿をはっきりと現した。

―…クラウスだ。

傍らにいた女性の方はこれと言って驚いた表情はしておらず、冷静そうに見えた。私たちを見下していたあの表情のまま腕を刃に変形させ、男と一緒に地面に叩きつけたクラウスの拳が地面から離れた瞬間とほぼ同時に腕を振るった。が、紙一重と言っても過言ではないその一瞬の内にクラウスはその女性の攻撃を避け、代わりに彼女の脇腹にその拳を当てていた。


「な…に…?」

「ヴァルクェル・ロッゾ・ヴァルクトヴォエル・ギリカ」

「!」

「貴方を"密封"する」


第一に自身の体に触れられていた事自体にようやく驚いたような表情を浮かべた女性が、クラウスの発したその"知られてはいけないもの"に耳を疑ったことだろう。


「どうやって…その"名"を…」


女性の表情が驚きから焦りと恐怖に歪んでいく。絶対に知られることのない筈の"言霊"が今、目の前でクラウスによって晒される。彼らにとってそれは心臓をさらけ出しているのと同じ、否、相手に心臓を握られているのも同じだった。


「憎み給え 赦し給え 諦め給え 人界を護る為に行う我が蛮行を」


その声色は己の行いに赦しを請うている筈なのに確かな闘志は籠っていて、そしてとても力強くて。こんな状況にも関わらず霞む視界の向こうで相手を恐れることなく立ち向かっている彼の背中をぼんやりと見つめながら「クラウスらしいな」と思ってしまう。


「ブレングリード流血闘術 999式 久遠棺封縛獄(エーヴィヒカイトゲフェングニス)」


女性の脇腹に触れたクラウスの拳から注がれる彼の血(滅嶽の血)がその存在を捕らえ、抵抗する間もなく圧縮・密封していく。名を知られ、血に捕らわれた女性―…長老級の眷属は瞬く間に原型が分からなくなるほど小さくなっていき、最終的には掌サイズほどの十字架へと姿を変え、カランカランと乾いた音を立てながら地面へと落ちる。

脅威が去り、シンと静まり返る駅構内。そして傍で戦いの映像を記録していたチェインを始め、先ほどの電車にクラウスと一緒に乗ってきたのであろうザップとレオ、エイブラムスが依然として棘に刺されたままの自分たちの元へと慌ただしく駆け寄って来たのを視界の隅に収めながら、クラウスがこちらに手を伸ばしている光景を最後に私の意識は途絶えた。





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -