裏通りの顔馴染みに色々と情報を聞いて回ったが、それと言って例の件と関係ありそうな情報は掴めないまま早数時間。今日は無理かもしれないと思いつつ、懐中時計にチラリと目をやる。嗚呼、時間だ。一休みしなければ。そう思っていた矢先目に飛び込んできた一つの建物に足を向けた。


「おや?お祈りかい?」


ギイイイ…と何とも古ぼけた音を立てて木の扉を開けるや否や聞こえてきた声。間延びした何とも言えないその声色に視線を向ける。古びた教会の中に並ぶ長椅子の一つに腰かける一つの影。


「だが、君らしくも無い。君は神を信じないクチだろう」

『…別に祈りに来た訳じゃない。ちょっと休憩しにきただけ』


見慣れたその姿に思わずハアと声を零しながら溜め息を吐く。こんな廃れた教会、街の者は愚か宿無しの旅人だって立ち寄らないような朽ちた廃墟になんでコイツが居るのだろうか。此方を振り返るようにして顔を向けてくるソイツに、シュタインは目を細める。


『ってか、何で此処に居るんだよ暇人』

「決まっているだろう!暇だからさ!」

『胸張って言う事かよ全く。暇って理由だけで私が行くところ行くところ出現されちゃ困るよ、このストーカーめ』

「相変わらず失敬だな。君みたいな小娘、僕の好みじゃないよ」

『…言ってくれるね』


堕落王フェムト。そう、先日あの半神騒ぎを起こした張本人。今日は画面越しじゃなくてリアルで目の前に居る。と言っても初対面では無い為にお互いこうして直ぐに臨戦態勢を取る訳でも逃げる訳でも無く普通に嫌味を言い合う。…嗚呼、それぐらいの付き合いだ。


『この前は素敵なプレゼントをどうも』

「ん?…嗚呼、あれね。まさか君たちが居る所で開くなんて僕でも予想外だったよ」

『お陰で風通しが良くなった上に修理費が掛かって大迷惑だ』

「でも面白いゲームだったろう?」

『冗談じゃない』


先日の騒ぎはどうやら本当にライブラを狙っての犯行では無かったらしい。が、いくら暇人の狂人だからってそうほいほい騒ぎを起こされては困る。否、かなり世界的にも迷惑だ。仮にも人の命を命と思っていない奴の遊戯に付き合わされるこっちの身にもなって欲しい。…ホント、冗談にも程がある。


『悪趣味め』

「何とでも言い給え。君の言葉ぐらいで折れる僕じゃない」

『はいはい。分かってます』


私に言われるまでも無い。今までにどれだけの人の罵声を浴びようと、ずっと暇つぶしを楽しんできた男だ。小娘一人の言葉で彼自身が変わる訳ないし、心が折れる訳も無い。軽く流すように言葉を交わしながら彼が座っている長椅子から通路を挟んだ隣の長椅子の端に腰を下ろした。


「それで?今日はどんな厄介事を追って居るんだい?」


面白そうに、彼は此方を見るでもなくそう言ってきた。視線は真っ直ぐ前を向いたまま。祭壇の先に立っている首のないマリア像を呆然と眺めたままだ。フウッとまた息を吐きながらシュタインも彼の方から視線を外し、そのマリア像をぼんやり眺めつつ返事を返す。


『お前に話して解決できる話じゃない』

「聞いても居ないのに何故解かる?そもそも、此処に来たって事は今まで何も収穫が無いって事だろう?」


図星だ。まったく、この狂人は気にしなくても良い事を気にしやがる。大凡今回の件に関して彼は何も関わっていないだろう。狂人を作る薬なんて興味無さそうだし…。でも、もしかしたら何らかの手がかりを持っているかもしれない。そう思ってしまったから静かに言葉を続けた。


『…ヤバい薬(ヤク)が出回ってる』

「上で?」

『下でも上でも』

「ふうん。興味ないね」

『ハハ、ほらやっぱり。話しても意味なかった』


だと思った。少しでも情報があるかと思った私が馬鹿でした。大統領が狙われた、とか異界と人界の戦争が始まるかもしれないなんて言ってもこの狂人には興味の欠片もない。自分が楽しいと思える事以外、本当に興味が無いのだ。
真面目に話した自分は本当に馬鹿だったなぁと思いつつ再び懐中時計に目をやりながら、ポケットに突っ込んだままの紙袋を取り出す。紙袋の中には小さな箱。その更に中には大事な"精神安定剤"が入っている。


「…まさか、本当に休憩がてら此処に来たというのか?」

『だから最初から言ってるだろうに』


薬を取り出している横で、本当に信じられないというように此方を凝視しているフェムトを無視して口の中に既定の数の薬を放りこむ。本当は水が欲しいが、まぁ無くても飲み込めるから無理やりゴクリと喉を鳴らして飲み込んだ。


「まだそんなものに頼ってるのかい?まったく、"人間の体"というのは実に不便だ」


フウ…と薬を飲みこんで息を吐くとフェムトは呆れたように笑いながら視線を再び前へと戻した。その嫌味な言い方に思わずピクリと眉尻が動いてしまう。


『…何が言いたい』

「君が"人間寄り"というのが実に残念だと言っているんだよ」

『当り前だ。私は"ニンゲン"だからな』

「ハ。どうだか」


シュン、と将にそんな風を切るような音。小さく俯いたまま微笑んだフェムトの毛先が風で揺れ、彼に大きな影が差す。


『…それ以上言われると本当に手が出そうだ』

「おぉ怖い。君のその大きな鋏でちょん切られちゃうのかい?あ、違った。"彼女の鋏"か」

『ッ!!!』


ヒュン。再び風を切る音がした次の瞬間にはフェムトの首元に向けられる鋭利な刃物の先端。ギラリと怪しく光るその大きな得物を持つのは、紛れもないシュタインだ。その細い腕のどこにそんな得物を持つ力があるのだろうかと思うぐらいその得物は彼女には不釣り合いだった。


『今すぐ此処から消えるか、この世界から消えるか、選ばせてやる』

「嫌だなぁ。ちょっとからかっただけじゃないか」


ギロリと彼女の髪の合間から覗く2つの瞳が真っ直ぐにフェムトを射抜く。しかしフェムト自身、彼女を怒らせたことにも自分が殺されかけていることにも動じる事無くヘラリと笑ってスルリと彼女の得物から逃れ、席を立つ。
まるでシュタインが怒っている事を面白がっているように笑うフェムトがそろそろ行くかなぁなんてクルリと手に持ったステッキを回し、コツコツと革靴の音を響かせて歩き始める。
その様子にすっかり憔悴し、具現化させていたその得物を大人しく戻す。これ以上彼に深く踏み入っても無駄だ。況してや戦う気力も無いし意味も無い。奴のペースに乗せられているだけ。真面目に取り合えば命が幾つあっても足りやしない。そんな事、分かり切っていた筈なのに。


「あ、そうだ。君に伝言」


不意にワザとらしく思い出したように振り返ってフェムトが笑う。その表情に嫌な予感しかなかったがこちらも彼を振り返り、何だとばかりに不機嫌な表情のまま彼を見る。と、またフェムトは更に笑みを深めた。


「"近々会いに行くよ、愛しのリリィ"。だそうだ」


ドクリ。


『…嘘』

「僕が今此処で嘘をついてなんの得があるっていうんだい?」

『だって、アイツは…アイツは…クラウスが…』


ドクリ。ドクリ。ドクリ。嗚呼、やっぱりこの狂人に会うとロクな事が無い。手先が微かに震えているのを感じる。私の反応がありきたり過ぎて呆れたように吐き捨てるフェムトに対し、私自身はかなり動揺している。


「嗚呼、愛しい。僕は君が愛しくてたまらないよ、リリィ」


脳裏で奴の声が木霊する。鮮明に記憶に呼び起こされるその姿に背筋を何かが駆け上る。記憶にべったりと貼りついたその独特の声は私の神経を逆なでするのに十分だ。しかし、しかし何故アイツは、アイツは―…。


生きている?


そんな馬鹿な話があって堪るか。だって、だってアイツは私の目の前でクラウスが……。否、あんな狂人でも何か自分の生き残る可能性を残していたとしてもおかしくは無い。思えば、何故今の今まで私は安堵しきっていたのか。何せ此処は何でも起こるヘルサレムズ・ロッド。奇跡もあれば絶望もある世界だ。


「流石の僕でもあのイカレ頭の存在理由は知らないし、興味もない。君たちの問題は君たちで解決してくれたまえ」


僕は楽しくも無い厄介事に巻き込まれるのは御免だ。なんて彼らしい言葉を残し、放心状態の私に飽きたらしく再び出口に向かって歩き出す。その背を、


『…フェムト』

「ん?…何だい?」

『私からも伝言を』


思わずひきとめて、スウッと息を吐く。私にとって奴はトラウマの何物でも無い。けれど、今の私は以前の私とは違う。指先の震えを感じなかった事にして、席を立ち真っ直ぐにフェムトを見た。


『"くたばれ、イカレ科学者"…ってね』


嗚呼、来るなら来い。お前なんかから逃げやしないさ。もしクラウス風に言うならば全力でお相手致す、かな?なんて思いつつニッと笑いながらフェムトにそう言い放つと彼は一瞬キョトンとした表情を浮かべたけれど、すぐにやれやれと息を吐き肩を落とした。


「…全く、君たちというのは揃いも揃って。この僕を伝言係にするなんて……ま、今後ヤツに会えたら伝えておいてやってもいい」


君と僕の仲だからね。と笑って言い捨てながらコツコツと再び革靴の音を響かせて教会を後にした。彼の事だ。私の言った言葉をそのまま一言一句変えずに伝えるだろう。どうしてヤツがフェムト越しに此方に介入してきたのかは不明だが、まぁ今後とも警戒をしておいた方が良いらしい。
スッと消えて行ったフェムトの背中を呆然と眺めていたそんな時だった。不意にポケットに突っ込んでいた携帯が着信を伝える。


『―…はい』


徐に画面を見る事無くポチッと通話ボタンを押すと、薬の出所が分かったというスティーブンからの緊急連絡で、伝えられた現場に向かう為に電話を切るとピッと自身の指先を少し切り適量の血液と共に術式を展開した。





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