「僕」には5人の兄妹がいます。
下の妹は明るくて人懐っこくて誰にでも可愛がられる子でした。
「僕」はそんな妹の笑顔が大好きでした。
妹が笑うと「僕」は嬉しくなります。
妹が泣くと「僕」は苦しくなります。
だから、決めたのです。
「僕」は妹が笑っていられるように。
怖い事があっても
嫌な事があっても
ずっとそばにいようと。妹を一人ぼっちにしない。
そう決めたのです。
そう誓ったのです。
誰でもない、お前に誓ったんだよ。
凪。
*
雨が降っている。そう思った。
目を開けると、自分は冷たい地面に倒れていた。
どうしてここに、今まで自分は何をしていた。覚醒しきれない脳を叩き起こす。
蘇るのは、灰色の肉塊。
呪詛を吐き出す人だったもの。
目が潰れそうなほどの閃光。
突風。
そして、空に投げ出された自分が手を伸ばした先にいた。
「凪……、ッ!」
大事な、会いたかった妹。
ここは海岸近くのあの公園なのだろう。海から漂う潮の匂いが鼻を掠める。
ザァザァと降る大粒の雨が、顔についた泥を流していく。
あの時、妹をこの腕に抱いた後、黒い波に飲まれたのだ。
そうしてここまで打ち上げられたのだろう。
隣に凪はいない。
「凪!……何処だ……」
立ちあがると足に激痛が走り顔が歪む。
爆風か、波に揉まれた時の衝撃かで折れてしまったのだろう。だが今はそんなことを気にしている暇はない。
折れた足を引きずり周りを見回す。人の気配はない。
耳についていた通信もどこかに行ってしまった。自分の他にいた3人の安否もわからない。
「……凪」
雨はまだ止まない。止まる気配もなく。
冷たい水が体を打ち、徐々に熱を奪っていくのを感じる。
早く、見つけてやらないと。
妹を悲しませてしまう。
早く、そばに行かないと。
妹を一人ぼっちにしてしまう。
「何処にいるんだ…凪」
自分の声と雨音だけが日が落ちた暗い公園にこだまする。
点々と灯る街灯の明かりが唯一の目印だった。何本目かのそれを越えようとした時それは見えた。
「蝶……?」
異様な光景だった。
この大雨の中で蝶が飛んでいたのだ。
青い羽を羽ばたかせそれは街灯の灯りに誘われるように目の前を一周しそして暗い森の中へと消えて行こうとしている。その姿に引き寄せられるかのように足がその後ろを追う。
どうしてなのかはわからない。
根拠もない、だけどこっちに呼ばれていると思った。
青く輝く蝶が暗い森を進む。
生命の気配を感じない静かな森を歩き続ける。
歩いて、歩いて。
ただ歩いた、そして。
ヒラヒラと舞っていた蝶が漸く、羽を休めた。
森を抜けた先、街灯の下で眠る妹の髪に止まって。
「あ……」
白い妹は、赤く染まっていた。
雨に打たれているのにその赤は消えることなく。
妹を彩っている。
背中からとめどなく流れる赤は。
鮮やかな色をしていた。
「凪…ッ凪!、凪!!」
熱を持った足を動かす。鈍く歪な音が鳴った。
無様に転がり、口に泥が味が広がった。
立ち上がり、妹を抱き起こす。
「凪、なぁ。凪」
そう何度呼んでも妹は起きない。
赤が背中を支える自分の手の間を滴り落ちていく。
その微かな熱を感じる程に腕の中にいる妹は冷たかった。
「起きてくれよ。頼むから」
これを知っている。抜け落ちるような。
体の奥に穴が空いたような感覚を。
自分は一度体験している。
雨粒が自分に、妹に降り注ぐ。青白い頬を伝うそれを拭った。
「俺、俺。お前に言いたいこと沢山あるんだ。聞きたいことも、謝らなきゃいけない事も沢山。沢山あるんだよ、なぁ頼むから起きてくれよ。ーーーーーーーーーーーーー凪。俺を置いて行かないで。」
眠る妹に呼びかける。
何度も、何度も。縋るようにその名前を呼ぶ。
熱が消えていくのを感じる。妹が遠い所に行ってしまう。そう思った。
【神様】
その言葉が頭の中に駆け巡る。
助けてください。お願いします。
それはもう縋らないと決めて相手に向かっての言葉だった。
存在しないのだと思った相手に今自分は願っていた。
お願いします。
神様、お願いします。
妹を連れていかないでください。
妹を取らないでください。
神様。
お願いします。
お願いします。
「俺から、二度も凪を奪わないでください」
僕の宝物なんです。